ミッドナイト・イン・カブキチョウ
今日の安藤 崇の虫の居所は最悪だった。理由などない。とにかくむしゃくしゃしていた。
それに気づいているのかいないのか、相原 旭は素知らぬ顔でいつもより少し濃いめの化粧をしている。ソファでくつろいでいた崇はブランドのカタログから目を上げて、その姿を目で追った。背中がガッツリと空いたブラウスにタイトなミニスカート。露出控えめな普段とはテイストの違う格好に不埒な夜遊びに行くのだと察した。
別段付き合ってなどいない、本来束縛など出来る立場ではないのだ。いつもならばどうせまた旭は自分の横に帰ってくるという安心感の元になにも気づかないふりをして送り出していたが今日に限ってはそうもいかなかった。そう、ただ単に虫の居所が悪かった。それだけ。
「どこに行くんだ」
「明日は昼から顔出せばいいって言うからちょっと飲みに」
「場所は」
「・・・歌舞伎町のバー、知り合いと飲むの」
子供じゃあるまいし、そんなにきかないで。旭はそんな目で崇を見つめた。しかし彼は知り合いね、と馬鹿にしたように薄く笑った。旭が嘘をついていることなど分かりきっていた。
しかしこの場でそれ以上の追及はやめて手元のカタログに再び視線を落とす。中身はろくに頭に入らなかったが。
「ああ、そう。気をつけて」
「うん、ばいばい。また明日ね」
その様子をみた旭は内心ほっとため息をついてそれだけ言い残すと家を出ていった。
そして扉が閉まる音を聞くと同時に、崇はカタログを置いて立ち上がる。そして自室に向かうと机の引き出しからスマートフォンを1台取り出した。
旭のスマホのクローン携帯だ。まさかこんなことのために使うことになるとは崇自身予測していなかった。本来は旭が誘拐されたりしたときに使おうと思って用意させていたのにこんな私利私欲のために使うことになるとは。
それから財布と自分のスマートフォンを服のポケットに突っ込むとクローン携帯片手に家を出た。
GPSをオンにする。取り敢えずは申告通りにタクシーで歌舞伎町まで向かっているようだ。自分もマンションの下まで降りるとタクシーを1台捕まえた。
「歌舞伎町まで」
□
歌舞伎町の手前で下ろしてもらう。自分のテリトリーではない街に一人で来るのは久しぶりで窮屈さに小さく息をついた。そしてクローン携帯のGPSを頼りに街を歩く。この街の人間は池袋の人間よりだいぶ金を持っていそうだった。そうここは日本最大の歓楽街。ホスト、キャバクラ、風俗、バーに豪華なだけで品のない料理店など様々な店が所狭しとビルに詰め込まれて目に痛い色彩の看板を輝かせていた。
「男前のお兄さん、女の子が待ってるよ」
「何しに来たの、風俗?キャバクラ?」
もう先程から何人のキャッチに声をかけられたか分からない。声をかけられるたびに無言で睨みつけているとキャッチたちはすごすごと引き下がり次のカモを探して街に戻って行った。
そしてついにGPSが止まるビルの前にたどり着いた。暗く古いビル。ネオンは少なめ。
看板があまり出ていない。崇はそのビルに心当たりがあった。旭の行動なんてなんとなく把握していた。一瞬、入るのに躊躇う。しかしここまで来たのに踏み込まず帰るのも癪だった。少し、旭を驚かせるだけ。そう自分には言い聞かせると、未使用のマスクを1枚顔にかけてビルの階段を降りていった。
□
入店前にチャイムを押すバーにまともなバーがあるか。内心そう毒づきながら白く長い指でインターフォンを押した。
数秒後に応答の声がして扉が控えめに開いた。
そして愛想のないバーテンダーが崇を招き入れる。そういえば、聞いた話によるとここは会員制のバーだと崇は思い出す。なので前回会員登録はしたが今回会員証は忘れてきた、と咄嗟の嘘を口にした。
するとバーテンダーは訝しげに2往復、崇の姿を頭の先からつま先まで辿った。そして彼の堅気じゃない匂いを嗅ぎとったのか、ただ単に面倒くさかっただけか次からはお気をつけ下さいとだけ不機嫌に言って崇から入場料を取った。
そして入場料を手にすると、バーテンダーは二重扉になっているもう1枚の扉を開けた。とたんに音楽の低音が響いてくる。
崇は靴を脱いで、扉の奥の赤い絨毯を踏みしめた。
人は大勢。ぐるりと見渡す。数人と目が合った。男には睨まれ、女には誘うように見つめられる。よくこんな場所を楽しめるなと旭に呆れながら歩を進めてその女の背中を探していた。
そして、見つける。知らない男に腰を抱かれて酒を片手に立っていた。
崇の機嫌の悪さは最高潮に達していた。どうせ男をひっかけて遊んでいるとは思っていた。しかしその光景を予測してはいたものの実際目にするとイライラしてくる。自分は彼女に文句を言える立場ではないことは分かっていたが止められなかった。
「アサヒ」
近づいていき、マスクを下ろすと冷たい声で呼びかける。旭の動きが止まった。そしてぎぎぎと音を立てて振り返る。おーおもしろい。崇は旭の心情など考えずに笑った。
「や、嘘。なんでここに」
明らかに取り乱した旭に、隣にいた男は崇を見るとそそくさと去っていった。誰だって面倒ごとはごめんだ。崇だって立場が逆ならそうしていた。
ちょうどいい、とばかりにその男のいた場所に立つ。そしてあからさまに不機嫌になった旭を抱き寄せて彼女の持っていたグラスを取り上げ口をつける。彼女のお気に入りのブルドッグだ。
喉が潤うとそこでようやく旭の問いに答えた。
「スマホのGPS見た」
「・・・最低」
旭は離れようと崇の肩を押したが当然動じない。最悪だと眉間を抑える。
なにやってるんだ、馬鹿じゃないのかと崇を罵りたかったがその言葉は全て自分に返ってくるのが目に見えていたので黙っていた。
ズンズンと低音が響く。周り人たちはは辛うじて下着はつけているが裸も同然でうろうろしていた。そして少し離れたところからは喘ぎ声。そうここはハプニングバー。ただただセックスするためだけに男女が集う場所。
崇はもう、旭を横に置いてしまえば嫉妬心はなりを潜めあとはからかって虐めたい気持ちが先行した。どうしようもない男だという自覚はあった
「お前がこんなにセックスが好きだったとはな、アサヒ」
「やめてよ、そんなに来てないし」
「でも朝帰りの予定だったよな、何人はめるつもりだったんだ」
冷えたグラスを露出している首筋に押しあてた。びくりと身体を揺らす旭が泣きそうに眉を八の字にした。幸せにしてやりたい気持ちといじめ抜いて泣かせたい気持ちはフィフティフィフティ。今に関しては虐めたい気持ちは80%オーバーだった。崇は愉悦に歪む顔が抑えきれない。
彼の虫の居所が悪いときにこんなところへ遊びに出てきてしまった旭は本当にかわいそうで不運だった。
「ねえ、なにしにきたの。放っておいて、関係ないでしょ」
しかしいつもは虐められっぱなしの旭も今回ばかりは嫌そうに身体をよじった。ここの空間では女性が圧倒的に強い。彼女が一言周りに聞こえる声で嫌だと言えばふたりは強制的に引き離されるのが分かっていた。
崇は脇の机にグラスをおいて旭を抱きしめる。
「関係あるだろ、おれはお前の・・・」
しかしそこで思わず言葉に詰まった。ビジネスパートナー、恋人、同級生、友人。あらゆる言葉が脳内を巡ったがどれもぴたりとははまらなかった。
しり切れとんぼな彼の言葉にとうとう旭が怒ったように言う。
「からかわないで、別にいいじゃない!あなただって知らない女とセックスしてる、わたしもしたいの!だって」
健全な大人なのだから。そう彼女は言いたかった。しかしその音は崇の口の中に吸い込まれた。キスされてる。旭の頭の中が真っ白になった。
崇は旭を黙らせたかっただけだ。しかし周りの雰囲気に乗せられてついキスをしてしまった。それに周りはキス程度の2人には気にも止めない。崇はいっそのこと、と彼女の咥内に舌を進めた。
どうせここは歌舞伎町のハプニングバーだ。池袋じゃない。Gボーイズのテリトリーからは離れている。ここではキングもクイーンも関係ない。それならいいじゃないか。そう崇は思ったのだ。
そんな崇とは裏腹に旭はただ混乱していた。崇のことはすき、だからってこんなタイミングとシチュエーションなんて、あんまりだ。
好きな人にこんなところで遊んでいるのを見られただけで最悪なのに、挙句にその人とのファーストキスが歌舞伎町のハプニングバーだなんて!
旭は崇とのキスを堪能する間もなくガリ、と咥内を蹂躙する男の舌に噛み付いた。
「っい」
さすがのタカシも避けられるわけがなく、痛みに顔を引いた。舌で唇を舐めると真っ赤な血がリップのように付着する。それが彼の中性的な顔に似合うと旭はぼんやりと思った。しかしすぐに我に返って血の気の引いた顔で絞り出すように言う。
「さいてい、かえる」
「・・・同じタクシー乗ってもいいか」
「女性客のあと着いていくのルール違反よ・・・店出たらLINEして」
そして旭は口元を抑えながらそれだけ言い残すとそそくさとロッカールームに消えていく。それを見送ると崇は氷が溶けてほとんど水の味になったブルドッグを手に取って口の中に流し込んだ。微かな鉄の味。久しぶりに血を流した。それがまさかあいつにやられるとは。マスクを押し上げ、ふっと笑うとそのままバーを後にしたのだった。
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