敵わないひと

テーブルにパソコンと資料を広げたまま突っ伏して眠る旭を見て、崇は思わず笑った。本当に油断しすぎだ。
絶対に手は出さないからと無理やり同棲に持ち込んだものの、こんなに無防備にされるのも困ったなと苦笑する。静かにスリープモードのラップトップを閉じて、軽く資料をまとめるとアサヒ、と小さく名前を呼んで抱きかかえようと身体に触れた。すると彼女はさすがに起きたように小さく唸って薄目をあけたが彼の腕の中の体温が心地よかったのかまたすぐに瞼を閉じて身体を預けた。ここまで信用させるのに随分と時間がかかったが彼女が自分に心を許しているという優越感で満たされたのでよしとした。
そして彼女をベッドまで運ぶとそっとその身体を下ろそうとした。
しかしアサヒはそこで微睡みの中つい崇の中に違う男の存在を見てその名前を口にした。タケルさん。彼女が確かにその名前を呼んだので崇は動揺して動きをとめた。
高校生の頃、旭が随分と兄である安藤 猛に熱をあげていたのは知っていた。男も女もみんあの男に夢中だった。
猛という肉親の名前が心の奥深くで静かに燻らせていた疑念の火種を大きくする。馬鹿げた妄想だと自分でも思っていたのに。
本当はこの女、兄が好きで、まだ忘れられないのではないか。この理不尽に押し付けられた責務を果たそうとするのは、安藤 崇という男のためなどではなく自分と同じで安藤 猛という男のためではないか。
死者に嫉妬しても仕方がない。もうあの兄の生きた年齢を越えたのに、それでもまだまだあの背中に追いつけないことなど分かっている。
心が手に入らないなら、せめて身体だけでも。そんな邪な気持ちで彼女の身体を強く抱き締めた。するとその息苦しさに旭がとうとう目を覚ます。

「崇・・・?どうしたの」

尋常じゃない雰囲気に、旭が崇の顔を伺おうとしてみたが強く抱き締められているせいで叶わなかった。なので恐る恐る彼の背中に手を回して、あやす様にさする。何度となく守ってくれた広い背中。
そして戸惑う旭に向かって崇がぼそりと言った。

「旭、おまえが本当に好きな男は誰だ」
「え、なに。急に」
「誰なんだ。もしかしてそいつ、もう二度と、お前に触れてくれないし名前も呼んでくれない男じゃないのか。だからお前はいつもおれの指をすり抜けて遊んでばかり」

絶対に見せまいとしていた不安な心のうちを気がつけば全て吐露してしまっていた。
驚いた旭の指が崇の寝間着のシャツを頼りなく掴む。

「どういうことなの?別にそんな人なんていないよ」
「さっき、おれのことタケルって呼んだぞ」

それは、ただの寝言なのに。しかしようやくそこで見れた崇の顔に彼が随分と傷ついていることに気がついてどうしようかと俯いた。酷いことをしたと思う。
まともに猛の話題を口にしたのはこれが初めてだった。そのせいで旭はひどく緊張していた。その話題の中心になった男に対して心の整理が終わっていないのは崇も旭も同じなのだ。だから旭は不用意に彼の心の柔らかい所に触れて傷つけてしまうのを酷く恐れていた。
それでも隠しても仕方がないとばかりにぽつりぽつりと言葉を紡ぎ出す。

「だって、似てるよ。兄弟だもん。そっくり、顔も行動も、触れ方も。ごめん、本当に間違えて。別に猛さんがいまも気になっていたわけじゃ・・・」
「間違えるって言ったって。あいつがいなくなってもう何年」
「タカシもタケルさんも、わたしの心の中の同じ場所にいるんだよ。タケルさんいなくなっちゃったけど、変わらずに心のなかから離れない」

学生時代に淡い憧れを抱いていただけの男。遠すぎて近づけなかった、当時の自分の子供じみたアピールは一切通用しなくて。彼の心に爪あとも残せないままに彼は逝ってしまった。それでもタカシと同じくらい大切だった人には違いなかった。
彼女のそんな思いを悟った崇は少し考えた後に、考えを口にした。

「・・・明日の夕方、出かけるようか」
「どこに・・・」
「墓参り。親父とおふくろと、タケル。すぐそこだから・・・お前のこと紹介したいし」
「え、うん」

紹介ってなに。そう言って旭が少し頬を赤らめたが崇はそれ以上なにも言わずに勝手に旭のベッドに横になった。
旭を生涯のパートナーとして父母に紹介したい気持ちもあったし、どの点においても勝てないと思う兄貴に旭を手に入れたことを自慢したい気持ちもあった。
そしてあの夏の日にしか誠との間でしか口にすることの無かった兄の話を久しぶりにしたことで、崇は少ししんみりした気持ちで気になっていたことを彼女に訊いた。

「・・・そんなに似てるか」
「鼻とか口とか。それに笑った顔は本当にそっくり。ねえ家族の写真とかないの」
「少しならあるかな。今度見せてやる、なにも面白くないぞ」
「崇のこと知れたらたのしいよ」

するとその言葉に、今度は彼が頬を赤らめる番だった。ごろりと寝返りをうって旭に対して背を向けたのでその顔を見られはしなかったけれど。
まだ時間はある。ふたりでゆっくり、気持ちを整理していけばいい。猛への思いを昇華させられればいいんだ。崇はそう思うと瞳を閉じた。


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