趙天佑編
「あれぇ?」
「あっ…。」
誰かに話を聞いてもらいたいと思って来たけれど、まさかの人がそこにいて思わず帰ろうかと悩んでしまう。
私がここに来たということは駄目だったということの証明。趙さんもそれは知っていることなので私の顔を見て察したようだ。
「…とりあえず座ったら?」
「いや、今日は帰ります。」
「ちょっとくらいいいじゃん。時間はあるでしょ?」
あえて何があったのかは触れずにしているのだろうか。趙さんは隣の空いたスツールを叩きながら手招きを。私は観念したように隣に座る。マスターにはいつものをお願いしますと伝えるとすぐに目の前にグラスが置かれる。
「じゃあ、乾杯。」
「乾杯…。」
かちんとグラスの音が鳴り私はグラスを一気に飲み干す。ふぅ…と一息つくと趙さんはいい飲みっぷりじゃんと言っている。強い方ではないけれど、今日は飲みたかった。飲んで忘れてしまえば痛みは伴なわない。すぐにグラスに新しい酒が注がれる。次は少しゆっくりと飲んで一息。趙さんはその様子をただ見ている。
「で、駄目だったの?」
「…はい。」
グラスを見つめると自分の情けない顔が映し出される。本当はこんな風に趙さんに言いたくなかったのになぁとそんなことを。今回のバレンタインは珍しく手作りチョコを作った。本当は既製品でも良かったのだが、趙さんが作るなら手伝ってあげるよと言われて手作りにすることにした。手伝ってもらった甲斐もあって完成されたチョコはかなり出来の良いものになったと思う。
「折角趙さんにも手伝ってもらったのにすみません。」
「椿が謝ることはないって。でもさぁ、折角作ったのにもったいないよねぇ。」
「いいんです。その人にとっては要らないものだったんですから。」
「良くないよ。あっ、そうだ!折角だから今食べようよ。」
「えっ…。でも…。」
いいからいいからと言われて趙さんは紙袋に入ったチョコを取り出す。箱を開けると綺麗なチョコが並んでいる。言われなければお店で作られているものと相違ない非常によく出来たチョコだ。
「ほんと、馬鹿な男だよねぇ。そいつ。」
チョコを手に取って愛でるように口に入れる趙さん。すぐに美味しいねぇと言ってお酒のツマミにしている。
「椿は食べないの?」
「あっ、じゃあ、私も。」
摘まんでポンと口に入れると優しい甘さが広がる。甘すぎない方がいいかもねぇと趙さんと相談しながら作ったこと思い出した。色々試行錯誤しながら作ったチョコ。今考えるととても楽しい時間だったことを思い出す。
「最後俺が食べちゃってもいい?」
「いいですよ。」
気づけば箱の中に入っていたチョコは最後の一粒に。
「ありがと。今年は良いバレンタインになったよ。」
「そうですか…。」
私にとっては最悪のバレンタインなのに趙さんはご機嫌のようだ。曇る私に趙さんはふふっと笑いながらグラスを傾ける。
「だってさぁ、本命チョコもらえたんだから。」
「えっ…。」
「俺にしなよ。絶対不幸にしないから。」
「趙さん、酔ってます?」
「全然。シラフだけど。」
趙さんは笑うのを止めて真面目な顔で私を見る。その視線を反らすことはできず、私はそのまままっすぐ趙さんを見る。
まだ癒えていない。でも…。
「…前向きに検討させて頂きます。」
「何それ?でも、いっか。」
趙さんはぐっと距離を詰めて私の耳元に口を寄せる。
すぐに本気にさせちゃうよ、俺
痺れるようなものが身体に走る。思わずスツールから落ちそうになるのを何とか堪えていると趙さんは笑っている。
本当によく分からない人。でも…。
前向きに考えてもいいかも。もう1回乾杯しませんかと趙さんに提案をしてお酒を一口。うん、美味しい。傷ついた心が癒される優しいお酒の味がした。
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