ナイトフィッシング
恋と釣りは似ているような気がする。
餌をつけて竿を投げたらあとは天に任せるのみ。
ある程度の努力は必要だが、最後は運とタイミングだ。
今の私もちょうど、餌を投げてかかるかかからないかを見定めている所だ。
でも、からっきし反応しない。
そう、相手は大物だ。
「ほんでな、そんときの桐生チャンの顔がほんま、おもろかってん。」
「そうなんですね。」
ファーストアタックは良かった筈。だからこそ、こんな風に隣でグラスを傾ける関係になった。でも、それ以降はこの時間が続くだけ。適当にグラスを空にして解散する流れが当たり前に。次のステップまではなかなか難しい。
そう、餌を投げるだけでは無理なのだ。
適度に竿をゆすったり、ポイントを変えたりしなければ。
男の人は揺れるものに弱いと聞いたけれど、本当なのだろうか?
無理してつけた大振りのピアスは痛みを伴い、空振りしている。身の丈に合わないことはわかっている。けれど、諦めたくない。それが今の恋。
「ほな、気を付けて帰るんやで。椿チャン。」
「真島さんもね!」
何度、この背中を見送っただろうか。いつも同じ。そろそろ何か違うことをした方がいいのか。もう少しだけ勇気を出して帰りたくないと一言言えば…。でも、怖いんだ。拒絶されたらきっと立ち直れない。もう、会うことはない。今のままぬるま湯の関係でいる方が楽で心地よいと感じてしまっている現状。
何か、変化を起こしたかったんだ。
それが些細なことだとしても。
書店のコーナーに並ぶ難しい書籍。心理学のコーナー。果たしてそれがあの人に通用するのかは分からない。けれど、やってみないと分からない。並ぶタイトルからいくつか気になるものをぺらぺらと捲る。しっくりきそうなタイトルの本がひとつ目に入る。取ろうと手を伸ばすが…。
「ネエチャン、悪いな。」
お先にと言わんばかりに大柄なスキンヘッドの男性に先を越されて目的の本にありつけることはできず。結局、そんな小手先だけのテクニックでは駄目なのだ。諦めて約束の場所へと足を向ける。
「おぉ!先に飲ませてもらってるで。」
「今日は早いんですね。」
予定の時間よりは少し早かったけれど、逸る気持ちが先行して身体が汗ばむのを感じる。ハンカチで軽く汗を拭い、不快に感じる長く伸びた髪をそっと束ねてクリップで纏める。真島さんはそんな私の一連の流れを黙ったまま見ている。
「何か変ですか?」
「アカン、アカン!」
「えっ?」
私には関西弁の意味がまだまだ分からない。だから束ねている髪が変なのだと思った。クリップに手を掛けるとちゃうちゃうと声が掛かる。私が怪訝な顔になっていると真島さんは言葉を紡ぐ。
「めっちゃええっちゅうことや。」
「これですか?」
アップにしている髪を指さすとそうやと答えが。真島さんは私の項の部分を見ながらそういうのに弱いんやと一言。今まで色々試してきたのに、まさかこんなベタなものが真島さんの好みだとは。本当に男心というのものは永遠に理解できない気がする。
舐めるように私の項を見る真島さん。ようやく汗が引いてきたのにまた身体がぽっと熱くなりそうだ。紅く染まる頬をそっとハンカチで隠す。真島さんはそっと煙草に火を点けてふぅ…と紫煙を燻らせる。いつもと同じ感じなのに今日はなんだか違う空気がしている。
そう、大人のような。
吸い殻をぐぐっと押し付ける様に灰皿に置くと真島さんは私に声を掛ける。
「今日はまだ時間あるんか?」
「はい…。」
「ほんならちょっと行こか。」
いつもなら別れる道なのに今日は違う。真島さんは私にそっと手を差し伸べて、私はその手を握る。
ようやく餌が掛かった。でも、まだ油断してはいけない。大物は気を抜いてはいけない。リールが切れたり、ロッドが折れたりするかもしれないのだから。
「真島さん、楽しいですね。」
「せやな。」
本当は好きと言いたい所をぐっと抑える。そう、忍耐。
恋と釣りは似ているのだから。
「あ、あの人!」
「何や、知り合いやったんか?」
書店にいた人はどうやら真島さんの知り合いだったようで、真島さんに挨拶をしている。私の中では恋愛本を見ていたいかつい人の印象。あの本のご利益がこの人にはあったのだろうか?
「真島さん、また俺、モテちゃいましたよ!」
「おぉ!ええのぅ!」
どうやらご利益はあったようで何より。これからデートだというそのスキンヘッドの男性を見送り、私達も歩き出す。
「椿…2人でゆっくり話せる所にいかへんか?」
「…はい。」
初めて呼ばれた呼び捨ての名前。手を握る力が強くなってじっと見つめられる。さぁ、釣りもそろそろ後半戦。逸る気持ちをそっと抑えているが、鼓動が早くなるのを感じる。ようやく言えなかった言葉を言える時がきたようだ。
時は満ちた。
あとは思いっ切りリールを巻くだけ。
ネオン輝く大人の城の中に私達は溶けていく。
[*prev] [next#]