夜にも関わらず、人の波が溢れかえる神社。 美味しそうな食べ物の匂いがあちらこちらから漂い、はしゃぐ子どもたちは駆けまわる。どこからか、あれ買って、とせがむ子どもの声さえ聞こえてくる。老若男女問わず、皆足を運んでは、楽しそうな会話を交わして笑顔を浮かべる。 そんな、今日は夏祭りの夜だった。 「雷蔵、伊織、どこからまわる?」 「こっちに見世物小屋があるよ」 「わたしは…二人についていく!」 「なら、まずは見世物小屋から行ってみよう!」 三人の子どもを連れた梅雨は、はしゃぐ息子たちを見守りながら、絶対はぐれないようにと促した。 月に一度会っている三郎と雷蔵は、既に親友のような間柄である。そこに、数ヶ月程前から伊織も一緒になって遊ぶようになった。 雷蔵の母親から、二人の子を持つ母親かと聞かれた梅雨は、真実は伏せてそうだと肯定した。面倒な話は避けたい。多少、老いを表す変装はしているものの、若いわねぇと言われた。 「三人とも、お菓子とおもちゃは、それぞれ一つずつよ」 あまり無造作にものを与えてもいけない。三人は元気よく、はーい、と返事をし、梅雨からどんどん遠ざかる。忍として訓練を積んだことのある梅雨が見失うことはないが、やれやれと苦笑を漏らす。 子どもなんて、一人いるだけで手がかかるのに、これが三人になれば苦労は三倍だ。梅雨はあちらこちらに散らばって行きそうになる子どもたちを集めて、祭りの会場を回った。 「ははうえ、なんか食べたい」 「あ、僕も」 「わたしも…」 梅雨と一緒に歩きながら、三人はまずは食べ物を欲した。 「えぇ、何が食べたい?夕餉を済ませた後だから、あまり重いものは食べない方がいいわよ」 梅雨の言葉に頷く。 三郎は素直にわかったと、後の二人も次いで頭を振る。しかし、じゃぁ何を食べようか、という時になって、三人の中の雷蔵が悩み出した。 「う〜ん…わたあめも食べたいし、かき氷も捨てがたい…やきそばは、ちょっと重いかな……でも…」 「あー、また始まった。雷蔵のそれ」 「きめないの?」 「悩みすぎちゃって、決められないんだって」 一人うんうん唸る雷蔵の後ろで、三郎と伊織が会話をしている。 結局、三人はそれぞれ違うものを買って分け合うことにしたが、梅雨が提案するまでずっと雷蔵は悩み続けていた。買ってもらったわたあめをかじりながら、雷蔵はごめんと謝った。 「僕、いつもどれにしようか迷っちゃってさ…」 「いいよ。もう慣れたし」 「伊織も待たせちゃったよね。疲れてない?」 「だいじょうぶ…!」 雷蔵の言葉に、りんごあめを持っていた伊織はこくこくと頷いた。 一つ下の妹がいるとだけあって、雷蔵は伊織の扱いに慣れていた。三郎が初めて伊織を連れてきた時も、すんなりと受け入れてくれたのだ。 「じゃぁそろそろ戻りましょうね。雷蔵のご両親も、伊織のご両親も心配するわ」 最後に三人揃って風車を買ってもらい、それぞれの家に帰された。 三郎も伊織の家の前で別れの挨拶をする。玄関まで出てきた伊織の母親は、梅雨に深々と頭を下げて伊織を中へ連れて行った。それからはまた、梅雨と三郎、二人の時間だ。 機嫌の良い三郎の手をとりながら、梅雨は声をかけた。 「三郎、今日は楽しかった?」 「うん、とっても!」 「そう…なら良かったわ。三郎はずっとお祭りにも行けなかったものね…私も、連れて行けて良かった」 静かな里の中を、二人の歩く足音だけが響く。 通り過ぎる長屋の中からは時折楽しそうな声が漏れ、梅雨と三郎を包んだ。 「ねぇ、三郎。屋敷に戻ったら、花火をしない?」 唐突に出された提案に、三郎は目を丸くする。 「花火?」 「さっき、出店で買ってきちゃったの。伊織と雷蔵の分はなかったから、私と三郎の秘密よ?」 「うん…わたし、花火する!ねぇ、どんなの?」 「小さくて、派手じゃないけど…凄く綺麗なの。三郎にも見せてあげたくてね」 「ははうえ、早く帰ろう!わたし、花火したい」 「はいはい。あ、ほら、暗いのに走ったら、転んじゃうわよ」 母子の会話を楽しみながら、二人は帰路につく。 屋敷では既にほとんど人が出払っていて、最低限の人間しかいない。今夜は、月が出ているが祭りがあるので、屋敷の者はそこに紛れ込む忍務を負っていた。当然、鉢屋衆を治める弥之三郎の姿もなかった。 梅雨は三郎を中庭に連れて行くと、桶に水を用意して、火種を置いた。 三郎は渡された花火を見て、まだかまだかと待ち焦がれる。ようやっと二人の花火に火が灯されると、暗い世界に、二人だけの光が輝いた。それを見つめて、梅雨は神秘的だと思う。 「これはね、線香花火っていうの。小さな灯が、綺麗な花を咲かせて消えていくのよ」 「全然燃えないよ?」 「いいのよ、これで。次第に灯は大きくなるから……それを見て楽しむの」 「ふーん…」 「あら、興味なさそうな顔ね」 「だって、思ってたより全然つまんないんだもん。わたしはもっと、光がいっぱいでて……あっ、」 少し腕を振るったところで、三郎の線香花火はぽとりと、その命を落とした。 地面に着いたところでじゅわっ、と鳴り、消えて行く。まるで儚い人の命を表しているようで、三郎はびっくりした。こんなにも簡単に、消えてしまうとは思わなかったから。 「花火…」 消え入りそうな声で呟くと、横にいた梅雨がふっと表情を変えた。 「三郎、これを持って」 「これって…ははうえの花火じゃん」 「いいから。…三郎に見せたいのよ。これが綺麗に光るところを」 梅雨は三郎に自分の持っていた花火を渡した。三郎は今度は落とさないように、そっと受け取る。 二人の間でやがて花火は火花を散らし、文字通り花を咲かせた。ぱちぱちと、心地よい音がはぜる。梅雨は黙っていた。 「ははうえ…これ、綺麗だね」 三郎が呟く。 「大きくなくて、とても小さいけど…でも、とても綺麗だ。わたし、こんなの知らなかった」 「そうでしょう?これは、私のお気に入りなの…」 「うん。わたしも…好きだな」 ぱちぱちと音を立てる線香花火を見つめて、三郎は言った。 たった小さな光の粒だというのに…不思議と惹かれる。火薬の匂いが鼻をくすぐり、視界にはぼやけた光しか見えなかった。 「ははうえは、毎年線香花火をするの?」 問えば、梅雨は首を振った。 「いいえ……花火をすること自体、もう久しくないから」 「じゃぁ、もうしない?」 「さぁ…どうかしらね。もしかしたら気まぐれで、するかもしれないし、しないかもしれない」 「どうして?」 「…見ていると、泣きそうになるからよ」 好きなんだけどね、と付け加えて。 梅雨は立ち上がった。 「人と同じよ。誰しも、いつかは死を迎える。線香花火は、そんな人の死に良く似ているから」 「………」 「花火は、散ったらおしまい。片づけて、また新しいのを買えばいい。でも、人の死はそう簡単に受け入れられない。残される者の悲しみは、残す方には絶対にわからない…いつも、私は悲しくて」 「ははうえ…」 「私がいまここで生きていること。それは、何よりの幸せ。三郎と出会えた幸せ。求められる幸せ。だけど最後は、見送る立場になるから」 先代も、先々代も、その前も。 皆死を迎える時には梅雨を呼んだ。死にたくないと、忍らしからぬ人間としての弱音を吐きだせるのは、最終的には梅雨しかいない。全ての鉢屋の当主を見送ってきた梅雨は、静かに、その時を待ち続ける。大切な、‘鉢屋’の子孫を次々と看取るのは、とても悲しいことであった。 だから、いつか三郎も……今までで一番長く、深く愛した彼でさえも見送ることになるのかと思うと、梅雨には酷であり過ぎた。永遠を生きる梅雨にとって、三郎との思い出はまるで一瞬の出来事。日々はあっという間に過ぎてしまう。 嗚呼、大切なこの子を看取る時、私は平常でいられるのだろうか。取り乱しはしないだろうか。子を失う母親の気持ちを、梅雨は今一度思い出した。 ぽとり、と三郎の手から火が落ちる。役目を終え、命が尽きた。 二人の間に光がなくなると、三郎は立ち上がった。既に夜空を見上げ立ち尽くしている梅雨の手を握り、話し掛ける。 「ははうえにとって、線香花火は綺麗だけど悲しいのかもしれない。でもわたしは、今日こうしてははうえと花火ができたこと、凄く嬉しかった。だから、できれば来年も…また一緒にしたい」 「三郎…」 「散っちゃってもいいじゃん。人が死ぬのも、きっとその人がこの線香花火みたいに、いっぱい花を咲かせたと思えばいいんだ。だから、ははうえが悲しむ必要はないと思うよ」 「…そうね。三郎の言う通りだわ。私は、人の生きた軌跡を忘れない。みんないつも、輝いてたもの」 梅雨の脳裏に浮かんだのは代々の当主たち。彼等は皆優秀だった。暗い忍の世界で生きながら、それでも人生を謳歌していた。彼等の人生は尊敬に値する。 梅雨は、思い出をひとつひとつ振り返った。 「人の死があれば、数え切れない程の思い出が残る。私は、その全てを記憶して生きるわ」 それが、約束を交わしてくれた‘鉢屋’への、梅雨なりの恩返しであった。自分が生きている限り、鉢屋を記憶し、代々に伝えていこう。きっとこれくらいしか、私にはできないから。忘れたくない。 「三郎、約束しましょうか」 「何の?」 「また、一緒に花火をしましょう。夏の終わりに」 「…うん!」 パッと顔を輝かせた三郎に、梅雨は屈んで指を差し出す。三郎が何のことかわからず戸惑っていると、同じように指を出すように言われた。 そして絡まる、二人の指。 「約束の証。こうして誓うのよ」 「ふーん…」 「一緒に歌いましょうね」 「うん!」 三郎は元気良く返事をした。そして流れだすメロディー。 ゆーびきーりげーんまーん うそついたらはりせんぼん のーます ゆびきった 約束を交わしながら、三郎は思った。ずっとこんな日が続けば良いと。梅雨と笑い合いながら密かに幸せを抱いていたいと。小さな願いを抱く。 そんな、九つの時の思い出だった。 |