「…もう、だから無理しないでって言ってるのに」
青白い顔をして寝ているカカシの頭を撫でながらつぶやくユヅキ。
ここ一ヶ月ほど家に帰ってこなかったカカシ。正確には帰る暇がなかった。
五影会談から大名などとの会議、重役相談役を集めた定期会議に中忍試験などが重なっていた。
ユヅキもできるだけご飯や栄養剤などを差し入れたもののその甲斐もなく、今日病院で綱手の助手をしていたところ、サクラからカカシが倒れたと伝えられた。
慌てて病室を訪れると過労と軽度の睡眠不足と診断され、そして現在に至る。
「母さん?」
遠慮がちに開いたドアからユリナとカナメが顔を覗かせた。
ユヅキは、心配そうにこちらを見つめる二人を安心させるため、手招きした。
「父さんどうだって?」
「過労と軽い睡眠不足だって。今日一日点滴入れてもらってぐっすり寝たら明日には退院できるってさ」
「そっか。よかったぁ」
「…どうせ寝る暇も惜しんで無理ばっかしてたんでしょ。ったく、もう父さんもいい年なのに」
「まぁまぁカナメ。そうカッカしないの」
半分怒ったように言うカナメを宥めるユヅキ。
ぶっきらぼうな言い方ではあるが、彼は彼なりにカカシのことを心配しているのをユヅキもユリナも知っていた。
「ところでコウタは?」
「コウタ兄は今シカマルさんと一緒に父さんの代わりに書類整理してるよ。それが落ち着いたら来るってさ」
「そっか」
すると呻き声とともにカカシが目を覚ました。
「……あれ、ここは…?」
「病院。過労と睡眠不足で倒れたんだよ。シカマルが運んでくれたんだって」
「…そっか」
「父さん、よかった」
ユリナは寝ているカカシに抱きついた。
カカシはユリナを受け止めつつ、優しく頭を撫でた。
「心配かけてごめんね」
「ホントだよ!だから無理しないでって母さんもわたしもいつも言ってるのに!」
「はは、ごめん」
ベッドの上で起き上がろうとするカカシを止めるユヅキ。
「まだ寝てなきゃだめだよカカシ。今日一日はここで点滴打ってもらって大人しくしてて」
「……家帰りたい」
「だーめ。…って言ってもどうせ聞かないでしょ?」
「…さすがユヅキ。分かってるね」
「まったく。家でなら寝てくれるよね?」
「うん」
ユヅキは医師にカカシは自宅で自分が看ることを告げ、点滴セットを借りて四人で帰宅した。
自宅のベッドにカカシを寝かせ、点滴の準備をしている間にコウタが帰ってきた。
「ただいま。父さん大丈夫?」
「あぁ、悪いなコウタ。書類整理してくれたんだって?」
「したっていってもシカマルさんの手伝いだけだよ。あ、そのシカマルさんから伝言。“めんどくせぇ書類整理はやっとくんで、たまにはゆっくり寝てください”だって」
「…はは。やっぱり寝てないのバレてたか」
バツが悪そうに頬を掻くカカシにため息をつくユヅキと苦笑いのコウタ。
すると隣にあるキッチンからドスドスという音とユリナとカナメの声が響く。
「あ、カナメ兄!それは違うって!お粥に卵は入れないよ!」
「何が違うっての、お粥に卵は必需品でしょうよ。てかおまえが持ってるの砂糖だし。それこそ違うから」
「え、これ砂糖!?塩じゃないの!?」
「………ハァ」
「わ、本当だ甘い!」「おまえ本当バカ」
カチャカチャと食器やらを触る音とそんな二人のやりとりに、カカシとユヅキとコウタは顔を見合わせて笑った。
「…俺ちょっと二人を手伝ってくるよ」
「いいよいいよ、私が行くから」
「いいから。母さんは父さんと一緒にいてあげてよ」
「…コウタ」
コウタはユヅキにパチン、とウインクをして寝室を出ていった。
「よし、俺も手伝うよ」
「…コウタ兄はユリナに調味料片っ端から教えていって」
「……めんぼくない」
子供たち三人の仲睦まじいやりとりに、カカシとユヅキは目を合わせクスッと笑った。
「コウタ、いつの間にか気まで遣えるようになってるなんてね」
「それだけ成長したってことでしょ。…よいしょっと」
カカシはベッドの上で上半身を起こした。
「こら。寝てなって言ったでしょ」
「こんな幸せな空間で寝るなんてもったいなすぎるでしょ」
「…ばか」
とは言いつつも嬉しそうな笑みが隠しきれないユヅキ。
カカシはユヅキを手招きすると、ベッドの上で後ろから抱きしめた。
「あー、この感じ久しぶりだーね。安心する」
「何言ってんの。…ってホントに久しぶりだね。それにしても、倒れるまで無理することないじゃん」
「そうも言ってらんなかったの。ユヅキも知ってるでしょ。で、やっと会談やら会議が落ち着いて気が抜けたんだよ、きっと。うん、そうに違いない」
「ばか。ちょっと休むぐらいならできたでしょ」
「それがさ、ホントに時間なかったんだよ。せいぜい一、二時間の仮眠だけ。ユヅキが持ってきてくれる栄養剤飲んでもご飯食べても全然元気でないの」
ユヅキの背中に頬ずりしながらため息をつくカカシ。
「まぁ栄養剤なんて気休めだからね。やっぱり一番は睡眠だから」
「いや、違うね」
「…何が違うっての?」
「ここ。この家に帰って家族みんなで過ごすのが俺の一番の癒し」
そう言って幸せそうにニンマリ笑うカカシ。
背中越しにも伝わってくる幸せオーラにユヅキの頬も綻んだ。
「さ、じゃあそろそろ寝ようか」
「…だからやだって」
「あなたは誰だっけ?」
「? はたけカカシ」
「そのはたけカカシはこの里のなんだっけ?」
「…火影」
「その火影はこの里のどんな存在だっけ?」
「……父親」
「その父親が早く元気なところ見せないとみんな心配するでしょ。ほら、寝てください火影様」
ユヅキはお腹に回された腕を解くとクルリと振り返り、子供のようにぶすっとするカカシを無視して寝かせ布団をかけた。
「そんな顔してもだーめ。ご飯出来たら起こすからそれまで寝てて」
「……はぁい」
寝たくないとはいいつつもやはり疲れは取れていなかったのか、目を閉じてすぐ寝息を立て始めたカカシ。
その様子を見て少し安心したユヅキは眠るカカシの頬にキスを落とすと、音を立てないように寝室を出た。
「あれ、母さん。父さんは?」
「今やっと寝かしつけたとこ」
「じゃあしばらく寝かせてあげた方がいいね」
「うん、そうしてあげて」
コンロの火を止めたコウタと、四人でリビングの椅子に座った。
「やっぱり無茶してたんだね父さん」
「まぁね。でも無茶しなきゃいけないときもあるから」
「シカマルさんいわく多分ここ一週間まともに寝てないって」
コウタはユヅキにお茶を出し、ユヅキはありがとうと口をつける。
「さっき本人が言ってたよ。さすがシカマル、よく見てるね」
「あ、そうだ。帰る途中に先代に会ってさ。父さんと一緒に明日は休めってさ」
「綱手様が?」
「うん。“明日一日だけ火影に戻ってやるから家族でゆっくりしろ”って。俺も休みになったし」
「…そういえば俺も」
「わたしも!」
ここまで皆の休みが揃うのは、他ならぬ先代火影、綱手の采配だろう。
ユヅキは心の中で綱手に感謝を伝えた。
・
・
・夕方、ユヅキがリビングを離れベランダで洗濯物を取り込んでいると、そこにカナメがやって来た。
無言で手伝うカナメから何か言いたげな雰囲気を感じ取ったユヅキが切り出す。
「カナメ、なんかあった?」
「…」
口布越しにも言いにくそうに口を曲げているのが分かるのは、
さすがカカシの妻でありカナメの母の言ったところか。
ユヅキは手をそのまま動かしながら横目にカナメを見た。
「言いにくいことなら無理には聞かないけどさ、母さんでいいなら話してごらん」
ユヅキの優しい問いかけに、カナメは重そうに口を開く。
「…父さんってさ、どんな忍だった?」
「え?」
思いもよらないカナメの言葉に目を丸くして手を止めるユヅキ。
「…俺、あんまり知らないんだよね」
「何を?」
「…忍としての父さんのこと」
ユヅキは突然のことに驚いたが、カナメがこう言うのも無理はないと思った。
カナメは現在十六歳。はっきりと記憶が残っているのは“火影”としてのカカシのことだ。
カカシが火影になってもうすぐ十年。
その以前に起こった木ノ葉崩しや暁のペインによる木ノ葉襲撃や第四次忍界大戦も幼かった彼の記憶にはおぼろげだろう。
「…昔から修行はつけてもらったしいろんな人から話は聞くけど、俺自身が実戦での父さんを見てないから実感がなくて」
「うん」
「…だから分からないんだ」
「…分からない?」
「……俺が、将来どんな忍になりたいのか」
カナメは俯いた。
「…この前、同期と将来について話してたんだ。そしたらみんな“自分のお父さんみたいな忍になりたい”って言ってて」
「うん」
「それまでは俺も漠然と、父さんみたいな忍になるんだろうなって思ってた」
「うん」
「…でも考えてみたら、俺の中の“父さんみたいな”ってのが何なのか分からなくて」
「うん」
「…強いことはもちろん分かってるけど、直に見たことないからさ」
顔を上げ遠いところを見上げるカナメに、ユヅキは呟く。
「…カカシは強いよ。いろんな意味で」
「!」
カナメはユヅキに目をやった。
「まぁ、こればっかりは私から言っても伝わりにくいこともあるからさ。父さんも明日にはもう体調も良くなってると思うから、直接聞いてみなよ。たぶん、嬉しそうに話してくれると思うよ」
ユヅキはカナメを見てニカッと笑った。
カナメはそんな母親の姿を見て微笑むと、二人で再び洗濯物にとりかかった。
・
・
・翌日の昼間。
昨晩、子供たちが作ったお粥を食べぐっすり寝て体調もすっかり良くなったカカシは、寝室のベッドの上で愛読書を読んでいた。
そこに遠慮がちなノックの音とともにカナメが現れた。
「カナメか。どうした?」
カカシの問いかけに頬を掻いて目をそらしながら呟くカナメ。
「…あのさ」
「うん」
「……父さんの昔の話、聞かせてくれないかな」
突然のカナメの言葉にを丸くするカカシ。
言葉を失ったカカシに、カナメは慌てたように言葉を繋ぐ。
「あ、嫌ならいいんだ、別に。無理に聞く話じゃないし、思い出したくないこともあるだろうから。で、でも、やっぱり、父さんのことは知っておきたいっていうか、その……あー俺何言ってるのかわかんない…」
普段は寡黙に澄ます息子が慌てる姿に、カカシはクスッと笑いとても優しい顔をしていた。
「嫌じゃないよ。何を話せばいい?」
愛読書を閉じてニコッと笑って言ったカカシの言葉に、カナメの顔が一瞬だけだがパッと明るくなった。
そしてカナメがカカシに聞きたいことを伝えていると寝室のドアが開き、残る三人がぞろぞろと入ってきた。
「なになにー?わたしも聞きたい!」
「俺も混ぜてよ。父さんの話なら俺も聞きたい」
「じゃあ私もー」
カカシとカナメは顔を見合わせてクスッと笑った。
「…まったく」
恥ずかしそうにつぶやくカナメにカカシは微笑んだ。
「さて、じゃあ、俺の武勇伝でも話そうかな」
この日はたけ家は、夜も更けるまでたくさんの温かで幸せな笑い声に包まれた。
これ以降、将来について聞かれたカナメは、照れたように、しかし胸を張ってこう答えるようになった。
―――父さんのような、忍になりたい
しあわせ
fin.