「歩けるか?」
「あぁ、大丈夫だよ。ありがとう」
包帯の取れた足で二、三歩歩くと久しぶりで多少のぎこちなさを感じるものの痛みなく歩けた。足の裏と甲に真新しい傷跡が残ったが、足に傷ができて困る男じゃないから問題ない。それより2ヶ月ぶりに自分の足で歩く事ができたのは喜ばしい事だ。
「…はは、海かぁ」
潮風にふかれて広がるターコイズブルーの長い髪をかき上げながら、目の前に広がる一面の青い海を見回すと遠くで魚がはねたのが見えた。こんな景色を見たのは何年ぶりだろうか。そもそも目を開けたのだって久しぶりで、最後に海を見たのなんか…思い出せないくらい昔だ。なんだか嫌なことまで思い出しそうだな、考えるのはやめよう。
「これから○○はどうするんだ?」
「そうだな、次の島が安全そうならそこで降りようと思う」
俺の足を治してくれた可愛い船医の心配に笑顔で答えて頭をポスポス撫でる。可愛い、そういえば俺はもふもふした生き物が好きだったな。前の街で目を閉じたまま猫を触ったことがあるけど、やっぱり目で姿を見て触るほうが顔も見えるし柄や色もわかっていい。かわいい。
潮風を浴びながら船縁に手をかけチョッパー船医の言いつけ通りぎこちなく歩く練習を始める。と、さっそく躓いた。うぅん、目が見えているのに不覚。
「おい」
「ぐぇっ」
転ぶ直前後ろからグイッと襟首を掴まれ引っ張られたお陰で無事に転ばずに済んだ。が、いやしかしこれは些か手荒くないだろうか。出来れば次は手を掴むか体ごと支えて欲しい。まぁ髪を掴まれて引っ張られるよりマシか。
「ありがとうゾロ、助かったよ」
「…いや、」
首を擦りながら後ろを振り返ってゾロにお礼を言うとどことなく違和感のある返事が返ってきた。それに不思議に思ったが、まぁゾロにだってそういう気分の時もあるだろう。機嫌が悪いのかなにか知らないが八つ当たりされるのは御免なので俺は早急に視界から消えるよ。
気を取り直して船縁を掴むとしっかり足元を見て1歩踏み出す。…と、クンっと後ろ髪を引かれた。いや比喩とかではなく物理的な意味で。
「…ゾロ?」
「あー…筋トレするから重しになれ」
ダンベル壊れちまったんだよ、と間髪入れずに畳み掛けられその勢いに思わずおぉ…と答えてしまう。しかしゾロが普段どんな重さのダンベルを使っているのか知らないが、果たして俺にその代わりが務まるだろうか…。自慢じゃないが生まれてから今までお金に余裕がなかったから節約生活送ってて結構痩せてるぞ俺は。
しかしそんな俺の心配もよそに乗れ、と言われ現在ゾロの背中に乗っているなう。テンポのいい腕立て伏せのリズムに合わせてゆらゆら揺られてなんとなくいい気持ち…重しとしての役目を果たせているのかどうかは置いといて。
「…軽いな」
「あ、やっぱり物足りないか」
どうやら懸念通り、重しとしての俺の体重は不十分だったようだ。申し訳なく思いながらフランキーでも呼んでこようかとゾロに提案して背中から降りると、俺は自分がついさっきまで歩く練習中だったことを思い出した。
「う゛っ」
ゾロの背中から1歩踏み出すと同時に船が揺れ、まだ慣れてない足は踏ん張ることができずガクッとバランスを崩しそのまま前に倒れ込む。おい、と背後でゾロの焦ったような声が聞こえてデジャブだが、どうか見なかったことにしてくれないだろうか。
「いてて…いい歳して恥ずかしい、」
自慢じゃないがあまり運動したことのない俺は転んだ時の咄嗟の手が間に合わずに顔からこけて顔面強打。ぶつけた鼻が痛くて痛くて滲む涙を堪えながら起き上がってそっと顔に触れると、ぬるっとした普段顔からはしない感覚がした。
「おっ」
「うおっ!」
手のひらにべったりとついた真っ赤な液体と喉の奥を伝う鉄臭い香りに俺は自分が盛大に鼻血を出している事に気付いた。慌てて手で鼻を押さえたが時すでに遅し…着の身着のままでこの船に乗った俺に誰かが親切で貸してくれた白いシャツの胸元がみるみるうちに赤く染まる。
「あぁ゛しまっだ…血っておぢないのに゛」
鼻を手で押さえても押さえる手の袖口が赤く染まり、残念だがこのシャツはもうダメだと悟る。最悪弁償になるだろうか…本当に着の身着のままでこの船に乗ったから手持ちが何も無いんだが。まぁ宝石を売ればシャツ1枚分のベリーなんて簡単に稼げるんだが…もしこのシャツがハイブランドのオートクチュールとかだったらどうしよう。もうそうだったら物理的な意味でしばらく泣いて過ごさなきゃいけないしなんか不安になってきた、とりあえずこれ以上汚さないように脱いで被害を最小限に抑えよう。
「ゾロ゛、このシャツ゛って゛…」
「おいここで脱ぐな!チョッパーんとこまで行くぞ!」
「いや゛シャツ…う゛っ!?」
言いたいことを最後まで言う隙もなくゾロに軽々担がれ俺はチョッパーのいる医務室まで問答無用で運ばれた。俺もビックリしたがチョッパーが1番ビックリしてた。いやそりゃそうだよな大の大人が鼻血出しながら急に部屋に運ばれてきたら俺だってビックリする。
降ろされたところでかくかくしかじかと鼻血が出た経緯を説明するとゾロが軽く怒られたが、無事俺の鼻には名医によってティッシュが詰められ真っ赤なあいつの侵攻は止められた。しかし被害は甚大だ。見下ろした白いシャツの胸元と袖口は真っ赤に染まりもはや再起不能であることは一目瞭然。
「あー…もうそのシャツはダメだな。代わりのやつ持ってくるからまってろ!」
「ありがとうチョッパー…あぁ、これいくらするんだろう。弁償しなきゃ」
「そんなこと考えてたのか。別に気にすんな」
「いや気にする」
タダより高いものはない。俺はそう今までの人生で嫌という程教わってきた。
とはいえいつまでも汚れたシャツを着ているわけにもいかないので、部屋にはゾロしかいない事を確認してバサッと豪快に脱ぎ捨てる。…と、背中に視線を感じた。
「あ、ごめんゾロ。男だから平気かと思ったけど裸を見るのは嫌だった?」
「…いや」
ゾロからの視線にハッと自分のデリカシーのなさに気付き思い当たった事を尋ねてみたがどうもそうじゃなかったらしい。ならなぜ俺の体を気まずそうに見たり見なかったりするんだろうか…あ、
「ごめん、気持ち悪かったのか」
脱いだばかりのシャツにもう一度袖を通しながらゾロから俺の体が隠れるように移動する。普段全く気にしてないから気付かなかったが、ゾロは俺の体の傷を見ていたんだ。
「汚いものを見せたな。ごめん」
「誰もそんな事言ってねえだろ。それよりそれ、どうしたんだよ」
「あー…昔どっかのイカれた奴に飼われてた時の名残だよ」
涙が宝石に変わる特異体質、これだけで俺の身に何が起こったのかなんて簡単に想像つくと思う。小さな島で暮らしていた俺の噂はあっという間に街全体に広がり、珍しい生き物を見るような好奇の視線とみんなと違う俺を排除しようとする人の嫌がらせに耐えかねた両親が島を出ようとしたある日、俺の噂を聞いたのか島の人が手引きしたのかわからないが両親は賊に襲われ惨殺され俺は金を生み出す道具になった。
「あとは想像通り、俺を泣かすために殴る蹴るは当たり前。鞭打ち爪剥ぎ火あぶりなんてのもあったな。髪も伸ばしては売られたっけ。まぁそのうち何をされても泣かなくなったから捨てられたんだけど」
思えば泣いたのなんて2ヶ月前のあの時が久しぶりだからいつの間にか涙は復活してたらしい。別にしない方が煩わしいことなくてよかったんだけどな、なんて言ったらゾロはなにか苦いものでも食べたかのようななんとも言えない顔をした。おっとどうやら失言してしまったらしい、誤魔化そう。
「はははなーんてジョークジョーク。いやぁそういえばチョッパー遅くないか?俺の気のせいかなどうもこの歳になるとせっかちで」
「誤魔化し方下手すぎんだろ」
「うっそ渾身の誤魔化しだったのに」
なんちゃってこれもジョークだよジョーク。だから笑ってくれ。
なんとなく気まずい雰囲気にそわそわと髪をいじったりしながら一刻も早いチョッパーの到着を待つも時計の針の進みがめちゃくちゃに遅く感じられて耐えられそうにない。こうなったら血塗れでもいいから適当な理由をつけて部屋から出ようとドアに手をかけゾロを振り返った。
「俺みたいな化け物と一緒にいると息が詰まるだろ、ちょっと外に出てくるよ」
できる限り爽やかな笑みを浮かべ、その場を切り抜けるつもりだったんだが…どうやら口にした嘘がまずかったようだ。
「…なんてジョークジョー…く…」
さっきまで難しい顔をしていたゾロが急に俺の肩を掴んだかと思うと、今度は完全に怒った顔をして俺を見下ろした。その様子に慌てて冗談だと誤魔化そうとするも、光の当たり方のせいか顔にできた影がゾロの顔をとても恐ろしく感じさせ思わず昔を思い出し固まってしまう。それに気付いているのかいないのか、ゾロは俺にグッと顔を近付けると不機嫌そうに口を開いた。
「バーーーカ」
「…え?」
てっきり大きな声で怒鳴られると思って覚悟していたのに想像よりかなり軽く罵られただけで済んで思わずキョトン…。いや、実際にバーカって言われただけなんだけど…え???
「お前なぁ…」
思わず頭にはてなマークを浮かべる俺に、ゾロはやれやれとでも言いたそうに溜息を吐いて肩から手を離した。
「そんくらいで気持ちわりぃなんて思うわけねえだろ」
見ろ、と服をはだけて見せられたゾロの体にはたくさんの傷があったがゾロのこれは言わば名誉の傷、俺のこの傷とは大違いだ。それに俺が気持ち悪いのは傷だけじゃない。ターコイズブルーの髪もラピスラズリ色の目も宝石に変わる涙も、全部全部人と違う。気持ち悪い、化け物みたいな。
「そうか?俺は綺麗だと思うぞ」
…その言葉にハッとした時にはもう遅く、カツン、と硬質な音が静かな医務室に響いた。
「それに変わった体質のやつなんかこの海にはごまんと…おい、どうした」
何にかわからないけど耐えられなくて下を向いた床にポロポロと輝く石が落ちていく。なんとか止めようと両手で目を覆ってもただ手のひらに溜まっていくだけで、すぐに溢れて零れて床の上に散らばった。
「おい、○○?」
「っごめん…」
焦ったゾロの声に大丈夫だと言いたかったのに言葉が詰まって出てこず、辛うじてごめんとだけ口にする。そうこうしてる間にも涙の代わりの宝石は落ち続けて、静かな部屋にコツンコツンと音だけが響いた。けど、どうしてか今だけは嫌じゃない。
「ごめ…なんで涙出るのかわかんなくて…」
「いや別に謝る必要はねえけどよ…。だからちょっと落ちつ、」
「おーい○○、シャツとってきたぞ!ってぎゃあああ!?!?どうしたんだ○○!?何したんだゾロー!!!」
「俺じゃねえよ!!」
その後ようやく帰ってきたチョッパーがゾロのはだけた服と泣いてる俺を見て盛大な勘違いをし、泣き続ける俺を慰めながら俺を泣かせたとゾロを怒りその騒ぎを聞きつけた仲間たちとで船はしばし騒然となった。
余談だがようやく誤解が解け床に散らばった宝石を片付ける時、落ちてる宝石の数が嫌に少なかったのはきっと俺の気のせいだよな?この船の航海士がえらくご機嫌なのとは関係ないよな?
End