子どもの決意 ガラガラ、と音を立てて店の扉を開けると、中にいた親子が顔を上げた。 「いらっしゃいませ...え、え!?シカマルくん!」 「よぉ」 「名前ちゃんオレはおまけかい?」 「え、いやそんな!シカクさんもいらっしゃい!」 数年ぶりに会う名前は、相変わらず人懐こい笑顔でオレ達を迎えた。 父親と営む小さな定食屋はいつも大盛況だが、終わり際の今の時間は客はもう誰もいなかった。 カウンターの向こうの厨房から出てきた名前のオヤジが、オレを上から下まで見たかと思うと大きな手のひらが頭に乗せられた。 「おーおー、久しぶりじゃねぇかシカマル。随分立派になりやがって」 「うわっ...やめろよオッサン!」 「おぉ?口も更に生意気になったなぁ!」 まるで小さな子にするようにオレの頭を撫で回す。 がははと笑う姿は豪快で、図体もデカい親父からどうやったら名前みたいな細っこい奴が生まれたのか謎だ。 「名前ちゃん、また綺麗になったんじゃねぇか?」 「あはは、ありがとうございます。シカクさんだけですよそんなこと言ってくれるの」 「それは周りの奴が見る目がねぇな。生姜焼き定食で」 「だといいんですけどねぇ。はーい、ありがとうございます。シカマルくんは?」 「オレはー...サバの味噌煮定食」 「はーい。焼き魚とサバ味噌でーす!」 「あいよー!」 元気のいい二人の声が響くこの店は、昔から居心地がいい。 だが、今日は心地良さだけじゃない感情がどうも落ち着かせてくれない。 あー、めんどくせぇ。 そんなオレの心境を知ってか知らずか、オヤジがニヤニヤとこちらを見ている。うぜえ。 「シカマルくんはかっこよくなったよね」 「そうか?背伸びたくらいでそんな変わんねぇと思うけど」 小さい頃から親同士が仲が良くて、よく店に連れてきてもらっていた。 その頃からこいつは人懐こくて、いつも店にいたから立派に看板娘になっていた。 人懐こすぎて変なヤツに連れていかれそうになるのを助けたのは一度じゃない。 「背はすっごい伸びたねー!前はあたしの方が高かったのになぁ」 「いつの話をしてんだよ」 「あ、そんな馬鹿にするような笑い方してー!まだちょっとずつ伸びてるんだからね!」 今更伸びてもオレより高くなることはないと思うが、頬を膨らませながら背伸びをしてくる様はとても可愛い。 警戒心のなさは今でも変わってないんだろうと思う。 「はいよ、お待ちどう」 「おう。もう終わりだろ、一杯どうだ?」 「いいねぇ。名前、熱燗持ってきてくれ」 「ええ、お父さんもう飲んじゃうの?」 そう言いながらも、名前は諦めたように酒を用意しに行った。 あの諦めを見るに、たまに随分酔っ払って帰ってきては母ちゃんに叱られているが、それはここに来ていたんだろう。 昔は、そうなる前に連れ帰るのがオレの役目だった。 下忍になり、中忍になり、任務と修行と雑務に追われるようになってからはここに来ることもなくなった。 時間が経つのに比例して、どんどん自分の中の想いが大きくなっていくことを自覚した。 商店街で買い出しをする名前を見かけたときは、それだけで一日頑張れる気がしてしまうのだから不思議だ。 オヤジ二人が盛り上がってきているのを無視して、一人運ばれてきた食事にいただきますと手を付ける。 サバの味噌煮はほどよく染み込んだ味噌と、ふっくらとした身がいつ食べても絶品だ。 小鉢には小松菜のおひたしと、舞茸と人参のキンピラの二品。 だしのきいた豆腐とわかめの味噌汁。 家庭的で、しかしまた来たくなるこの店だからこその味は昔から変わらない。 食べ終える頃には親父二人は完全に出来上がっていた。 「母ちゃんがよォ、あんな怒んなくてもいいじゃねぇか...!」 「よおーしシカク飲め飲め。今日はオレの奢りだ!!」 「いつもすまねぇなぁ。今日は帰らねぇぞぉ!」 しかも今日の酔い方は大分タチが悪い。 既に徳利は三本が空になり、四本目に手を付けている。 オレまで母ちゃんに叱られるやつじゃねぇか。 「アンタら...あー、めんどくせぇ...」 「お父さん、まだ片付けあるのにー!」 「まあまあ名前、お前はシカマルと散歩でも行ってな!ほれほれ!」 「え、わあ!」 「何すんだよ!」 名前のオヤジがオレと名前を店の外に押し出す。 抗議も虚しく店の入口が勢いよく閉められた。 呆れながら、全部食べ終わってからで良かったと心から思う。 名前は突然追い出されたことに呆然としている。 半開きになった口がとても間抜けだ。 「...とりあえず、散歩でもすっか」 「そう、だね...もーお父さんったら」 口では父親を咎めているが、エプロンを外し、腕まくりを下ろしている名前は何だか楽しそうだ。 オレも久々に名前とゆっくり話せると思うと、不本意ながらもオヤジに少し感謝した。 「我が息子ながら全く手のかかるヤツだよ」 「名前もてんで鈍いからなァ...ま、あとは自分で頑張んだろ」 「帰ってきたらいいアテが増えそうだな」 「将来有望の息子か、うちも安泰だな」 「さて、飲み直そうぜ。今日は奢りだったよな?」 「バーカ、むしろサービス料貰うとこだよ」 中ではそんな会話がされていることなど知らず、オレと名前は目的もなくだらだらと歩いていた。 夜も更けて、人も少なくなった商店街は昼間とは違って寂しい雰囲気だ。 最近あったことや会っていなかった間の出来事を互いに話し合う。 くるくると表情が変わるところは変わらない。 けれど、丸みを帯びたメリハリのある身体や、薄く施された化粧は時間の経過を感じさせる。 可愛いから綺麗へと変わり始めている名前は、昔よりもずっと魅力的になっていた。 まだ迷っていた覚悟がオレの中で固まり始めた。 「でね、お父さんったら指挟んだ貝を壁に叩きつけちゃって、片付けが大変だったの」 「それで壁に変な傷ついてたのか」 「あ、でも中身はちゃんと洗って美味しくいただいたよ!」 「...なァ、名前」 「ん?」 少し前を歩いていた名前が振り返る。 はー、腹括れ、オレ。 「...下忍になったときに、決めてたことがあるんだ」 「なーに?」 何も知らない名前が首を傾げる。 多分、今はもう変なオヤジじゃなくて、純粋にこいつに想いを寄せるヤツが近寄ってきてるだろう。 鈍感すぎて本人は気付いてねーだろうけど、今は鈍感でいてくれたことに感謝しかない。 店に行けなくなればなるほど気持ちだけが大きくなって、ならばちゃんと護れる力を手に入れたら伝えようと子どもながらに決めた。 それに気付いてたのか、タイミングが合ってもオヤジもオレを店に誘わなくなった。 そして、まだ未熟ではあるけれど、上からの信頼も得てきて、名前一人くらいは護れる力をつけたと今ならはっきり思える。 「オレの、隣でずっと笑っててほしい」 「...え?」 「あー、と...ずっと会ってなかったヤツが何言ってんだって思うかもしんねぇけど、オレは名前を護れるようになってから会おうって決めてた」 「シカマルくん」 「これから、何があってもお前だけは絶対に護るから」 「ちょ、ちょ、待って!!」 「んぐ!」 名前が、両手でオレの口を塞いだ。 オレの一世一代の告白は、伝える本人によって遮られてしまったのだ。 「待って、あたしに、言わせて」 あー、情けねぇ。ま、振られたら振られたでスッキリできんのかもな...え?今何つった? オレの口を塞ぎ続けている名前は、顔を赤くしていて、困惑の表情を浮かべている。 「...避けられてるんだと思ってた」 未だに口が解放されていないので返事ができないが、間違ってはいなかった。 自分の中で決意してから、こちらから見かけることはあったが、名前が気付きそうになったら人混みに紛れ、名前の行動範囲では見つからないよう最大限の注意を払っていた。 我ながらガキ臭いと思うが、自分なりのケジメだった。 「何かしたかなって思ったけどわかんなくて、でもずっと会いたくて、止まらなくて、だから次に会えたら絶対に伝えようって決めてたの」 信じられない。 勝手に来なくなって、しかも避けられてると思われてたヤツに、まさかずっと会いたいと思ってくれていたなんて。 名前の目がだんだん潤んできて、手の力も弱まった。 すかさず手を外して、細い腰を抱きしめた。 「シ、シ、シカマル、く」 「お前、こういうときは男に言わせろよ」 「...だってー」 急に抱きしめられて人形のように固まっていた名前が、ぎゅっとオレの服を掴んでポロポロと涙を零す。 こんな顔させるつもりじゃなかったんだけどな。 「名前。...好きだ。もうどこにも行かねぇから、オレの隣にいてほしい」 「次に、どっか行ったら許さないから」 「...返事は?」 「.........大好き」 茹で蛸のように真っ赤になりながら小さな声で呟いて、そのままオレの肩に顔を埋めた。 服をつかんでいた手もぎこちなく背中に回されて、遠慮がちに力がこもる。 その様子があまりにも愛しくて、名前を抱きしめる腕に力をこめる。 「オレ達、随分めんどくせぇことしてたみたいだな」 「...だね」 顔を上げた名前とやっと目が合って、互いに笑い合う。 涙を零した名前の目は少し赤くなっていて、目尻を指でなぞると照れくさそうな顔をした。 そのまま頬に手を添えて、どちらからともなく距離が近付いた。 月明かりに照らされた影が一つになる。 唇を離して目を合わせると、また名前の顔が赤くなっていた。 それをからかうと俺も同じだ、と名前に頬をつつかれた。 また笑い合い、それからしばらく抱き合って、何度も唇を重ねた。 「うわあ...」 「...マジかよ」 手を繋ぎながら道を歩き、店に戻るとそこは大惨事だった。 「おうおうおーう名前ー。未来の旦那様をもてなせぇーい!」 「シカマルー。名前ちゃん泣かすんじゃねえぞおー!!」 「もー!お父さーん!!」 倒れるオッサン二人は酒臭く、最早視線も合っていないのにうわ言を言い合っている。 酒に至っては徳利からではなく、酒瓶から直接飲んだ形跡がある。 これは母ちゃんにキレられるどころではない。 オレまで命の危機を感じながら、多分これはこの先何度も起こることなんだろうと肩を落とした。 ...けど、ま、隣に名前がいるなら悪くねぇかもな。 |