俺、佐伯暢は普通の大学生だった。他人と違うことと言えば大学卒業が自分の生まれた国の学校ではないところであろう。通っている大学と連係しているイギリスの大学に二年のとき留学し、色々な面倒な手続きを踏んでその後もそのイギリスの大学に通い、卒業した。あの学校の方が優れていたからだ。実際に触れて、一年では足りないと思った。だから、親に頼みこみ、苦労して書類を書きあげて大学を移ったのだ。事実学べることは多かったし、日本という精神が鎖国的な国に学んだソレらを取り入れたいと思った。それから日本に戻ってきて自分が一年間いた学校の院に入り、大学院生として今を過ごしていた。
それは、まだまだ足りなかった。そう痛感しただけの話だ。(そうして若い時にありがちな過信から、たった二年ぽっちの経験をこれからの人生に流用しながら成長出来ると思っていた)
友人も彼女も人並みに居た。けれど重大な秘密を交換するイベントも、燃え上がるような恋愛をした記憶もない。流され、世間に乗せられ、そんな自分に呆れながら生きてきた。だけどそんな毎日が楽しかった。
彼女は、醜悪でもよほど端正でもない顔が幸いしてかきらしたことはない。当たり前に、漫画のように異性という異性に好意を寄せられるというわけでもなかった。
趣味は読書。別段特別な話ではないけれど、小学校入学前からそれを趣味としている分には、周りの大人達にとって少々奇怪だったろうか。純文学から児童学書、SFにライトノベルだって読んだ。
でも、本当にたったそれだけだ。俺に似た奴なんてきっと、日本中どこにでもいた。
いつものように友人たちで、みんなが次の日午前を空けている日に飲みにいった。次の日彼女とデートだという輩が居て、今日は二軒目までにしておこうとみんなで決めていた。俺は今日連れてくればよかったのに、と自分の彼女の肩を引きよせて笑ったのを覚えている。そのときカラの枝豆が飛んできたことさえ記憶している。顔に当たって気持ち悪かった。
――そうだ。一件目を出て、もう一軒行こう、と会計を済ませてみんなで居酒屋を出たとき、失恋してふらふらになるまで飲んだ友人が千鳥足で車道側に歩み寄っていったんだ。
何してんだよアイツ、という笑い声の中、俺の目を4tトラックのライトが焼いた。トラックは、まっすぐ友人の方へ、引き込まれていくように――
誰も、気付いて、ない?
「――ッ!!」
手を伸ばした。
無我夢中で、昨日一緒に笑った人間の腕を掴んだ。
今日胸元を涙で汚された相手を引き起こした。
さっき、店先で目尻に皺をつくってふにゃふにゃ笑った奴を、自分の後ろへ弾き飛ばした。
うわっ、という酷く緩慢な声。
声にならない叫び声をあげる友人の顔。
一瞬前まで閉じられていた目を見開いて、クラクション音を鳴らすガラス越しのおっさん。多分、もう撥ねられて、体が宙に浮いているんだろうと思った。そうじゃなきゃ4tトラックの運転席なんか見えやしない。
「とおる、くん――ッ」
絶望の表情で、俺と目を合わせた彼女。そう言えば、誕生日に指輪をあげる約束だったのに渡せなかった。ごめん。俺は小さく謝った。バイトで溜めた資金で、買ったには買ったのになあ。
勿体ない。あー、損した。だったらその金でさっき、もっと美味いもの食わせてやりゃよかった。
嬉しそうな顔が見たかった。泣きそうにほころぶ顔が見たかった。大好きだと言ってくれるあの声が聞きたかった。
何人目の彼女だかわからないけれど、今一番好きなのは彼女だった。
ああ、そうだったさ。ああ、ああ――
じゃあ、つまり俺は。
死んだんだ。
それにしたって、生まれ変わりとかそういうのはなしにしてくれよ。せめて記憶を消しておいて欲しかったと、見えもしない神様を怨んだ俺はきっと悪くない。
別に俺、特別善人じゃなかったけど悪人でもなかったと思う。酷い仕打ちだ。ああ、小さな体が頭を軋める。かなしい。
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