蚊帳の外
「相原 旭」
またその日の放課後、タカシが胸の中に引っかかってとれない女の名前を口にしてどきりとした。ちらりと横を見るとやつはなんてことのない顔でいつの間にか吸うようになっていたセブンスターの濃い紫煙をふっと吐いている。
ウエストゲートパークの喫煙所。いつの間にかここでタカシと短い会話を交わすことが増えていた。ふかすだけで顔を顰めるほどきつかったLARKも、常にポケットに忍ばせておかないと落ち着かなくなってしまっていたのだ。
おれも紫煙を吐き出しながらなるべく平静を装って返事をした。
「あいつが、どうかした」
アサヒとこいつは少しだけ、会話をしたことあるだけの間柄のはず。気にかける意味が分からなかった。タカシの周りには女が寄ってきて絶えないはずだ。タケルさんを亡くしてからとんと男に興味を亡くしてタカシにも黄色い声をあげなくなったアサヒに興味を示すなんてな。
すると彼は右頬を指さしながら言った。
「今日学校で久しぶりに見かけた、頬にでかいガーゼしてて驚いた。家庭環境でも荒れてるのか」
とんでもない。あそこの両親は物心着く前から随分とお世話になってる。悪いところなんて何もない。家族仲もいい。
そうだ。今日のアサヒ、たしかにマスクを着けていた。あれは怪我を隠していたのか。どうして気づけなかったんだろう。やはりあの伸ばした手で細いて首を掴むべきだったのだろうか。アサヒを追いかける男たちの足音が聞こえたような気がした。あいつなに秘密をひとりで抱えていないか。
「最近おかしいんだよ、あいつ。羽振りがよくなったり、家に帰ってこなかったり」
タカシが咥えた煙草が小さな音を立てて灰になる。
たぶん、同じこと考えている。遠くをみているタカシが咥え煙草のまま言った。
「・・・通夜のとき、相原さん来てくれたんだ。でも通夜振る舞いも食べずに帰るしあれからまともに顔も合わせていなかったからろくに礼も言えていない」
あいつ、たぶん売春してる。理由は知らない。そして運悪く変な男を掴んだ。執着されて追いかけられたり、殴られたり。なにやってんだよ、ばか。金に困ってる訳でも無いだろうに。それに助けてって、そうひとことおれにでも言ってくれればよかったのに。
でもあいつは言わない。そうだよ、知っている。あいつはそういうやつ。きつい煙草の匂いを纏い、赤いルージュで自分を隠して、嘘を平気な顔で口にするようになっても、本質は変わってない。気弱で愚かなほど優しい女。他人を頼るくらいなら、迷惑なんかじゃないのに、迷惑かけるくらいなら死んだ方がいいんだって思う女。どうして気が付かなかったんだろうか。
タカシが短くなった煙草を灰皿にすり潰した。
「マコト、相原さんのこと好きか」
そしてタカシの一言に驚いてやつを見た。すり潰された煙草で灰皿の灰を集めては穴に落としている。真剣な眼差し。でもこちらをちらりとも見ようとしない。真意が分からない。
「・・・あいつは兄妹同然だ。付き合おうなんて思わないけど、まあ、大切」
タカシなら茶化さないだろうと思って本心を告げた。するとやつは満足したのか、手に持っていた煙草も穴の中に落とした。
「そうか」
タカシから聞いてきたくせに、その一言しか返してくれなかった。
綺麗になった金属がウエストゲートパーク上空を反射してにぶく光っている。今日は珍しく晴れ間。タバコを捨てようと青く光る金属を覗き込んでそう思った。
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