01

逸る気持ちを抑えながら長い廊下を進む。
いつもそうだ。恋をしている時は気持ちが高まって突っ走りたくなる。そして会いたくなる。
例えそれが相手にとって取るに足りない雑用であったとしても。会えるだけで幸せ。
それが恋で私の場合はそれが一方通行である。

カツカツとヒールの音をさせてドアの前に来て一端動きが止まる。
中から聞こえる2人の男性の声。
一方は私の想い人の声。そしてもう一方は知らない人の声。そして聞こえる支配人の声色。
いつもは怒っている感情をあまり出さないのに今、聞こえてくる声は怒っているような乱雑な声。

珍しい。ただそんな事を思った。もしかすると私が普段見ている姿は本来の姿ではないのかもしれない。恋をして麻痺している脳はそんな新たな姿を見たとしても幻滅などしない。寧ろ知れたことでより一層気持ちが高まる。私だけが知っている姿だなんて。

そんな脳内お花畑状態だったが、すぐに現実に戻される。
目の前には見知らぬ男性が一人。思わずその姿を見て後ろに足が動く。顔は笑っているのに目は笑っていない。まさに感情が読めない、何を考えているのか分からないといった印象。

「立ち聞きはよくねぇな。お嬢ちゃん。」

ポンと私の肩を叩いて颯爽と歩いていく。特に何も怖いことをされていないのに、背中には冷や汗が。一端、呼吸を落ち着けてドアをノックする。
椿チャンか?ええでという声がしてドアを開ける。

そこには愛しき人の姿。煙草を口にしたその様を見るとさっきまでの怖い気持ちなんて一瞬で吹っ飛んでしまう。思わず溜息が出てしまうその惚れ惚れとした姿。やっぱりこの人はかっこいい。口には決して出せないけれど思わずそんな事を。

そしてまたもや現実に戻される。机に置かれたケージに目がいく。
ピヨピヨと鳴く声。そして目の前に現れる黄色。

「支配人、この子…。」

「それはな…。」

眉間に皺を寄せて困ったような顔をする支配人。そして語られていく言葉。先ほどのオーナーが置いていったインコ。どうやら用事ができたようでしばらく支配人に預かってほしいとのこと。支配人は飼育経験がないので途方にくれていたということ。

言葉が紡がれていく内に私の心は決まっていた。

「支配人、私、飼ってたことがあるんですけど。良ければお手伝いしましょうか?」

「ほんまか!椿チャンが構わんのやったら手貸してもろてもええか?」

「はい!」

私は狡い。この目の前の鳥を前に思う。こんな口実でちょっとでも支配人に近づけるなんてそんな事を思っているのだから。鳥籠の中でピヨピヨと鳴くインコにそっと外から触れる。ごめんね…。利用するなんてことしてとそんな言い訳を込めてそっと優しく背中の羽に触れた。

◆◇◆

結局、GRANDには置いておくことはできず、支配人は家で面倒をみると言っていた。私は飼育に必要な分の餌や鳥籠の中に必要なものがあることを伝えて一緒に買い出しに。こんな風に支配人と蒼天堀の街を歩けるなんて。まさに夢のようだ。

「ほんなら、ここでええで。後は俺が何とかする。」

「でも、折角なんで鳥籠の中を掃除だけさせてもらえますか?」

「ほんまにええんか?帰るの遅なるで。」

「大丈夫です。明日は休みなんで。」

そういって支配人はなんか悪いなぁといいながら好きなん買ってええでとコンビニに。ちょうど支配人もまだ食べていなかったようで一緒にカゴの中に。そして会計が終わり、一緒に支配人の家に。

「開けてくれるか?」

カゴを持ったままの支配人から鍵を受け取り、お邪魔しますと一声かけて部屋の中に。ここが支配人の部屋。感慨深い気持ちになると共に殺風景な部屋だという印象。そして思ったこと。夜の帝王とも呼ばれる支配人の家がこんなアパートだなんて。GRANDの稼ぎはすごい筈なのに。単純な疑問が浮かぶ。

「こないボロいアパートやから驚いたか?」

「いや…なんとなく意外だなぁって。」

こんな時にもっと気の利く言葉が出ればいいのにでない。普段の仕事なら相手の喜ぶ言葉がたくさん出るのに。結局それは全て営業トークという名のお世辞。要は想いがない言葉。本当にどうしていいか分からない状況では言葉は出ない。そしてどう伝えていいのか分からない。それが好きな人であれば尚更。

「支配人、とりあえず掃除しますね。」

誤魔化すように私は鳥籠に顔を向ける。聞けばいいじゃん。でも聞けない。やっぱりいつも支配人を見ていて思う見えない壁を感じる部分。きっとそれは触れてほしくないというサインだと思う。そっとインコに触れるとまたピヨピヨと可愛らしい声で鳴いていてなんだか慰められているようなそんな気持ちに。

「あの、この子の名前は?」

「聞いてへんわ。何でも好きなんつけてええで。」

そう言われてすぐには浮かばずとりあえずぴーちゃんと名付けて私の手に乗ってくる。飼い主の人に懐いていたのか手から肩にとんと乗っている。その間に私は新聞紙を取り換えて新しいものに。買ってきた餌をエサ入れに。そして水も新しいものに。

「慣れとるのぅ…。」

「あ、ありがとうございます。」

支配人が私の傍で声を掛けてきたことで驚きながらもそっと紅くなる顔を隠す。ぴーちゃん、できたよと告げると嬉しそうにカゴの中に戻っていく。どうやらぴーちゃんは賢い子のようだ。

それからコンビニで買ってきたものを開けて2人で何気ない会話をして楽しい時間はあっという間に過ぎる。本当はもっと話したかったけれど支配人も寝る時間もある。そろそろ頃合いだ。

「ぴーちゃんは寒いのが苦手なので部屋の暖かい場所に置いてあげてください。あと、窓を開けたまま外には絶対出せないようにしてください。」

「おぉ、わかったわ。」

必要なことを話してあとは帰るだけ。最後に鳥籠にいるぴーちゃんにバイバイと告げる。指を入れるとつんつんと嘴を当ててくる。やっぱり可愛い子だ。支配人にお疲れ様でしたと告げて靴を履いていると後ろでに声が。

「椿チャン、やっぱり手が空いた時でええから…」

「えっ…。あ、はい。」

その日の帰りはどうやって家まで帰ったのか覚えていない。思い出すのは支配人とまた2人だけの時間ができる。2人だけの秘密の時間が。それだけで頭がいっぱいでやっぱりまた脳内がお花畑のようになっていた。

それからの生活は本当に一遍してただ幸せだった。仕事の合間に支配人と話す機会も増えていつの間にか鍵まで渡されるようになった。そして今は支配人の部屋で1人ぴーちゃんと過ごしている。幸せだなぁ。ほんの数日前には支配人をそっと見る事しかできなかったのにこんな風に一気に距離が縮まった。

でも、それだけ。

ぴーちゃんが繋いだくれた縁だけどそれ以上でもそれ以下でもない関係のまま。何気ない会話をして帰るだけ。だからこそちょっとでもこの関係に進展が欲しい。今日もそんな事を思いながら自宅で作ってきたおかずをテーブルに置いておく。口に合えばいいな。おいしいって言ってくれればいいな。そんな事をふと思う。

ピヨピヨ…。
そんな不安な私の気持ちを察しているのかぴーちゃんは優しい。一方通行の恋でもいいやなんて思っていた気持ちはすでに大きく膨らんでいつこの想いが漏れてしまうんだろうと今はその気持ちを抑えるので必死だ。

「ぴーちゃん、私、支配人の事が好きなんだ。」

毎日こんな風に伝えることができない思いをぴーちゃんに代弁するだけ。今はそれをすることでこの膨らんだ気持ちを抑えている。そっと鳥籠を開けると肩に乗ってピヨピヨと鳴いているぴーちゃん。可愛いなぁと思いながらいつの間にか瞼がそっと閉じて眠りについていた。

◆◇◆

…チャン、椿チャン…。

耳元で何か声が聞こえる。徐々に覚醒してくる脳。そしてうっすら目を開けて自分に家ではない天井を見て、あ、寝てしまったと思いながら目の前の映像がクリアに。

「…支配人。」

目の前には仕事を終えた支配人が。疲れとったんやなぁと言いながら支配人は窓を開けて煙草に火を。そしてテーブルを見るとすでに空になっている容器。そして気づく。

「支配人!!ぴーちゃんは!」

そう、鳥籠がないことに。支配人は飼い主が戻ってきたから返しに行っといたと一言。そうか。まるで長い夢から醒めたようにここ数日の楽しかった日々が終わりだという現実を突きつけられる。

「起こした方が良かったか?」

私の暗くなった顔を察して支配人はすまんかったのぅ…と言っている。勿論、ぴーちゃんとのお別れも寂しかった。けど…。

「いえ…。あとこれ返しておきますね。」

テーブルに鍵を置いて私は立ち上がる。楽しかったなぁ、ここ数日。でもまたいつも通りの日常が始まるんだろうな。お疲れ様でしたと靴を履いてドアを開ける。

「椿チャン!」

思ったよりも大きな声で呼び止められて私の動きが止まる。私は支配人をじっと見る。支配人も私をじっと見る。少しの沈黙。そして…。

「椿チャン、おかずおいしかったで。」

「ありがとうございます。」

喜んでもらえて良かった。そう、それだけでいいのに。

「良かったらまた作ってくれへんか?」

「えっ…。それって…。」

それでも人は期待してしまう。また次があるんじゃないかということに。
そっとテーブルに置かれていた鍵は再び私の手に。

「また作ってきます。」

今はそれだけ。ただ手のひらに入れたこの鍵をぎゅっと掴んでまた次のステップに。紅くなった顔をそっと隠して。

本当の恋はこれから。



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