目が覚めた時、私は保健室ではなく今度は試験専用の休憩室のベッドに寝かされていた。

「(これから何回お世話になるんだろう…)」

 恐らくリカバリーガールが治療を施してくれたのだろう。試験中の怪我や痛みは多少残っているものの、動けない程ではない。のそりと上半身を持ち上げれば、ふと隣のベッドで爆豪君が寝ていることに気が付いた。
 彼もオールマイトにコテンパンにやられていたから、治癒後の消耗が激しいのだろう。きっちり眉間に皺を寄せたまま眠っている姿は寝苦しそうにも見える。緑谷君もゴールした後気絶したかと思っていたが、部屋の中のどこを探しても姿が見当たらなかったから無事に教室に帰れたらしい。
 時計を見上げれば、時刻は既に午後を回っていた。体育祭の時は帰りのHRすらすっ飛ばして眠っていたので、流石に今回はしっかり教室に帰りたい。私は爆豪君のタオルケットを綺麗に掛け直すと、その場にいないリカバリーガールに向けて「お邪魔しましたー…」と念の為の挨拶をしてから教室を出た。

 外に出れば雄英の校舎が見えた。どうやら誰かが試験会場から学校まで運んできてくれたらしい。休憩室の中には試験映像を流すモニターもあったから、もしかしたらクリアした生徒はあの部屋にいたかもしれない。
 となると、私はクラスメイトに囲まれたまま爆睡をかましていた可能性がある。思い返してみると私は頻繁に大怪我をしているし、皆にまたコイツかと思われていたと思うと自然と歩幅が小さくなった。相澤先生にも「またお前か」って言われそうだな…。

「教室戻り辛いなぁ…ん?」

 項垂れながら校舎内への入り口に向かっていると、少し離れた裏庭の日陰の中で誰かが壁に手を突いて屈んでいるのが見えた。
 体格的に男性だろうか。どことなく咳き込むような肩の動きに、私は足を止めてその後ろ姿を見つめる。もしかして体調が悪いのだろうか。この時間は他の生徒や先生達は授業中だし、最も人通りの少ない時間帯だ。それにこの場所も人目につき辛いし、万が一倒れた場合、連絡が遅れてしまう可能性がある。
 そう考えた私は、未だに屈んだままの男性の背後にそろりと近付くと、上下する肩に手を伸ばした。

「あの、大丈夫ですか?どこか悪いんじゃ…」
「ッ!?」

 肩に手が触れた瞬間、男性は勢いよく振り返るとこれでもかと目を丸くして私を見上げた。
 音を立てなかったから驚かせてしまったかもしれない。悪いことをしたと謝罪を口にしようとした時、私は目の前の男性の深く落ち窪んだ眼窩から覗く青い光を目にした途端、背筋に冷たい何かが走り抜けるのを感じた。
 脳裏に浮かぶのは脅威のオールマイトの姿。その青色を目前に捉えた時、迫り来るような圧迫感に芯から凍るような感覚がしたのを未だにはっきりと覚えている。その感覚が、どうしてこの男性を見ただけで彷彿とさせるのか。
 掴んだ肩は驚く程に薄く、口元で硬直したままの腕は枯れ枝のように痩せこけている。どう見たってこの人とオールマイトは別人なのに、気付けば私はその名前を口走っていたのだ。

「…オールマイト?」
「な…。何故、それを…」
「え?」
「……え?」

 思わぬ返事が返ってきたことに素っ頓狂な声を上げれば、男性の方も何故か困惑していて辺りに痛い沈黙が流れた。
 …その返答は、つまりそういうことでなければ出てこない筈で、普通なら「え?何言ってるんですか?」って返す場面だ。しかも目の前の男性は「しまった!」と言わんばかりに目を剥いているではないか。それが更に答えを助長させているようで、私は思わず一歩身を引いた。

「いやいやいやいや。え?」
「…すまない、私の失言だ。今のは忘れてくれ」
「いや、あの…こちらこそ似ているなってだけで軽率に呼んでしまって申し訳ないというか…その」
「……」
「…御本人様でいらっしゃいます…よね?」

 先程私と爆豪君をこれでもかとボコボコにしたあのオールマイトとは似ても似つかないが、揺れる金髪や落ち着いた口調は本人と言われても違和感無い。それに、No.1ヒーローであるオールマイトは、その素性やプライベートな姿を一切未公開にしている。それならば、少しくらい実物と姿が違っていても何ら可笑しくはないかもしれない。それに、どれだけ姿が変わっていてもその両目に宿る強い正義の光だけは同じだった。
 私の言葉に、オールマイトは静かに俯く。無言は肯定と捉えていいということなのだろう。きっと、これは誰にも知られてはいけない姿だったに違いない。何だか鎌をかけてしまったようで心苦しくなった私は、「ごめんなさい…」と力無く呟いた。

「…何故君が謝る。私が馬鹿正直に答えてしまったのが原因だろう」
「それは、そうなんですけど」
「結構ハッキリ言うよね。あれ、なんか心が痛い」
「え、大丈夫ですか?…って血吐いてるじゃないですか!」

 矢鱈と口元を拭っているなとは思ったが、まさかその手にべっとりと血が付いているなんて思わず、私は慌ててハンカチを取り出すと「早くこれ使ってください!」と大急ぎでオールマイトの手の甲と口元を拭いた。

「ちょっ…力強…」
「意識ありますか!?脈拍は!?私の声聞こえてますか!?」
「大丈夫だから、落ちついてくれ」
「大丈夫な訳ありますか!血吐いてるんですよ!」
「よくあることなんだよ。本当に平気さ」

 「君は優しいな」何て言って力無く笑うので、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。吐血する程体調が悪いなんて、そんなの全然知らなかった。
 隠していたのだから知らなくて当然なのだが、そんな体調で私達の相手をしていたと思うと言いようのない気持ちになる。思わず俯くと、そんな私の頭をオールマイトの大きな掌がポンと触れた。

「そんな顔をするんじゃない。本当に平気さ。何せ、私はオールマイトだからね」
「…そんなはっきり言っちゃっていいんですか?適当に誤魔化せば私も聞かなかったことにできたのに」
「名字少女がクレバーな生徒だってことはよく知っているよ。隠し事をしてもすぐにバレるだろうな。それに、私は嘘が吐けないんだ」
「…なら、緑谷君も」
「む?」
「緑谷君も、知ってるんですか。このこと」
「ぶはッッッ」
「うわー!?早く血拭いてください!」

 私の発言でオールマイトが勢いよく喀血してしまった。「それは、その…」と冷や汗をかきながら血を拭っている。どうやら本当に嘘が吐けないらしい。

「…ここでは誰が聞いているか分からない。君の都合さえ良ければ、放課後また話をしよう」
「わ、分かりました。ではHR終わり次第お伺いします」

 確かにここで根掘り葉掘り聞いても仕方ない。それに、オールマイトは平気だなんて言っていたけど、本当に体調が悪いかもしれないから私は素直に引き下がることにした。
 それに、時間的にそろそろ教室に戻らないと不味い。私は会釈をしてから立ち去ろうとすると、オールマイトは血塗れになったハンカチを左手に「あぁ、ちょっと待ってくれ」と私を呼び止めた。

「すまない。君のハンカチをこんなに汚してしまった…。後日、別のもので良ければ用意させてくれないか」
「いいんですよハンカチくらい。捨ててくれてもいいし、気になるなら洗って返してくれればそれでいいです」
「何を言う。こんなに血がついてしまっては洗ったところで赤い水玉ハンカチのままだ。そんなもの返す訳には…」
「うーん。それじゃあ新しいのをお願いしちゃおうかな。先生のセンス、期待してますね」

 "先生"と態とらしく強調すれば、オールマイトは驚いたような表情を見せた後、「楽しみにしててくれ」と苦笑を浮かべた。そして問題ないと言わんばかりに手を振られたので、私は今度こそオールマイトに背を向ける。
 流石に寄り道しすぎたかもしれない。脳内に浮かんだ相澤先生のジト目に身震いしながら、私は小走りでその場から去った。勿論、その後にオールマイトがもう一度咳込んでいたなんて知る由もなかった。

 そうして予想もしていなかった邂逅を一旦胸の奥に押し込めると、私は急いで校舎に戻って教室のドアを開けた。すると、そこには落ち込んでいる者や安堵している者、各々が自由に雑談している光景が広がっている。既に試験は終了していたが、どうやら相澤先生はまだ戻って来ていないらしい。
 私がドアを開けたままほっと息を吐いていると、ドアを開く音で此方に気付いた瀬呂君が駆け寄って来た。

「遅かったじゃん名字!」
「うん。ちょっと居眠りしすぎちゃって…」
「にしても、お前も相変わらずリカバリーガールの世話になってるよなぁ。まぁ、あのオールマイト相手じゃ仕方ねぇけど」

 そう言って、瀬呂君は「なぁ、爆豪!」と近くにいた爆豪君に目をやる。爆豪君は、応える代わりに目を尖らせて私達を睨んだ。
 そんな如何にも不機嫌丸出しな姿に私ははてと首を傾げる。私の方が先に休憩所を出たのにいつの間に爆豪君に抜かされていたんだろう。

「あれ?爆豪君何でいんの?」
「こっちの台詞なんだわッ!俺より先に出てったテメェが何で俺より遅ぇんだアホ!」
「あー……。道端でお婆さんの荷物運ぶの手伝ってたらこんな時間に…」
「目ェ泳いでんぞ吐くならもっとマシな嘘吐けやボケカスが!」
「名字いつも以上にキレられてんな」

 オールマイトとのことを言う訳にはいかない。確かにバレバレな嘘を言ったのは事実だが、そこまで怒鳴らなくてもいいのに…。
 何か怒らせるようなことをしたかと記憶を探ってみるが、思い当たるのは演習試験での出来事くらいだ。あの時は私なりに仲裁役として頑張ったつもりだったけど、どうやら逆に火に油を注いでしまったのかもしれない。試験はかなり手こずったが、それでも最終的には爆豪君も協力をしてくれたし、結果的には彼と緑谷君のおかげで勝つことができたのだ。
 そうだ。手順はどうあれ、爆豪君は己を捻じ曲げてでも試験に挑んでくれた。それに対して私はまだ感謝を述べていない。私と緑谷君だけではきっと難しかっただろうし、爆豪君が不機嫌なのも納得だ。
 そうと決まれば話は早い。私は一人でうんうん頷くと、今にも噛み付いて来そうな爆豪君にこれでもかと満面の笑みを向けた。

「爆豪君、ありがッッ…!!」

 「とう」と言い終わらぬ内に、目の前が赤く弾けてから黒に染まった。「うわぁ名字が爆破されたー!」と言う瀬呂君の叫びに、私は漸く自身が爆破されたことに気付く。
 顔面周りの黒煙が徐々に晴れていくと、再び目の前に現れたのはまたしても爆豪君だ。普通女子の顔面を爆破するか?あまりの態度に半目で睨めば、爆豪君は餓鬼大将のような嫌な笑みを浮かべた。

「ハッ!そっちの不細工な面のが似合ってんぞ」
「……」
「かかかかっちゃん!?何してるんだよせっかく三人で試験もクリアできた後だって言うのにッ…」
「知るか!ヘラヘラ気持ち悪ぃ顔向けられるとムカつくんだよ!」

 どこからかすっ飛んで来た緑谷君が私達の間で慌てふためいている。その間も好き勝手に怒鳴ってくる爆豪君に、等々私の頭の奥でプチっと嫌な音が響いた。

「さっきから聞いてれば…なんで私がそこまで言われなくちゃいけない訳!?」
「前からテメェのことは気に入らねぇんだよ!試験ン時も余計なこと言って邪魔してきやがってッ!」
「嫌いだからって普通爆破までする!?それに試験受かる為にはああでも言わないと協力してくれなかったでしょーが!」
「二人共落ち着いてよ…かっちゃんもその辺にしといてさ」
「あぁ!?」
「マジでお前ら犬猿の仲だな」

 周囲の呆れた視線の中、私達は鼻を鳴らすと勢いよく外方を向いた。
 ここまで理不尽にキレられて黙っている方が無理って話だ。それでも飯田君や八百万さんに宥められてしまったので仕方なく席に戻るが、恨みがましく爆豪君の背中を睨みながら唸っていると「やめんか」と耳郎さんに頭を叩かれてしまった。

「痛いよ耳郎さん…」
「見つかったらまた言い合い始まんでしょ。ってか、あんたらあそこまで仲悪かったっけ?下手したら緑谷と同レベルなんじゃないの?」
「そんなの私が聞きたいよ。実技試験が原因だとは思うけどさ…」

 はぁと思わず溜息を溢していると、ふと視線を感じた私は隣の席を横目に見る。私の隣の席といえば彼しかいない訳で、案の定轟君が椅子に座ったまま何やら私の額辺りを凝視していた。
 …何だか疲れきってしまったせいか今だけは目の前の紅白頭が懐かしく感じられる。視線の先が私の髪の毛な気がするのは謎だけど。

「轟君。何か久しぶりだね…試験どうだった?」
「授業前に会ったばっかだろ。試験なら八百万のおかげで合格だ。それより、大丈夫か?」
「これが大丈夫に見える?オールマイトと爆豪君のおかげで身も心もぼろ雑巾だよ」
「それもだが…髪が…」
「髪…?」

 髪がどうしたって言うんだ。轟君はどこか言い辛そうに口籠ると、更に耳郎さんまでもが突然吹き出すなり「もしかして気付いてなかったの?」と笑いを堪えている。
 そんな二人の様子を訝しげに見ていると、見兼ねた八百万さんが手鏡を取り出して私に見せてくれた。

「…髪、爆発してんだけど」
「お教えするか迷ったのですが…」
「ぶふッ!ご、ごめん名字…あんまり平然としてるから敢えて言わなかったんだけど…アフロ、似合ってるよ」
「せっかく綺麗だったのにな。治んのか…?それ」

 鏡に映る私の髪の毛は、それはもう見事に爆発していた。手鏡を持つ両手がわなわなと震える。耳郎さんは遂に我慢できなくなったのか、爆笑していた。

「爆豪勝己絶対に許さんッ!!」
「お、お腹痛い!お願いだからその頭で叫ばないで!」



***



 耳郎さんに散々笑われた後、怫然としたまま帰りのHRを終えた私はオールマイトに言われた通り校舎内の仮眠室に向かった。
密談故の仮眠室なのだろうが、学校の中には変わりないので何だか少し緊張してしまう。私はドアの前で小さく深呼吸し、控えめにノックをした。すると、中から「どうぞ」と落ち着いた低音が返ってきたので恐る恐る部屋に入れば、中には痩せた姿のままのオールマイトがソファに座っていた。手招きをされ、私はそっと対面のソファに腰を下ろす。

「失礼します」
「良かった。すっぽかされたらどうしようかと思ったよ
「そんなことしませんよ」
「はは。そりゃそうだ」

 こんな大事な約束を忘れる人がいたら見て見たいものだ。オールマイトはいつもと変わらず冗談めかして言うと、二人分の湯飲みにお茶を注いだ。
 私は所在無さを紛らわす為に手渡された湯飲みに口を付ける。思ったより熱くて舌先が火傷した。

「ところで、髪が焦げている気がするんだが…」
「流行りです。気にしないでください」
「???そ、そうか。すまない」

 そんな訳ないだろって誤魔化し方だが、私のただならぬ剣幕にオールマイトはそれ以上何も突っ込んで来なかった。何だか思い出したらまた腹が立ってきた。けど、私は爆豪君と違ってみみっちくないので仕返しなんて子供染みた真似はしないのだ。うんうん。大人だからね私は。
 そう内心で必死に自分を抑えていると、神妙な顔付きで私を眺めていたオールマイトが口を開いた。

「もしかして、緊張してる?」
「…よく分かりましたね。実はちょっとしてます」
「そんなに表に出てる訳じゃないが、落ち着きがないように見えたからね。明らかに熱そうなお茶をすぐに飲んで火傷してるし」
「それは見なかったことにしてください。っていうか、そりゃ緊張しますよ…。だって私がここに呼ばれたのって、要は口止めする為ですよね?」

 No.1ヒーローの知られざる真の姿を偶然とはいえ目撃してしまったのだ。信じる信じないは別として、少しでも噂が広がればオールマイトにとっては不利益にしかならない。丁寧にお茶なんて出して持て成してくれているが、本心は今すぐにでも本題に入って口封じをしたい筈だ。

「口止め料のことなら安心してください。お金も何もいらないので。まぁ、オールマイトなら大金くらいポンと出せるのかもしれませんが…」
「待て待て待て。流石にヒーローが賄賂はまずいだろう!それに、私は別に君に口止めをしたくてここに呼んだ訳ではないよ」
「え…そうなんですか?私、何を言いふらすか分かりませんよ?」
「…まぁ、その時はその時さ。それに、私は君がそんなことをするような子ではないと思っている。寧ろ見られてしまったからには事実を伝える為に君を呼んだんだ」

 真っ直ぐ此方を見つめる双眸が嘘ではないと言っている。てっきり口止めされるとばかり思っていたから、私はそんなオールマイトの真剣な表情に面食らってしまった。
 そしてオールマイトは、その痩せた姿に至るまでの経緯を話してくれた。五年前にある敵との戦闘で生死の境を彷徨う程の傷を負ったこと。そのせいで、本来の筋骨隆々の姿を三時間程度しか保てないこと。緑谷君とは、彼が中学生の頃に偶然トゥルーフォームを見られてしまい、今も付き合いが続いていること。
 どれも言葉だけで証拠なんてなかったけど、そんなものがなくても今の話が嘘偽りない事実だということは私でも理解できた。それに、オールマイトは対価もなく私を信じて話してくれたのだ。私もそれ相応の覚悟で今の話を受け止めなければならない。ただ、あのオールマイトですら倒せない敵がいるなんて俄には信じられなかった。
 話を聞く限り、言葉は濁しているがオールマイトの体調が回復に向かっているとは思えない。頻繁に吐血している時点で只事ではないのだ。その状態でまたその敵と交戦したら、一体どうなってしまうんだろう?不吉な未来を想像しただけで目眩がしそうだった。それだけこの人は、私達にとってあまりにも大きすぎる存在なのだ。

「もしかして、それで緑谷君ですか?」
「…どういう意味だい?」
「オールマイトの秘密を知っているから特別目を掛けているってのは分かります。でも、私にはそれだけに見えないんです。お互いの個性といい、何だかもっと…深い所で繋がっているような気がします」
「うーん…。まいったなぁ」

 オールマイトは本当に困ったといった様子で後ろ髪を掻いた。どうやら緑谷君との関係だけはどうしても話せないらしい。その反応の時点でほぼ答えを言ってしまっている気もするけど…。
 何だか抜けているのかそうでないのか不思議な人だ。大の大人に向かって言う言葉ではないかもしれないけど、オールマイトの純粋な直向きさが狭間見えたようだった。だからか、言い淀むオールマイトに私は苦笑を浮かべるしかなかった。

「無理ならいいんです。今の話だけでも充分秘密を明かしてくれたと思うので」
「すまない…君の配慮に感謝するよ。…ちなみに今後の改善の為に教えて欲しいんだが、一体私達のどこを見てそんな風に思ったのかな?」
「本気で言ってますか?」
「え…そんなまずいことしたっけ…」

 私の引き気味の表情に、オールマイトは冷や汗を流しながら必死に記憶を辿っているようだ。しかし特に思い当たらなかったのか「…今度お菓子をあげよう」と教師らしからぬ言葉を囁いた。

「賄賂しないんじゃなかったんですか!?何なら不審者ですよ今の!しっかりしてください!」
「ハッ…!しまった、つい。ほんのジョークだよ気にしないでくれ」
「まぁ…お菓子くらいなら貰ってもいいですけど」
「ちょっと揺れ動いてる!」

 どこから取り出したのか、飴ちゃんを貰った。オールマイトキャンディソーダ味だ。
 口の中で飴玉を転がしながら私はこほんと一つ咳払いをすると、逸れまくった話を戻した。

「先に言っておきますけど、怪しんでるのは私だけじゃないですからね」
「ま、まじ?」
「まじです。まぁ、そっちは隠し子って線で疑ってるみたいですけど」
「隠しごぶほぁッ」
「息を吐くように吐血しないでください…心臓に悪いです」
「隠し子って嘘だろ…アメリカンジョークでも笑えないぜ…」

 隠し子と疑っていたのは轟君だ。どう見ても似ていない二人をそんな関係だと勘違いしたということはそれだけ親密に見えていたということだろう。体育祭の時に盗み聴きした話を持ち出すのは気が引けるが、これほど致命的な例は他にないので仕方ない。
 オールマイトは頭を抱えてすっかり意気消沈してしまっている。何だか虐めているみたいで可哀想になってきたけど、私は心を鬼にしてトドメの言葉を捲し立てた。

「大体、他の生徒の前で堂々と呼び出しすぎです。教師が一生徒を贔屓するのはよくあることですけど、二人の場合事情が事情なんですからもっと慎重に行動しないとだめじゃないですか。USJの時もセメントス先生の不審な行動が気になりましたし」
「うん…」

 今となって理解したが、きっとあの時のセメントス先生の行動はオールマイトの姿を他の生徒に見られないようにする為だったのだろう。だからこそ、緑谷君以外の生徒をその場から排除したのだ。一部の人間はオールマイトの事情を知っているみたいだから、切島君への不審な態度も納得だ。
 けれど私は、そこまで考えるなりピタリと口を閉じた。中途半端に宙で止まった右手が意味もなく湯呑みに伸ばされる。嫌でも気付かされた自分の感情に動揺してしまった私は、平然を繕う為にお茶を啜るしかない。
 オールマイトは膝の上の両手を組んだまま項垂れていたかと思えば、そんな私の行動の意味を察したのか、苦笑いを浮かべている。

「…ごめんなさい。仮にも先生に向かって偉そうに」
「いいんだ、尤もなことを言っているよ。…だが、驚いたな。君がそんな風に感情を表に出すだなんて」
「?どういうことですか?」
「私が知っている君は、もっとクールというか…本心を押し留めるタイプに見えていたよ。雄英に入学してから変わるきっかけでもあったのかな」

 その通りだった。以前までの私は、例え嫌なことがあっても嬉しいことがあっても滅多にそれを表に出すことはなかった。これといった大きな理由はないけど、昔からの私の癖だったのだ。
 感情を表に出さなければ人との無駄ないざこざが起きない。全て丸く収めるには、いつだって誰かが我慢しなければならない。そうすれば、お母さんもいつも「手が掛からない」と言って喜んでくれたから。
 けれど、雄英に入学し体育祭を経てから私の考えが変わった。緑谷君や飯田君、沢山のクラスメイトと過ごして分かったのだ。私の気持ちも、周りの想いも言葉にしないと何も伝わらないんだって。それは己の成長を妨げることにも繋がるんだと飯田君とヒーロー殺しの事件を乗り越えて分かった。だから私は笑うことを我慢しなくなったし、嫌なことは怒るようにした。
 一つ気になったのは今のオールマイトの意味深な言い方だ。まるで前から私のことを知っていたような口振りに怪訝な顔をすれば、オールマイトはにっこりと人のいい笑みを浮かべた。

「実は君の母親とはヒーロー繋がりで昔からの馴染みでね。君がこんなに小さかった時にも会ったことがあるんだよ」

 こんなに、と言いながら手で分かりやすく身長を示してくれているが、その思った以上に低い位置に私は押し黙ってしまった。勿論、全く身に覚えはなかった。

「自分で言うのもなんだが、あれくらいの子供はいつもサインを無邪気に強請ってくるんだけど君は毎回顔を顰めて嫌がっていたなぁ」

 「あの膨れっ面は中々の見ものだったよ」なんて言いながらオールマイトはHAHAと笑っている。昔を思い出してついいつものオールマイトが出てしまったのかも知らないが、私は自分の知らない話を嬉々として話す目の前の男に最早ついていけなくなっていた。

「ヒーロー繋がりでっていうのは分かりますけど、そんな頻繁に相手の子供と会ってるって…もしかして愛人?」
「ごふぉあッ」
「あ、ティッシュどうぞ」
「あ、どうも。じゃなくて、なんてことを言うんだ君はッ」
「何でそんな動揺してるんです?」

 益々怪しい。じとーっとした目を向ければ、オールマイトは矢鱈焦った様子で「ただの友達だからそんな顔はやめなさい…」と口元を拭っている。
 何だか動揺する度に吐血しているけど大丈夫なんだろうか。あんまり血を吐かせるのも悪いので私は「そういうことにしときます」と早々に身を引くことにした。

「でも、まさかそんなに前から私のことを知っているとは思いませんでした。オールマイトっていつも緑谷君にばっかり構っててまともに話したのも最近ですし。何ならさっきの試験もマジで殴りましたよね??」
「ほら…あれはちゃんとやらないとさ、私も怒られちゃうし…。だがまぁ、あれだけ私に興味のなかった子が今じゃ生徒同士で先生を取り合っているのも悪い気はしないなぁ」
「別に取り合ってないですし!」
「そうなのかい?私にはさっきの言葉も緑谷少年ばっかりーって言ってるように聞こえたんだけどな」
「そ、そんなことは…」

 ないとは言えなかったので思わず口籠もってしまった。さっきというのは恐らく私がオールマイト相手に説教じみたことをした時の話だろう。自分でも嫉妬をしていると気付いてしまったから私は黙りこくったのだが、この人は目敏くそれに気付いたのだ。
 何たる醜態。これではまんま子供と同じだ。ムッとしたまま顔を赤くさせる私に、オールマイトは大人の余裕を見せて笑っている。それが尚のこと気に入らなかった。

「二人の関係を知らなかったので、何だか緑谷君だけ特別認められてるみたいで悔しかっただけです…。それに、私は特別オールマイトが好きとか、そういうのないですから」
「え!?嫌いってこと!?」
「嫌いじゃないです。人としてもヒーローとしても尊敬してるし、本当に凄いなって思ってます。ただ、オールマイトに好き嫌いつけられないっていうか…好きで当然っていうか…。とにかく、お米めっちゃ好きって人とめっちゃ嫌いな人中々いないよね?って感じです」
「…オールマイトをお米で例える人に初めて出会ったよ」

 オールマイトは眉を八の字にしてどこか気不味そうに机に視線を落とすと、言うか言うまいかといった間を開けてから「違ってたら悪いんだが…」とおずおず口を開く。
 
「君が体育祭の件で私のことを良く思っていないのなら…気にする必要はない。私と君の個性は似て非なるものだし、君はそれを立派に使い熟している」

 体育祭の件、とは恐らく私に降りかかったオールマイトコールのことを言っているのだろう。今思い返してみても全く場違いな声援だったと思う。けれど、「まるでオールマイトみたい」と言いたくなる気持ちも私は嫌と言う程知っている。
 何せ、擬えられている相手は平和の象徴だ。それこそ、最上級の褒め言葉なのだ。彼に例えられて嬉しくない人なんてこの世を探しても中々いないのではないだろうか。だけど私は、オールマイトじゃないんだ。彼のように強くなりたいとは思うけど、彼になりたい訳じゃない。

「…最後に教えてください。私のが似て非なるものなら、緑谷君と貴方の個性は同じものなんですか?貴方の言い方は、そういう風に聞こえます」
「……」
「これもノーコメントですか」
「すまない…詳しく話すことはできないが、近いものではあるとだけ言っておくよ。君ももっと成長すれば自ずと二人の違いを理解する筈だ。身体強化と一口に言っても、何通りもの派生が存在するからね」

「いつか時がきたら…なんてありふれた約束はできないが、今はこれで勘弁してくれ」そう続けて、オールマイトは目を伏せる。私は相槌を打つことすら忘れて、静かにお茶を飲み干した。
 オールマイトと話をして疑問が解決したような気もするし、結局謎が更に深まっただけのような気もする。ただオールマイトがこれ以上何かを明かしてはくれないことだけは確かで、私はそっと腰を上げると「今日はありがとうございました」と会釈をしてから出口に向かった。

「試験後で疲れているだろうに時間を貰ってすまない。私が言うのもなんだが、しっかり休んで怪我を治すんだよ」
「ほんとにオールマイトが言うのもなんですね」
「リカバリーガールにやりすぎだってこっ酷く叱られたよ…。これでも反省している」
「私も、今日の戦い方には反省しています。だからもっと勉強して強くなります。次は絶対負けませんからね」
「ああ。楽しみにしているよ」

 にこりと笑みを浮かべるオールマイトに見送られ、私は仮眠室を出る。
 どこか現実味の無い話を聞いているようで、何だか釈然としない気持ちだった。世の中知らない方がいい事もあると言うけど、正にこれがそうだと思う。けれど私は知りたかったからこそ問い詰めた。そこに、緑谷君の強さの秘密があると思ったからだ。
 
 オールマイトは根拠もなく私を信じてくれたが、勿論私とて今の話を誰かに言いふらすなんてことはしない。私は今日の出来事をそっと胸の奥に押し込めて、何事もなく日常に戻るだけだ。
 日々の鍛錬を怠らない事。私にできるのは、それだけなのだから。

 

 




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