どれくらいそうしていただろう。
何とかしなければ、と思った三郎は黙って顔を上げた。情けなくも泣きそうになっていた顔を引き締め、ふるふると顔を揺する。方法なんてわからないが、ただ突っ立っていたって仕方がない。
ひとまず、顔を洗ってこよう…と足を進めた時、茂みの中に人の姿を見つけた。こちらに背を向け、しゃがんでいる。
まさか今の様子を見られていた訳ではないよな、と一瞬焦りながらも、背格好からして相手が自分と同じくらいの子どもだと知ると、三郎はほっと息をついた。と同時に、こんなところで一体何をしているのかという好奇心がわく。気分は決して浮上している訳ではないのに、そっちに意識せざるを得ない。
足音を消して近づくと、相手の子どもは三郎に気付いた様子もなく、しゃがみこんだまま何かを見ていた。時折手が動いているから、何かを触っているのだろう。ひょいと後ろから覗きこんでみると、子どもが見ていたのは小さな猫だった。

猫。なぁんだ、猫か、そう思って過ごせたら良かったのに、三郎の胸にはずきりと痛むものがあった。


「猫、か…」
「へ?うわぁっ!!」


ぽそり、と呟いた声に反応して、子どもが振りかえる。三郎の姿を見つけると、今まで存在に気付かなかった分、盛大に驚いた。猫も少年の声にびくりとして、ささっと茂みの中に姿を隠す。


「びっくりしたー!何だよ、いるならいるって言えよな!」
「あぁ、悪かったな…お前が何をしているのから気になって」
「全然気付かなかった…」


当然である。同じ年頃の子どもに気付かれたら、それはそれで三郎のプライドを傷付ける結果となる。
振り向いた少年はほっと胸をなでおろすと、改めて茂みに隠れている猫を呼び寄せた。猫は少しばかり警戒したが、すぐに少年の手元に戻り、頭や顎を撫でられて気持ちよさそうな表情をした。随分と懐かれているようである。


「その猫、お前のか」


聞くと、少年はいいや、と答えた。


「さっき偶然見つけたんだ…多分近くに親猫はいるけど、人から餌を貰ってたんだと思う。最初から俺のこと警戒しなかったし」
「ふぅん…」
「っていうか、お前は誰だよ。突然現れといて…」
「あぁ、私は鉢屋三郎だ。今度から1年ろ組になる」
「エ、お前が鉢屋三郎?」
「……どんな噂を聞いているかは知らないが、私がその鉢屋三郎だ」
「へー、お前がなぁ…!」


少年は表情を和らげると、ニカッと笑顔を向けて言った。


「俺は竹谷八左ヱ門だ!お前と同じ、ろ組なんだぜ!」
「…そうか」
「いやぁ、こっち来てからすぐに、事務の人からお前のこと聞いてたからさー、まさか本人に会えるとは思わなかったけど」
「は?…その事務員は何て言ってたんだ?」
「同じ組になる鉢屋三郎って奴が、入学したばっかだけど、忍術がやたらと上手いって。だから何か困ったことがあればそいつに頼ればいいって、教えてもらった」
「………」
「したらすぐ会えるんだもんなー、驚いたぜ」


ははは、と笑う八左ヱ門を前に、三郎は無言で返した。そういえば、雷蔵を連れてきた事務員も、話の途中で何かに頼ればいいというようなことを言っていた。それは三郎のことだろうか。
さらに推測すれば、その事務員は、ろ組になった子ども全てにそう言っているのではないだろうか、という考えに至った。既に雷蔵と八左ヱ門がそうだったのである。可能性は十分に高い。

事務員の勝手な言動に内心イラつきながらも、三郎は目の前で笑っている八左ヱ門を見て、やれやれとため息を吐いた。三郎の気持ちにも気付かず、お気楽なものである。
するとそれまで八左ヱ門の手に可愛がられていた猫が、尻尾を揺らしながら三郎の足元にすり寄っていった。


「お、何だ、そっちに行くのか?」


若干寂しそうな、けれど楽しそうな声を出して八左ヱ門が猫と三郎の様子を見守ると、三郎は無言で甘えてくる猫を見下ろしていた。自ら触れようとしたり、撫でてやったりするつもりはないようだ。
不思議に思った八左ヱ門が三郎に聞いた。


「なんだ、猫嫌いなのか?」
「そういう訳じゃないけど…」
「動物はいいぞー、どいつもみんな可愛いし、癒されるしな!」
「………」
「特に猫は、お前みたいな気難しい奴にでも、構わずすり寄ってくれるしな!」
「…何だよ、その言い方」
「あれ?間違ってたか?なんかお前、すっげぇ不機嫌そうだったから」
「………」
「ほら、やっぱり。黙るってことは、正解なんだろ?」


ニカッと笑った八左ヱ門は、果たして不機嫌な人間の対処法まで、きっちり心得ているつもりなのだろうか。三郎の機嫌が良くないことを見抜いたところまでは良かったが、正直笑顔でそんなことを言われても、嬉しくないと三郎は思う。
はぁ、と息を吐いて首を振る。


「お前は何ていうか…頭の悪い奴なんだな」
「はぁ!?」
「良くできているのは、動物並の勘の良さだけだ」


と、一方的に感想を述べる。八左ヱ門は怒りながらも、本気にした様子はなく、三郎の足に留まっていた猫を抱き上げて立ち上がる。


「まぁ、お前からしたら、まだ忍術を何も知らない俺なんて、頭悪いんだろうけどさ…」
「そういう意味で言ったんじゃないけどな…」
「でも、俺はお前と同じ組で良かったぜ。そんな嫌な感じの奴じゃないし、うまくやってけるだろ!」
「!」
「という訳で、よろしくな!困ったことがあったら、とりあえず頼りにしてる!」


再び元気よく笑った八左ヱ門に対して、三郎は面食らったような顔をした。
ここまですがすがしく、素直にものを言ってくる相手は初めてだ。妙に勘に鋭いくせに、どれだけ嫌味を言っても通じない。それどころか、あり得ないくらいの笑顔を向けられて、こっちが驚いてしまう。
三郎はそんな八左ヱ門の態度に戸惑いながらも、そっぽを向きながら、そうだな…と小さく呟いた。
そして、思い出したように振り向き、自分の思っていることを言ってみた。


「お前は、人と関わることが苦手じゃなさそうだから、聞いてみるけど…」
「ん?何だ?」
「……大切な人を怒らせてしまった時、どうすればいいと思う?」
「そりゃ、謝るだろう。相手が誰だって、自分が悪いことをしたら、当然のことだ」
「だが、私にだって言い分がある。それをあいつは…わかっていないんだ。私がどれだけ心配してるのか、全然…」


尻つぼみする三郎の言葉を聞きながら、八左ヱ門はんー、と唸った。


「ようするにさ、お互い相手のことをよくわかっていないんだろ?だったら、ちゃんと話してみろよ」
「……話すと言っても…」
「ちゃんと話したら、お互い何を思ってるのか、相手に伝わるはずだ。そしたら、自然に仲直りできるさ。どっちが悪いのかはわかんねぇけど、お前がそんな風に言うってことは、少なからず悪いって思ってるからなんだろ?だったら、話すしかねぇじゃん」


な?と言い聞かせるように言うと、三郎はしばらく考えた上で、ゆっくりと頷いた。
結局、話さなければならないことは、自分でもよくわかっていた。ただ、それを後押ししてくれる存在がないだけで、今一歩の勇気が踏み出せなかった。
けれど、八左ヱ門に言われたことで、三郎はようやく決意を固める。


「お前みたいなやつでも、正論を言うことはあるんだな」
「はぁ!?」


素直にはありがとう、と言えない三郎の、精一杯の強がり。八左ヱ門は素っ頓狂な声を上げたが、次に見た三郎の顔が、先ほどまでとは打って変わり、何か吹っ切れた様子だったので、かける言葉を失う。
じゃぁな、と告げて三郎は行ってしまった。あぁ、と八左ヱ門は間抜けな返事をして、猫が鳴いた。

次の日、雷蔵と、雷蔵と同じ顔になった三郎の二人が、食堂で仲良く食事をしているところを、学園の生徒たちに目撃された。


「よう、ハチ。遅かったな」
「え…誰だ?」
「はん、昨日は妙に勘が鋭かったっていうのに…こういうところは間抜けだな」
「その声…三郎か!?」
「ようやっと気付いたか。雷蔵、これが昨日言ってたハチだ。八左ヱ門じゃ長いから、ハチな」
「もう、三郎ったら…ごめんね。昨日は迷惑かけちゃったみたいで。あ、僕は不破雷蔵。同じろ組なんだよ」
「あぁ、よろしく…、にしても、あれ?三郎って、昨日は違う顔じゃなかったか?」
「昨日はな。今日からは、ずっとこの顔でいるつもりだ」
「ずっとって…雷蔵、いいのか?」
「うん…まぁね。少しややこしいかもしれないけど」
「いや、いいけどさ……そっか、二人とも仲直りできたんだな!それなら良かった!」
「ぶふっ!な、何で…」
「え?だって雷蔵だろ?昨日三郎が落ち込んでた原因って」
「な、な…!」
「三郎、汚いよ。ほら、拭いて」
「あ、あぁ…悪い、雷蔵」
「あれ、違ったか?」
「っ…!」
「三郎?」
「どうしたんだ?」
「…だから、何でお前はそういう時だけ勘がいいんだよ!」
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