断捨離のススメ

捨ててしまえば簡単なのに捨てられない。じゃあ、それはあなたにとっては大切なモノ?ううん、私が必要なものではない。それでも捨てられないのには訳がある。

折角の休みの夜なのに特に予定はなくただ買ってきた適当なつまみと一緒に酒を流し込む夜。気分を変えようと片付けを始めてみたのはいいが、中途半端なままで結局片付けなければ良かったんじゃないかという現在の悲惨な状態。それでも寝る場所のベッドだけは何とかスペースを確保してそこに座りながらこれを飲み終わったら片付けを再開しようと心に決める。

「しばらくここには来れなくなるかも。」

「しばらくっていつ?」

「うーん…ちょっと分かんないかも。」

そう、いつもこの男は曖昧。そして嘘も上手い。決して自分の心の奥底までは覗かせてはくれない。それなのに私の心の中には土足で入ってかき乱す。それが趙。

「もういい!来なくていいから!」

それが常套句。いつも別れは私から。最早これは一種のコントのようでまた何事もなかったように趙はその後もふらりと私の前に現れる。私もその時になると怒りの熱は収まっていて何ともなかったかのように家に迎え入れる。いつものことだ。

それでも今回はちょっと違うかもしれないと思ったのが最近の街の動きだ。私もこの街に住んで長い訳ではないけれど多少なりともこの街の仕組みについては知っている。異人三が蔓延るこの街。そしてこの3つが存在することで均衡がとれている街。そこでいざこざが起きていた。ちょうどそのいざこざが起きた日の夜に趙は私の家に来て言った言葉がさっきの言葉だ。

今までもしばらく来ないこともあったし、当然後ろめたいこともあっただろう。飄々としているがなんといっても趙は総帥なのだから。それは変えられない事実だし、これからも変わらない。それでも私の前ではただの男でいて欲しかった、ただそれだけだった。だからこそ、去り際に言われた言葉が今も反芻している。後悔しているのだ。本当はあんな言葉が言いたかった訳ではない。

ただ、行かないでと言いたかった。

塩らしい女でもないのにそんな陳腐な言葉を言った所で趙が行くのをやめる訳でもないのに。それでも可愛らしい女をどこか演じてみたかったのかもしれない。結局吐いた言葉はいつも通りの可愛くない言葉。

いつも連絡は向こうからで私はした事がなかった。初めて掛けたその番号は繋がらず電源が切れている。嫌な予感がする。それでも行動を起こすことができずただこの空間で待ちぼうけ。

いっそのことこの部屋も引っ越してしまおうか。片付けついでにそんな事を思う。自分では決して使わない大きな中華鍋、彼が丁寧に手入れしていた盆栽、結局私が最後まで勝つことができなかった2つのコントローラーがくっついたままのゲーム機。

必要ないものでそれでも捨てられない行き場のないモノ達。

これだってそうだ。
トレイに置かれた傷だらけのリング。
椿にこれ合いそうじゃない?と言ってつけていたリングをひとつ取って私の指に。勿論私の指には嵌らずするりと抜け落ちる。私が睨むと趙は何も言わず笑っていた。本当に最後まで読めない男だった。あの男は。

この部屋には趙との思い出が濃く存在しすぎている。きっと、もしかしたらどこかで…。
思いたくない脳裏に浮かんだ最悪な光景を掻き消すようにいらないものを捨てていく。

ガタン…。

玄関のドアの音がふいにして思わず作業の手が止まる。何かが当たった音?こんな深夜に?風の影響?ううん、今は風なんて吹いていない。

恐る恐るドアスコープを覗くが姿は見えない。
怖いけれど静かにドアを開けるとそこにはいた。
捨てられなくて捨てられない。それが。

「趙…。」

「まだ起きてたんだ、椿。」

変わらず飄々とした言葉が返ってきて思わず拍子抜けしてしまいそうになる。でも、今日は違っていた。

「趙、怪我してる…。」

顔にも殴られた跡、そして所々服にも血がついて呼吸も荒い。

「病院、行こう。」

「いや、今はちょっとまずいね。少しだけここで休ませてほしいからきた。」

「わかった。」

私はそのまま部屋に入れて歩けるスペースを作り、ベッドに座ってもらう。そして冷蔵庫から水を取り出して渡す。とりあえず簡単に消毒だけしてあとで足りないものはコンビニで買ってこようと思いながら怪我の処置をしていく。

「どうしたのって聞かないんだ。」

「聞いて教えてくれないでしょ。」

「よく分かってるんじゃん。」

「これだけ喋れたら大した怪我じゃないのかもね!」

「…いや、結構痛いから。」

「そう…。」

顔の傷の処置が終わり、上半身を脱いでもらうと生々しい痣や傷があって思わずさっきまでの会話が止まる。自分でも喧嘩は強いと常日頃から言っていたのになんでこんな事に。

「椿、手、止まってるけど。」

「…ごめん。」

やっぱり耐えられなくなって零れそうになる涙を必死で押し込めようとすると腕が引かれて趙の顔が目の前に。ほら、やっぱりねと言いながら私の目元の涙を拭う。分かっていたなら知らないフリをしていてくれていいのにこの男はやっぱり平気で私の心をかき乱す。

「…趙の馬鹿。」

「でも、好きでしょ、俺のこと?」

そう耳元で囁かれて私はただ頷くだけ。そして耐えていた涙も零れる。そう、捨てられないんだ。全部。この家に染みついた思い出も全部、趙と作ってきたものだから。嫌な思い出もあるけどその分嬉しかった思い出もたくさんある。捨ててしまったらもう、取り戻すことはできないのだから。

「帰ってきてくれて良かった。」

返事のかわりに私に落とされた口づけ。少しだけ血の味がしてまた胸が痛くなった。そんな気持ちを知ってか知らずか私の首へと甘く噛み付く趙。

「痛くないように手加減してよ。」

「それ、私の台詞だけど。」

「変わらず椿とのこのやり取り、俺は好き。」

サングラスをそっとベッドサイドに置く仕草。いつものように始まるその情事の合図を感じながらまだ私は何も捨てられないし、拾っていないのかもしれない。そんな事を思いながら目を閉じた。











「はぁ?総帥じゃなくなった!」

「そういうこと!だからしばらくは文無しなの俺。」

まだまだ頭がパンクしそうな状況。それでも何だか楽しくなりそうな自分もいる。以前のように待っている時間が少なくなるんじゃないかということに。

「じゃあ、ここに住む?」

「わかってんじゃん、椿。」

片づけは中断。捨てるのもなし。またモノが増えるかもしれない。それでもいいやと思わせるのはきっとこの男のせい。肩書きの取れた趙は不思議なくらい憑き物がとれていて清々しかった。まだ何を考えているかは分からない。けれどまた少しずつ知っていきたい。そんな風に思った春の日。


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