カウントダウン
ようやく全てが終わる。これで最後。本当にここまでの道のりは長かった。
2年ぶりの煙草を口にようやく全てが終わるのだという実感。
深く息を吸って肺に煙を送り込む。そして深く吐く。
懐かしいその紫煙と共に用意していたものを手に真っすぐ狙いを定める。
さぁ、これで終わり。全て終わり。
ようやく自分はこの長かった闇から光へと進める。
さようなら、真島さん。
縛り付けた椅子で項垂れた男にそう一言、告げて引き金に指を滑らした。
◆◇◆
「椿チャンがこないな趣味持っとるとは思わんかったで。」
「お目覚めですか。」
まさに引き金を弾こうと思っていたその瞬間に男は意識を取り戻した。
何事もなかったかのように。
いつもの日常の何気ない瞬間の戯言と同じような空気で。
やはりそこはヤクザの大幹部。こんな状況にも慣れっこということなのか。
左手で持っていた煙草を床に捨てて足で揉み消す。
どの道、今の状態で私に手出しはできない。そう、身動きが取れないのだから。
「早よ、撃たんのか?」
「言われなくとも。」
再び引き金を指に掛けてどの場所がいいのか悩んでいると嬉しそうに笑いながら頭に一発どかんとくれんかのぅ…と声が。
では、お望みのままにと額の部分に照準を合わせる。
本当にこの男は分からない。今、まさに死を目の前にしているのにこの落ち着き様。
結局、2年もの月日を過ごしたのにこの男が何を考えているのか最後まで分からなかった。
「やっぱり、最後にひとつええか?」
「何ですか?」
煙草を一本くれんかのぅ…と声が。
苛立つ気持ちが湧き上がってきたが、それを見せることをせず、黙ったまま煙草を男の口に。
そして火を点ける。そして煙草を離すとふぅ…と紫煙が立ち込める。
そしてじっと自分を見る眼。さっきまでのふざけた顔とは違う別の顔。
気まずくなった私はそのまま再び男の口に煙草を押し付けて引き金を指に。
「大切な煙草と一緒に逝かせてあげますよ。」
「惚れた女に撃たれて死ぬんもええもんやな。」
最後の最後まで分からない男だ。
騙されていたとも知らずに。
本当に馬鹿な男。
それでも…。
私は…。
ようやく目を閉じて引き金を降ろそうと思っていた。それなのに…。
「椿チャン、チェックメイトや。」
私の手にあった銃はない。そして笑う男。
縄で椅子と一緒に縛り付けておいたのに。
あぁ、そうか。縄の少し焦げた匂いを感じてこの男はハナからこうするつもりだったということに。
時間を掛けて何度もシミュレーションしてきた最後なのに。
結局、何が起こるか分からないのが人生。
まさにそれを今、体感している。
さっきまでの余裕はとうになくなり、今は私が人生の最期を迎えようとしている。
「殺すならさっさと殺して。」
「言うてるやろ。椿チャンに惚れとる。だからそないな真似する訳ないで。」
「殺して!!」
計画は失敗。どの道このままここを運よく切り抜けられたとしても私は依頼主に殺される。
それならば…いっそ…。
心底惚れた男に殺されたい。
そっと目を閉じて覚悟を決める。
銃を拾う音が聞こえる。
ようやく私の意志を汲んでくれたようだ。
そう、それでいい。
「ほんまにアホな女やで、椿は。」
そう言って私は抱きしめられている。
初めて会った時から変わらないその温もり。
そう、ずっと変わらない。
私が偶然を装って近付いた時も優しかった。
それから深い仲になっても優しかった。
いつもそうだ。
何一つ、私の嫌がることなんてしなかった。
そう、優しすぎるのだ。
だからこそ好きになるのには時間が掛からなかった。
この感情に気づいた時にはもう引き返すこともできずにただ時間だけが過ぎていった。
そして約束の期限がきた。
「真島吾朗を殺してきたら全部チャラや。お前は自由の身や。」
雇い主に言われた一言。
ようやく地獄から抜けられる。そう、人、1人殺せば。
真島吾朗と言われる男の細かな情報、写真を見て思った。
ヤクザなんだから殺してしまってもいいじゃないかと。
それでも違っていた。
与えられていた情報なんて上辺だけ。
実際に傍にいたらこの人はなんでヤクザなんだろうと思うことばかり。
そして今もそうだ。
結局消してしまえば一番簡単なのに。
こうやって私の事を抱きしめて何も言わない。
どのくらいそうしていたかは分からない。
突然鳴った音に驚いていると真島さんは携帯を手にそうか…と言って何かを話している。
私はすでにもう無気力だった。殺そうとしていた気持ちもない。
あるのは一つだけ。
隠して隠して置いていた愛情。
「椿、全部終わったで。」
「何の事ですか?」
放心状態の私に真島さんは告げていく。
私の正体はずっと分かっていたということ。
様子を見る為に傍に置いていたということ。
依頼主はすでに今、真島組に全員捕まっているということ。
「何で…。」
「だから何遍も言うとるやろ。椿に惚れてもうたって。」
「嘘…。」
「冗談は言うけど、嘘は嫌いやで。」
「私、嘘ばっかり言ってた。真島さんに。」
「そうやのぅ…。それはこれからじっくり償ってもらおうかのぅ…。」
一生賭けてな。と耳元で低く甘い声が。
放心状態の私を抱えて真島さんは嬉しそうにしている。
やっぱりわからない。
いくら惚れているといっても私はあなたに牙を剥いた訳で。
「やっと本当の椿を抱けるのぅ…。」
もう、それが嘘でも本当でも冗談でもいい。
これだけが真実であれば。
抱えられたまま私はそっと顔を上げて真島さんに口づけを落す。
そう、これだけはいつも嘘をつかない。
言葉じゃない何かがそこにある。
最低な依頼主だったが、一つだけ感謝したいこと。
それは私の前に真島吾朗を出逢わせてくれたこと。
抱えられたまま見えた月。
ようやく私に少しだけ光が見えた。そんな瞬間だった。
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