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失楽園


(※剣豪ネタバレ注意)(リクエスト:もし敵方に囚えられていたら)











暗く、光はない。
ここに安寧は、安堵は、あたたかさはない。
あるのは冷えた、黒く燃え続ける彼の心を写したかのような、息苦しい空間だけ。

「―――厭離穢土に至るまで、もう間もなく」

胸の奥が締め付けられるほどの、残酷な声。
彼はもう、この世の何もかもに救いも、安らぎも、慈しむ心はない。あるのはただ憤怒に狂う自身の野望への情熱だけ。
なんて皮肉だろうか。そんな彼を、あの彼と似た姿のこの人を目の当たりにしてしまうなんて。全てを救い、癒やすと穏やかに告げたシロウさんの、別の剪定事象の彼とこうして相対するなんて。
もう間もなく儀式が完成するのか、『天草四郎』は袖を翻しすでに人としての存在ではなくなったと謂わしめんばかりの赤く濁った眼球を、ぎょろりとこちらに向ける。一瞬、呼吸することを躊躇った。間合いに入っていないのに、喉を捕まれたような錯覚がする。
部屋の隅で膝を折り小さく縮こまる私を視界に捕らえると、彼によく似た顔で、見たこともないような悍ましい笑みを浮かべた。

「カルデアのもう一人のマスターよ、如何様な気分だ」
「…」
「我が厭離穢土城が顕現し、この世を全て滅ぼした後…貴様達の正しき世界、編纂事象も、なにもかも飲み込む。さすれば我が野望は完遂する。己が世界を滅ぼす、その起動の贄の一人となる気分は…くくっ」

もう恐れるものも、懸念するもない。ただ実現まであと一歩ということを確信しているかのような、不敵な笑み。
彼は、ここにいる彼は。あの島原の乱で生き残り、世界を渡り歩き。そうして『天草四郎』という存在から三万七千人の呪いへと反転してしまった、憤怒の存在。
私はただ、見つめることしかだけしか出来ない。

私は、いつものようにカルデアでシロウさんと話していた時、突然気絶するように意識を失い。次に目を開いた時には、すでにこの彼に囚えられていた。
囚えられてから数日。彼と彼が召喚した英霊剣豪たちの会話からある程度事態は把握出来た。藤丸くんもこの世界にいて、武蔵という、以前藤丸くんが夢で会った人と同一人物らしき人と一緒に事態の解決に奮闘していること。
彼らの目的が、この世の全てを壊そうとしていること。
そのための儀式に、召喚した七騎の英霊剣豪たちの魂と、殺戮した民草たちの魂。そして『天草四郎』の妖術と全ての条件が果たされた瞬間。すべての事象世界が壊される、と。
これは聖杯システムと同じ絡繰の、世界を脅かす大掛かりな術式。

そこまで知るのは、早かった。
けれどこの事実を伝えようにも、ここから逃げることは叶わない。隙はなく、いつでも戯れのように私の首を指先一つで刎ねることは可能だと、常に私に加虐的な視線が注がれていた。
だからこそ彼らはここまでの秘密をべらべらと聞かせたのだろう。逃げれるものなら逃げてみるがいいと、言わんばかりに。
英霊剣豪が藤丸くんたちの手に破れ、今や残っているのはキャスターとセイバーと、そして佐々木小次郎と。彼だけ。それでも私の命は今も彼らの中にある。でも、逃げない理由は、それだけじゃない。

「…無理ですよ」
「―――ほう?」

ここに囚われてから、初めて口を開く。
今までであれば、不用意に口にすれば、私の頭が掻っ捌かれていただろう。けれど今やこの空間にいるのは、私と、『天草四郎』だけ。彼一人ならば、話すことは困難ではない。
ようやく話すことが出来ると、久しぶりに口を開いたせいで筋肉が気持ち少しだけ衰えているかのような感触に些か不愉快さを感じながら、彼を見据える。『天草四郎』も、初めて喋った女の反応を楽しむように笑みを絶やさず目を細めて、毅然と向き合う私を見つめる。

「私のことは、贄でも、虐殺でも。お好きなように。けれど、貴方の野望は、果たされることはないでしょう」
「…―――ははははは!ようやく命乞いの一つでも口にする気にでもなったのかと思えば!大層なことを口にしたものだ。いいや、我が野望は果たされる!ルチフェロなりしサタンの名のもとに!厭離穢土城は顕現し、世界を滅ぶす!」
「いいえ。明日、儀式が完了する前に。藤丸くんたちがここへ来て、あなたを討ちます」

だから貴方の野望は果たされることはないと、無力な私は確信を持って告げる。彼はそこでようやく不愉快そうに眉を潜め、板を軋ませながらこちらへと歩み寄る。
私の前で膝を折ると、無骨な指先で私の頬を乱暴に掴み自身の眼と相対させる。今にも殺さんばかりのその鋭い視線に、震えて逃げ出したくなる。あの金の瞳が今や憎悪に濡れ、怒りしか映さない。
けれど、その炎の眼の奥底に、今や淡く頼りなく光る悲しみの色が見えた気がして。彼はシロウさんではないけれど。根底はやはり同じなのだと、ずっと彼に感じていた感覚が湧いてきて。爪が食い込むほど、強く拳を握った。

「何故、そう言い切れる」
「事実を、述べたまでです。貴方は、藤丸くんには勝てない」
「では何故、哀れむような目で我を見る。カルデアのマスターよ」
「…っ」

彼は、シロウさんではない。分かってはいる。遠い事象の世界の、まったくよく似た人物だと。
それでもこれは、本当に。あまりにも皮肉だ。ここで彼と相対しているのがシロウさんではなく、私だなんて。
私をここに喚んでも、私はもうシロウさんに全てあげてしまっている。何一つ、この彼にあげることも、奪うこともしてあげられない。なのに私がここにいる。
彼の中で、まだ炎が燃え盛っている。まだ終わっていない。事が終わる、その瞬間まで彼の中で炎は消えることはない。この世の全てが憎いと、その身に募った呪いを撒き散らしても。もう帰るべき場所がないのを分かっていても。彼の、彼だけのたった一人が現れない限り。ずっと。

それは、とても。苦しくて、辛くて。シロウさんももしかしたら。ひとつ違えれば彼のようになっていたのかと。その身を壊すほどの思いを抱えながらも。今も胸にありながらも、彼と違い。前に進むこと選んだのかと思うと。剪定事象の彼は、数多の世界で、同胞たちの嘆きも。祈りも。全て滅ぼされるのが運命だと、見せつけられてきても。それでも抗い続けてきたのかと思うと。
胸の中が、ぐちゃぐちゃになった。

強く、精一杯の力でなんとか息をつくと。私の頬を掴む『天草四郎』の手をつかむ。

「……”あなた”は、本当に。どこまでも、残酷なほど。やさしいのですね」
「…恐怖で頭でも狂ったか」

睨みつける目はそのままに、けれど少し困惑と苛立ちの色が見える声に、逃げ出したがっていた指先が少しだけ緩んで、かもしれません。と相槌をうつ。

「ええ、今私はとても失礼なことをしています。貴方を見ながら、シロウさんのことを考えていました」
「…正しき世界の天草四郎時貞のことか。だが、残念だったな。我と、あれは別人だ」
「はい。貴方は、シロウさんではない。けれど、救えなかった人たちのことを思って、思いすぎて、そこに至ったのでしょう。結果も過程も違いますが…あなたも、あの人も。動機は同じです」

私の言葉に、ますます不愉快そうに『天草四郎』は顔を歪ませる。
そう。だからこそ、悲しいのだ。”あなた”は、どこにいたって。どんな”あなた”だって。貴方達は、いつだって自分を救う術をとらない。
私に出来ることなど、たかが知れているし。特別なにか出来るわけでもないのに。それでも、自分の出来ることのすべてを使ってでも、与えたくなる。
救われて、ほしくなる。

「私は…貴方のやり口には、軽蔑しますが。それでも貴方の思いも、願いも。否定はしません。…だから、そんなに。どうか自分を、責めないでください。貴方の思いは、間違ってなんか、いません」
「っ…………」
「それだけは、ずっと。…伝えたかった」

逃げなかったのは、せめて。これが終われば二度と会うことのない彼に、なにもあげられないかわりに。無意味かもしれなくとも、きっと今まで誰も彼に掛けてこなかったであろう、その言葉だけでも伝えたかった。
ただ一人、自分だけ生き残った事に対し、責任を感じないわけがないから。あなたは、自分のことを。とても嫌っているから。

さあどうぞ今すぐ殺せばいいと、彼の手を自身の首に添え、目を閉じる。これほどまでの無礼を働いたのだ。明日を待たずして殺されるのも、仕方なくはないけれど。仕方ない。…ごめんなさい、シロウさん。

導かれるままに添えられた手にぐっと力がこもり、うっと呻いた。
…のも、一瞬。そこから先、待てども暮せども力が加わることがなく、恐る恐る瞼を開くと、『天草四郎』はなんとも計り難い表情をしていて。ゆっくりと、私の首から指先を退いた。
困惑する私に、私以上に『天草四郎』も困惑しているようだった。

「…よくぞ斯様な人から外れた者に、人の言葉を伝えることが出来るものだな」
「ええ、そうですね…惚れた方と同じ顔をしているものですから、つい」

命がけのおせっかいに、ますます腑に落ちない顔をする。

「そのようなか細き言の葉を紡いだところで、言霊にも満たぬ」
「ええ、そうでしょうね」
「どの世界を渡ろうとも、我が同胞たちは切支丹であるからと、殺され。彼らの祈りも、願いも。なかったことにされる。どこへ行こうと、娑婆世界が地獄であることに変わりはない」
「でも、たった一度でも。地獄で仏に出会うこともあるでしょう」

ああ言えばこう言う。
理屈に屁理屈の水掛け論に、とうとう『天草四郎』は堰を切ったように、笑った。邪悪な声色なのは変わらないけれど、それでも今まで聞いてきた、人を嘲嗤うようなものではなく。もっと心地のよい笑い声で。ほんの少し、ああよかった、と。安堵した。

くつくつと肩を震わせ抑え込みながら、私の前に腰を下ろして座り込む。

「貴様は、自分を仏とでも宣うのか」
「そんな高尚なものだと思ったことはないですが…まあ、シロウさん限定の仏ということであれば、そうなりたいとは思いますが」
「では、私の仏にもなろうと?」
「…それは、すみません。貴方は『天草さん』ではありますが、私が慕うシロウさんではありませんから」

自分で言い出しておきながら、唯一無二にはなれないと翻せば。先程までであれば殺されていたであろう暴言に、『天草四郎』は先程の失笑でいたく気分を良いようで。気分を害した様子もなく「癪な小娘よ」と尚もくつくつと肩を震わせた。とりあえず、殺されることはなくなったようだ。
はぁ、と一息つき。ずっと固い床で縮こまっていたせいで疲労し痛んだ足をこっそり擦る。

「カルデアのマスターよ、名は何と申す」

ふいに、今更になって初めて問われてえ、と顔を上げる。
底が読めない表情をするところは本当に似ていて、何を考えているのか計れない眼差しに困惑しながらも「みょうじ、なまえです」と告げれば「なまえか、」とひとりごちるように名を呼ばれ。シロウさんと似た顔と声でなまえ、と呼ばれることに少し違和感を感じる。

「明日には松平の姫を贄に、厭離穢土城は起動する。もう一人のカルデアのマスターを斃し、この泰平の世を壊し、異郷の地すらも。私はすべてを滅ぼす」
「っ…」

暗く冷えた眼。固く塗り固められ続けた怨念はそう簡単に変わることはないと、再度思い知らせるように告げる。これしきの対話でどうこうなる相手ではないのは、分かっていた。
だが、と。彼は続きを口にした。

「だが、そうだな。もし。…もし、我が厭離穢土が至上へといたらなかったその時は。なまえ。彼奴に言付けよ」
「彼奴、って………シロウさんに、ですか?」

私の問いに、『天草四郎』は無言で肯定する。一体なにを、と口にすれば。彼は赤い眼に浮かぶ金の雫をゆるやかに細めた。



――――



「―――…すみませんでした」
「なにが、ですか?」

藤丸くんたちの奮闘により、無事事件は終結。そして私と藤丸くんは無事、目を覚ました。
だが帰還早々、後始末の仕事も考証も一先ず後回しにして、精神的な疲弊を癒やすようにと言われてしまい。
ずっと眠っていたから休むもなにも、と藤丸くんと顔を見合わせながら集中室から自分の足で自室へと戻れば。待ち構えていたシロウさんに、開口一番に謝罪され一瞬眼を瞬く。

藤丸くんたちが厭離穢土城に到達した時、ようやく回復した通信で概ねすでに把握されているようで。今回の事件に、まったく他人とは言い切れないため少しばかり心を痛めているようだ。
けれどこれはシロウさんではなく、剪定事象の『天草四郎』が起こしたことなのだから。シロウさんが謝るのは筋違いだろう。

大丈夫ですから、と首を振るが、シロウさんも首を振って否定する。

「あれは私とは別の存在ですが、それでも。『私』が…あなたを、殺すところでした」
「…大丈夫ですよ、シロウさん。ちゃんと、生きて帰ってきたでしょう?」

確かに今回ばかりは死ぬかもしれないと、度々死の危機を感じて生きた心地はしなかったが。それでもこうして奇跡的に五体満足で帰還出来たのだから、終わり良ければ全て良しである。
ね、と促せば。それでも腑に落ちない顔をし、私の体を痛く抱きしめた。

「…ご無事で、本当によかった」

ほんのすこし、本当に、僅かばかり。あのシロウさんが震えた声をしていて。
シロウさん抜きの単独での跳躍など初めてだったと思い至り。シロウさんらしからぬほど、体を潰さんばかりの抱擁から、かなり心配させてしまったことを痛感させられる。
そっとシロウさんの体を抱き締め返し、背をぽんぽん、とやさしく叩く。

「…ただいまです、シロウさん」
「おかえりなさい…なまえさん」

ああ、そうだ。この感触だ。やはりシロウさんに呼ばれるのなら、この感じでなければ。
ようやく、知らず知らずに張っていた気がゆるゆると緩まり。安堵からシロウさんの肩に顔を埋め、身を委ねる。
四肢が少しずつあたたかくなっていき、瞼が少し重く感じ始める。

「なまえさん。着替えて、横になられますか?」
「ふあ…そうします」

ベッドへ誘われ、上着だけ脱いで眠ろうとすると、着替えを手早くクローゼットから取り出したシロウさんにてきぱきと着替えさせられ、布団を掛けられる。
なにもそこまでしなくても、と小さく笑いながら徐々に脳の働きが鈍り始めているせいか口にするのも億劫に感じて、代わりに息をついてベッドへ深く身を沈める。その様子を見てから、ピ、と部屋の照明が落とされる。
ふと。そうだ、と。私同様、横になり私が眠りに就くのを見守るシロウさんを見遣る。

「あちらの『天草四郎』さんに、シロウさんへ言付けを頼まれていました」
「私に…?」

思わぬ話題に、シロウさんの優しい金の瞳が丸くなる。
睡魔からあくびを噛み殺しながら肩まで布団を被り、はい、と頷いてとろとろと瞼を落ちそうになるのをなんとか堪らえる。

「『私は彼の地を垣間見た』と…」
「――――」
「彼の地、というのがなにを指すのかは、教えてはくれませんでした…すみません」
「……そうですか」

布団ごと抱きしめるように腕の中に閉じ込めると、抵抗する私を促すようにゆるやかに頬をやさしく撫でられ。シロウさんの手のあたたかさを前にしては抵抗する気が失せ、おとなしく瞼を閉じて、ふたたび。今度は穏やかな夢が見られるようにと、眠りに就いた。



「…彼の地、ですか」

青白い顔で倒れた時と違い、今は血色のいい顔色で腕の中で穏やかに眠るなまえさんを見つめながら。剪定事象の『彼』が言った言葉の意味を紐解く。
彼の地。ぱらいそ。私達がかつて見出そうとした、阻まれることのない世。それを彼は、垣間見たと。なぜ厭離穢土を目指した『彼』の口からぱらいそを示す言葉が出たのか、断定できる要素は少ない。そしてなぜそれをなまえさんに、わざわざ伝えたのか。

思考を巡らせ、一つだけ。おそらく私しか気づきようもない可能性に至り。すぐにまさか、と考えを払う。もしそうだしたら、向こうの『私』は意地が悪い。私宛にわざわざそんなことを言付けたんだとしたら。

「…申し訳ないですが、そのぱらいそも。ましてや、インフェルノも。ここにいる、私だけのものです」

剪定事象の『私』といえど、これは。これだけは、”天草四郎”ではなく。シロウ・コトミネが得たものだ。
今まで数多の世界を『彼』は渡り、その度に同胞の死を見せつけられ。行き場を失った『彼』が唯一見出した光だとしても。

今は佳き夢を見ているであろう、あどけない寝顔のなまえさんの頬を撫でる。
彼女はきっと、『彼』に会うために。喚ばれたのかもしれない。

どうか、今度こそは穏やかに。それから、『私』を。救おうとしてくれて、ありがとうと。いつもならば、少しばかり妬いてしまいそうになる私情も。今ばかりは。ただただ、彼女がいてくれてよかったと、そう思いながら眠る彼女を抱きしめた。
 

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