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もえぎいろの
おもいで


穏やかな柔らかい陽の光。そよそよと頬をやさしくくすぐる風。寒くもなく暑すぎもしない。ここ最近大荒れだった天気が嘘のようにからりとしていて。新しい旬がそろそろ到来するような、そんな頃。

いつもなら鬱々としながら労働に励むところだが、本日はさわやかな天気のおかげで普段より晴れやかな気持ちで終え、一息つく。

「天気がいいと、それだけで無敵な気持ちになれますよね」

先輩と初めてシフトが被った時。店先を掃除しながら光合成を浴びた若草のように、眩しそうに陽射しを見上げてそうこぼした先輩の顔が、ふと脳裏をよぎった。
あの時は先輩に対して、とても失礼なことを思ってしまったな。

件のその先輩は本日はお休みで、てんちょーと二人で業務をこなすとエプロンを脱いでロッカーにしまう。今日は友達との約束もないし、商店街でオヤツでも買って家でゴロゴロしよう。

「ではてんちょー。お先に失礼します」
「お疲れ様です、あいさん。気をつけてね」

てんちょーの笑顔とドアベルを背に、お店を出て商店街のほうへと歩き出す。
顔なじみのお爺さんお婆さんと挨拶を交わしながら歩いていると、前方につい先ほど脳裏によぎった件の先輩を見つけ、まあなんと"たいむりー"な、と。先日観戦した野球で言っていた言葉を思い出しながら足を止める。
その隣には、先輩の夫の神父さんもご一緒で。ふたり仲良く八百屋の前で買い物をしながら微笑みあっていて、思わずつられて笑った。毎度思うけど、不思議なふたりだよなぁ。

「あいさん?」
「ん?」

ふと自分を呼ぶ声が聞こえ、ぐりんと声がしたほうを向いてみれば。ちょうど駄菓子屋で買い物を終えて出てきたところのタツくんがそこにいて、あれ、と首をかしげる。

「こんにちは。今日は学校早いんだね?」
「そうなんすよ。今テスト期間中なんっす」
「あー、もうそんな時期なんだ?じゃあ残念、今日はお店にいないよ」

手をひらひら振ってから八百屋のほうを指差せば、タツくんは素直に示した先に視線を遣って「ウソぉ!」と心底ガッカリしたように肩を落した。ドンマイ。

塾だなんてそんな大層なものがないこの町で、学生向けに試験の間だけ、うちの店で試験対策講座を開いている。
元々は勉強を教えてくれと泣きついてきた真子ちゃんに乞われて、先輩が先生役を買ってでたことが発端。その後赤点回避どころか飛躍的に成績があがり、「なまえちゃん勉強教えるの上手いんだよ!」と真子ちゃんが大々的に触れ回ったことで希望者が殺到し、今に至る。
おかげでお客さんは増え、親御さん方からも好評価をいただくわで、先輩が来てからずいぶんあの店は変わった。

「あーあ、せっかく教えてもらおうと思ったのに…」
「教わるついでに、先輩に会いたかっただけなんじゃないの?」
「いや、そ、そんなことない…っす」

目に見えて耳を赤くして狼狽えるタツくんに、はいはい、と肩をすくめて笑う。
彼は、先輩に恋している。以前ダメ元で告白して、懇切丁寧にフラレた経験があるのにまだ振り切れてないらしい。
とはいえ、先輩はすでにあの神父さんと結ばれてるし、勝ち目がないどころか先日結婚して見事完敗したので、こればかりは少しでも早く心の整理をつけたほうがいいと思う。酷な話しだけれど。

私も駄菓子屋でお菓子を買おうかなぁ、と考えていると「そういえばなんで先輩?」とタツくんがふいに投げかけてきて、なにが?と眉根を寄せる。

「なまえさんとほぼ同期ですよね?それにあいさんのほうが、なまえさんより年上なのに。なんで先輩って呼ぶんすか?」
「…まー、そんな大したことじゃないよ」

私が先輩を先輩と呼ぶのは、他の人からすれば、大した理由ではない。ただ私がほんの少しの感謝を込めて呼んでいるだけだ。
けれども人の説明するのはなんだか気恥ずかしくて考えあぐねていると、あ、と単調な音が口から漏れた。視線の遠く先で先輩が転びそうになったところを、寸でのところで神父さんが抱き止めていた。わあ、スマート。
先輩が顔を赤くしてあわあわとパニックになっているスキに、神父さんが苦笑しながら抱き起こし。駆け寄ってきた八百屋のおっちゃんに余裕ありげに大丈夫と手を振って見せてるし、出来た人だ。

「俺もああいうの出来たらモテますかね……」
「普通出来ないから」

そもそもあれはあの神父さんだから様になるんだよ、と追撃すれば。タツくんが奇声じみたうめき声をあげるので、思わず吹き出してしまった。

「…あーあ。幸せそうだなぁ」
「…そうだねぇ」

悔しそうにポツリとこぼした言葉に、今度は苦笑して見せる。本当に、誰がどう見ても幸せそう。
仲睦まじい夫婦、というのは。ああいうのを言うのだろう。実際町の人達に聞けば、十中八九。あのふたりをそう評価するだろう。

――思えば、ふたりとも電撃のように突然この町に現れた。

もともとは長いことこの町で神父さんをやっていた前任のおじいさんが病で亡くなってしまったのが、始まり。
訃報を聞きつけていきなり現れたばかりか、彼の息子だと名乗った彼は弔いが済んだ後に、この町の新たな神父さんとなった。
“きれいさん”、という息子さんならお父さんと一緒にいるのを何度も見ていたので知っていたが、しろうさん、という息子さんがいるとは知らなかったので、みんな寝耳に水だった。
すごい胡散臭かったけれど、嘘を言っているようではなかったので。旅に出ていたようだから知らなかったのは仕方ないと、ゆっくりみんな納得していった。

神父さんの人柄はさすが神父さんというべきか。胡散臭さは拭えなくとも悪い人ではなかったので、みんなおそるおそる、少しずつ教会に足を運ぶようになり、町で見かければ声を掛けたりと交流がなくなることはなかった。神父さん自身は、私達とはあまり深く交流したい感じではなかったけれど。

その後現れたのが、なまえ先輩。彼女は、もっと唐突だった。
ある日いきなりこの町に現れ、すぐにあのお店で働き出した。私が両親と同級生のてんちょーさんがやってる喫茶店で働こうかなと思っていた矢先のことで。一目見て、訳ありの人だと思った。
この町から上京のために出ていく人はあれど、縁もゆかりもない人が入ってくるなんてまずない。おまけに、あの教会で神父さんの庇護のもと暮らしていると聞いた。教会に居つくなんて、普通じゃない。
それに先輩は、飛び抜けた容姿ではなくとも、こんな田舎の女の子たちと違って垢抜けていて。纏う空気が異なっていた。だから最初は、近寄りたくなかった。とても危険な人ではないかと、無意識に危惧していた。

それが、なんでだったか。
ふたりが一緒にいるようになってから、少しずつ氷が溶けたみたいにほんわかと柔らかくなっていったんだ。
その時に先輩と初めてまともに会話したし、その時初めて神父さんのことが好きなんだと、先程こけていた時よりもずっと花が笑ったように顔を赤くして、小声で教えてくれたことを覚えてる。
神父さんも、前よりも纏う空気がやわらかくなってから。ちょっとずつ、前よりもちゃんとみんなと接するようになったような気がする。私の気の所為でなければ、だけれども。
…ああ。たしか、その頃だ。私が、先輩と呼ぶようになったのは。



「あいさん、あいさん」
「…はい?」

その日は、なにか大きな事件があったわけじゃない。
自分の自尊心がぐしゃぐしゃに乱れて、劣等感に苛まれて。受験のことで家族にあれこれ言われ続けたことが積もり積もって、思いが爆発して。酷く虫の居所が悪かった
どんなに私自身が辛い思いをしていても働きに行かなければいけない。自分で決めたことだというのに、誰かに八つ当たりしたいような気分だった。
私を知らない人と会いたくない。誰も私がつらい思いしているのを知らない。知ったところでどうこう出来る問題ではないから話したってしょうがない。なによりも、私自身が知られたくない。
自分の選択が。間違っていたと思いたくないのに、思ってしまう。

ああもう、全部嫌だ。て、そんな時に。のほほんと、なまえさんが空を見上げて笑っていた。
その時は、あー、この人。苦労とか悩みとかそういうの、全く無縁で。のんきでいいなぁって。ムカついた。

「お日様浴びながらこうしてると、とてもしあわせだなぁ、って思いません?」
「…さあ、どうでしょう」

つれない返答で気のない素振りを見せる私に、なまえさんは意表を突かれたように目を見開いた後、「そっか」とくしゃりと苦笑いした。
息をついて頭を切り替えようとすると、箒でサッサと砂を払いながら「私、春のお日様が一番好きなんです」と会話を続け始めるものだから、思わず花に向けていた如雨露を手元に寄せて、眉根を寄せた。

「最近常々思うんです。ああ、空ってこんなに綺麗だったんだなぁ…て」
「……」
「変ですよね。空も太陽も、何か変わったわけじゃないのに。でも、今まで見ていたものってこんな風だったっけ、て思うほど、とても懐かしくて。愛しく思うんです。…そうだよなぁ、小さい頃公園で見つけたビー玉がこの世で一番綺麗なものだと思ったし、道端に咲く花はどれも目に止めてしまうほど美しく咲いていて、とても輝いて見えていたなぁ、って」

この人、いきなり何恥ずかしいことを言ってんだろう。
怪訝な顔でなまえさんの言葉の先を見守る。これは、ヨイショして相槌うたないといけないのかなぁ、なんて。そんなことを、ぼんやり考えている間にもなまえさんの言葉は止まずつらつら流れてくる。

「そう思えなくなったのは、きっと。色々なことがわかるようになってしまってからなんでしょうね。小さい頃は、周りが無条件に自分を愛してくれていると思ったのに。実はまったくそんなことなくて、自分は特別な存在でもなんでもないと気づいてしまってから。ふてくされちゃったんでしょうね」

地面から砂埃が消えて、綺麗になっていく。塵取りに飲み込ませながら足元を見つめるなまえさんの顔はとても穏やかで、儚く見えた。
如雨露の先から水滴が伝い、如雨露を持つ手を伝い。ぽたりぽたりと埃が消えた地面に落ちてしみていくが、私はそのことに気づかなかった。

「目の前の景色は全然特別なものじゃなくて、ただそこにある有象無象でしかなくて。自分も、そのうちの一つなのが許せなくて。特別なものになろうとして。…なれないと思ってからは、いつからか自分も、周りも。何もかもめちゃくちゃになればいいと思ってました」
「…特別」
「周りにはいつも馬鹿にされていました。お前には無理だと。どうせ出来やしないと。いつも自分は虐げられる側で、周りは自分を虐げるものだって。そんなふうに決めつけていました。弱音を吐くなんて許されませんでした。どうせ私の気持ちなんて、分かるわけないと」

どきりと心臓が跳ね、なまえさんの顔を食い入るように見つめた。けれどなまえさんの語る先は空の遙か虚空を見つめていて、その目に私はいない。遠く先を見つめるなまえさんの横顔を眺めながら、どきどきと脈打つ鼓動を抑えるように大きく息をのむ。

「でも、敵って。自分で作ってしまうのであって、本当は誰も最初から敵なわけじゃないんですよね」
「………」
「…私、ここが大好きです。みなさんとても優しくて、こんなロクでもない私を、気にかけてくださって。…ヒトリにさせようとしないでくださって」
「…ロクでもないって、何かしたんですか」

初めて自分から話しかけてみれば、空を見上げていた視線がゆるりと私を向き、陽射しのように穏やか笑みを浮かべたまま「とっても悪いことをしたんですよ」と、嘘か本当か分からない言葉を口にした。
夜逃げですか、と問えば。目を丸くした後、ぷは、と吹き出し。お腹と箒を抱えて笑う姿は、それがもう、まるっきり悪いことをしたとは思えないほどどこにでもいる子にしか見えなかった。

「んふふ…夜逃げかぁ。でも、ニュアンスは近いですね。自分を追い詰めて、追い詰めて。気づいたらぼろぼろで、とても遠いところからここに辿りついて」
「…そこを、神父さんが見つけてくれた?」
「ぴんぽんっ」

軽やかな口調で笑うなまえさんに、途端に自分が恥ずかしくなった。のんきな人だって?馬鹿じゃないのか、私は。

キツイ物言いと態度で可愛げがない私に対して、この人は私よりも幼いのに。今までいろんな嫌な思いをたくさんしてきただろうに、不思議なほど私にやさしくしてくれて。もう、恥ずかしくて消えてしまいたくなった。

「特別って、誰かが見つけてくれて、なんでもなかったものが初めて特別になるんですね。なろうとしてなれるものじゃなくて、積み重ねてきたものを誰かが愛してくれて、初めて気付けるんだなって」
「…太陽を浴びることも、特別?」
「はい。太陽があるから、お洗濯物は乾いてくれますし。楽しい気持ちになれます。…それに、あの時雨が降っていたら。私はきっとここにはいなかったでしょうから」

微笑む彼女は、とても可哀想で。同情したくなるほど悲壮で。私が今感じてる感情のすべてを、彼女は欲していなかった。
ただあるがままの自分を受け入れている彼女は、もう一度空を見上げ。私も一緒に空を見上げて、ああ、綺麗だな。と思った。

「…あっご、ごめんなさい。変なこと言い出すの、最近クセになってしまってて…つい…」
「もし、」
「はい?」
「特別を目指すことそのものが、間違いだったらどうしますか」

私は、自立したい。家の仕事を継いだり知らない人とお見合いして家庭に入るんじゃなくて。私にしか出来ないことをして、一人の人間としてやっていきたい。
でもその選択が誤りで、とても後悔する未来が待ってるんだとしたら。どうしようもなくなるぐらいなら、言いつけどおりに進んだほうがよかったと、後悔してしまったら、と。年が少ししか違わないというのに、私はなぜかなまえさんにそう問いかけていた。
けれど彼女は、それを笑い飛ばさなかった。

「間違いだとわかっていたら、やめるんですか?」
「っ…」
「それは間違ってるって、誰かに言われたら。あいさんは、諦めますか?」

なまえさんの澄んだ瞳が私の心の内側まで見通すかのように、私の顔をじっと見つめる。これではまるで、私のほうが子供みたいだ。
ただじっと待つなまえさんに、私は背が丸くなっていた背筋を伸ばして正面から彼女を見据える。

「…私は、諦めたくない。誰がなにを言ったって、最後に私が望むところに連れていってあげられるのは、私だけだから」
「…はい。私も、そう思います」

箒と塵取りを店先にかけると、両手についた埃を払いながらなまえさんが私のもとへ歩み寄り、私の両手に自分の手を重ね。にっこりと笑った。

「人は、いろんな思想がありますから。衝突することはたくさんありますが…大丈夫。私は、あいさんの敵には絶対なりませんよ」

私でよければもちろん、味方になれる時は味方になりますから。
そう語ったなまえさんのことを、すごく恥ずかしいことを言う人だと笑いながら、笑い飛ばせないほど嬉しかった。ああなるほど、だから神父さんはあんなにやわらかくなったんだな、と。今まで遠くで見ていた時よりも、近くで見るなまえさんが思っていたよりも、大きく見えた。

「…聞かないん、ですか」
「なにがですか?」
「…いいえ。ありがとうございます、先輩」
「…いーえ。どういたしまして、あいちゃん」

目を丸くして、それから照れくさそうに。可愛らしくはにかんで見せた。

帰ったら、もう一度家族にちゃんと話そう。それが全部落ち着いたら、公園にビー玉でも探しに行こう。
それから、明日もお日様が照ってくれるようにと。てるてる坊主でもつるしてみようと。目の前の先輩の笑った顔を見ながら、久しくそんなことを考えた。




――あれから何度も家族と衝突し、結局向こうが根負けして。援助はしない代わりに好きなようにしなさいという形で、決着がついた。
今は親に反対されていた大学を自費で通いながら、上京のための準備をしながら残り少ないここでの生活を満喫している。あの時、先輩の言葉があったから。私は胸を張って立っていられる。

先輩の身の上のことは、それ以来聞いていない。もし先輩がいつか話してくれる時があれば、私もその時は。敵にならないつもりだ。
けどきっと、その機会は永遠に訪れないだろう。あの人には、特別を見つけてくれた人がいるんだから。

「あいちゃーん!」
「ん?」

呼ばれて遠くにいっていた意識を戻せば、視線の先で先輩が手を振っていて、ぱたぱたとこちらにやって来ようとしていた。あーあ、またコケても知らないんですけど。
後ろから歩いて追いかけている神父さんも、私と同じことを考えているのか目が合うと苦笑いして見せて。お互い目が離せないですね、と肩をすくめて返しておいた。

「あいちゃんあいちゃんあいちゃん!見てくださいお野菜こんだけいっぱい買ってなんと600円だったんです!すごくないですか!」
「先輩うっさ、うっさい!声でかい!」

駆け寄ってきて早々、意気軒昂に笑顔で叫ぶ先輩に文句をたらせば、周りで聞いていたおじいちゃんたちが声を上げて笑い。となりにいたタツくんも神父さんも肩を震わせて笑って。
私だけが、本当にいつまでもその呑気なままでいてくれと、眉をたらした。