辺りで蝉の鳴き声を聞くようになった頃、学園は夏休みに入り、三郎は久しぶりの我が家へと帰宅した。級友たちとの別れを惜しみつつ、帰路をたどる足跡は、どことなく足早になりがちになる。途中まで一緒だった雷蔵とも、分岐点において別れを告げると、後は黙々と家に帰ることだけを考えていた。
屋敷の門をくぐるや否や、家の者に声をかけられてもそっけなく対応し、父親への挨拶も忘れて梅雨の元へと向かう。いつもの部屋の前に来た時、中に感じた気配に気持ちを高ぶらせながら、三郎は勢い良く襖を開けた。


「母上!!」
「…三郎?」


座敷に座り、机に向かっていた梅雨は、三郎の姿を確認すると、目を大きく見開き、次いでありったけの笑顔で迎え入れた。


「お帰りなさい、良かった…無事に戻ってこられたのね」
「…っ!」


にこり、と目を細めて笑った梅雨に、たまらず抱きつく。三郎はぎゅうぎゅうと梅雨の体にしがみつき、久しぶりの体温をその肌で感じていた。意識していないのに、何故だか目頭が熱くなり、そっと梅雨の胸に押し付けた。
梅雨も三郎の背中に腕を回し、優しく背中を撫でた。


「ただいま…母上、元気だった?」
「もう、それはこっちの台詞よ。三郎のことを心配しない日はなかったというのに…」
「うん。でも、私は母上のことも心配してた」
「三郎…」
「でもまたこうして会えたから、嬉しい」


ぎゅうう、とまるで幼子が母親に甘えるように、三郎はぴたりと梅雨に張り付いた。
学園にいる時はそれなりに自立できていたはずなのに、久しぶりに梅雨の顔を見て、気が緩んだのだろう。楽しい学園生活とはいえ、入学したばかりで、それも組をまとめる存在となりつつある三郎は、心のどこかで安心を求めていたのかもしれない。
梅雨に抱きつきながら、胸いっぱいに懐かしい母親の匂いを吸い込む。頭を撫でられていると、三郎が帰って来たと話を聞いた弥之三郎が、二人の部屋にやってきた。


「入るぞ」
「あら、弥之三郎様」
「父上…」
「ったく、三郎、お前って奴は……帰って早々梅雨にべったりか」


やれやれ、と息を吐いた弥之三郎に、三郎はどことなく羞恥を感じて梅雨から離れる。しかし、縋るように梅雨の腕に絡みつき、最後まで完全には離れなかった。
そんな三郎をまだまだ子どもだと感じつつ、弥之三郎は改めて三郎を見据え、良く帰ってきたと言った。


「どうだ、忍術学園は。あれで、中々面白いところだろう?」
「はい…でも、父上が学園に在籍していたことがあったのは、知りませんでした」
「言ってなかったからな」
「…理由を、聞いてもいいですか?」
「ん?まぁ…別に知ってても知らなくても、困りはしなかっただろう。どうせ学園にいれば、いつかは自然と耳に入ることだし」
「山田先生が言っていましたよ。父上は、よく悪戯をして、教師を困らせていたと」
「あぁー…」


三郎の言葉に、弥之三郎はどこかバツが悪そうに視線を逸らした。目ざとく梅雨が気づき、口をはさむ。


「弥之三郎様、そんなことがあったのですか」
「っても、もう随分と昔の話だ」
「そういう問題ではないでしょう。全く、あなたときたら、幼い時からやんちゃで…三郎のことを言えませんよ」
「ちょっと待った、梅雨、その話は後で二人の時に、な?」
「もう…」


梅雨は困ったように笑みを零した。三郎だけでなく、梅雨は弥之三郎の幼い時のことも知っている。
二人の会話を側で聞いていた三郎は、ようやく確信した。山田を始めとする教員たちが言っていたことは、どうやら間違いないようだ。弥之三郎は忍術学園に通っていた頃、数々の悪戯を重ねてはそれを楽しんでいた。数少ない平和な生活での、ちょっとした息抜きだったのだろうか、それは事実である。


「父上でも、悪戯をしたんですね…」


ぽそり、と三郎が呟けば、弥之三郎は凄い勢いで振り向き、三郎の頬を引っ張った。


「言っとくけどな、お前は私にそれはよーく似ているんだ。お前だって、その可能性は十分に高いんだぞ?」
「は、ひゃい!」
「ま、学園にいる時くらいは楽しんでおけ」


弥之三郎は三郎の顔から手を離すと、一度だけ頭を撫でて、部屋を出て行った。親子とはいえ、ゆっくり話している暇は、やはりない。それでも三郎が十才になる以前と今を比べたら、格段に接触が増えた気がする。
鉢屋宗家の父親は、子を甘やかしてはいけないというしきたりがあるが、あくまで子が十才を迎えるまでなのかもしれない。
撫でられた頭に何となく手をやりながら、父親が出て行った方を見つめていると、その上から梅雨の手が重なった。


「母上?」
「ようやっと会えたんだもの…今日は、学園でのこと、色々話してね。三郎の話を聞きたいわ」
「ん…私も、話したいことが沢山ある」


例えば、まだ正面からはちゃんと話していない、雷蔵のこととか。ろ組の仲間や、他の組の生徒たち、教師についてなど…三郎の中には梅雨への土産話が沢山詰まっていた。


「三郎、お昼はまだでしょう?昼過ぎに戻ると文に書いてあったから、待ってたのよ。まずは、久しぶりに、一緒に食事をしましょう」


見れば、机の上には学園を出る前に三郎が出した文が広げられていた。梅雨はそれを何度も読み返しながら、ずっと三郎の帰りを待っていたのだろう。
三郎はすぐに頷くと、手を繋いだまま食事のできる部屋へと場所を移した。
並んで歩いていると、横にいる梅雨の体が、以前より小さく見えた。


「母上、疲れてるの?痩せた?」


三郎が心配そうに問えば、梅雨はそんなことないわ、と答えた。


「きっと、三郎の背が伸びたのね」
「そう…なのかな?」
「えぇ、だって、以前はこのくらいしかなかったのに……少し会ってない内に、成長したのね」


と、嬉しそうに笑う梅雨を前にして、三郎はどことなく照れ臭く感じる。一方で、三郎の体が成長したこととは別に、梅雨の体は確かに三郎と別れた時より、肉が減っていた。痩せたといえば痩せたようにも見えなくはないが、ある意味やつれたと言った方が正しい。
三郎は知らないが、梅雨は三郎が学園にいる間、鉢屋衆の忍務をこなしていた。忍術を使えるとはいっても、長らく実戦から遠のいていた代償は、身近なところから現れる。梅雨の場合は、急激に体を酷使するようになり、体力を削ぎ落とされていたのだ。
結果、疲労は改善されても、落ちた肉は、補わない限り元に戻らない。けれど厳しい忍務を確実にこなす為には、体は軽い方が良かった。その方が動くのに邪魔にならないからである。
ゆえに梅雨は、忍務を行う前の体型に戻そうなどとは、微塵も思わなかった。

笑顔で全てを覆い隠し、三郎を迎え入れる。たった一人の、大切な我が子の為に。


「三郎の好きなものを作ったのよ。いっぱい食べてちょうだいね」


そう言って、笑顔を向ける梅雨の裏にある真実を、三郎はまだ知らなかった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -