おひさま


夢を見た。


「カカシちゃん!」


小さい頃、近所に住んでいた名前という名の同い年の女の子。
肩よりも短いふわふわの栗色の髪、くりっとした大きな瞳、人懐こい性格は子犬を彷彿とさせた。
母親を亡くしていて、忍の父ひとり子ひとりの、うちと同じ環境だった。
だからか、父さんもオレも自然と会話を交わすことが増えていた。


「カーカシちゃーん。あっそびーましょー!」
「オレは今から修行なの。だからダーメ」
「むう...じゃあついていく!」


たまに一緒に遊ぶこともあったけど、基本的にはこうしてあしらっていた。
なのに、彼女はいつもめげずにオレの後ろをついてきた。


「いつも思うけどさ...見てて楽しいの?」
「楽しいよ。頑張ってるカカシちゃん、かっこいいもん!」


黒目がちな目をきらきらさせてそう言う名前の言葉は、まだ子どもなオレには容易く響いた。
満更でもない顔をしながら、オレは修行を続け、名前はそれをにこにこ眺める。


この子には笑顔の溢れる世界を見てほしいからと、名前の父親は彼女を忍として育てなかった。
そんな彼女にとって、忍の修行は全てが魔法のように見えるようだ。
初めて分身の術を見せたときは本気でオレが双子だったのかと思ったらしい。
単純で、底なしに明るくて、いつも笑顔な名前はオレには何だか眩しかった。


「今日もお疲れさまでした」
「ん、ありがと」


そう言って冷たいお茶の入った水筒を差し出してくれる。
汗をかいて体温の上がった身体に染み込んでいく。
そうして日が暮れた頃に、一緒に並んで帰る。
それが日常だった。
ある日、帰り道で名前が突然しゃがみ込んだ。


「え、どうしたの!?お腹痛い?」
「.........カカシちゃん、タンポポ!!」
「...............は?」


膝を抱えながら指さした先には、風にゆれるタンポポの花。
そういえば随分暖かくなってきているし、草木も育つ季節なんだろう。


「びっくりさせないでよ...」
「え、ごめんね!?」
「...好きなの?タンポポ」
「うん。お花の中で一番好き!お日様みたいでしょ?」


彼女の世界は、なんと美しいんだろうか。
雑草に並んでそこら中に生えている、いやむしろタンポポそのものが雑草とも呼べるのに、彼女にはそれが太陽に見えるらしい。


「お日様だったら、向日葵とかの方がそれっぽいんじゃない?」
「向日葵も綺麗だし好きだけど...。
タンポポはすぐ近くで見守ってくれてるでしょ?」


だから私は、やっぱりタンポポがお日様なの。
そう言って笑う名前が、一番太陽みたいだと思った。





チュンチュンと囀るスズメの声を目覚ましに、ゆっくりと意識が覚醒してきた。
一週間ほど前までは厳しい寒さに布団から出るのが億劫だったが、随分と春めいてきたようだ。
顔を洗って目を覚まし、のんびりと着替え始める。
今日はナルトたちと、畑荒らしのイノシシを捕まえる任務が待っている。


「随分懐かしい夢だねぇ...」


あの頃は漠然と、これからもずっと一緒にいられると思っていた。
だがある日、名前の父親が殉職した。
遠縁の親戚に引き取られる日、辛くてたまらないはずなのに、彼女は無理矢理な笑顔でカカシちゃん、またね。と言った。
それからしばらくしてオレも父親も亡くし、友を亡くし、師を亡くし、いつからか彼女のことを思い出すこともなくなった。
今更になってこんな夢を見たのは、春が近付いてきているからか、それとも思い出せるくらいの余裕ができたのか。
蓋をするように忘れていた記憶。
またね、と言った彼女にはあれから一度も会っていない。
今頃どこで何をしているんだろうか。


「...と、そろそろ行かなきゃね」


思っていたよりも物思いにふけていたようだ。
鍵を閉め、アパートの階段を降りたところで声が飛んできた。


「おはようございます」
「ああ、どうも」


近所の花屋の店員だった。
七班の教官になり以前より規則的な生活になったからか、最近はよく声をかけられる気がする。
軽く挨拶を返し、任務に向かう前に、いつものように慰霊碑に訪れた。
いつもなら懺悔の気持ちで押しつぶされそうになるが、今日は夢の影響か、ほんの少しだけ心が暖かい気がした。


「あー!!もー!!もっとすっげぇ任務がしたいってばよーー!!」
「なんか...最近動物追いかけてばっかり...」
「.........つまらん」
「ま!そのうちね。じゃ、解散」


無事にイノシシを捕らえ、今日も何事もなく任務を終えた。
ぶーぶーと文句を垂れる三人は土まみれだ。
三代目への報告も済ませたので、早々に帰路につく。
家の近くまでくると、今朝の花屋の店員が店の前で座り込んでいた。
何かあったのかと近付くと、足元に黄色い花が揺れているのが見えた。
ふと、彼女が顔を上げ、にこりと笑った。


「あ、こんにちはー」
「どうも。...タンポポ?」
「え?あ、はい!綺麗でしょう」


めいっぱい黄色い花弁を開いた数輪のタンポポが、彼女の声に応えるように風に揺れている。
職業柄、普段からもっと美しい花をたくさん見ているだろうに。
そう思いつつ、今日のオレには目の前の雑草がいつもよりずっと綺麗に見えた。


「花の中で一番好きなんです。お日様みたいでしょ?」
「え?」


聞き覚えのある言葉。
これは、偶然だろうか。
目を丸くしながら彼女を見ると、先程までの笑顔ではなく、伺うような、少し不安そうな顔をしていた。


「......名前...?」
「...やっと気付いてくれた」


花が開くように、名前の表情がまた笑顔に変わった。
あの頃毎日のように見ていた、眩しいくらいの笑顔。


「何で、木の葉に」
「父さんと過ごした、カカシちゃんがいる木の葉が好きだから。だから、いつか帰ってくるんだって決めてたの」


こんなに近くにいたのに。
全く気付かないほどに記憶を閉じ込めていたことに自分でも驚く。
だが、あの頃は短かった髪も腰まで伸び、あどけなさに満ちた表情は、随分大人っぽくなった。
華奢ながらも女性らしい体型をしていて、花のよう甘い香りがする。
二十年近い時の流れは、子犬を美しい女性へと成長させていた。
オレの記憶の中の名前と結びつかないのもきっと無理はない、と思いたい。


「頑張って話しかけてたのに、カカシちゃん全然気付いてくれないんだもん」


返す言葉もない。
声をかけてくれるようになってどれだけ経ったか、それすら思い出せないのが実に情けない。


「でも、生きててくれたからいいの」


きっと、親戚の元に引き取られた後も大切に育てられたんだろう。
これだけ時間が経った今でも、まっすぐで汚れのない笑顔。


「今朝、名前の夢を見たんだ」
「私の?」
「うん。名前が、タンポポのこと太陽みたいだって言ってた日の夢」
「...カカシちゃんがあまりにも私のこと思い出さないから、助けてくれたのかな?」


ね?と足元の太陽に首を傾げる名前がとても可愛くて、引き寄せられるように頬に手が伸びた。
少し驚いた後に、顔を擦り寄せてくる様子は子犬のようで、微かな面影が名前がここにいるんだと実感させてくれる。


「...時間がかかってごめんね。おかえり、名前」


嬉しそうにただいま、と笑う彼女はやっぱり太陽のようで、向日葵よりもずっと綺麗なタンポポだと思った。



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