梅雨が忍術学園から、僕の側からいなくなって1カ月が過ぎた。
その間も僕は、日々不運に見舞われる生活を送り、時々喧嘩をして怪我を負ってくる留三郎と文次郎の手当てをしながら説教して、下級生たちに薬学の知識を与え…以前と変わらない日々を送っていた。一つだけ違うのは、あれ以来タソガレドキ軍の忍組頭である雑渡さんが手土産を持って現れることだろうか。
今までは不必要に訪ねてこなかった人が、ちょくちょく顔を見せてくる。それは、まぁ、面倒事を起こさなければ僕としては別にいいんだけど…その度に彼の真面目な部下たちのことが思いだされて、少しだけ同情してしまった。
タソガレドキの忍者隊も大変だなぁ…。あそこの忍になったら、まずは上司を探すことから始めないといけないのかもしれない。
僕がタソガレドキに就職するなんてことはまずあり得ないだろうけど、ふとそんなことを考えてお茶をすすった。今日も、僕の前には雑渡さんのお茶が出されている。


「梅雨さん、調子はどうですか?」
「うーん…別段普段とあまり変わらないように見えるんだけどね。時々つらそうにしている時があるかな?」
「食べれなくなったら、果物なんかを勧めてもいいですね。あと、塩分とお菓子は控えめに」
「僕もそう言っているんだけど、甘いものはそうそうやめられないみたい。多分、癖になっちゃってるんだね」


雑渡さんはお茶をすすりながら、梅雨のことを話した。

僕が想像した通り、梅雨は身ごもっていた。相手はこの雑渡さんに違いないが、僕は梅雨の正体を知らなかったから、最初は酷く驚いた。身重であると確信が持てたのは、彼女が僕よりも年上で、結婚しているということを知ってからだ。
それまでは、月のものか…もしくは他の何かが原因で、体調が崩れているものと思っていたからだ。もちろん、そんな些細な変化は本人も気づいてなかったし、僕の目でなければわからなかっただろう。けれど、真実が明らかになってホッとした面もある。梅雨にはちゃんと相手がいたし、苦労をすることもないだろう。それだけが僕の救いだった。

僕は梅雨が雑渡さんの奥さんであることを知ってから、雑渡さんの前では梅雨さんと呼ぶようになった。いくら可愛い後輩だったといえ、人の奥さんを呼び捨てにする訳にはいかない。
それに何より、目の前にいるこの人は、随分と愛妻家らしい。僕の微妙な心の変化に気が付いて、事あるごとに牽制しようとするのだ。


「そうそう、梅雨から伊作くんに、と預かっているものがあるんだ」


雑渡さんはそう言って、綺麗な色に染められた手ぬぐいを出した。


「以前、伊作くんに手ぬぐいを借りたことがあると、それを返しそびれたお詫びだと言っていたよ」
「気にしなくていいのに…わざわざすみません」
「ちなみにそれ、梅雨が染めた手ぬぐいだからね」
「梅雨さんが?」
「元々、私が帰らなければ家で暇をしていた子だから、いい暇つぶしになったんじゃない?」


僕は渡された手ぬぐいをまじまじと見て、目を丸くした。
薄い、綺麗な藍色に染められている。よく見ると、ところどころむらがありそうで、売っているものとは違うということがわかった。それでも、彼女が僕のためにこの手ぬぐいを縫って染めてくれたことは、僕の中で素晴らしく感激するものがあった。
梅雨は梅雨だ。雑渡さんの奥さんでも、根は僕が知っている優しい後輩、梅雨。
僕はその手ぬぐいを大事にしまった。


「…ちょっと意外だったな」


雑渡さんが言葉を漏らして、僕は何がですか?と返した。


「君は、梅雨のことが好きなんだと思った」
「好きといえば好きですね」
「だけどそれは男女の好きとは違う。妹を…家族を想うような感情だろう?」
「そりゃ、人妻に手を出す程危険な賭けはしませんよ」
「まぁ、君はそういう人なんだろうけどね…だから僕も疑ってはないけど」


正直、あのまま梅雨が学園に残り続けていたら、この気持ちがどう変化していたのか、それは僕にもわからない。
僕は、梅雨という女性を前に、揺れていた。もしかしたら、家族を思いやるような気持ちが、恋人を愛するそれに移り変わっていたかもしれない。後輩と想い人の間で揺らいでいたのは本当だ。

でも、彼女は既に人のものだった。
それを知って、僕の中で何かが終わった。嗚呼、そうだったのかと妙に納得のいくものがあって、気持ちはそこで確定した。
僕は梅雨に幸せになってほしい。例え彼女が僕より年が上で、既に幸せだったとしても、これは大切な後輩にそうなって欲しいと願う、忍術学園の先輩としての気持ちだったから。


「…梅雨さんにはずっと、雑渡さんのことしか見えていませんよ。忍術学園に来たのだって、結局雑渡さんが原因だったじゃないですか」
「そうだねぇ」
「あの笑顔だって、雑渡さんに向けられているものでしょう?わかっているなら、こんなところで油を売るより、早く帰ることをお勧めしますけど」
「伊作くんの言うことはもっともだ…そうだね、今日はそろそろ帰るよ。また来るね」
「梅雨さんに、よろしくお願いします。それと、手ぬぐい、ありがとうございました」


音もなく去って行った雑渡さんがいなくなって、保健室には僕一人になった。
今まで一人でいることは何も思わなかったけど、少しだけもの寂しい気持ちになる。梅雨がいた頃は、それが当たり前のようだと感じて、既に慣れてしまっていた。
見慣れた保健室も、こんなに広かったのかと思ってしまう程に。


「…梅雨は、幸せだな」


ふとそんな言葉が漏れた。

優しい雑渡さんがいて、数ヶ月後には最愛の夫の子を産んで、何ひとつ悲しいことなんてない。梅雨が思っている以上に、雑渡さんは梅雨を愛している。そんな二人の微笑ましい生活を想像して、思わず苦笑した。
大丈夫。僕には梅雨がくれた手ぬぐいがある。しばらくは、元気でやれるさ。

空になった湯呑を置いて、僕はこれからも、不運な生活を送るのだろう。


傍観しかできない少年

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