久しぶりの梅雨の手料理は、食堂のおばちゃんの腕に勝るとも劣らない、懐かしい味がした。生まれた時から梅雨の作る食事で育っている三郎にとっては、これがおふくろの味というものだ。食堂のおばちゃんの料理も確かにおいしいけれど、慣れ親しんだ風味はじんわりと三郎の中にしみこむ。
若干慌てて食べたせいで、口の端にご飯粒が付いてしまった。


「あらあら、そんなに急いで食べる必要はないのに…」
「…だって、何か我慢できなかった」
「ふふ、そう言ってくれると嬉しいわ。ねぇ三郎、美味しい?」
「美味しいよ…凄く」


三郎が答えたのを聞いてから、梅雨はにっこりと微笑んで三郎の頬に手を伸ばした。くっついた米粒を取ると、それをそのまま自分の口に入れる。
その様子に一瞬、母親とは違う何かを感じながら、三郎は改めて米をかきこんだ。しばらく離れていたせいか、梅雨と上手く距離が取れそうにない時がある。
そんな三郎の気持ちもいざ知らず、梅雨はただ三郎との再会を喜んでいた。三郎がおいしそうに自分が作った料理を食べ、おかわりを要求してくれる、それだけで満たされた気持ちになる。梅雨ははいはいと言いながら、三郎の茶碗に新しい米をよそっては、好きなだけ食べてねと笑った。母親というものは、みんなこんな気持ちになるのだろうか。

食事を終えた後は、三郎は風呂に入れられ、旅の疲れを癒す為に少し横になった。珍しく風通しのいい縁側に寝転がり、梅雨の膝に頭を乗せる。梅雨はうちわを持って、三郎に風を送った。


「母上…重くない?」
「平気よ」
「私…このまま寝てしまいそうだ」
「そうでしょうね。ゆっくり休みなさい」
「いいの?」
「構わないわ。三郎が寝ている間は、ずっと側にいてあげるから」


普段なら敵の手が伸びやすい縁側は、昼寝を避ける場所にある。それでも三郎は梅雨が一緒にいる時だけそこにいることが許されていて、安心して体の力を抜いた。
日差しは焼けつくように痛いが、日陰となった縁側には涼風が届く。梅雨がそれをうちわで手伝って、三郎の意識はすぐに夢の中に落ちてしまった。すやすやと毒気のない表情を見せて眠る我が子を、梅雨は微笑みを浮かべて見守る。時折頭を撫でてやると、三郎は嬉しそうに頭をすり寄せた。

それから三郎が目を覚ましたのは夕方のことだった。
ちょうど意識が戻りかけた頃、廊下の端から近づいてくる足音がある。三郎がゆっくり目を開けると、そこには懐かしい顔があった。伊織である。


「三郎、帰って来たんでしょう!?」
「あ……伊織、か」
「三郎…!久しぶり、会いたかった!!」


瞼を擦りながら上半身を起こした三郎に、伊織が駆けてきて抱きついた。押しの弱い伊織にしては珍しい行動だ。それだけ伊織は三郎を恋しく思っていたのだろうと、梅雨は微笑ましい表情で二人を見つめた。


「おまっ…急に抱きつくなよ」
「だって…ずっと待ってたんだもん…三郎に会いたくて、」
「だけど…」
「三郎、伊織はね、よく私に会いにきて、一緒に三郎のことを心配してくれたのよ。わかってあげなさい」


寝起きで頭がはっきりとしない三郎に、梅雨は苦笑しながら諭す。伊織は梅雨に簡単に挨拶を済ますと、三郎の腕を引っ張って立たせた。


「ねぇ、学園のこととか、色々お話ししてよ!三郎の話、聞きたい!」
「えぇー…まぁいいけど」
「じゃぁ一緒に鍛錬場に行こうよ!私も手裏剣が打てるようになったの。三郎に褒めてもらえるように…頑張ったんだよ」


必死な伊織の手には、女の子にしては似つかわしくない、修行でできた傷があった。クナイを扱ってできたものや、手裏剣で切ってしまったもの、縄で擦れてしまったものなど…身なりを整えた中で、そこだけが目立つ。
三郎はまだ半分寝ぼけていたが、伊織が何度も頼むので、一緒に鍛錬場にまで行くことになった。側にいた梅雨は、なるべく早く帰ってくるように告げると、歩いて行く二人を見送る。夕飯は、伊織も含めて取ることになりそうだ。
それにしても、伊織も変わった。三郎が里を出て行く前は目に見えて気落ちしていたのに、今では逆に三郎に追いつこうと、前向きに修行するようになったのだから。これも恋する乙女の不思議な力か。それもまた、良いことだ。


「さて、そろそろ私も動かなくちゃね……あら、」


ふと視界に映ったたまの墓に、梅雨は少しだけ目を細めて笑った。視線の先には、懐かしい姿をした猫が、三郎たちの後を追って、鳴いているようだ。人には決して見えない…魂だけの存在となった、たまである。


「お前も、三郎が帰ってきたことが嬉しいのね。じゃぁ今夜は、ねこまんまも作らないと」


三郎と一緒に、後で供えに行くわ。と、心の中で呟き、梅雨はその場を後にする。背後で、にゃーんと、泣き声が聞こえた気がした。




結局、その日は伊織を加えた四人で夕食をとり、伊織は迎えに来た両親に連れられて帰って行った。いくら許嫁とはいえ、祝言を上げる前から泊める訳にはいかないというのが、梅雨の方針だった。三郎は将来、規律ある鉢屋の長となるべき者である。
夜、梅雨が一人湯浴みを済ませて部屋に戻ると、既に夜着に身を包んだ三郎が布団の上で寝転がっていた。


「どうしたの、眠れない?」
「さすがに…昼間結構寝たからなぁ」


と、三郎は少し困った顔をして答えた。


「そう…なら、眠くなるまで一緒にお話ししましょうか」


三郎の隣の布団に腰を落ち着けた梅雨が、また微笑んで言う。昼間と夕食時に聞いただけでは、まだ物足りないと思っていたのだ。
しかし梅雨の思いとは裏腹に、三郎はどこか落ち着かない気でいた。湯上がりの梅雨が隣にいる。それだけで変な感じがしてならないのだ。こんなこと、今までにもずっとあったことなのに…
離れていた時間があったために、三郎は改めて自分と梅雨の年齢が近いことを知った。二人の間の実年齢が埋まることはないが、梅雨の外見は16の時で止まっている。夏前に11となった三郎とでは、実に5才しか変わらない。親子というよりは、姉弟という方がしっくりする年齢差だ。
今はまだ三郎の方が子どもだが、いずれは梅雨を追いこしてしまう。若くて綺麗な母親というのは自慢だが、三郎は自分が老いた時にも今の若い姿のままでいる梅雨が、何となく嫌だった。何故嫌なのか、と問われれば漠然と嫌だとしか答えられそうにないのだが。


「三郎、どうしたの?」


自分の顔を覗き込む梅雨に、三郎は何でもないと首を振り、久しぶりにその柔らかな双丘へと、顔を埋めた。
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