「なんで!?」 『ダメったらダメだ』 「だ、だってせっかくの夏休みなのに…三郎さんだってお仕事お休みになるでしょう!?」 『俺の方は仕事は休みでも、取引先との約束があるし…梅雨一人じゃ怖くて来させられない』 「じゃ、じゃぁ三郎さんがこっちに…!」 『だから、仕事だっつーの。…悪いけど、我慢してくれ』 「そんなぁぁ…」 『仕事忙しいからもう切るぞ。じゃぁな』 ぷつり、と切れた携帯電話を片手に、私は体の力を抜いた。 へなへなと床に座り込む。 夏休みになって、少しでも時間ができた私は、三郎さんに会いに海を渡ろうと思っていた。 お母さんもお父さんも二人で旅行に行ってしまってるから、ちょうどいいかなって… けれど、そのことを三郎さんに伝えたら、三郎さんにはダメだと言われてしまった。 私が一人で三郎さんのところに行くのは心配だし、三郎さんも忙しいから会えないんだと。 せっかくの夏休みなのに、酷いよぉ… そりゃ社会人に夏休みなんて、ないのかもしれないけど。 ぱったり、床に寝転んで色々考える。 お仕事以外の約束って何なのかな。 一緒に食事に行ったりするのかな…女の人もいるのかな。 そしたら、デートみたい。 それは嫌だ。 前にお父さんが言ってた。 休みの日は、取引先の主催するパーティーとかがあって、中々お母さんとの時間が取れないんだって。 お母さんはお母さんでまた忙しいから、うちの両親は実は結構擦れ違ってばっかりなのかもしれない。 でもその代わり、夏にはちゃんとお休みをとって、二人で旅行に行くのが毎年恒例になっている。 だから私も、夫婦水入らずで楽しんできてね、と笑顔で送り出して、私もせっかくだから、三郎さんに会いに行こうと思ったのだ。 けれど三郎さんの方ではそんな気持ちじゃなかったみたいで、あっさり却下される私… 夫婦って何だろう…。 必要な書類にサインしながら、随時部下に指示を出していく。 ここでは俺がトップだから、俺がしっかりしていないと成り立たない。 たまに仕事のし過ぎじゃないか、と心配されることもあるが、体力的には全然問題ない。 それよりは、日本に残してきた梅雨のことが気掛かりで…さっきだって、電話でこっちに来るって聞いた時には、あまりの唐突さに、うっかりサインをミスしそうになった。 『三郎さん、夏休み、三郎さんに会いに行っていい?』 既に自分の中では完結していたのだろう。 梅雨の声は弾んで、遠い異国にいる俺の耳にさえも、嬉々として聞こえた。 「会いにくるって…」 『お父さんもお母さんも旅行に行ってるし、私も三郎さんに会いたいから』 「は…」 『ねぇ、いいでしょう?』 梅雨の言葉に、俺は思わず肯定しそうになった。 だが、すんでのところで理性を取り戻し、ダメだと言った。 『何で!?』 梅雨の悲痛な声が今でも耳に残っている。 俺は、梅雨が一人でこっちに来ることを心配した。 ただでさえ語学力も高くないのに、どこか抜けてて…そんなやつが一人で海外旅行だなんて、危険過ぎる。 まず無理だと思った。 そして、俺自身の問題がある。 俺はこっちに来てから、日本にいた時以上にがむしゃらに働いていた。 理由なんて一つしかないだろ? とっととこっちでの仕事を終わらせて、早く日本に戻る為だ。 その為には休日も潰して、取引先と会っている。 少しでもいい業績がとれれば、上は俺を認めて、多少は融通をきかせてくれるから。 そういった理由を、後半はまぁぼかして梅雨に伝えたところ、やっぱりあいつは納得していなかった。 しまいには俺が日本に戻って来れないか、なんて…どっちにしろ、意味がないんだよ。 もし俺が1年の途中で梅雨に会ったら、恐らくもう離せなくなる。 こっちに来たなら帰したくないし、俺が行ったら会社に戻れなくなる。 好きで好きでしょうがないから。 梅雨を愛している俺は、歯止めがきかない。 だから、何としても今は会うつもりはなかった。 会いたくない訳じゃない。 自分を抑えられる自信がないんだ。 「…あいつ、泣いてるかな…」 サインしていた手を止めて、梅雨の事を考える。 泣き虫な梅雨のことだから、夏休みも俺に会えなくて落ち込んでいるかもしれない。 いや、確実に落ち込んでいるな…。 変な方向に思考が回らなきゃいいけど、心配だ。 物凄く心配だ…。 俺ははぁ、とため息を吐くと、デスクに飾ってあるフォトフレームを手に取り、写真の中で笑っている梅雨を見た。 畜生…つらいのはこっちだって同じなのに。 むしろ男の方が、色んな意味でつらいんだぞ…何度梅雨の想像で抜いたか…… いや、やめよう。 そんなこと考えてる場合じゃない。 俺はパソコンから、おもちゃメーカーをいくつか検索して、その中から大きなクマのぬいぐるみを選んだ。 それから、日本の花屋にも繋いで…綺麗なブーケを注文する。 宛先はもちろん、梅雨だ。 「‘メッセージがありましたら、こちらにどうぞ’か…」 俺はふと手を止めて考える。 会えなくてごめんな? 仕事忙しくてごめんな? 泣くなよ? 違うな…どれも梅雨への想いを伝えるには物足りない。 っていうか俺謝りすぎだろ。 それじゃだめだ…そう、梅雨には、 ‘愛してる’ …これくらいじゃないと。 そして、俺の代わりに今はクマのぬいぐるみで我慢してくれ、とも書いた。 我ながら女々しい。 だけど、梅雨の悲しみを少しでも取り除くことが出来るのなら、俺はなんだってする。 それ程までに、俺は梅雨を愛しているんだ。 梅雨には俺の本心が伝わらなくても、1年後、ゆっくり教えればいい。 その頃には一緒に暮らしているのだから。 すでに日が落ちた空を見上げて、俺は小さく苦笑した。 夏の花陰 |