07




特に何事もなくくぐり抜けることができてしまった猛唇の先は、長い通路だった。壁にはギロチンの描かれた絵がかけられている。何枚もあるその絵の中のギロチンは進むにつれて少しずつ持ち上がっていき、最後の1枚になるとついに絵の中から消えてしまっていた。なんだか、嫌な予感。

「イヴ、走るよ」
「うん」

ぎゅっと手を繋いで、柱のようなものしか描かれていない絵の前を駆け抜ける。途端に何かが風を切る音が後ろから聞こえた。恐る恐る振り返ると、床に突き刺さった大きなギロチンが少しずつ吊り上げられていく現場を目撃する。

「うわぁ……」

思い切って走ったのは大正解だったみたい。ちょっとでも躊躇していたら今頃はあれの下敷きだったのかと思うとぞっとする。あんなの一撃でゲームオーバーだ。

「……っ!」

後ろを見ながら階段を下るというある意味とても危険な行動をしていると、前を歩くイヴが息を飲んだことに気付く。慌てて私も前を見たけれど、階段が終わることくらいしかわからなかった。

「どうしたの?」
「いま、黒いのが……ううん、なんでもない」

先に階段を下りきって曲がり角の向こうを見つめていたイヴに声をかけると、最初は何かを言いかけたのに結局言葉を飲み込んでしまった彼女に眉をひそめる。やっぱりそうやって溜め込んで……。でも、イヴはもう切り替えてしまったのか壁にかかった『息吹』という絵を眺めている。変に蒸し返すのは止めた方がいいだろう。再び歩き出したイヴのあとを追いかけて通路を進み、赤い扉を押し開いた。

「わ、たくさんあるなぁ」

そこは、まさしく美術館の一室のような部屋だった。広々とした空間に、見覚えのあるようなものからなんだかよくわからないものまで、いろいろな彫刻や絵画が飾られている。とりあえず壁沿いに歩いてみると、突き当たりに変わった作品を見つけた。まあどれも大抵変わってるんだけどそれは言わないことにして。ただ1本線が引かれただけのその絵のタイトルは、

「『心の音』……!?」

どくん。タイトルを何気なく読み上げた途端、まるで心電図のように絵が波打つのと同時に心臓が鳴るような音が聞こえた。本当になんでもありな世界だなぁ。もう一度タイトルを口に出すともう一度同じ反応をしたその絵に、驚くよりも感心してしまう。

「うーん……このドア、カギがかかってるみたい」

私がそんなことをしている内に、相変わらず行動派のイヴは見つけた扉のノブをがちゃがちゃといじって肩を落とした。私もそっちに駆け寄って試してみたけれど、どんなに頑張っても開かないので一旦諦めた。

「鍵、探してみよっか」
「うんっ」

イヴと2人で、さっきまで私が見ていたのとは逆の方に進む。一番奥に飾られていた絵には見覚えがあった。『赤い服の女』。赤いドレスを身にまとった、赤い瞳を持つ美しい女性の絵だ。でも鍵は落ちていないみたい。くるりと背を向けて歩き出した次の瞬間、後ろでがしゃんと不吉な音がした。ガラスが落ちて割れるような、そんな。2人で顔を見合わせてから、思い切って一気に振り返る。

「……!」
「うそ、なんで絵が動いて、」

視線の先にいたのは、『赤い服の女』。ただし、ただの絵であったはずの彼女の上半身が絵の中から抜け出していて、その白い腕を使って床を這っているという異様な光景だけれど。ぎらぎらと欲望をみなぎらせる赤い瞳が捉えているのは、どうやら薔薇の花のようだ。
それだけならただがむしゃらに逃げればいいだけだった。しかし、『赤い服の女』の向こうには赤い鍵が落ちていた。きっと絵と一緒に落ちたのだろうそれは、十中八九さっきの扉を開く鍵だ。

「私が逃げるから、イヴはあの鍵でドアを開けてみてくれる?」
「……がんばってみる」
「ありがと。それじゃあ、いちにのさんっ」

声を合図にして、私は『赤い服の女』に自らの薔薇を見せつけてからイヴと一緒に走り出す。思惑通り彼女の意識は完全にピンクの薔薇に向けられたようだ。途中でイヴが横道に逸れたのを気にもとめずに、がりがりと額縁を床に引きずりながらも私のことを結構な速度で追いかけてくる。髪を振り乱して這いずり回るその姿に、絵だった頃の美しさは欠片もなかった。

「リーシャ、開いたよ!」

イヴの声を頼りに、開いた部屋の中へと逃げ込んで勢いよく扉を閉める。『赤い服の女』が無理やり押し入ってきたりはしないことを確認し、背中を扉に預ける形でずるずると座り込んだ。

「はぁ、は……こんなに走ったの久しぶり……」
「大丈夫?」
「私も薔薇も大丈夫。ただちょっとだけ疲れたから、休憩させてほしいなぁ」
「……、それって大丈夫って言うの?」
「あは、もしかしたら言わないかも」

軽く笑って瞼を下ろす。単純に走り疲れたというよりも、真っ赤な女の気迫に圧倒されたというのが大きかった。大丈夫、体力には自信がある。もしまた追いかけられることがあっても、今度はイヴに心配をかけさせないようにできるはず。





20120610



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