鉢屋の屋敷が襲われた晩から、十日程が経った。
鉢屋の優秀な忍によって、奇襲をかけてきたのは、昔から何かと鉢屋を目の敵にしてきた忍集団だということがわかった。それでも、襲ってきたのは忍集団の強硬派の一部で、残りは穏健に活動を続けているらしい。鉢屋を襲いに来た時、既に奴等は仲間からも見放されていた。
今回の件で、彼等の残りは鉢屋に手を出してくることは、まずなくなった。彼等も主戦力を失ってそれどころじゃないのだろう。結局、直接的な痛手を負ったのは、鉢屋衆の、それも宗家だけであった。




「…たま、元気にしてる?今日は綺麗な花を持って来たんだ」


三郎は、庭の隅に埋めたたまの墓の前にやってきて、小さな花を添えた。
あの晩、たまは襲ってきた忍に噛みついて殺されてしまった。梅雨を酷い目に遭わせた敵だと認識したのだろう。三郎にはなかった勇気を、たまは持っていた。それが三郎には羨ましくて、同時に守れなかった後悔が残る。
自分がもし強ければ、たまを失うことはなかった。大切な家族を傷つけられることはなかった。その思いが、三郎を苦しめていた。


「ねぇ、たま…痛かったよね。苦しかったよね。わたし、何もできなくてごめん…たまはちゃんと怒ってくれたのに、わたし泣いてばかりいたなぁ……何にも、できなかった。もう少し真面目に、修行してれば良かった…そうしたら、たまのこともちゃんと守ってあげれたのに…」


三郎の目から、ほろりと涙が零れる。
あの夜から、もう何度泣いたことだろう。けれど涙は枯れることを知らず、流れ続けた。いつも慰めてくれる梅雨とも会っていない。怪我が酷いからと、会わせてもらえなかったのだ。三郎がここまで梅雨と離れていたのは初めてのことだった。
同じ屋敷の中にいるのに会えないつらさ…それは、梅雨が風邪を引いた時とは比べ物にならない程の、孤独感だった。

しばらくそうしてたまの墓の前に座り込んでいた三郎だったが、家の者に呼ばれて振り返る。


「三郎さま、旦那様がお呼びでございます」
「…わかった」


すぐに立ち上がり、父の元に向かう。呼ばれる理由はわかっていた。そろそろ、話してもらえる頃だと思っていた。今回の件について、そして、鉢屋の全てを。
三郎は何となく気付いていた。自分の父親があまり構ってくれないこと、厳しく接してくる理由に。あの会話を聞いた時から。

『悪いが、私が当主である限り、家の者に…息子には指一本触れさせはしないさ』

あの言葉の真意を問いたい。本当に自分は愛されているのか。必要とされているのか。三郎はずっと考えていた。
そして今日、その答えが聞ける。
三郎はやや緊張した面持ちで、けれど何かを決意した気持ちで、部屋の前にきた。


「三郎です」
「…入れ」


部屋に入る許可をもらい、室内に入る。座敷では弥之三郎が一人で座っていた。前に座るように促され、従う。
弥之三郎はまっすぐな三郎の顔を見つめると、一度深く息を吐いてから、口を開いた。


「まず、今回の件だがな…昔から鉢屋と敵対しているところの忍だということがわかった。これに関しては、今後心配はいらない。屋敷の場所が漏れた原因は、以前うちがそいつらの依頼を受けた時に、中に紛れ込んだやつがいたらしい。そいつもあの晩、始末した」
「…はい」
「で、だ。今回は何とかなったが…三郎、お前はまだまだ忍として半人前だということが、自分でもよくわかっただろう。忍としての修行を積んでいるから、同年代の奴と比べたら桁違いに強いだろうが、それでも弱い」
「………」
「かと言って、このままうちで修業をさせていても、いつまた敵が襲ってくるかもわからない…」
「ちちうえは、何をおっしゃりたいんですか」
「まぁそう急かすな。つまりだな、私はお前を忍術学園に通わせようと思っている」
「忍術学園…」
「そ。お前みたいな年の連中が、忍を目指す学校だ。それほど難しい訳じゃない…だが、うちにいるよりは断然安全だろう。あそこは、学園長である大川によって、ゆりかごのように守られているからな」


弥之三郎はそう説明して、三郎の顔を見た。
三郎は突然の提案に少し戸惑っているようだった。しかし、弥之三郎の口から出た‘安全’という言葉に、なるほどと心の中で言葉を返す。

(やはり、ちちうえは私のことを考えて下さったんだ…)

無闇に強くなれと言った訳ではない。安全が保障される場所で、自分の力をつけてこい…三郎にはそう言われているように思えた。
どうだ?と問う弥之三郎に、三郎は考えてみます、と素直に返事をした。弥之三郎は少しホッとした様子で、そうか、と答えた。
話が一度落ち着いたところで、三郎はついに聞きたかったことを言葉にして聞いてみた。


「ちちうえは…お爺様に、どのように育てられたのですか?」
「私の親父?」
「はい。少し、気になったので…」
「…はー、珍しいもんだな。普段はお前、私と話すらしようとしないのに」
「ははうえはあまり教えてくれなかったので、直接聞いた方が早いと思いました」
「ま、そりゃそーだろうな。梅雨だって、私と先代の関係なんて、あまり見てなかったし…」


遠い昔を思い出すように、ふっと視線を天井に向ける。


「まぁ、見てたところで、何もなかった、と答えるだろうな」


弥之三郎が苦笑するように言うと、三郎は首を傾げた。


「何もなかった…?」
「…お前も10になったから話すが、鉢屋の方針なんだよ。強く、生き残れる当主を育てる為に…嫡子には父親から甘やかすことは許されない」
「!」
「私も、今のお前と同じように育てられた。父に甘やかされた記憶なんてないさ」
「………」
「お前が私を受け入れないのは、なんとなくわかっていた。私もずっと父を受け入れられなかったからな。厳しいだけの父親なら、そりゃ当然だろう」
「ちちうえは…どうやってそれを受け入れたんですか」
「さぁな…受け入れたんだか、受け入れてないんだか。結局、私の場合は私が父を受け入れる前に、殺されてしまったからな。父が死んでから初めて思ったよ。もっと話をしときゃ良かったなぁって…」
「………」
「けど、私とお前じゃ別ものだ。私が死んでもお前は私を受け入れないかもしれないし、生きている間に受け入れるかもしれない。こればっかりは、私にもわからない。そして、梅雨のこともな……」
「、どういうことですか?」


唐突に出てきた梅雨の名に反応する。
弥之三郎はふっと息を吐いて、再び視線を三郎に戻した。これから伝えるのは、一子相伝…鉢屋宗家の跡取りしか聞くことが許されない。果たして三郎は、受け入れてくれるのだろうか。


「三郎が10になったら、話さなければならないことがある。それが、今だ。心して聞いて……よく考えろ。きっと酷く混乱するだろうが、これから私がお前に伝えることは、全て‘真(まこと)’だ。鉢屋の‘嘘’は混じりけもない…信じられるな?」
「はい…」
「では、話そう。昔々の、鉢屋の始まりのことだ―――」









人の気配が近づいているのに気づいて、梅雨はゆっくりと目を開けた。
襖の向こうでは二人の人間がいる。しかし、傷のせいか感覚が鈍っている今は、それが誰だかわからなかった。


『失礼します。戸を開けてもよろしいでしょうか』


聞こえてきた声に短く肯定を表す言葉を言ってやれば、静かに襖は開いた。しかしその先に見えた人物を目にして、梅雨は目を見開く。


「なっ…さぶろ、っく!」
「ははうえ!」


思わず身を起こしそうになって、背中に感じた痛みに悲鳴を上げる。三郎はすぐに駆けより、小さく体を縮める梅雨の背をさすった。怪我を負ったのは真正面だから、背中は大丈夫だろう。


「ははうえ、無理しないで。まだ傷治ってないんでしょう?」
「だい…じょうぶよ、これくらい。せっかく三郎が会いに来てくれたんだもの…お願い、顔を良くみせて…?」
「うん…」
「嗚呼、可愛い三郎……あなたに怪我がなくて本当に良かった。私、ちゃんとあなたを守れたのね…」


三郎の頬を撫でる梅雨の顔は、十日前と変わらぬ‘母’の笑顔だった。けれど今、三郎は複雑な思いでいる。
優しく自分に触れる梅雨の手をそっと上から自分の手で押さえ、あのね、と口を開いた。


「ははうえ……わたし、ちちうえから聞いたんだ」
「お父様から?何を?」
「…ははうえが、わたしを産んでくれたははうえとは違うってこと」
「!」
「それと…ははうえが死ねない体だってことも、全部…」


消え入りそうな三郎の声を聞いて、段々と梅雨の表情は曇っていった。
知ってしまった。梅雨が心の準備をする前に、弥之三郎は三郎に全てを話してしまった。それはつまり、梅雨の役目に終わりが近づいていることを示す。三郎が真実を知るに相応しい年齢になったのだと、改めて思い知らされた。
梅雨は、三郎から目を反らしながら言った。


「そう…聞いたのね。三郎も10になったんだものね……真実を知る時が来たんだわ。おめでとう、三郎」
「ははうえ…」
「私は、三郎を産んでくれた人とは違うわ……けれど、三郎を愛していたのは本当。ずっとずっと、あなたが愛おしかった。それは今も変わらない…」
「わたしだって…ははうえはははうえだ。血が繋がってないと言われても、大好きなのには変わりない…」
「三郎…」
「ははうえ、わたしはははうえがいっとう好きだよ…ずっとずっと、ははうえが大好きなんだ……」


自我が芽生える前から、それこそ産まれて間もない頃から、三郎はずっと梅雨に育てられた。その記憶は消えないし、事実は変わらない。三郎の梅雨に対する想いは、本当の親子同然であった。
だからこそ、例え血が繋がってないと言われようとも、梅雨は母親兼教育係であるだけの存在だと聞かされようと、三郎には関係がなかった。ただそこにいてくれるのが、自分を愛してくれる最愛の母親で。血の繋がりという壁など、最初から存在しなかったのだ。


「嬉しいわ…」


ぽろり、と梅雨の目から涙が零れ落ちた。


「三郎が、私のことをまた‘ははうえ’って呼んでくれて……私、もうてっきり、呼んでくれないかと…」
「どうして?ははうえは、わたしのははうえだよ。何度だって呼んであげる」
「ありがとう…」
「だからははうえも、わたしのこと、ずっと離さないでいてね…昔から、言ってるでしょ?わたしはははうえがいなくなるのは嫌だと…」
「ふふ、そうだったわね…ほんとに。三郎は、昔から甘えん坊だったわ…」
「そう言われるのは、ちょっと恥ずかしい…」
「いいじゃない、親子なんだから…恥ずかしがる必要なんてないのよ」


梅雨は、笑った。つられて三郎も笑う。
それから、新たなる決意を胸に、三郎は心に誓った。この、優しい笑顔を絶やさぬように、いつかは自分が守れるようになろうと。その為には、絶対的な力が必要だ。自分の大切なものを守る、力が。
その為だったら、自分はいくらでも頑張れる。


「ははうえ…わたし、忍術学園に通うことにするよ」


決意を言葉にすれば、それが真実となる気がした。
大切な、大切な人を守る為に。10才の三郎が、考えられる限りの知恵を絞り、出した結果だ。強くなって、必ず戻ってくる。それが、三郎の梅雨への誓い。

そして、物語は続いて行く。

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