照美は邪魔な暖簾を乱暴に押し退けると、その時間すら惜しいとばかりに駆け出した。もう陽は暮れてしまっている。彼はもう奥へ引っ込んでしまったかもしれない。急げ急げと、照美は己を叱責して足を動かせた。


なんと運の良い事だろう。彼は、真一は丁度障子の向こうへ消えてしまうところだった。整わぬ息のまま照美が真一を呼び止める。その声に成長途中の幼い背中が強張ると、泣きそうな顔が出迎えた。まさかそんな顔をさせてしまうとは夢にも思っていなかった照美は、ぎょっとして真一の、自分より一回り小さな手を握り締めた。僅かでも真一を落ち着かせられればと思ったのだ。


「馬鹿野郎、おま、来んの遅いんだよぉ……!」
「ご、ごめんね。……御主人のお客様が中々離してくれなくて」
「んなの振り切ってこいよー!」


無茶苦茶である。照美の主人がどんな人物か、例え一時でも逃げ出そうものなら照美がどんな目に遭わされてしまうかを、真一はその身を持って知っているというのに。
しかし己の事で泣いてくれるのは存外嬉しいものである。場所を忘れて泣きじゃくる真一の手を引いて人気から逃れると、照美は普段以上に小さく見えた真一の体を抱き締めた。


「ごめん。本当にごめんね。僕も早く真一に会いたかったよ」
「うるせ、俺のがそう思ってた、し」
「ふふ、そうだね。真一には敵わないよ」


いつの間にやらしがみついてきた真一の涙が照美の一張羅を濡らすが、それを咎めるつもりは微塵も起こらない。
真一は、奉公に出される事が決まっていた。照美が名前もどの方向にあるのかも知らない遠い、らしい町へ真一は行く。今日は、ふたりが顔を合わす事の出来る最後の一日だった。


「手紙、きっと出すよ。向こうの親方はやさしいひとらしいから、きっと許してくれる」
「……僕も、手紙を書くよ。字なら、女将さんが教えて下さるから」
「ああ、そっか。字の問題があったか」


しまったなあ、と苦笑いする真一を、照美はとても愛しいと思った。たとえこれが最後の逢瀬だとしても、生涯この少年を忘れはしないだろうと。
照美は真一の、指通りの悪い髪を一房指に取って、そっと唇に触れさせた。時間の許す限りは、いつまでも、そうしていた。




月夜に沈む












ぬう…

2011/7/25
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