ドッペルゲンガーの邂逅

この暑さの中、おれの頭もヒートアップしていて限界を迎えていた。
幼馴染みとの口喧嘩はいつも唐突。今度もきっかけはどちらか分からなかった。
タカシとの仲をいじり過ぎたおれのせいかも知れないし、おれの女運についていじり過ぎたアサヒのせいかも知れない。ともかく、おれたちはもう何年も昔のことすら蒸し返して口論を続けていた。
暑い日差しを照り返すサンシャイン60通りで人混みを掻き分けて歩きながら、久しぶりに二人で遊ぶってのに。
あさひと二人きりでいると、精神年齢が5歳も若返るのはおれの悪癖。
「信じられない、絶交よ!」
そして彼女の口から飛び出るのは小学校にあがる前からもう何度聞いたか分からないお決まりのセリフ。
「勝手にしろ!」
この返しもお決まりだ。でも明日には仲直り。そのはずだった。
ばか!そう言いながら手に持っていたクラッチバッグでおれを叩いてアサヒは人混みに消える。
受け止めたバッグを手に、その背中を見送った。あの背中を何度見ればおれは成長出来るのだろうか。
言いすぎた、悪かったよ。そんな言葉とともにこれを近いうちに返しに行かなければいけない。これもいつもの事だった。
そして夫婦喧嘩はよそでやれ、とセブンスターの濃い煙と共にタカシが冷たく言うのだ。
あいつと喧嘩がしたくてランチの誘いを受けたわけじゃない。あれ、誘ったんだっけ。ともかく、おれはどうしようもなく重たいため息をついて、このクラッチバッグと共に帰るしか道はなかった。



ランチの予定は消えた。消えた予定の穴埋めに部屋でお気に入りの音楽と共に本を読んで過ごしていた。そこへ聞き覚えのない着信音。人工的な黒電話の音。驚いて音源を辿ると、部屋の片隅に投げ出されたアサヒのクラッチバッグだった。あいつ、スマホを鞄に入れっぱなしだったのか。
慌てて音楽を止めるとクラッチバッグをひっくり返してスマートフォンを取り出す。
手帳型のケースに収まる黒のガラス板。画面を見ると案の定、一条からだった。
「はーい」
なるべくアサヒの声に近づけて応答してやる。
すると一条は怒ったような声音でおれの名前を呼んだ。余裕のないやつ。
「クイーンはなにをしていますか、そろそろ迎えの時間なのに姿が見えないのですが」
ボディーガード兼秘書とは名ばかり、実際はアサヒの子守り。
仕方なくさっきあったことを話した。口論をしたこと、アサヒが怒ってクラッチバッグを置いて立ち去ったこと。そして今度はおれの代わりに一条が大きなため息。
「また行方不明ですか」
「腹が減れば帰ってくるだろ」
そしてそう無責任に、スマホを取り出す際に一緒に飛び出た彼女の財布を見て言った。
アサヒはタカシのように、人を束ねられるような性格をしていないのだ。その責任を逃れるために時折こうして失踪しては連れ戻されていた。こうまでしてキングが横にアサヒを置きたがる理由は分からなくもないが、いい加減愛想を尽かされないのだろうか。
「おれも探してみるけど」
クラッチバッグに飛び出た財布と煙草を戻して立ち上がった。
「よろしくお願いします」
お坊ちゃんヤンキーはそう心底心配そうに口にして電話が切れた。未成年に心配される相原 旭。24歳。困ったものだ。



とりあえずはウエストゲートパークへ向かう。誰かと喧嘩をして行き場がなくなったアサヒが向かう場所といえば、おれの部屋かここが定石だった。
ほら、やっぱり。公園に足を踏み込むと見知った後ろ姿を見つけて、声をかけた。今度は冷静に、大人の対応を。
「アサヒ、さっきはごめんな」
手首を掴む。ぎょっと振り返るアサヒ。おれはその顔を見て驚いた。
アサヒじゃない。顔かたちはそっくりだが、彼女より少し年上で、落ち着いた化粧をしていた。カラーコンタクトもまつエクもなし。おれは思わずあの幼馴染に生き別れの姉がいたかどうか考えてしまった。
「どうしてわたしの名前を」
優しい声音。びっくりして声が出せなかったおれの手をそっと振りほどいて、彼女は後ずさる。 そんな彼女に慌てて弁明をした。
「すみません、あまりに後ろ姿が似ていたもので。アサヒと言う名前の女性を探していて」
「アサヒ!」
その時だった。聞き覚えのない大声。振り向けば、流行りのテイストではあるがこの暑いのに黒っぽい服を着た長身の男と、その両脇には目つきは悪いがしゃんと背筋が伸びたガタイのいい男を2人従えていた。
あさひと言うらしい、その女はおれを困ったように見上げた。追われているのか、事情は知らないが仕方が無い。捕まるならあとで出来る。おれはその女の人の手首を引いて走り出した。後に続くは怒声のような声とばたばたと走る音。
鍛え抜かれた男たちから女連れで逃げ切るのは至難の技だろうが、ここは池袋だ。俺の庭。細い路地と人混みを抜け、追手を撒くのはお手の物。



しばらく走っただろうか。もう大丈夫だろう。無我夢中で走って、気づけばガード下にいた。
握っていた手首を離して、おれはぜえぜえと息を吐く女性に向き直った。
「おれは真島 誠。西一番街で果物屋やってます」
「・・・相原 アサヒ。専業主婦です、あの」
「あのさ、生き別れの妹とかっているか?」
「えっ・・いませんが・・・」
まあ当然だよな。その質問にアサヒさんは困ったように笑ったが、思い出したようにハンカチを取り出すとおれの額の汗を拭ってくれた。どことなく育ちが良さそう。いい女。



喉が渇いた、と自動販売機の前に立つとアサヒさんは急に焦り出した。
財布とスマホを連れに預けてきたままここへ来てしまったという。別に端から奢るつもりだったしいいよ、とポケットから小銭を取り出す。
年下に奢られたくない気持ちがあるのだろうが、喉は乾いているようだ。何度も謝りつつアサヒさんは一番安い天然水のボタンを押す。
おれは続いてコーラを買うとガード下のフェンスにもたれてアサヒさんの話を聞こうとした。その時だった。おれの携帯の着信音。
話を始めようとした彼女に悪い、と謝り電話に応答した。電話は王さまからだ。
「アサヒが攫われた」
「それって、お転婆な相原 旭か」
「ほかにどのアサヒがいるんだ、冗談言ってる場合じゃない」
横のアサヒさんは丸い目を瞬かせてこちらを見た。
「誰に攫われたって?」
「わからない。捜索に出していたGボーイズが車に押し込まれるアサヒを見たそうだ。奪還しようと詰め寄ると恐ろしく喧嘩が強い男に邪魔された」
「黒い短髪でやたらと姿勢のいい男か」
アサヒがいなくなるのはいつもの事だが、誘拐なんて初めてだ。いつも以上に冷え込んだ王さまの声に僅かな驚きが含まれた。
「そうだ、お前の知り合いか。柔道の達人らしい、武闘派のGボーイズが軽く投げ飛ばされて逃げられた」
「さっき見かけた、逃げたけど。それより、女をひとり保護した。もしかしたら奴らは勘違いをしているのかもしれない。とりあえず落ち合おう、いまガード下にいる」
詳細な場所を告げた。5分で行くとだけタカシは告げて電話は切られた。
もうひとりのアサヒさんはというと、頬に手をあてて浮かない顔で足元の汚いアスファルトを眺めていた。
今日のあいつと全くおなじバーバリーのワンピースに纏め上げられた黒髪。
しかしよく見れば右耳の青いピアスがないし、左腕には見覚えのない最新式のウェアラブルデバイス。
「そのアサヒさんって子、そんなにわたしに似てるんですか」
おれは曖昧に頷くことしか出来なかった。



車から降りた一条はぎょっとしたようアサヒさんを見た後、慌てて後部座席のドアを開けに行った。
車から音もなく降りたタカシもタカシで、母親譲りの大きな瞳を見開く。しかしすぐに追い求めている女との相違点に気がついたようでいつもの顔に戻り、アサヒさんには目もくれずおれの元へ歩み寄ってくる。
「どこで見つけた」
「ウエストゲートパーク」
女はおどおど。無理もない。タカシは心を許した人物以外には冷たすぎるのだ。しかしそれでもタカシはおれよりもてるのだから世知辛い。
「アサヒを拐ったやつらに追われていた相原 旭さん。あいつら多分、2人を勘違いして取り違えたんだ」
「やつらは知り合いですか」
アサヒさんは眉を八の字に下げて深く頷いた。タカシは冷たい目で彼女を見据える。
「話を聞かせてもらいます」
そして彼女の細い手首を遠慮なく掴みあげて車の方へ引っ張っていこうとした。乱暴はしてやるなよ、そうタカシを止めようとしたその時だった。
「てめえアサヒさんから離れろよ」
いつの間にか、ひとりの男がタカシの後ろに立っていた。キング!と叫んだのは一条か。
おれはあまりの唐突さに何も出来なかったが、さすがのタカシは咄嗟にアサヒさんの手を離して男が繰り出した足技を避けた。
ボクシングの構えを取って男に向き直る。タカシは冷静だ。しかし男もぎらぎらとした怒りを孕んではいたが纏う空気は冷ややかだった。柔道の構えをとる奴の身体は服の上からもほどよく鍛えられた屈強な人間のものとわかる。
タカシが稲妻のようなパンチをひとつ繰り出した。男がそれを軽くいなして打撃。それをタカシは口もと受けてしまったが、代わりにほんの少しぶれたパンチを男のこめかみに当てた。タカシの頬が紅潮する、興奮している。男も闘争本能を剥き出しにするように歯を見せた。
「やめなさい!」
しかしその一言で男は繰り出しかけた足技を止めた。そして2人は互いの攻撃が届かない距離まで一気に引き下がる。
「だってアサヒさん」
「話を聞きなさい」
「クイーン、おまえ」
「熱くなっちゃって、らしくないわ」
喧嘩を止めたのは二人のアサヒだった。小走りでこちらへ駆け寄ってくるのは今度こそ紛うことなくおれ達の相原 旭だ。
その後ろには先程見かけた眼鏡の男ともうひとりの男。
それぞれが事情を飲み込めないように顔を見合わせた。おれもお手上げ。



「主人の相原 信です」
「うちのが世話になったようで・・・」
そうはいいつつもアキラの目つきは敵意に満ちていた。当たり前だ。道に迷った嫁を見つけたと思った途端に、連れ去られてしまったのだから。
「お前は、その喧嘩どこで覚えたんだ」
そしてタカシが口元の血をアサヒに拭ってもらいながらそう冷たく男たちに聞いた。
「自衛隊」
彼らの友人だという喧嘩のめっぽう強い男はもう1人のアサヒさんから借りたハンカチでこめかみを抑えながら、こちらを睨みながら吐き捨てるように言った。
自衛隊か、防衛大の出身かもしれない。それならば彼らの堂々とした風格にも納得がいった。
それからこの重たい空気を打破するように、アサヒが明るい声音で彼らにおれたちを紹介する。
「今回の件は珍しくトラブルシューターがトラブルメーカーになったみたいね。アキラさん、彼は真島 誠、わたしの幼馴染みで池袋のトラブルシューター。そして安藤 崇、わたしの仕事仲間です」
その仕事内容は言わなかった。池袋のガキどもをまとめ上げてる、なんて普通の社会人に言っても通用しないもんな。
トラブルシューターね、そうアキラが小さく反芻するとほんの少し警戒を解いたような声音で質問を重ねた。
「探偵か」
「いや、本職は果物屋兼コラムニストだ。探偵ごっこは趣味」
「ふうん」
その言葉にアキラは警戒を元に戻したようだ。確かに胡散臭い肩書きだよな。
そして思い出したように、やつらの友人のうちの1人が声を上げた。
「あっ、聞いたことあります。ストラングラーのマコトさんですよね。私、大宮出身で高校の頃たまに池袋へ遊びに来てました。リメンバー アール」
リカ。ほんの少し胸が痛む。知ってるよな、連続首絞め魔の話。アキラと柔道の男が顔を見合わせた。そして柔道の男が大宮の男に尋ねる。
「信用出来るやつなのか」
「はい、弱いものの味方って聞きました」
今度はタカシとおれが顔を見合わせる番だった。池袋から埼玉へ流れる噂は随分と濾過されているようだ。
タカシはため息をついて、ここ一番の冷たい声で話をまとめた。
「それでなんだ、彼らに追われてると勘違いしたマコトがアキラさんの奥さんを連れ去り、そちらはそちらでうちのアサヒをそちらのアサヒさんと間違えて連れて行ったってことか」
表情の乏しい王さまにしては珍しい呆れ顔。そりゃそうだ。こんなの、まるで陳腐なカートゥーンのよう。
「だからおれたちは雰囲気が違うっつったろ!」
「最終的に2人とも納得してたじゃないですか!」
「うるさい!」
柔道の男が後輩らしい大宮の男にげんこつを振り下ろして喧嘩は幕を下ろした。最終的に責任を負うのはいつだって末端の人間なのだ。おれは大宮の男にささやかな同情をした。
そしてタカシはアサヒを連れて車の方に歩み出す。
「帰るぞ。それからおまえ、しばらくひとりでの外出禁止だからな」
「今回はわたし悪くないじゃない」
「余計な心配させた罰だ」
優しさを幾重もの氷で包んだ言葉にアサヒは不服そうに頷き、車に乗る直前で振り向き一度こちらへ頭を下げた。
「迷惑かけたな、悪かった。アサヒさん」
アキラさんがそう声をかけるとアサヒは笑って首を振り、車に乗り込む。
「若いのに随分と忙しいんだな」
そんな2人を柔道の男不服そうに見送って、はちゃめちゃな逃避行は終わった。



その後の話。おれたちは4人で飲みいった。
アキラさんたちは池袋へラーメンを食べに来た帰りだったという。
お詫びも兼ねて案内するし奢るよ彼らを池袋で1番のラーメン屋に案内した。そして結局はアキラさんのごちそうになり、池袋駅へと4人を送る。
また遊びに来てくれ、案内するから。別れ際にそう言うと彼らは打ち解けた笑顔で大きく頷き手を振って、終電近い池袋駅へと消えて行く。
そしておれはというと、本日2度目の黒電話の着信音で、あさひのクラッチバッグを返し忘れていたことに気がつき彼女と本日3度目の逢瀬を果たすことになるのだった。


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