「ねえねえ、はるかちゃん! 私プロポーズすることにしたの!」
「へえ、頑張って。誰に?」
「ちょっと! 五年も前から付き合ってる彼氏に決まってるじゃない!」
「ふぅん、ファイト」
「はるかちゃん! 私結婚するわ」
「おめでとう。御祝儀、あんまり出せないよ?」
「構わないわよ。あーもう、お色直し何着よう! ウエディングドレスはレンタルなんかじゃなくて、きちんとしたものを買うことにしたの」
「へぇえ、じゃあじっくり見ようっと」
「やめてよ! 最近太ってきたんだから」
「幸せ太りね。惚気は他でやってよ!」
「えへへ」
やった、やったわ。子供が出来た! 妊娠検査薬は陽性で、私のお腹の中には子供がいる。きっと、いいえ絶対暢君の子よ! 嬉しい、嗚呼、嬉しいな!
「はるか、俺、結婚するんだ。もう、不毛な関係に終止符をつけよう」
「勝手にすれば」
そうよ、だって私のお腹の中には暢君の子供が居るんだから! うふふ、なんて名前をつけようかしら、女の子? 男の子? うふふ、ああ、私幸せ!
「また後日、マンションに荷物を取りに来る。いいよね?」
「どうぞ?」
「うん。……ちょっと飲み物貰ってもいいかな」
「いいわ」
「有難う。……なんでグレープフルーツ? それにジュースも。嫌いじゃなかったっけ」
「別に」
「んっ、ぐ、うぇっ。……は、はぁ、んぶっ」
つわりってホントにツラいのね。ごはんの匂いも駄目だった。でも大丈夫、私は耐えられる。だってお腹の中には暢君の子供が居るんだから。うふふ、大丈夫。ちょっと我慢すれば暢君似のカッコいい男の子が産まれてくるんだから。だから後ちょっとの辛抱よ。大丈夫、大丈夫。
「……はるか?」
ちょっとやめてよ。もうちょっと遅くか早く来てくれればよかったのに。人の家のトイレを覗くなんて最低。しかも私、女の子よ。もう帰ってよ。
「……子供が、出来たの? 俺の」
「暢君の子よ。帰って、貴方には関係ないわ」
「はる、か」
なにその顔どっか行ってよ私たちの問題に口を出さないで。貴方になんて暢君の子供の顔、見せてあげない。私の友達と結婚する貴方だから、貴方が居ないときに遊びに行くわ。ああそうだわ、彼女にも教えてあげなきゃ。そうよ、彼女は確か暢君のこと知ってたわよね。目の前の男が暢君の友達なんだから、そうよね。きっとよく似てるって言ってくれるんだわ。でも私より彼に似てほしいな。
「はるか、落ち着け。はるか、違うだろ」
「何が違うっているの、どうして顔が引き攣ってるの? 暢君の子よ」
「聞け! はるか、暢は!」
「聞きたくないわ喋らないでなによ言わないで聞きたくないききたくないききたくないきき、ッ」
「暢は、アイツは五年も前に! 一週間前にセックスをしたのは、俺とだ! 暢じゃない!」
「ちがっ、違う! 暢君の子よ!」
「はるか、君は五年も前の相手の子が出来ると思ってるのか!! 出来るはずがないだろ! 子供が出来たんだったら結婚はしない、責任も取る。彼女にも絶対近づけさせない」
「いらない、いらないいらないいらない! 暢君の子が出来たのよ! どうして邪魔するの嘘つくの大嫌い、貴方なんて大嫌い!」
「はるか、よく聞け! アイツは!」
「やめてっ――」
「五年も前に、死んだんだ!」
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 暢君が死んだわけないどうしてこの人はこんなに酷いことを言うの! 彼の友達じゃないの!? それなのにこの人は私と不貞を……! あれ、不貞、を? どうして、私はこの人と不貞を働いたんだっけ? 私には暢君が居て、この人にも私の友達っていう彼女が居た。なのに、あれ……? どう、して?
「あ……あ、ああ……」
「はるか、言うんだ。暢は死んだ」
「暢君は……!」
私は泣き崩れてこの人にしな垂れた。この人は私の背をぽん、ぽんとリズムよく叩いた。
「暢君は、貴方より優しかった」
「うん」
「手があったかかった」
「うん」
「頭だって良かったし、運動神経もよかった」
「うん」
「私のことはなんだって知っててくれたし、覚えててくれた」
「うん」
「キスも貴方より上手だった」
「うん」
「セックスだって貴方よりずっと上手だった」
「うん」
「でも、でも……暢君は一度だってゴムをつけなかったことはなかったわ」
滲む視界に我慢が出来ず、泣き始めると彼は背中をさすってくれた。手は暢君ほどあたたかくはなかったけど、それでも充分気持ちよかった。
そんなことを考えるのは、私の心が暢君から離れていっている、証拠?
「暢は、あのとき25歳で俺達はもう30歳だ。それにあのときは学生だった、責任なんてとれるはずもなかったんだ」
私は返事もせずに立ち上がった。ふらりと体が揺れて、栄養が足りてないのかもしれないと思いあたった。でも、取り敢えず今はどうでもいい。
「お、おいっ、はるか? なんで外に……!」
ふら、ふらと体の軸が決まらないまま歩いて、私はマンションの階段をゆっくりと上がった。
カツン
カツン
カツン
ヒールに階段が余韻を残したけれど、それを楽しむこともせずに私は錆びついた屋上の扉をあけた。
「はるか!? どうして急に、」
私はフェンスに手を添えて、遅れて来た彼に笑い掛けた。彼は顔を真っ青にして戦慄いた。
「結婚、おめでとう」
「はる……」
「『はるか』なんて呼ばせたの、他人では貴方が二人目よ」
「馬鹿なことは止めるんだ! なあ、大丈夫だから! 俺は、お前のことを愛してる、子供が出来たから仕方なくなんてことはない! だから!」
「私は、暢君が生きていたら、普通に付き合って、多分別れたと思うわ。そういう付き合い方だったもの。その時は愛してるし好きだけど、きっと別れる。女だもの、それくらい分かるわ。それに彼も賢い人だから、きっと天国で分かっているのでしょうね。自分の感情に蓋をする人だけど、落ち着けばすぐに理解できる人だったから。いい人だったなあ、誕生日に買ってくれるって言ったピンクダイヤ、一か月前だったのにもう買ってあったのよ? 彼の部屋で見つかったっていって、渡されたわ」
私は右手の薬指に嵌めた指輪を彼に見せた。左手につけられるだけ、子供でもなかった。彼が生きていても、死んでいても。多分、純粋に他意なく、指輪を嵌めてくれたとしても左手の薬指にはつけてくれなかっただろう。そういう人だった。格好いいけど、それ以上に泣きたくなる人だった。
「だけどね、私の、彼への愛が途切れる前に彼が死んでしまったの。もう、どうしようもないわ。私、彼から終わりを告げられてないのに彼への愛を自分で締め切ってしまうことは我慢できないの。それは、罪だわ。許されない。彼への罪じゃないのよ、冒涜じゃないの。これは、世の中の厳然たるルールなのよ。彼が許したって、私は絶対に許されない」
私は微笑み、フェンスを乗り越えた。彼は手を伸ばしたけれど、馬鹿だなあ、そこからじゃ届くはずもないのに。でも、
「ありがとう」
きっと、彼と普通に付き合って普通に別れていたら、貴方を好きになっていたのよ。なんて、絶対に言わない。このお腹の中の子供の父親は、雁字搦めになって、結婚さえ止めてしまうだろうから。普通の幸せを掴んで、死ぬときは子供と妻に手を握られながら、そんな死に方が似合っているわ。
嗚呼、それにしても、暢君は私のことを天国でまだ覚えているかしら。覚えていない方が、嬉しいなあ。だって覚えていたら、私がただただ惨めじゃない。
彼は、忘れていてくれた方が嬉しい。時々記憶を掠める程度でいいのだ。もう愛し合う、なんてこそばゆいわ。鳥肌並みに。
それでも私は彼を、未だに愛しているの。バカでしょ?
このお話の続きは、誰も知らなくていい。
11.8.1
さよなら
prev next