こどものじかん

放課後、遠くには部活動をする生徒たちの声とどこかの教室からは生徒たちの笑い声。わたしはその日ひとり帰路につくため廊下を歩いていた。
今夜の夕飯はなにかな、宿題さっさと終わらせなくちゃ、明日は友だちと放課後遊びに行くから夜仕事手伝ってお小遣い貰おうかな。そんなことをぼんやりと考えながら。
そして教科書なんてろくに入っていないくせに、やたらぱんぱんの筆箱だとかシーブリーズだとか余計なもので重たくなった鞄を肩にかけ直す。それから角を曲がろうとした、そのときだ。あっと小さな悲鳴と衝撃。思わず尻もちをつくとドサドサとひどい音がした。あたりにはたくさんの物理の教材が散らばっている。
やばい。慌ててぶつかった相手を見ると確か、クラスメイトの、なんだっけ。
名前はどうしても思い出せないがその特徴的なサル顔は覚えていて、クラスの後ろの方にいる少し暗い子だとわかった。

「ごめん、大丈夫?怪我してない?」
「・・・こっちこそ、すまん」

彼は目も合わせずに落とした教材をかき集める。わたしも慌ててそれを手伝って半分を持ち立ち上がった。すると困った顔の彼が視線も合わせずぶっきらぼうに言う。

「あー・・・わりい。この上乗せてくれるか?」
「いや・・・いいよ。手伝うから、ぶつかっちゃったしさ。ひとりじゃ大変でしょ」

すると彼は不思議なことに益々困った顔した。わたしなら、ラッキーってなるのにな。人からの好意は相手の下心のあるなしなんて関係なしにとりあえず利用するべきなのだ。

「もしかして迷惑だった?」
「・・・いやべつにそんなじゃ・・・わるいな相原」
「いいってことよ・・・齋藤くん」

そして名前を呼ぶと齋藤くんは驚いた顔をした。胸についてる名札、見ただけなんだけどね。わたしは誤魔化すように笑って歩き出した。目的地は理科物理準備室。先生たちの悪口を(ほとんどわたしが一方的に)話しながら歩いていると途中ばったりとクラスの女の子たちに出会った。
小柄な齋藤くんがますます小さくなって萎縮する。別に、怖がることないのにな。

「あー、アサヒとサルじゃん!なにしてんの?何その組み合わせ」
「せんせーに雑用押し付けられた哀れなふたり。ねえ、みんなも手伝ってよー」
「ウケるー、やだあ。サルに全部やってもらえばいいじゃん?」
「えー、先生にバレたら怒られちゃうからな」

あはは、じゃあ頑張れ。非情な友人たちはそんな力の欠片にもならない言葉だけを残して去っていった。基本的に薄情なのだ。そんなもんだろうけどさ、割り切って付き合えば楽しい。しかしサル・・・齋藤くんはまたバツの悪そうな顔でそっぽを向いている。

「なあに、どうしたの?」
「嘘ついてまで手伝わなくても・・・」
「あはは、だって真面目に話してもあれこれ言ってきて面倒くさいよ。適当に手抜いて上手く生きて行けたらいいよねえ」

その手を抜く力加減がまだ下手くそなので、たまにさらに面倒くさいことになったりもするけれど。がらりと理科準備室のドアを置いて適当な場所に教材を置いた。

「ここでいいのかな」
「わかるところに置けばいいって言っていたから・・・なあ、相原」

真夏でも長袖のワイシャツをしっかり着込んでいる齋藤くんが制服のスラックスをぎゅっと握りしめながらこちらを見た。そういえば体育のときもいつも上着を着ていた気がする。ぼんやりと思い出した。

「なにからも真正面からぶつからなくても、嫌なことから逃げても、いいのかなあ」
「え、うーん。いいと思うよ、ぶつからなくちゃいけないこともあるけどさ、わたしはとりあえず楽しく生きる方が先決だと思うな。逃げた先にだって暮らしやすい場所は探せばあるでしょ」

特に深いことは考えずにそんな甘い考えを口にした。大人に聞かれたら怒られることなんて分かってる。だから特に誰にも聞かせたことのないなんてことのない持論。明日にはまた違うことを言っているかもしれない、そんな不確かな言葉。
しかし齋藤くんは、それでもいいのかと呆けたように言っていたので首を傾げた。

「・・・お前も、いいやつだな」

そんなことないよ。なんて言葉は走り去った彼の細い背中に届かなかった。



あれからあの子は学校に来ていない。ぽつんと持ち主のいない机に腰掛けてプリントを眺めていた幼馴染を見つけて、なんとなく声をかけた。

「ねー、この席の子さ、なんで休んでるの?病気?」
「いや、知らねえけど。なんかこの前昼間からゲーセン行ってるのだれか見たらしいぜ、サボりじゃね」

うわ、男子の変声期特有のがらがら声。ちょっと面白い。しかしよっと机から飛び降りてわたしの目の前に立った幼馴染の姿にぎょっとした。

「なんだよ、その顔」
「・・・背高くてびっくりした」

小学生の頃はわたしの方が高かったし、そんなわたしだってすくすく成長してる途中だったからまさか背を抜かれているとは思わなかったよ。体格だって心做しかがっしりとしている。いつの間に、こんな。

「変なアサヒ」

マコトはそう言い残して友だちの集団の中に走っていってしまった。よく知っているはずの幼馴染は変わる、クラスメイトはいなくなる、自分の身体と気持ちの変化にはついていけない。思春期って、我ながら面倒臭いものだ。わたしは人知れずふうとため息をついた。


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