蚊帳の外
いつの間にか卒業式も数日後。校内は静かだ。
おれとアサヒは誰もいない図書室に向かい合って座っていた。別に呼び出したわけじゃない。なぜだかばったりと会ってしまった。勉強はきらいでも、おれとアサヒは本が好きなのだ。なにもおかしい事じゃなかった。久しぶりに見た彼女のマスクはいつの間にか取れていてタカシが言っていたガーゼも見当たらない。
「あのさ」
そう話しかけると彼女が本から視線を上げる。彼女の愛読書、スタンダールの赤と黒。ふたりの女と、それぞれ納得のいく方法でしっかりと結ばれた主人公のジュリアン・ソレルが好きなのだといつの日かのアサヒは冗談めかして笑っていた。どちらかに白黒つけなくてもいい、グレーの方法でいいんだって。
「お前って、いい女だよ」
そう褒めるとアサヒが目を細めて笑った。
「口説いてるの?止めてよ、気持ち悪いな」
「茶化すな、本当だって。幸せになればいいと思ってる、いい男と結婚してさ」
「どうしたのよ、急に」
アサヒが本を閉じた。こちらを読んでいた本から顔を上げて、見据える顔を静かに見つめ返した。
「小中高ってずっと一緒だったけど、大人になればさすがにもうこんな風に頻繁に会わなくなるだろうからさ。言っておこうと思って、餞別」
らしくないわ、と呟くように言うアサヒを見つめた。優しくて、嘘が上手くて、気丈な女。
「残念、これから今まで以上に会ったりして。わたしも貴方も家を継ぐんでしょう」
そうか、そう思うと笑ってしまった。アサヒも働くようになれば、きっとあの危険で愚かな行為は止めるだろう。そう浅はかな気持ちで思った。無理にとめなくてもいいか、なんて。アサヒが笑いながら本を持って立ち上がる。
「あれ、もう読まなくていいのか」
「ルイーズとジュリアンは魂同士が結ばれてマチルダとジュリアンは体が結ばれるの、分かってるから」
「ところでお前だったら、ジュリアンとどう結ばれたいんだ」
なんとなく、何気なく聞いた。アサヒは少し考えた後に寂しそうな笑顔で答えた。
「ルイーズになりたかったけど、いま考えるとわたしはマチルダかも」
ああ。ジュリアン・ソレル、彼女が思い浮かべたその男はいまは亡き安藤 猛の顔をしていたのだろうか。
それは聞こえないままアサヒはひらひらと手を振って図書館を後にした。
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