愛を確かめるヒトサラ
人の生き死には決められたものではない。
突然だ。
私は走りながら病院へと急ぐ。
この街に来るのは久し振りだった。
変わらず少し鼻につく懐かしい香りを背にただ走る。
「あの、高城の身内のものですが、病室は?」
告げられた病室に向かい、ただ走る。
そして引き戸を乱暴に開けてそこに静かに眠る父。
良かった…。
張りつめていた緊張が解けてそのまま床に座り込んでしまう。
そして静かに息をしている父の姿。
忙しさにかまけて帰らなかった自分自身の行動を反省しながら随分年を取った目の前の父を見て心が痛む。
「椿か?」
「あっ…。」
なんでこの男がここにいるのか?
そう、私はこの男が嫌い…だ。
この男とこの街が。
だから、私はこの街を出た。
◆◇◆
父は仕込み中に倒れたらしい。
一端着替えを取りに帰る為に久し振りに実家の暖簾をくぐる。
1人でやっていくのにちょうどいいカウンターとテーブルの数。
仕込みの途中である切られた材料が目に入る。
そして突然倒れたのだろう。床には散らばった食材。
ここは父の城である昔ながらの中華の店。
「俺が来た時に親父さんが倒れたんだ。」
「そう…。」
ありがとうと素直に言えればいいのに言えない自分。
やはり、私はあの頃と何ら変わっていない。
「よく来てるの?」
「たまにね。親父さんの味が懐かしくてね。」
しばらくは親父さんのチャーハン食べられないのは残念だよねと。
変わらずこの男は飄々としている。
それはたぶん置かれている状況がそうしているのだろう。
人の生き死にには慣れている。
そう、彼はマフィアのボスだから。
人を殺すことなんて造作のないことだろう。
「じゃあ、準備できたから私、病院に戻るから。」
「送ってやろうか?」
車を呼んでくると言う声を制す。
これ以上借りを作るのは嫌だった。
それ以上にもう顔を合わせているのが嫌だったのが本音。
「椿、辛い時は誰かを頼った方が楽だよ。」
わかっている。そんなこと。
…でも私は目の前の男には絶対頼りたくない。
その言葉に応えることなく少し離れた所でタクシーを拾って病院に。
やはり、この男は私の心の根っこの部分を深く揺さぶってくる。
◆◇◆
「最近、ちょっと頑張りすぎたんだな。いやぁ、椿には心配かけたな。」
「ほんと、無理しないでよ。…お父ちゃんももういい年なんだからこの際お店のこと考えたら?」
母が早くに死んでそれからがむしゃらに私を育てながら父は店を切り盛りしていた。
もっと値段をとればいいのにと思いながらも父は敷居の高い店なら他に行けばいいと言って上手い、早い、安いを徹底していた。そしてその味に惚れたお客さんが店には来ていた。
私も時間がある限りは店を手伝っていた。店にくるお客さんは気さくな人が多くてその場所にいるのは好きだった。
でも…。
「趙くんがいなかったから今頃死んでただろうな、俺は。」
その名を聞いて私の懐かしい思い出が一気に黒に。
昔からそうだった。
私の大切な場所に踏み込んで自分のものにする男。
何でも手に入る力、金、才能を持っているのに趙は常に私の横にいた。
私は常に影で飄々と何事もこなしていた光の趙。
時に努力をして頑張ることが嫌になるくらいに。
そんな気持ちと裏腹に趙は常に私に優しかった。
それが、また自分の自尊心をひどく傷つけられた。
だから、私はこの街を捨てた。
これ以上この街にいると全てが嫌いになりそうだったからだ。
「あれだな、この際、趙くんと結婚して跡を継ぐとかはどうだ?」
「お父ちゃん…何、言ってるの!」
思わず声をあげた私に父は少し驚いている。
いつもそうだ、あの男は。
私の大切にしているもの、場所、人を簡単に自分の中に取り込んでいく。
「ごめん、ちょっと頭冷やしてから戻ってくる。」
黙ったままの父を背に私は病院を後にする。
本当はそうじゃない。
分かっている。こんがらがっているこの感情の行き付く末が。
本当はあの男が嫌いなのではなく自分自身が一番嫌いなのだ。
こんな黒い感情をずっと持ってこじらせて子供の様に妬ましく持っていることが。
「やっぱり、ここにいると思ったよ。」
そう言って私の横に並びブランコを漕ぐ趙。
何で?
そう、いつも私の行動は全て読まれていた。
お父ちゃんと喧嘩した時も来るのはここ、学校で嫌なことがあった時も来るのはここ、1人になりたい時もここ。
そしてその時は常に隣に趙がいた。
ただ、黙って話を聞いてくれていた。
そう、私はこの男が嫌い…じゃない…そう、好きだ。
でも常に目立つ趙は女性にも事足りていて横浜流氓の総帥。
どの道行きつく先は不幸しかない。
努力しても手に入らないモノを常に私は追い続けていたんだろう。
その結果がこじれてねじれて憎しみに近いものに。
「趙、ありがとう…。」
言えなかった言葉をひとつ。
でも顔は見れなくて地面を見たままぽつりと。
趙は黙ったまま漕いでいたブランコを降りて私の前に影が差す。
じゃらりとした金属の音、そして上質なレザーの香り。
「何してるの!」
「椿が泣きそうだったから、涙止めてあげようと思ってさ。」
馬鹿…そう言いながらもその温もりに顔を埋め、抱きしめ返す。
大人になっても変わらないな、私。
やはり、この街が好きだ。
「で、いつまで着いてくるの?」
「俺らこれで両想いじゃん。そしたらやることは一つじゃない?」
「はぁ?」
嬉しそうに私の手を掴む趙。
急になんか馴れ馴れしくなっている気がする。
「私、まだ何も言ってないけど。」
「素直じゃないよね、椿は。ほんと昔から。」
俺は何でも知っていると言わんばかりの顔で笑う趙。
私はまだこの展開にはついていけない。
でも一つだけ言っておこう。
「私、サンプーチャンを作れる人としか付き合わないって決めてるから。」
「何だよ、それ。」
趙でも知らないことはあるのか。
その驚いた顔を見て笑う私。
「私がここに戻ってくるまでに作れるようになってるといいね。」
「望む所だね。」
今はまだこの関係で甘えてみるのもいいのかもしれない。
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