事務員の小松田くんから、私宛に手紙が来たと渡された。
一体誰からかしら、と思いながら封筒をひっくり返せば、そこには思いもしなかった相手の名が記されていた。

蛙吹梅雨

少し前まで、忍術学園に籍を置いていた、あの子からだった。一体何故、今頃…彼女は先日、音もなく学園を去ったはずなのに。

本名は雑渡梅雨と言うらしいけど、私が彼女を受け取った時は、そうは名乗ってはいなかったから、私は彼女のことを梅雨さんと呼ぶ。
梅雨さんから届いた手紙を懐にしまうと、私は自分の部屋に戻った。そして、心を落ち着けて封筒を開ける。中には丁寧な字で、私に対する謝罪と、お礼の言葉が書かれていた。


拝啓 山本シナ先生

突然のお手紙を、お許しください。
それ以前に、お世話になったシナ先生にご挨拶もなく、学園を去ったこと、まことに申し訳ありませんでした。
既に学園長先生には事情を説明する文を差し上げておりますが、万が一話が伝わっていなかった場合を想定して、この場でお伝えさせていただきます。

私は、蛙吹梅雨は、本名を雑渡梅雨と申します。
夫はさる城で、忍として勤めております。
私はその妻でした。
年も、既に二十歳を超えております。
そんな私と夫の間に、先日些細な出来事があって、私は忍術学園へと赴きました。
そうです。
ひと月に満たないあの短い学園生活を送っていたのが、その時でした。

私はシナ先生を始めとする多くの先生方、学園長先生、事務員の方々や、同じ学び舎にいた、にんたまやくのたままでを騙して、くのたまとして学園に在籍していました。
忍務ではありません。
私は既にくのいちを引退した身であり、目的は、本当に些細な、個人的なことだったからです。
その目的は私が学園を去る前に解決し、今では私と夫の間には何の禍根も残ってはいません。
ひとつ、何かあるとしたら…それは私から学園に対する、謝罪です。

私たち夫婦のことで、一部の学園の方々を巻き込んでしまいました。
さらには、何のご挨拶もお礼も述べられず、謝罪すらないまま、私は事が済んだ後に早々と学園を去ってしまったことを、とても申し訳なく思っております。
まことにすみませんでした。
シナ先生には特に、くのたまとしてのご面倒をおかけしましたから、謝罪をするとともに、心からお礼を申し上げます。
その節は、大変お世話になりました。

私が学園生活を、難なく過ごすことができたのは、ひとえにシナ先生のご指導があったお陰です。
途中で私が何者かと思い至った部分もありましたでしょう。
それにも関わらず、見守る立場に徹していただいたこと、感謝しております。
シナ先生程のお方に私の正体が見破られてしまえば、恐らく早々に私は学園から追い出されることになっていたはずですから。

学園の教師であるシナ先生のお立場からでは、大変複雑な心境ではあると思います。
ですが、私にはシナ先生のとった行動は、幸いの方向でした。

色々とご面倒やお気を遣わせて申し訳ありません。
そして、最後に詫びることができなかったことも含めて。
シナ先生には、私がもっと若い時にお会いしたかったです。
シナ先生のご指導は、くのいちを目指す者なら是非、一度は受けておくべきだと思いますからね。
一時期でも、シナ先生の元で学べたことを、誇りに思います。

私はシナ先生のことを思い出しながら、この先も夫の隣で生きてゆくことでしょう。
ですが私のことは、風に流されたと思って忘れて下さい。
忍術学園での日々はとても楽しかったです。
ありがとうございました。

これからも、お元気で。
そして優秀なくのいちをたくさん育ててくださいね。
シナ先生のご活躍をお祈りしております。


敬具

雑渡梅雨




読み終わった手紙を丁寧に畳んで戻す。
手紙の内容の大半である事情は、既に学園長先生から聞き及んでいた。けれど、彼女自身の言葉で聞いた訳ではなかった。
梅雨さんが何を思い何を考え、日々を過ごしていたなんて…私たちには到底わからないこと。だって私は梅雨さんではない。そして梅雨さんは、きっと私が想像する以上に、優秀な生徒であった。

繊細で、傍観することに長けていた梅雨さんは、間違いなくくのいちに向いていた…彼女の教師として初めて授業を持った時、私はそれを確信した。
決して目立たず、荒波も立てず、梅雨さんはくのいち教室に空気のように馴染んでいた…彼女は誰よりも自分の立ち位置を理解していた。他のくのたまの子たちと比べると、その差は歴然。彼女たちは未だゆりかごの中で守られている、未熟なくのいち。対して、梅雨さんは世の忍と社会を知り尽くした顔をしていた…それが彼女と、他の子たちとの差だった。

座学は知識を得るもの。実習は訓練を積むもの。
本当の忍の世界を知っている者には、それがいかに小さな世界であることを知っている。一度学園を出てしまえば、常に命の張り合い…教師によって守られている時とは、何もかもが違う。生きるためには、自分を守らなければいけない。

そんな、荒波の中に身を置いていた彼女。くのいちは引退したと言っていたけれど、私にはそれがとても惜しい気がしていた。彼女のようにくのいちで生きていけるのは、ほんの一握りだけ。フリーとは銘打っても中々仕事はもらえない。くのいちは男の忍より警戒されるから。
だから、という言い方はおかしいけれど、私は彼女に立派なくのいちになって欲しかった。この忍術学園から優秀な生徒を私は世に送り出したかった。それが例え、既に引退している身の梅雨さんでも。あれほどの才能を潰したくはなかった…私の小さな欲だった。

けれど、梅雨さんが私にそんな夢を抱かせてくれたのは、ほんの僅かな時間。風のように現れた彼女は、風のように消えて、学園から、私の前からいなくなっていた。まるで私の想いを掻き消すかのように。けれど同時に、私は悟った。やはり行ってしまったのだと…
そこで私の夢は終わりを迎えた。


「優秀な生徒を…だなんて、あなたがそれを言うのはあまりにも酷だわ」


本当なら、私があなたを立派に育て上げてあげたかったのに。ほんの些細なことでも、あなたには教えてあげたかった。あなたは私の大切な生徒だった…
悩みを、話を聞いてあげられなったことを、私は後悔している。
ねぇ、梅雨さん。謝るのは私の方よ…最後まであなたの力になれなくてごめんなさい。あなたの想いを聞いてあげたかった。あなたの杞憂を取り除いてあげたかった。今となっては、すべてが手遅れだけど。
私は、私の優秀な生徒たちを忘れないわ。

そんな、私の独白。


ヒーローになれない私

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