大人だってはしゃぎたい

今日の柏木さんはちょっとそわそわしている。特に何か予定があった訳ではないが、連絡があって、事務所まで来た。ここから見る景色は格別で今日も変わらず神室町のネオンは煌びやかだ。そして、今日はいつもよりもオレンジの灯りが多い。

そうだ、今日って確か。

「柏木さん、もう少ししたら外に散歩に行きませんか?」

「今日はいつもより人が多い。」

「じゃあ、止めておきますか。」

折角、柏木さんとの束の間の逢瀬だからと思ったのに、仕方ない。ヤクザといえば派手なイメージだが、柏木さんは人混みや騒がしいものをあまり好まない。舎弟の人から聞いた話によると、昔は一端、切れると手がつけられなくなってしまう人だったとか。うーん、全くそんな感じが今はない。少なくとも、付き合ってから一度も手を上げることも、声を荒げて叱責されるようなことはなかった。

カタギの男の人よりも、随分優しい人だと思う。

口に出してしまうとお互い気恥しくなってしまうので、決して口には出さないけれど、いつも柏木さんがくれる些細な優しさを心の中の大切な部分に独り占め。後で振り返ると、とっても暖かい気持ちになれる。本当にいい人だ。

そんな柏木さんの様子が今日はおかしい。聞いてみれば、それまでなのだが、聞かないでくれと言っているような節もある。もどかしいなぁ、歯痒いなぁ。こういう時に大人の女の人だったら、うまく柏木さんの方から引き出す術を持っているのだろう。生憎、私にはそんなできる女のスキルは持ち合わせていない。どこにでもいるカタギの女-それが私。

「ちょっと、喉が渇いたんで飲み物買ってきてもいいですか?」

「あぁ…。いや…。」

歯切れの悪い返答が。行っていいのか悪いのか。こういう曖昧な感じはいつもの柏木さんではまずない。うん、やっぱり、何か変だ。疑惑は確信に。でも、謎は解けない。いつも通りを装う柏木さんの顔をじーっと見つめるが、変化はない。

もしかして、別れ話…?

ぐるぐるとあらゆる可能性を探っては見たが、分からない。そして出た結論がこれ。思いたくはない可能性の筈なのに、これかもしれないと思い始めると疑心暗鬼の気持ちが先行してしまう。

私のどこが嫌いになったんだろう。…私、まだ、別れたくない。

気を抜くと泣きだしそうになってしまう熱くなった目頭を隠すように、お手洗いに行ってきますとだけ告げて、部屋の外に。そして黙って、事務所の外まで出てきてしまった。外は楽しそうにしている人達で溢れている。

そう、今日はハロウィン。

少しだけ歩けば、気持ちは落ち着くかもしれない。今は、まだ柏木さんと顏を合わせたくない。少しだけと自分に言い聞かせて、人混みの中に紛れていく。

◆◇◆

彼女とは一回り以上離れているが、年齢のことを気にしたことはない。気にするとすれば、他者から言われた時だ。そう、別に大したことはない。好きになったのが彼女であって、たまたま年齢が若かっただけ。でも、心のどこかでは、気にしていたのかもしれない。彼女よりも年齢が上だからしっかりしていなければと。

だからこそ、言えなかった。

今日が、ハロウィンだから、椿にコスプレをして欲しいだなんて。

これが、真島とかなら違うのだろう。いつもの陽気なテンションで女に言ってそうなのが手に取るようにわかる。しかし、俺はあいつとは違う。こういう時にさらっと言える器量が時々羨ましくなってしまう。

だからこそ、ぎこちない感じになってしまった。

戻ってきたら、いつものように冷静でいろと自分に喝を。そう、コスプレなんて若者のすることだと言い聞かせて。

しかし、遅い。

さすがに30分近く経っている。女性のトイレ事情に詳しい訳ではないが、さすがに遅い気がする。近くにいる舎弟に声を掛けて、見に行かせると、案の定、予感は的中。

「姐さんだったら、さっき、外に出ていかれましたよ。」

「なんだと!」

溜息を零しながら、すぐに連絡を取るが、鳴ったのは今、自分のいる場所で荷物は置いたまま。もう、夜は寒い時期になっている。彼女の持ってきていたストールを手にして、自分も外に。入れ違いになるかもしれないけれど、このままここにいても、変わらない。人混みを掻き分けて、彼女の姿を見つけることに。

◆◇◆

飲み物とお菓子だけ買おうかな。黄色い看板が目印のお店の前まで来て、ようやく少しだけ気分はましに。そういえば…。結構、時間が経ったから柏木さんから連絡が来たかもしれない。そんな事を思いながら、今の自分の状況を悟る。

私、何も持ってきてない。

着の身着のままで出てきてしまったから、携帯はおろか、財布もない。何やってるんだろう、私。結局、柏木さんを心配させてしまっている。引き返そうとしていたまさにその時だった。

「そんな格好で、風邪でも引いたらどうするつもりだ。」

「柏木さん…。」

私の肩にストールを優しく掛けて、少し息を切らして焦った顔をしている。その様子で、あぁ、やっぱり心配かけてしまった。ごめんなさいとぽつりと呟く。

「いや、謝るのはこっちの方だ。」

「えっ…?」

「今日の態度は大人げなかった。これからは、自制するようにする。」

「柏木さん…。」

謝ることじゃないのに。こういう所なんだ。柏木さんの優しい所。でも、時々思うことがある。それって、結局、私が甘えていることじゃないのかと。釈然としない気持ち。折角、お互い冷静になっているのだから、ここは言った方がいいのかもしれない。今の空気なら言えそうな気がしていた。

「柏木さん、謝らないで下さい。私、甘えてたんです。もっと、私にも甘えてください。」

「…………。」

すると、黙って考え込んでしまう柏木さん。そんなに何か思いつめることを言ってしまったのだろうか。そんな風に思いながらも、私はいつも好きと言ってくれる笑顔のまま柏木さんを見つめる。

「……椿、本当にいいんだな?」

「いいですよ。」

妙に念押しするような言葉で少しだけ緊張したが、即答できた。すると、柏木さんは、私の手を引いて、ディスカウントショップの中に。

真相は店の中に。









「柏木さん、あの…。」

「わかってる。椿、あともう少し考えさせてくれないか。」

私が口を挟むのは良くないのかな…と思いながらその姿を見つめる。真剣な面持ちでコスプレコーナーに立っている。いつもの柏木さんとは違う。かっこいいのは変わらずだけれど、少々、滑稽なようにも見える。ひとつひとつ丁寧に衣裳を手に取りながら悩んでいる。

「柏木さん、一つに絞らなくてもいいんですよ。」

「その手もあったか!」

嬉しそうに何個も手に取り、笑顔を浮かべる柏木さん。カゴに入れるだけ入れて満足している柏木さんをよそに、生まれる懸念。

これ、全部、私が着る事になるんだよね。

その夜の私は着せ替え人形のように色々な衣装を着られて楽しかった。しかし、それだけで済むことは当然なく、柏木さんからの多大なる愛を受けたのであった。

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