「間に合え…!」
息はもう既に切れている。
走り出してもうどれくらいだ。そんなことはもうわからねェほど走り続けていた。
急いで、急いで、急いで。
間に合え間に合えと、自分を急いている。この時ほど、体力がある自分で良かったと思ったことはない。
間に合わねェと。あいつが頑張ってんだから。
あいつを一人にさせるわけにはいかねェ。俺も一緒にいねぇと。
あいつ一人のことじゃねェんだから。
俺たちの、ことだから。
「チハル!!!」
家に着いた頃には、さすがに足が棒みてェに固まっていた。
そんなことすら感じられねぇほど俺は急いでいた。急がなきゃ、ならなかった。
「実弥様、お戻りになりましたか」
「妙、あいつは!チハルはァ!!」
「まずは一息おつきくださいませ。チハル様は奥の間でございます」
古参の女中たる妙が落ち着き払った様子で俺に手拭いを差し出し奥の間へと導く。
汗を拭いながら着いていく俺の心中は決して穏やかではない。当たり前だ。俺は早く、チハルのとこに…。
そこに響く、軽やかな、けれども重い声。
その声が届いた刹那、俺の胸にはなんとも形容し難い感情が巡った。
この感情は感謝なのか、それとも安堵なのかーー。
「…チハル」
「実弥さん」
開いた襖の向こうには一組の布団が敷かれており、その上には疲れた表情のチハルがいる。
「あなたの子です」
腕に抱かれる赤子は、気色悪いほど自分に似ていた。
「あなたと、私の子です」
「…あァ」
ふにゃふにゃと動くその赤子の、父に俺はなったらしい。
「ありがとう、実弥さん」
「…っ」
「私に家族をくれて、ありがとう」
そう言って笑うチハルを、赤子丸ごと抱きしめた。
「…俺の方こそ、ありがとなァ」
きみを見る目の曇り
そんな俺の頬に熱い涙が伝ったことは、きっとチハルも知っている。
fin.