「ありがとうございます!!」
気を付けてくださいね、と駆けていく人間に手を振った。魔物から人間を助けたのはこれで何回目だろうか、と罪悪感に痛む胸を押さえる。本来、人間に関わる事はエルフの間では禁忌とされていた。欲深い人間に関わって犠牲になったエルフはたくさんいるのだ。……それでも、種族に関わらず困っている者は助けてしまう。従って、この行為は自分だけの秘密。誰にも知られる訳にはいかない。

「あら、おかえりなさい。随分遅い帰りみたいだけど――」
わたしと同じ、エルフの里の民――エリザさんの顔が曇る。
「……もしかして人間に襲われたの?」
「まさか!」
心配をかけて、自分の秘密を知られるのは防ぎたい。
「長老さまのために花を摘んでいたんです――ほら、」
予め摘んでおいた花を差し出す。納得したらしいエリザさんは、
「あら、綺麗な花――きっと長老さまも喜んでくれるわ」
それだったら枯れる前に持っていきなさい、と送り出してくれた。禁忌に触れた事と仲間に嘘をついた事が、少し苦しい。
「――――!!」
はい、と返事をした所に、悲鳴。はっとエリザさんとわたしが振り返る、そこにいたのは、武器を持った人間たち。その中心に、
「さあ、ルビーの涙で一儲けだ!」
先ほど助けた人間が、得意顔で。
「……うそ、」
茫然と(だけど誰にも聞こえないように小さく)呟いたわたしの手を引いて、エリザさんは逃げ出した。
「なんてこと、人間たちに見つかってしまうなんて!!何をしているのシンシア、早く逃げるわよ!!」
しかし、逃げ切る事はできなかった。追い込まれた、崖の先。低劣な笑みを浮かべた人間たち。ああどうしよう、わたしの所為だ。わたしが、掟を破ったから。今頃は、里の皆も――?
ぐるぐると考えているわたしを、エリザさんはちらりと見て、そして、微笑んだ。
「シンシア、」
なんですか、と答える声。ああ震えているな。こんな状況なのに冷静に考えている自分がいた。いやな予感がしてならないのだ。

「あとは上手く逃げて、ね」

答える間もなく、エリザさんはわたしを突き落した。崖とはいっても、そこから落ちて死ぬような高さではなかったし、崖下にはクッションとなるだろう森が広がっている。でも、だけど、待って、


「 メ ガ ン テ !! 」

爆発音と、命が失われる香り。ああ、



違う、そうすべきだったのは、わたしだった。わたしの所為。だから、わたしが――……わたしが、殺した?――



「目を覚ましたか?心優しきエルフよ。正しいか否は、誰にも判断がつかぬもの……おまえに、役目を与えよう」
わたしは天空に浮かぶ城で、世界を治める竜に、償う機会をもらった。




誰もいない、地下の倉庫。
「モシャス」と、書物にあった呪文を唱える。淡い緑色の煙に包まれて、それが晴れる――目の前の鏡には、自分の幼馴染が映っていた。否、“幼馴染の姿をした自分”だ。ふ、と笑う。やっとできるようになった。模写の魔法。彼を、ひいては世界を救う為の魔法。しかしそれは同時に、正義と自己満足の為の魔法であり、彼にとっては迚も残酷な魔法だ。きゅ、と服の裾を握った。わたしは“勇者様”の顔で泣いてはいけない。だって世界に希望をもたらす人はわたしじゃなくて、

「――驚いた、シンシアか」

後ろからの声に、振り向きざま魔法を解く。
「こんにちは、バートさん」
幼馴染に剣を教える彼は、一瞬本人かと思ったよ、と剣を持たない左手で後頭部をかいた。それをおろすと同時に笑うのをやめる。
「お前が一番、辛い思いをする事になるんだろうな」
まるで自分の事かのように言う彼に、いいえ、と否定をしてみせる。
「……一番辛いのは、ソロでしょう」

ああ、ごめんね、ソロ。わたしなんかよりもあなたの方が、ずっとずっと重い使命を持って、ずっとずっと辛い思いをする事になるのよ。あなたはわたしと違って、なんにも悪いことなんてしていない。ただ、置いて行かれる辛さも、残された使命も、“自分の為に“って罪悪感も、あなたが”勇者様“だからなのよ。
ごめんね、ごめんね。






何度、命を捨てようと思ったことか。何度、魔王に寝返って竜を討とうと思ったことか。結局の話、世界は、彼女たちを殺したのだ。他でもない、自分のために。後に人々は語り継ぐことだろう、彼女たちがどんなに美しく寛大な者であったかを。僕が“世界の為に”と魔王を退治する事を。そんな綺麗な嘘を、人々は盲信するのだろう。ああ、なんて嘘!!彼女らも僕も、そんなんじゃないのに。ただ普通に、平凡に、幸せでいられたらよかったのに。運命なんて嫌いだ。“勇者”も“魔王”も“天竜”も、みんな嫌いだ。みんないなければ、ずっと一緒にいられたのに。なんて嘆いてももう手遅れで。僕はその嫌いなものに屈服してしまった。この焼野原も、僕にとっては大事な故郷。はやく、皆の、シンシアの所にいきたい。だってもう、“勇者”はいらないだろう?
ねえ、もういいよ、いいよね、シンシア。