「梅雨は、今年のバレンタインはどうするの?」 きっけは、友人のその一言だった。 私は今、キッチンに立っている。 目の前にはスーパーで厳選してきたチョコレート。 レシピはそう、定番中の定番、生チョコレートを作ろうと思っていた。 三郎さんがいない今、作って渡す相手は特にいない。 だけど、普段仲良くしてくれるみんなに、何かあげたいと思ったのだ。 三郎さんには、市販のちょっといいチョコレートを送った。 ちゃんとバレンタイン当日に届くように指定して。 去年はちゃんと手作りしてあげたんだけど、海外に送るのには衛生的じゃないから、今年は市販のもので我慢してもらう。 こればっかりはしょうがない。 それにしても、去年チョコレートケーキを作った時の三郎さんは、凄かったなぁ…いつもよりすっごく優しくて、一瞬別人かと思ったくらいだった。 普段から私には優しいけど、一日中私にべったりしてて…離してくれなかったんだよね。 でも、それだけ喜んでくれたということだから、私は嬉しくて仕方がなかった。 今年はそれがないのが残念だけど… 友人たちにあげる分は、まだ内緒。 「私は今年は何もしないよ」って言っておいたから、当日持っていったらみんなびっくりすると思う。 それがちょっと楽しみだ。 ネットで落としたレシピを見ながら、順序通りに材料を混ぜて作っていく。 生チョコレートって、実は結構簡単だ。 チョコを溶かして、生クリームとかを入れて固めるだけだし。 これなら、私でも作れて、かつ大量にできる。 私は冷やして固めたチョコレートをそれぞれラッピングして、友人用に作った。 男の子には…仲のいい男友達にも、今年からはもうあげない。 三郎さんが知ったら、きっと妬いちゃうだろうから、女友達だけに。 そこは理解してもらおう。 全ての準備が終わって、片付けも終わり、後は明日になるのを待つだけ。 私はワクワクしながら、日が変わるのを待った。 そして、バレンタイン当日。 「お母さん、お父さん」 「あら、梅雨おはよう」 「おはよう。あのね、これチョコレート。今日はバレンタインだから」 「まぁ…」 「あぁ、ありがとう、梅雨」 まずは朝一番に、お父さんとお母さんに渡す。 お父さんもお母さんもびっくりしてたけど、喜んで受け取ってくれた。 「てっきり、今年は作らないと思ってたけど」 お母さんの言葉に、私は笑って答えた。 「そのつもりだったんだけど、たまにはお世話になってる人にあげてもいいかなって、」 「じゃぁ、クラスのお友達にあげるのかしら」 「うん。みんなにはいつもよくしてもらってるし、友チョコとしてあげてくる」 「やっぱり、学生っていいものね。毎日が青春だわ」 笑顔のお母さんと話が弾んで、私は朝から子供のようにニコニコしていた。 お母さんはお父さんに振り返り、 「ねぇ、あなた。私たちも今日は二人で食事でもしない?」 と誘っていたけど、お父さんは「すまん、今は会社忙しい時期だから…」と言って断っていた。 お母さんは苦笑して、「まぁこの時期だし、仕方ありませんよね」と了承し、どうやら夜は私とお母さんで二人の食事になりそう。 お父さんも大変なんだなぁ… 「さて、梅雨。時間は大丈夫かしら?」 「あ!」 「ふふ、気をつけていってらっしゃい」 のんびりのお父さんとお母さんに見送られて、私は家を出た。 せっかくのバレンタインに遅刻だなんて、していられない。 今日はみんなの驚く顔がみたいんだ。 学校に着くと、みんな朝からうきうきとしていて、男の子も女の子も楽しそうだった。 私が教室に行くと、いつも仲良くしている女の子たちが固まって、何人かが作って来たチョコレートを嬉しそうに見せて回していた。 「みんな、おはよう」 「おはよー、梅雨」 「今日は朝から凄いねぇ」 「そりゃ、バレンタインだし」 簡単な会話を交わしつつ、私は自分が作ってきたチョコレートをみんなの前に出した。 「という訳で、私もみんなに作ってきたんだけど」 「えっ?」 「まじで?」 「あんた今年は作らないとか言ってたのに…」 「うん。でも、みんなの為に作るのもいいかなって。中身はたいしたことないんだけどね」 と言って、みんなに一つずつ配った。 ありがとうってお礼を言われて、義理チョコの余りがある子は、それをくれたりして、一日が楽しく過ごせた。 仲のいい男の子たちからは、「俺たちにはないの?」って聞かれて、「ごめん、今年からは女の子だけなんだ」と答えたら、「最初からわかってたよ」とからかわれた。 う、うーん…理解がないよりは全然いいけど、何か恥ずかしい。 そんなほっこりした気持ちで帰宅すると、外出用にしては少しおめかししたお母さんが出迎えてくれた。 「あれ、出掛けるの?」 「お父さんがね、時間を作ったから食事に誘ってくれたのよ」 「え――え?ほんとに?良かったね。じゃぁ今日はゆっくりしておいでよ」 「えぇ、そうさせてもらうわね。…あ、梅雨」 呼び止められて、ぴたりと足を止める。 なーに?と振り返れば、お母さんは酷くいたずらっぽい笑顔で、「部屋に素敵な贈り物が届いてるわよ」と言った。 素敵な贈り物…? よくわからないまま部屋に入れば、そこには大きな薔薇の花束が飾ってあった。 メッセージカードが付いている。 その名前を確認して、私は涙が出そうになった。 「三郎さん…」 Dear 梅雨 Happy Valentine's Day 変わらない愛を、あなたに その文面が、あまりにもキザで恥ずかしくて、でも、凄く嬉しい… 愛してる、と伝えてくれるのが何よりの喜び。 私はメッセージカードを何度も読み返しては、幸せな気持ちに浸った。 「三郎さん…私も、三郎さんのこと…」 と、誰もいない部屋の中で呟く。 言う相手はここにいないのに、私の顔は熱かった。 こんなのってないよ… 今でこの状態じゃぁ、会った時にはきっと、もっと酷い顔になっちゃうんだろうな。 私は薔薇の花束を抱きしめ、その香りを楽しみつつ、あれ?と不思議に思った。 そういえば、今日は確かにバレンタインだけど…どうして三郎さんから花が贈られてくるの? 今日は、女の人から男の人に想いを伝える日なのに… 不思議に思っていると、身支度を整えたらしいお母さんがやってきて、寝る前にはきちんと戸締まりをするように言われた。 「ねぇお母さん、三郎さんがどうして花を贈ってくれたか知ってる?」 「あら、だって今日はバレンタインじゃない。それしかないでしょう?」 「でも、チョコなら私が贈ったのに…」 「あぁ、梅雨は知らないのね。海外では、男の人が女の人に想いを伝える日なのよ」 「そうなの?」 「えぇ。女の子が男の子にチョコレートを贈るのなんて、日本だけじゃないかしら」 「知らなかった…」 私は目を丸くして、花束を見つめた。 お母さんは嬉しそうに笑いながら、さらに言葉を続ける。 「ふふ、だからその花束は、三郎くんから梅雨への愛のメッセージね。愛されてるって証拠よ」 「うん…」 「大丈夫、きっと幸せにしてもらえるわ」 お母さんはふわりと私の頭を撫でて、行ってきますと部屋を出て行った。 残された私は一人、贈られた花束を抱きしめる。 私は三郎さんに愛されている…そこに不安はない。 いつだって、私のことを大切にしてくれる。 私の愛しい人。 最愛の、旦那様。 私は――今でも十分に、幸せなんだ。 甘い香りに身を包みながら、今は異国にいる三郎さんのことを想った。 三郎さん…私もあなたを、愛しています。 チョコが残した遺言 |