ひよこの眼

それは夏の日の午後一番の現代文の授業だったことをなんとなく覚えている。大半のクラスメイトはこっくりと船を漕いでいたし、かく言うわたしもやる気などなくぱらぱらと適当に教科書をめくって物語文を先読みしていた。
転校してきたクラスメイトの瞳がかつて縁日で買ったひよこと同じ眼をしてるという話。それは死期を悟った動物の眼。か弱い縁日のひよこは当然すぐ死ぬし、一度は恋仲になったそのクラスメイトも結局は父親の心中に巻き込まれ死んでしまった。思わず鼻で笑う。
他人の目を見たところでそんなことわかるものか。わかったら苦労などしない。結局は創作だ。その時だった。

「おい、相原ー。次ここ答えてみろ」
「っは、え」

まずった。何も聞いていたかった。とりあえず立ち上がったものの冷や汗が流れる。斜め前の男子生徒がちらりとこちらをみてくすくすと笑う。こいつが困っていてももう絶対に助けないことにした。
しかしそれもつかの間、気まずい沈黙を授業終わりのチャイムが切り裂いた。眠りについていた同級生たちも目を覚まし隣の教室からざわめきが漏れる。

「あー、もういい。終わり終わり」

ああ助かった、ほっとため息をついた。するとこちらをじとりと睨む教師と目が合う。ああ、これは分かる。今回は助かったかもしれないが次はないぞって目だった。



そしてそんなこと出来事もすっかり忘れていたある日。わたしは自室の窓の前で小さくなっていた。先日、幼馴染と久しぶりに話をしたと思ったらそのまま喧嘩をした。思春期とかいう厄介なアレのせいでわたしたちの仲は氷河期の夫婦のように冷え込んでいる。
久しぶりに開かれた窓もまた閉じたまま。また普通に話せたらいいな、なんて淡い希望のもと鍵はかけてなかったが結局窓はどちらからも開くことが無かった。
しかしそれももう終わりだ。何度考えても今回ばかりは自分が悪かった。謝ろう。そう意を決して窓を静かに開けた。もう1枚。ガラッと開ける。

「あのさ、マコト。この前のことなんだけど・・・」

言い淀みながらも、向こうの部屋を見た。そこにはわたしの存在を認知した途端がばりと起き上がる少年。真っ白なワイシャツと真っ黒なスラックス、喪服。目薄い涙の膜を張った池袋の有名人、安藤 崇。池袋の次期キング。彼の眼を見て、ぞくりとした。どこかで見た眼。
彼は慌てて下を向いてしまい、目があった時間はそんなにもなかったけれど彼の眼差しが脳裏に焼き付いて離れなかった。
それにしても彼がどうしてこの部屋に。そうだ、彼とこの部屋の主は親友同士で、しかももうそろそろタケルさんの49日だった気がする。

「あ、安藤くん。ごめん・・・その、わたし」
「・・・別に」

泣いてる顔を見られたくなかったのか、安藤くんは下を向いたままそう答えた。その姿にギリリと胸が痛んだ。彼はこの歳で家族を全員亡くして一人なんだ。
その悲しみは想像こそ出来るが本当の痛みはきっと、彼にしか分からないのだろう。
わたしには到底なにも出来ないことは分かってはいたけれど、焼き付いてしまった彼の眼を追い出すように気がつけばどうしようもない言葉が口から溢れていた。

「・・・えっと、あの、その、ご愁傷さまでした、無理しないでくださいね。タケルさんが以前心配なさってたし・・・」
「・・・タケルが?」

そこで安藤くんはようやく顔を上げた。赤い目が痛々しく、それに気づいてないふりをしながら少し声のトーンを上げて喋り続けた。
昔のことを思い出しながら。そう、わたしはむかしタケルさんに助けて貰ったことがあるのだ。表通りから少し外れたところを1人歩いているときに、タチの悪いナンパに絡まれた。そこをランニング中だったタケルさんが通りかかって奴らを追い払い助けてくれたのだ。
大丈夫?と声をかけ微笑んでくれたタケルさんは本当にかっこよかった。挙句に心配だから、なんて言ってわたしを表通りまで送ってくれたのだ。その途中、彼と少し話をした。
教科書届けてくれたんだ。あいつ、そんな抜けたところもあるんだな。迷惑かけたな。
そうだなあ、あいつは母親似だしな・・・それにおれより賢いし。
それに弟はいつかこの街をひっくり返すような大きな力を秘めてるから、見てな。
・・・でも大きな力を持てば孤独にもなる、その力を持つとき、おれはあいつの傍にいられないかもしれない。そのときは助けてあげて欲しいんだ。
そう言って彼はわたしの顔を覗き込むようにして微笑んだのだ。どうしてわたしなんかにそれを言ったのだろう。そんなことは聞けなかった。ただ彼の美貌に気圧されて、曖昧に頷くだけだ。その事を、稚拙にも安藤くんに伝えた。言っていいことか分からなかったけど。
すると安藤くんはそうか、と驚いたように呟いた。

「あはは、わたしなんてなんの役にもたたないけどね!ごめんね!全然友だちでもなんでもないのに、あの、その、タケルさん素敵なお兄さんだったね」

そこで少し涙が滲んだ。どうしてかわからなかった。そしてそこでようやくあの眼差しの正体を思い出した。あれはあの日教科書で読んだ眼と全く同じだと思った。
あんなの信じられないと思っていた、でもあんな眼を実際に見てしまったら無視出来なかった。

「ね、安藤くん。生きて、いや、その、仕事頑張って。お兄さんのあと継ぐんでしょ」

いやほんと、わたしはなにを言ってるんだろう。他人なのに。きっとタケルさんは同じようなことをいろんな人に言っていたに違いない。こんなお節介はたぶん、安藤くんにとって聞き慣れたありがた迷惑な言葉だったに違いない。
それから安藤くんの視線から隠れるようにそっと窓を少し閉じて消え入りそうな声で言った。

「いや、あの、ごめんね。ほんとに、ゆっくり休んで・・・あとマコトにはこのこと内緒にして」

そのまま窓を閉じきる瞬間、ちらりと覗き見た安藤くんは呆然としているようでちっともさっき見たあの眼はしていなかった。うん、やっぱり見間違いだったのだ。
そう無理やり納得して、自室に向き直った。そして足元に転がるボックスティッシュを見つけた。ああ結局、仲直りも出来なかったし。自分の至らなさにがっくりと項垂れて布団へと這いよった。


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