八月中旬。無事に全生徒宅で同意を得られた雄英は全寮制を導入し、いよいよ新生活が始まった。

 私達の新たなお家は校舎から徒歩五分内にある築三日の”ハイツアライアンス”だ。一人一部屋用意があり、エアコン、クローゼット、トイレ、冷蔵庫が完備されている贅沢空間。荷物や家具は事前に送ってあるから、身一つだけで即入居可能だ。
 今はまだ夏休みの最中で世間の騒ぎも落ち着いていないが、部屋作りとA組の今後の活動方針を聞く為に急遽登校日となった。

「お嬢様、ご飯はしっかり食べてくださいね?それと寂しくなったらいつでも帰ってきてください。お嬢様の好きなお菓子を沢山焼いてお待ちしてますから!」
「うん。ありがとう、見田さん。それと一生の別れじゃないんだからそんなに泣かないで…」

 心配だからと雄英高校まで車で送ってもらった私は、運転席で滝の涙を流す見田さんを窓の外から慰める。拉致されて以降見田さんはずっとこんな調子で泣いている。余程心配させてしまったらしく、家庭訪問から帰宅してからはかなり反省した。
 見田さんは全寮制にもあまり賛成ではなかったみたいだが、渋々といった様子でどうにか納得してもらえたので一先ず良かった。

「絶対に無理しないって約束してくださいね!あと連絡もこまめにしてください!」
「分かったよ。約束する」
「それじゃあ、行きますからね!」
「うん。ありがとう」

 何度も涙で溺れそうになっている見田さんには困ったものだが、ここまで心配されるのも悪い気はしない。私が笑みを浮かべると、見田さんは更に両目をうるうるさせながら窓を閉め、嫌々言いながら車を走らせた。
 徐々に遠ざかっていく後ろ姿に苦笑いを浮かべながら手を振り、見送る。すっかり見えなくなった頃に鞄を肩に掛けなおすと、意を決して寮に歩みを進めた。

「あ!名字!」
「わ、ほんとだ!」
「久しぶりだな!大丈夫だったか!?」

 林間合宿以降初めて揃ったA組。心配も掛けただろうし、色々と大事件だっただけに久し振りに再会するのは正直緊張した。けれど、先に私に気が付いた芦戸さんを皮切りに一斉に皆に囲まれて、向けられた屈託のない笑顔に強張った顔からほっと力が抜けていった。
 元気そうでよかった。そう口にしようと笑みを浮かべた時、何かが物凄いスピードで走ってくると痛いくらいの力で私に抱き付いた。その衝撃で、肩に提げていた鞄がずりと手元に落ちていく。

「心配したんですのよ!」
「八百万さん?」

 その正体は八百万さんだった。鼻先を擽る彼女の長い髪から甘い香りがして、一瞬ぽかんとする。けれど私の首に回された両手が小さく震えているのに気付いて、私はハッと我に返った。

「名字さんは救出した後もずっと意識が朦朧としていて、私達の問い掛けにもまともに返事ができる状態ではなかったですし、その上連絡も中々してくれませんでしたから…私、心配でどうにかなってしまいそうでしたッ」
「八百万さん…」
「ヤオモモだけじゃなくてウチらのもだよ!ほんと…爆豪と一緒に攫われたって聞いてどうしようかと思ったよ」

 耳郎さんが八百万さんの背を優しく撫でてあげる。その両目には、薄っすらと涙が滲んでいた。きっと二人だけじゃない、皆も同様に心配してくれていたのが表情から伝わってくる。
 色々余裕がなかったのは事実だけど、流石にまともに返信をしなかったのは悪いことをしてしまった。

「…皆、心配掛けてごめんね」
「それだけですか?」
「ううん。それと、ありがとう。皆が送ってくれたチョコ、凄く美味しかった。嬉しかったよ」

 そう言うと、八百万さんや耳郎さん、他の皆も嬉しそうに笑ってくれた。
 私は本当に皆に支えられていたんだなと思う。この何でもない日常が帰ってきただけで心底安堵している自分がいた。再会の喜びを噛み締めながらクラスメイト一人一人を見回していると、ふとツンツン頭が端の方にいるのが見えた私は、八百万さん達に一言告げてから彼の元に歩み寄った。

「爆豪君」
「…ンだよ」

 爆豪君は私を一瞥するとまたしても顔を背ける。口調こそはいつも通りだが、その剣幕はすっかり影を潜めていて、心無しか萎れているようにも見える。
 彼も彼なりに自宅待機の間で思うことがあったのだろう。攫われた者同士慰め合うなんてことは彼の性格上絶対にしないけど、その気持ちが理解できるだけに放っておくことはできなかったから、短いメッセージのやり取りは何度かしていた(連絡してくんなってほぼ一蹴されてたけど)。

「元気だった?」
「元気に決まっとるわ。舐めんな」
「そっか。良かった」
「…てめぇは、もう歩き回っても平気なんか」

 まさかそんな心配されるなんて思っていなかった私は返事が大分遅れてしまった。「う、うん。もう全然平気」と狼狽える私に爆豪君は大して気にした素振りもなく「そうかよ」とぶっきらぼうに答える。
 あまりの大人しさに驚いていると、背を向けた爆豪君が茶色い封筒を突き出してきた。事前に連絡を受けていた例のものだろう。私は封筒を受け取ると、中身を確認してから互いに決めた金額をそっと追加する。
 そしてこれを渡す目当ての人物を探していると、どこからともなく現れた相澤先生から集合の号令が掛かった為、一旦それを鞄にしまってから先生の前に集まった。

「取り敢えず一年A組。無事にまた集まれて何よりだ」
「無事集まれたのは先生もよ。会見を見た時はいなくなってしまうのかと思って悲しかったな」
「うん」
「…俺もびっくりさ。まぁ色々あんだろうよ」

 梅雨ちゃんの言葉に麗日さんも同意するように頷く。
 相澤先生とブラドキングは謝罪会見でマスコミにかなり責め立てられていたみたいだから、責任を取って教師を辞めさせられていてもおかしくはなかった。けれどこうして私達の前にいるということは彼の言う通り、色々あったのだろう。
 相澤先生はいつも通り軽い感じで受け流すと、「これから寮について説明するが、その前に一つ」と両手を叩いて再度注目を集めた。

「当面は合宿で取る予定だった仮免取得に向けて動いていく」
「そういやあったなそんな話!」
「大事な話だ。いいか」

 一気に険しくなる先生の表情。飯田、八百屋、緑谷、切島、轟、と如何にも心当たりのある五人の名が出された瞬間、A組を纏っていた空気が重いものに変わった。
 
「この五人はあの晩あの場所は、爆豪と名字救出に赴いた」
「え…」
「その様子だと行く素振りは皆も把握していた訳だ」

 動揺する一同と俯く五人に、罪悪感に似た感情が募る。保須市の時と同じだ。いや、今回はそれ以上に悪い状況かもしれない。

「色々棚上げした上で言わせて貰うよ。オールマイトの引退がなけりゃ俺は爆豪、名字、耳郎、葉隠以外全員除籍処分にしている」
「!?」
「彼の引退によって暫くは混乱が続く。敵連合の出方が読めない以上、今雄英から人を追い出す訳にはいかないんだ。行った五人は勿論、止められなかった十二人も理由はどうあれ俺達の信頼を裏切ったことに変わりない」

 今回は五人が密かに結託して踏み切ったことだ。あの時のようにやらなければ逆にやられるという状況ではなかったからこそ大人のズルで誤魔化せるような話でもない。
 五人に助けられたことはこの上なく感謝しているし、それが筋だと思う。けれど素直に喜べないのは、五人が危険を冒してまで正規ではない手段をとったからだ。それにきっと、その他の十二人は必死で引き止めただろうし、それを振り切ってまで神野に赴いたことは容易に想像できる。そうまでさせたのは、言うまでもなく私と爆豪君が原因だ。
 それが分かっているだけに、自分だけが許されて五人が責められているこの状況が心苦しい。

「正規の手続きを踏み、正規の活躍をして信頼を取り戻してくれるとありがたい。以上!さっ、中に入るぞ元気に行こう」
「(いや待って行けないです…)」

 相澤先生は纏っていた雰囲気を一変してすたこらと寮の中に入って行く。切り替えは重要だが、あまりにも早すぎて一同は棒立ちのまま動けない。
 重苦しい空気の中俯く一同。救出作戦の発端である切島君をちらりと盗み見れば、それはもう痛々しいくらいに落ち込んでいて、私は声を掛けずにはいられなかった。

「来い」
「え?何やだ」
「爆豪君?」

 しかし、私よりも先に動いた爆豪君が何故か上鳴君の首根っこを引っ掴むと、無理矢理茂みの裏に連れ込んだ。
 一体何を…と皆で見守っていると、二人が消えた茂みに電撃が走り、中から阿呆面になった上鳴君が「うェ〜〜〜い」と親指を突き出しながら飛び出してきた。耳郎さんが盛大に吹き出す。

「バフォッッッ」
「何?爆豪何を…」
「おいゴリラ、さっさとあれ渡せや」
「あ、うん」

 笑いを堪える一同を他所に爆豪君は顎で私に指示する。瀬呂君が「いやゴリラ受け入れないで抵抗しよ?」って横で叫んでたけど私としてはもう諦めている。
 爆豪君の意図をすぐに理解した私は慌てて鞄から先程の封筒を取り出すと、不思議そうにしている切島君にそれを手渡した。

「え、怖ッ!何カツアゲ!?」
「違ぇ!」
「うェい…うェいうェい!?」
「私と爆豪君が下ろしたお金だよ。切島君、私達の為に高い買い物してくれたんでしょ?」
「あ…え!?どこでそれを…」
「うェい…」

 切島君は封筒の中にある五万円を見て戸惑ったように私と爆豪君を見るが、すぐに救出作戦の際に購入した暗視教のことだと察したらしい。
 私は爆豪君から聞いて知ったけど、どうやら切島君は八百万さんの創造に頼らず自ら大金を叩いて道具を購入したらしい。如何にも切島君らしいなと思うし、それだけ真剣だったのだろう。
 そのお礼という訳ではないが、せめてということで私と爆豪君は半分ずつお金を出し合うことにしたのだ。

「本当は爆豪君が全額出すって言って聞かなかったんだよ」
「え…そうなのか?」
「てめックソゴリラ!余計なこと言ってんじゃねぇ!」
「本当のことじゃん。私は無理言って半分出させてもらった側だし」
「…チッ。いつまでもシミったれられっとこっちも気分悪ぃんだよ」
「お前等…ありがとう」
「ううん。お礼言うのはこっちの方だよ」

 ね?と同意を求めるように爆豪君に顔を向ければ、爆豪君は思いっ切り下唇を突き出して目を尖らせたかと思えば「いつもみてーに馬鹿晒せや」と背を向けてしまった。

「あ、いつもの爆豪君だ」
「…わりぃな」
「ん。怪我しなくて良かったよ…ほんとに」
「ふぇ…ふぇ、ふぇいだうェい!」
「だめ…ウチこの上鳴…ツボッフォ!!」

 五人に何もなくて良かった。ただただその言葉に尽きる。今回は運良く除籍処分は免れたものの、そうなっていた未来もあったと思うだけでゾッとした。
 正直、今でこそ素直に感謝を述べているけど、私としても腑に落ちない部分はある。緑谷君に飯田君に…それに轟君。彼等は共にヒーロー殺しの事件で特赦を受けた三人だ。そんな彼等が、また同じ過ちを繰り返してしまった。
 どうしてと咎めたい反面、私と爆豪君を助ける為だと言われてしまえば何も言えない。けれどこのままではダメだと思うから、しっかり話し合ってまたいつもみたいに笑えるようになりたい。

「皆すまねぇ!詫びにもなんねぇけど今夜はこの金で焼肉だ!」
「うェーーい!」
「買い物とか行けるかな?」

 燥ぐ面々を遠目に眺めながら一足先に寮に向かおうとしていると、ふいに誰かに手首を掴まれ足を止める。人より少し冷んやりとしたその指先には、覚えがある。

「名字」

 私の名を呼ぶ低い声に首だけで振り返れば、いつになく神妙な面持ちの轟君がそこにいた。何か言いたげに顔を顰め、手首を掴む腕に力が籠る。
 神野では取り乱してしまったからまともに顔を見たのは肝試し以来だろうか。何だか轟君を直視した瞬間、治っていた涙腺がまた緩んできて慌てて唇を噛む。泣きそうになってるのはきっと久しぶりに見たからだ。そうに違いない。

「…熱、もう平気なのか」
「…うん」
「怪我とか…してねぇか」
「大丈夫だよ」
「そうか…」

 轟君自身も言いたいことが定まっていないのか、それきり地面に視線を落としてしまう。けれど掴んだままの腕の力が弱まることはなくて、まるで小さい子が行くなと訴えているみたいだった。
 色違いの瞳が不安気に揺れている。轟君を見ていると、鏡に映った自分を見ているような気分になる。

「大丈夫だよ。私、ちゃんとここにいるから。だから焦らないで教えて?」

 私の手首を掴む骨張った手にもう片方の手をそっと乗せる。轟君は両目を小さく開くと、風船が萎むように深く息を吐き出した。緊張しているのか、頬には汗が一筋流れている。

「話がある。…夜、時間貰えるか」


***



 私達は相澤先生を筆頭に寮内を回りながら説明を受けた。一階は共同スペースと食堂などが広がっており、外には中庭まで設置されていて全体的に豪華な造りだった。
 肝心の部屋割りだが、女子は人数的に一人余る為私だけ二階の端の部屋になってしまった。少し寂しい気もするけど結局はクラスで会うしなと思うとすぐに気にならなくなった。
 部屋が決まった所で一旦解散した私達は、ひたすら部屋作りに没頭している状況だ。荷物は既に実家から送ってあるから家具を設置したり服をしまったり、これからの生活を快適に過ごせるようせっせと作業を進めていく。

「よし!いい感じ」

 仕上げにお気に入りのアロマを設置してふぅと額を拭う。重たい家具を運ぶのにたまには個性を使わないのも良い気分転換だ。すっきりと綺麗になった部屋を見回してから、ボスンと勢いよくベッドに横になる。部屋造りに夢中になっていたらいつの間にかすっかり日が暮れていた。
 ふと、枕元に放り投げたスマホが軽快な音と共に震える。手に取って画面を見れば、麗日さんからだった。「皆で部屋王するけどどうですか?」という内容だ。

「部屋王って何ですか」

 ありのままの感想を送れば返信は秒で返ってきた。「お部屋披露大会!」…なるほど。
 
「うーん。どうしよう」

 きっと今朝の気不味い空気を塗り替える為でもあるんだろう。せっかく誘ってくれたし、断る理由はこれといって特にない。かといってわいわい騒げる元気があるかと言われれば答えはノーだ。
 それに、轟君からは話があると言われていたのを思い出す。さっきは相澤先生に催促されて中途半端に話が終わってしまったから夜にとしか言われていないけど、そろそろその夜の時間も近い。
 取り敢えず、麗日さんには申し訳ないけどお断りの連絡を入れた。少しの間を置いてから返信が返ってくる。

”そっか…。それならまた今度お部屋見してな!梅雨ちゃんも気分が優れないらしいから、二人共今日はゆっくり休んで!”

「梅雨ちゃんも?」

 しっかり者の梅雨ちゃんが体調を崩すなんて珍しいな。そこまで考えてあ、となった。
 後から聞いた話だが、梅雨ちゃんは爆豪と私救出作戦を実行しようとした五人を特に引き止めた側の一人だったらしい。今朝の反応からしてA組一同が作戦を実行していた事実は知らなかったみたいだから、ショックを受けたとしてもおかしくはない。
 私達を助けたことで軋轢が生じるなんてあってはならないことだ。これはただの憶測だし、何もなければそれに越したことはないけど、心がどんよりと重い。

 心配だし後で梅雨ちゃんに連絡でもしてみようかな。目を瞑りながらそんなことを悶々と考えていると、余程疲れていたのか私は一瞬にして夢の中に沈んでいった。



―――― コン、コン

 誰かが部屋のドアを叩く音で私は目を覚ます。やばい、しっかり寝てしまっていた。寝惚けたまま時計を見上げれば針は二十一時過ぎを指している。
 何だ…まだ早いじゃん。今の音も気のせいかともう一度寝ようとすると、先程と同じく控えめにドアがノックされた。どうやら気のせいではないらしい。ベッドから降りて扉まで歩み寄る。

「はーい」
「俺だ。急に押し掛けてわりぃ」

 向かい側から聞こえてきたくぐもった低い声に、ドアノブに伸ばし掛けていた手を中途半端に止める。
 新手の俺俺詐欺か。そうツッコミたいのは山々だが、私がよく知っているこの声の持ち主は冗談が通じない。案の定、少しの間を置いてドアを開ければ、目の覚めるような紅白頭が視界に飛び込んできた。

「お」
「…轟君。ここ女子棟だけど」
「お前が部屋から出てこねぇからここ来るしかなかった。話したいことあるって言ったろ」
「まぁ、そうだけど…。ごめん気付いたら寝ちゃってたからわざわざ来てもらっちゃって」

 部屋王とかしてるくらいだし、別に異性が互いの部屋に来ること自体は問題ないんだろうけど、よくもまぁここまで単身で乗り込んでこれたなと感心する。
 流石に女子達にこんな場面を見られるのも後々大変なことになるのが目に見えているし、私は「どうぞ上がって」と早々にドアの端に寄る。すると轟君は「邪魔する」とスリッパを脱いで一切の躊躇なく部屋に入ってきた。

「とりあえずはいクッション。適当に座って」
「?ああ」

 轟君は受け取った桃色のフカフカクッションを不思議そうに見下ろしながらローテーブルの近くに腰を下ろす。
 そういえば轟君の実家は日本家屋だったし、座布団じゃないことが違和感なのかもしれない。フカフカすぎてどうしたらいいか分からないといった様子だ。私としては轟君と桃色クッションのミスマッチさが面白かったりするから、そのまま抱かせておいた。

「ずっと寝てたのか?」
「うん。張り切りすぎて疲れてたみたい。轟君達はお部屋披露大会こんな時間までやってたの?」
「いや…それ自体は結構前に終わってたんだが」

 何やら言い淀む轟君。何かあったのだろうかと無言で次の言葉を待ってみる。

「俺等のせいで、蛙吹を泣かせちまったから」
「……」

 あの梅雨ちゃんが泣くなんて、余程のことだと思う。そしてその理由はきっと私が危惧していたものだ。またどんよりとした重みが心に伸し掛かってきて、どうにか出て来た言葉は「…大丈夫だったの?」だった。
 せめて悪い方向にだけは行かないでほしい。そう心の中で願っていると、轟君から返って来た言葉に私はほっと小さく息を吐いた。

「大丈夫だ。他の奴等もいて、ちゃんと話を付けてきたから」
「そっか…良かった」
「だから尚のこと、名字ともちゃんと話さねぇとって思った」
「うん。私もその件で轟君達には言いたいことがあったから、丁度よかった」

 言わずもがな、お互いに考えていることは同じだろう。"神野の悪夢"。突如として林間合宿中の私達を襲った惨事。
 本題がそこなのは分かる。だが恐らく、胸に巣食う想いは別物だ。現に轟君は私の"達"と複数を指す言葉に首を傾げている。

「単刀直入に言うね。何で助けに来たの」

 その一言で全てを理解したように、轟君が目を瞠る。喉が小さく上下するのが見えた。

「どう考えても轟君達が出る幕じゃなかった。本当に無謀だったと思う」
「…お前等はいつ殺されてもおかしくない状況だった。偶々八百万が敵に発信機を取り付けてたって話を聞いて、そしたら居ても立っても居られなかった」
「それが無謀だったって言ってるの。結果的に作戦は成功して誰も大怪我しなかったけど、それは結果論でしかない。Mt.レディや他のヒーローがいたからどうにかなったものの、あの時誰が欠けてもおかしくなかった」

 終わり良ければ全て良しで終わる程これは簡単な話ではない。"戦闘なしでの救出"。側から見ればギリギリルールに背かない安牌な作戦だ。だがはっきり言って、それは自ら死にに行くのと変わらない。争いも無く解決するならそもそもヒーローなんて職業はこの世に存在しないだろう。
 五人もいる中で轟君だけを責めるのは間違いだって分かってる。だけどそんな冷静さも失ってしまうくらい私はどうしようもなく怒っていて、このモヤモヤをどうしたらいいか分からなくて、私のせいで誰かが傷付いてたかもしれないと思ったらまた泣いてしまいそうなくらい、我慢が効かなかったんだ。

「…轟君らしくないよ。保須でも散々説教されたでしょう?そんな轟君が、何でまた一緒になってそんなことしたの…」
「……」
「そんな危険を冒さなくても、私達のことは放っておけば良かった。プロに任せれば良かったんだよ。少なくとも、クラスメイトを巻き込んですることじゃない!」
「ッんなの、言われなくても分かってんだよ」
「ッ…」

 いつになく苛立った低い声。最近の轟君はすっかり穏やかだったから、こんなに怒気を含んだ声色を聞いたのは体育祭以来だった。

「そんなもんが頭から抜け落ちるくらい、俺は冷静じゃなかったよ。当たり前だろ。大事な奴が手が届く場所にいて助けられた筈なのに連れてかれて、すげぇ自分に腹が立ったよ。家にいてもジッとなんてしてられる訳がねぇ」
「は、」
「俺は緑谷と切島の気持ちが理解できたから声を掛けた。俺達を止めてくれた他の奴等の気持ちも無下にしてまでも決行したんだ。…それがエゴだってことくらい、俺が一番分かってる」

 私達はそのエゴに救われた。紛れもない事実だ。だから助けられた者として感謝するのが筋だ。その気持ちは変わらないし、変えるつもりもない。
 けれどそれ以上に、やるせない気持ちが私の胸を占める。結果的に良かったとしても誰かが大怪我していたら?最悪の場合、命まで失っていたら?オールマイトの引退同様、悔やんでも悔やみ切れないだろう。
 私達がやっているのは、いつも通りの無意味な水掛け論でしかない。それはお互いがよく分かっていることだ。だけどそこまでして彼らを咎めるのも、同じように大事に思っているからに違いなかった。

「…私だって皆のことが大切だよ。凄く大事なの。だから…私のせいで皆が危ない目に遭うのは、拉致なんかされるよりずっと怖いよ」

 起きてもいない過去に胸を痛めるのは無意味なことかもしれない。けど…。

「皆に…轟君に何かあったら私は、きっと一生自分を許せない」

 説教なんて大層な皮に隠れた本音。口に出すとより実感できると言うのは本当で、脳裏にオール・フォー・ワンの冷たい低音と血塗れのオールマイトが過った瞬間、背筋が凍るような感覚がした。
 蘇る恐怖に小さく身震いする。ぐしゃりと歪む顔に、轟君の表情まで強張ったものになる。

「悪い…。それでも何と言われようと、俺はお前が無事だったことに安心してる」
「馬鹿だよ…」
「馬鹿じゃねぇ」
「馬鹿だよ大馬鹿」
「痛ぇ」

 相澤先生はちゃんと感情を表に出せと言っていた。だから遠慮なくぼかすか殴る。方向性が間違っている気はするけどそんなの知ったことではないこれは八つ当たりだ。
 だって、これだけ言い合っても結局何で轟君が私の為にそこまでするのか全く分からない。分からないから、またイライラする。轟君は口では痛いなんて言っているけど全くそんな様子はなくて、ムカついた私はぐっとその両肩を押した。
 個性なんて微塵も使っていないのに、私よりも上背のある轟君の体はあっさりとカーペットの上に押し倒される。まるで本気で殴られるのすら覚悟しているかのような無抵抗っぷりだ。本人的には反省の意を示す為だったのかもしれないけど、それが余計に私の心に油を注いでいく。

「馬鹿アホ考え無し!冷蔵庫人間!」
「冷蔵庫人間…便利じゃねぇか」
「普通に冷蔵庫使うし!」
「う"ッ」

 うつ伏せの轟君に馬乗りになり、ガラ空きの胸元目掛けてヘッドバットを掛ければ上から苦しそうな呻きが降ってきた。あの爆豪君の暴言にすら動じない轟君相手に私の悪口など効く筈もないのだから少しくらい許されるだろう。
 そう安易に考えた私はもう一回かましてやろうと頭を持ち上げる。そして再び振り下ろせば、ボスッという弱々しい衣擦れの音と共に胸板に着地し、そのまま顔を隠すように埋めた。

「……ほんとは怖かったし不安だった」
「…ん」
「だから来てくれた時、凄く嬉しかった」

 「ありがとう」の言葉は顔を埋めたせいでもごもごとしてはっきりと発音できなかった。でも面と向かって言えなかったからこれでいい。
 そう思っていたのに轟君はしっかりと聞き取ったのか、短い返事の中に小さく喜びの色が感じられた。だから余計に顔を上げ辛くて私はぎゅうっと胸元のシャツを握る。皺々になってるし千切れてもおかしくない握力だったけど服の一枚二枚で済むなら安いものだ。

「名字」
「なに」
「抱き締めてもいいか」
「…は?」

 顔を埋めたまま聞き返す。返事はない。どんな表情をしているかも分からないので言葉の意図が読めず、私まで無言になってしまう。
 抱き締めるも何も、そもそも考えてみると今の体勢自体私が押し倒して抱き付いているようなものだし、今更改まって確認されると戸惑ってしまう。
 大体、さらりと流れたけど轟君は私のことを"大事な奴"とか言ったりしていたしいつも通り言葉の真意が全く読めない。大事って、どこまでのことを言っているんだろう。私って轟君にとって一体何なの?

「名字がどっかに消えちまいそうで…また目の前からいなくなっちまいそうで怖ぇんだ。だから、ちゃんとここにいるって確認させてくれ」
「…ダメって言ったらどうするの?」
「そん時は…嫌って言われてもすると思う」
「何それ。意味分かんなッ…」
「わり…。ちょっと、冷静じゃねぇみてぇだ」

 下から両手が伸びてきて、頭ごと強く胸板に押し付けられた。ぎゅうぎゅうと腕の中に閉じ込めるみたいに抱き締められて目の前がシャツの白で埋め尽くされる。
 突っ張ってでも逃げようと思っていたのに、鼻腔を擽る轟君の匂いとか温もりがひどく心地良くて、張り詰めていた力がゆるゆる抜け落ちていく。とくとくと下から響く心音が少し早い。その音に耳を傾けながらすっかり脱力した私は、結局されるがままに腕の中に収まっていた。

 ”私って轟君にとって一体何なの?”

 たったそれだけの言葉がいつまでたっても口から出てこない。喉元で詰まって息苦しい。

「(―――― 私は、轟君のことが好きだよ)」

 遂に自覚してしまった恋心。いや、本当はずっと前から分かっていた。でも認めたくなくて、無理矢理蓋をして見て見ぬ振りをしてきたけど、ここまできたらもう誤魔化すことなんてできなかった。
 できれば、轟君とは平穏なままでいたい。この気持ちを伝えて溝ができるなんてそれこそ嫌だ。だから…この気持ちはそっと胸の奥に閉まっておこう。

「名字」

 そう人知れず決意していた時だった。轟君が、下から優しく私の名を呼ぶ。

「好きだ」
「………………へ?」

 なんて?え?まさか私の心の声聞こえてた?てかそれ言っちゃうの?え?
 ガバッと勢いよく上半身を持ち上げてこれでもかと目をかっ開く私に、突拍子もないことを呟いた轟君は大真面目な顔で見つめてくる。
 もしかしなくても私は今告白をされたのだろうか。あまりにもナチュラルに言い出したから最早パニック状態で愕然とする。この男に限っては口に出す言葉と頭の中で浮かべていることが噛み合ってないことが日常茶飯事なので、鵜呑みにするのはよくない。

「好きって…え?何が?」
「?名字が好きだ」
「そ、れは…どういう意味の好きなの」
「緑谷と飯田には恋だって言われた」
「(聞いたのかよッ!!)」

 なんてことだ。こっちが必死に恋心から目を逸らしていたというのに、こんなにもあっさりと壁をぶち破られるなんて。マイペースなんて可愛いもんじゃない。ちょっとは空気読め。

「ぁああもうーーッ!」
「お」

 馬乗りのまま頭を抱えて唸る私を轟君が下から首を傾げて見上げてくる。そしてのそりと上半身を持ち上げると、「どうした?体調わりぃのか…?」とまるっきり見当違いなことを言い出し始めた。

「どうしたもこうしたもないよ…」

 別に誰に止められた訳じゃないが、必死にヒーロー目指して努力している相手に恋心をぶつけるなんて如何なものかと悩んだ結果がこれだったんだ。それが、まさかこんなにもあっさりと突破されるなんて誰が予想していたか。
 深い深い溜息を吐いて、両手で両頬を押さえ付ける。凄く熱い。心臓は早鐘を打っていて、言い訳しようのない喜びが全身に表れているのが分かる。何だか途端に気持ちを押し留めているのが馬鹿らしくなった私は、思わず気の抜けた笑顔を浮かべた。

「ほんと考え無し。私が拒絶するとか思わなかったの?」
「……」
「…思わなかったのね」
「…気付いたら勝手に口走っちまってた。けど、受け入れてくれるとは限んねぇんだよな」

 目に見えてしゅんとする轟君。あまりにも珍しい姿に戸惑っていると、「お前が嫌がることはしたくねぇから、もしそうなら訂正する」などと言い出したので、私は慌てて首を振って全力で否定した。

「そんな訳ない!本当に嬉しい」
「え…」
「私、轟君が好きだよ」

 努めて笑顔で答えたと思う…けど、徐々に羞恥心のメーターが跳ね上がり、呆気なく限界をぶち破った。顔が燃えるように熱い。充足感でふわふわと宙に浮いたような感覚がする。これ、夢じゃないよね。

「そうか…」

 轟君は面食らった表情から、ほっと安堵したように目を伏せる。その口角はしっかり上がっている。
 私が好きな笑顔だ。力無いように見えて、凄く優しい。どこか現実味のないままその笑みを見つめていると、今度は向かい合ったまま背中に腕を回されて抵抗する間も無く強く抱き締められた。
 轟君の足の間にすっぽりと私の体が収まって、改めて体格の違いを実感する。よくこれで体育祭殴り合ったものだとしみじみ思った。というか、当時はまさかこんなことになるなんて夢にも思わなかった。

「名字、好きだ」
「う、ん」
「名字」
「も…擽ったいよ」

 肩口に顔を埋められているせいで髪が擽ったい。轟君は噛み締めるように私の名前を繰り返していて、依然絞め殺さんばかりの力で抱き締めてくる。待って本当に背骨折れるから。

「もう一回言ってくんねぇか」
「無理恥ずかしい」
「頼む」
「…一回だけだからね?」
「ああ」

 さっきは何故か平気だったのに、いざ言おうとすると恥ずかしくて中々口にできない。そもそも私は自分が素直じゃない自覚があるし轟君みたいにさらりと告白なんて無理だ。
 顔を上げた轟君は真顔だったけど、私には分かる。これは物凄く期待をしている目だ。今か今かとそわそわしながら私を見つめていて、そのせいで余計にやり辛い。

「す……き」

 語尾が萎んでいってほぼ聞き取れなかったと思う。上気していく頬に堪らず顔を逸らそうとするが、轟君が今までに無いくらい嬉しそうに微笑んでいたから私は思わず動きを止めて見入ってしまった。

 …やっぱりこれ、夢じゃないのかなぁ。




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