忍術学園で寝起きするようになってから二、三日もすれば、学園の中は少しずつ人の気配が増えた。
上の学年は新学期に備え登校し、三郎と同じ年の子どもなら、入学する為に門を叩く。そうして、ちらほらと緊張した面持ちの子どもを見かけることが多くなった。組み分けでは三郎はろ組になったが、他にい組とは組があるらしい。
長屋の前の縁側に座り、三郎は時折行き交う子どもを観察しながら、同室になるのは誰かと待った。できれば、自分に干渉しない大人しい子どもがいい。三郎は優秀なだけに、自分の修行に専念したいから、他のことに煩わされるのは嫌だった。

しばらくすると、廊下の端から足音が聞こえてきた。数は2つ。ちらりと視線を向ければ、以前三郎を案内した事務員が、こっちに向かっていた。その後ろに小さな影を見つけて、あぁ新しい子どもが来たんだなと思う。
い組か、は組か、それとも同じろ組なのか。三郎はさして興味のないそぶりをしながら、二人の会話に耳を傾けていた。


「……は、既に学園に来ていて……」
「……んですか……」
「……だという話だから、困ったら相談するといい」
「はい、ありがとうございます」


最後に聞こえてきた声に、三郎は内心ギョッとした。今の、声は。
反射で立ちあがった三郎は、すぐに部屋に戻り、その天井裏へと身を隠した。体は小さくても、これくらいの動作なら難なく行える。
天井板を少しだけずらし、中の様子を窺った。事務員と子どもは、話しながら三郎の部屋へと入ってきた。開けっ放しであった部屋には誰の姿もなく、事務員は「外出中のようだね」と言い、子どもにこの部屋を使うように言った。
その子どもの姿を見て、三郎は息を呑む。どうして。


「では、私は戻るから」
「はい」
「不破くんも、これから頑張るんだよ」


緊張した面持ちの子どもに告げると、事務員はさっさと立ち去って行った。天井裏では三郎が呼吸も忘れて目を見開いている。
三郎と同室になったのは、正真正銘の不破雷蔵であった。三郎が自らの修行の為に縁を切ったはずの―――

雷蔵は一人になると床に座り込み、一息ついた。それから、部屋の中を見回す。一人で部屋を使っていたとはいえ、そこまで汚していないから問題はないだろう。
しかし、見られては困るものも、いくつかあった。例えば、先に配られた忍たまの友。その裏には、鉢屋三郎という名前が入っている。
雷蔵が人の物を勝手に見るやつではないということは、三郎が一番良く知っていたが、今の彼はどうしていいのかわからず、酷く混乱していた。
ここに来たということは、雷蔵は紛れもなく忍者を目指してのこと。何故?雷蔵の家は、忍とは関係ない、普通の町人だった。雷蔵もきっと、両親のように表の世界で生きていくのだと、三郎は思っていた。
それなのに、実際には三郎と同時期に忍術学園に入学してきた―――


「はぁ…」


一人の部屋に、雷蔵のため息が零れる。彼は落ち着かない様子で学園の中を通ってきたのだが、これからのことを思うと憂鬱で仕方がなかった。

忍という全く知らない世界に、一年に満たない短い時間で、単身飛び込むことにしたのだ。
忍とは、人の命を奪うこともあると聞いている。そんな世界に、自分で決めたこととはいえ、いつか手を汚してしまうことが、雷蔵は怖さを抱いていた。何より、一番の目的である…三郎との再会を、果たせるかどうか、甚だしく疑問である。
雷蔵は、三郎を追って忍になる決意をし、忍術学園に入学した。それを知らない三郎は、雷蔵に対してひしひしと危機感を覚えていた。

(雷蔵、どうして…)

忍の世界なんて、幸せな家庭に生まれた限り、わざわざ自分から足を踏み入れるべきではない。そこがどんなに厳しく、情けのない世界だということは、三郎には身に染みていた。
幼い頃より命を狙われ、その度に鉢屋の忍が守って来た。母である梅雨にも怪我を負わせた。
三郎は梅雨が大好きだったが、鉢屋の、忍としての家系に生まれたことは、決して良い事ではないとわかっている。もし梅雨に同じように愛され育てられるのなら、何も鉢屋衆に生まれる必要だってなかったのだ。
それでも、三郎には忍になる以外の道は最初からなかったので、死に物狂いで生きる術を覚え、体を鍛えてきた。一般家庭に育った雷蔵が、果たして同じことをできるのか……半端な覚悟では、到底勤まらない。

三郎は決意すると、天井板を外し、するりと部屋に降り立った。突然現れた人物に、雷蔵は驚く。
しかし雷蔵が何かを発するより早く、三郎は雷蔵に向かって言葉を発した。


「お前は、何の為に忍者になるんだ」
「え…?」
「中途半端な気持ちでは、死に行くようなものだ。わかったら、さっさと帰れ。今なら、入学金も返してもらえるだろう」
「何を言って…君は誰だよ!」
「誰でもいいだろう。これは、忠告だ。お前は忍者に向いていない。死にたくなかったら、ここから消えろ」


体の芯まで冷え切るような、冷たい言葉だった。三郎は、雷蔵を突き放す。
雷蔵は、初対面の人間に向かってこのような不躾な言葉を吐く目の前の相手が、まさか三郎だとは思わず、反発を露わにした。


「突然現れて、何なんだよ!第一、君が僕の何を知っているっていうんだ!」
「どうだっていいだろう、そんなの」
「よくない!君の言ってることは無茶苦茶だ…!そんな人の言うことを聞く必要なんてない!」
「強情だな…」
「どっちが!」


もちろん、お前の方だよ。とは、三郎は思っていても口にはしない。自分が鉢屋三郎だと言うことは、雷蔵に知らせる必要などないから。

三郎は興奮する雷蔵を目の当たりにしながら、それでもどこか懐かしいと思う気持ちを捨てきれてはいなかった。
別れた頃より少しだけ伸びた背、相変わらず大雑把にまとめられた髪、そして三郎を見る清い瞳。そこに自分が映っていいものかと思うくらい、雷蔵はまだ純粋で、戻ろうと思えばすぐに元の場所に戻れる。


「…お前の為を思って言ってやってるんだ」


小さく、ため息を吐いた後でそう告げれば、雷蔵は益々わからずといった顔で、三郎のことを見つめた。
そして、何となく…この人物は忍の世界をある程度知ってる、忍の家系の子どもであると思ったのだ。少しだけ、三郎の顔が頭に浮かんだ。


「君が、僕のことを心配してそう言ってくれるなら、素直に受け取るよ。でも、だからと言って、忍になるのをやめろという言葉まで、受け入れる訳にはいかない」
「忍の世界は、お前が思っている程甘くはないんだぞ」
「わかってる。ここに来るまで、随分悩んできたから」
「人を殺すのは当たり前、いつ自分が殺されるかもわからない…生きて地獄を見ることもあれば、大切な人だって、失うかもしれない…」
「………」
「仲間だと思っていた相手だって、次の瞬間には裏切るかもしれないんだぞ。ここで友達ができたとして、いつかそいつと敵対することだってある」
「…それでも、僕は…」


この道を、選んだから。


「誰に何と言われようと、決意は変えないよ」


凛とした声が、三郎の耳に届く。雷蔵にしては珍しく、迷いのない言葉だった。


「………」


三郎はしばらく黙っていたが、こうなってしまった雷蔵は、きっと何を言っても無駄だということをわかっていた。決めるまでは散々悩むのに、いざ決断を下すと、頑なに意志を変えない。頑固といってもいい程だろう。
だから、雷蔵にここまでの決意をさせた要因が一体何なのか、三郎にははかりかねていた。雷蔵が忍の世界を知ったきっかけは、三郎が忍の家系であることを話したからだろう。けれど、それがどうして雷蔵までその道を選んだのかはわからない。
雷蔵は普通に暮らしていれば、不自由なく平和な暮らしを過ごせる子どもだ。三郎は、そんな雷蔵を羨ましく思うとともに、大切な友人にはそれなりに幸せになってもらいたいと思っていた。
自分が忍であることは仕方がないが、雷蔵には選べる道が色々ある。だからこそ、こんな暗い闇の世界ではなく、幸せな家庭に生きていて欲しいと。
いつかは別れがくることはわかっていた。結果的にそれが一年前、予定よりも少し早かっただけのことである。けれど、三郎は後悔していない。
あのまま友達を続けていたら、きっともっとずっと、別れを惜しむことになったのだから。

三郎は喋らない雷蔵を前に決意すると、自らの顔を覆っている仮面を破った。梅雨に変装させられていた顔の下には、三郎が雷蔵と会っていた頃の顔をしている。
思いもしない再会を遂げた雷蔵は、目を見開いて三郎を凝視した。


「さ…ぶろう、何で…」
「これが最後だ。雷蔵、忍者になるのをやめろ」
「三郎!どうして君が、そんなこと…!」
「少なくとも私は、お前のことは他の奴なんかよりよっぽど、気に入っている。お前に忍の道は似合わないよ」
「…!」
「わかったら、荷物を持って…」


バチン!!


「………」
「…な……」


乾いた音が、部屋の中に響き渡った。視界が急に移り変わった三郎が、首を回して真正面を見据える。目の前では肩を震わせた雷蔵が、俯いて何かを呟いていた。けれど、三郎の耳にそれが届くことはない。
ただ、叩かれたとわかった頬が、何よりも痛かった。


「勝手なことばっかり言って…誰のせいで僕が忍になることを決めたと思ってるんだよ」
「ら、いぞ…」
「僕だってな!お前のことが心配だったんだよ!大切な友達だと思ってたから…お前の力になりたいって!支えたいと思ったんだ!」
「!!」
「人の気も知らないで、そんなこと言うなよ!僕は、何があっても絶対忍になるからな…!」
「待て、雷蔵…」
「っ、出てけよ!お前の顔なんて見たくない!!」


雷蔵の声が叫ばれると同時に、三郎は駆けだしていた。

わかっていた。あんな言い方をすれば、雷蔵が怒りだすことくらい。その前に三郎は酷い裏切り方をしているのだから。
だけど、今はそんなことを考えている余裕はない。
雷蔵に言われるまでもなく、三郎の体は動いていた。長屋を駆け抜け、校庭を突っ切り、行き先は考えていないが、ただ雷蔵のいる場所からは遠ざからなければと考えていた。
そして三郎自身も、一人になる必要があった。

(くそっ、こんな時…私はどうしたらいいんだ…)

頬は時間が経つごとにじんじんと痛んでくるし、その頬よりも何故か胸の方が酷く痛い。頭の中は、ぐちゃくちゃ。
こんな時、梅雨がいればそっと抱きしめて、三郎を泣かせてくれただろう。事情を話して、どうしたらいいか教えてくれるはずだ。
けれど、今は頼りになる梅雨はいない。全て、自分で解決しなければ。

(っても、私には、そんな経験はないから、わからない…)

友達と呼べる存在は、雷蔵と伊織しかいなかった。ずっと屋敷と里に匿われていたから。謝らなければいけないことをわかっていながらも、その方法を知らないのだ。

裏庭にたどり着いた三郎は、そうして一人、泣きそうな顔を隠した。
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