臆病者に報いを

アサヒがいない。シャワーを浴びて出てくると、先程までソファでスマホを弄りながらフォアローゼスを舐めていたはずの彼女の姿が消えていた。机の上には氷が溶けかけたロックグラスだけが残されている。
ため息をついてそのグラスを手に取ると流しの中にそっと置いた。そのまま踵を返してグラスの持ち主の部屋へと向かう。
一緒に暮らし始めた当初は毎日のように絶対に部屋に入るなと言われていたがある日の夜、突然彼女がおれの部屋を訪れてからは言われなくなっていた。言われなくなったからといって、部屋に入ったことはなかったが。アサヒの部屋のドアを軽く2回ノックした。返事はなかった。まさかこんな時間にひとりで出かけたんじゃないだろうな。あの女ならやりかねないとその姿を確認するためにドアをあけた。すると規則正しい静かな寝息が耳をくすぐる。ああよかった、ちゃんと手元にいた。
いることさえ分かればよかった。ドアを閉じて自室に帰ればいい。しかしそう思うのと裏腹にドアの向こうへと1歩を踏み出してしまった。
冷たいフローリングを音もなく踏みしめて部屋の奥のベッドへ向かう。
酔っ払ってそのままベッドに向かって倒れ込んだのか、うつ伏せで苦しそうに眠っていた。面白い顔だ。思わず笑いが漏れる。
その笑いを誤魔化すように足元に落ちていた薄手のカーディガンを手に取り、簡単に畳んですぐ傍にあった椅子の背もたれにかけた。そのままベッドのふちへと腰掛け、屈みこみ彼女の耳元で囁く。

「アサヒ、苦しいだろ。こっちむいて」

マコトがアサヒと一緒に暮らすのは介護だ育児だと言っていたのがほんの少しわかった。だが別におれは苦じゃない。
呻きながらも寝返りをうって身体の向きを変えるアサヒがかわいいと思った。
あんまり触れちゃいけない、と思いつつも話しかけても覚醒しなかったことに調子に乗って彼女の柔らかな頬に触れる。
もうアサヒのいない世界など信じられないくらいこの女はおれの人生を侵食していた。囁くように呟く。

「愛してる、アサヒ。お前はいなくなってくれるなよ」

もうこれ以上大切な人を失ったら、今度こそおれは生きていく自信などなかった。そう思いながらしばらくアサヒの気の抜けた寝顔を眺める。そして結局はそれ以上手は出さずに部屋を出た。
おれだって男だ、あんな触れ合いで我慢出来るわけがない。だが彼女の身体を手に入れるのは最後でいい。彼女の頬の感触が残る手のひらを見ながらそう思った。


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