母はトップヒーロー。父はヒーロー公安委員会の人間。
私は、ヒーローとなるべくして生まれ、育てられてきた。
愛を、叫べ
年相応にマックで駄弁ったことも、ろくに友達がいた経験もなかった。中学時代は当たり障りのない人間ではあったと自負しているが、殆どの時間は勉学と訓練に勤しんでいたからノリの悪い奴だと思われていたことは知っている。 かといって、貶められることはなかった。クラスでの私の存在は、いつだって腫物に触るような感覚に近かった。理由は至極明確―――― 私がトップヒーローの子供だからだ。 生徒のみならず、担任までもが顔色を伺う始末。下手なことをすれば何をされるか分かったもんじゃないという明け透けな考えの人間と三年間、なんの問題も起こすことなく卒業した。
そんな青春の青の字どころかせの字すらなかった私の十五年分の時間は、誰もが憧れる”国立雄英高等学校ヒーロー科”の推薦枠と引き換えになったのである。
「推薦?当然でしょう。それくらいやってもらわないと困るわ」
珍しく帰宅した母にいつしかそう言われた。 本来なら推薦をもらえるだけでも上等。涙でも流して喜ぶ所なのかもしれない。「よくやった」そんな言葉を期待していた訳じゃない。これはただ敷かれたレールのスタート地点に過ぎないのだ。 私が行かなければならないのはもっと、遥か先。―――― No,1の座なのだから。
「1-A、1-A…ここか。ドアでっか」
今日から始まる高校生活。首が痛くなりそうな高さのドアにデカデカと1-Aと書かれているのを確認しドアを開ければ、目の前には新品な空気の教室と馴染まない新入生の姿が広がった。 当然、視線が勢いよく私に集まる。これから過ごしていくクラスメイトへの興味や品定め。既に着席している人も向けられたであろう観察の眼差しを受け止めながら指定された席へ歩いていく。
私の出席番号は二十一だから、一番後ろの窓側だ。
机の合間を縫って着席し、両サイドを見回してみる。目の前の席はポニーテールの綺麗な子で、私の隣の席は紅白頭がやたらと目立つ男の子だ。 馴れ合いをするつもりは全くない。しかし、最低限の関わりでヒーロー科をやり抜けるとも思っていない。コミュニケーション能力も世渡りの上で大事なツールの一つだ。
「私、名字。よろしく」 「……」 「(まさかの無視ッ)」
大丈夫。全然気にしてない。そういうスタンスならこちらもある意味楽だ。いやでも筆記用具忘れた時どうしよう。
「前の子もよろしくね」 「…よろしくお願いしますわ」
うん。無視より良い。 このやたら静かな空気といい、どうやら皆緊張しているみたいだ。クラスメイトとはいえ、ここにいる人はこの先好敵手となっていく存在なのだから無理もない。 そんなことを考えながら鞄をしまっていると、静かな空間に突如怒鳴り声が響いた。
「机に足を掛けるな!雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないか!?」 「思わねーよてめーどこ中だ端役が!」
教室の前方で真面目そうな男の子といかにも不良な男の子が言い合いを始めた。どちらも引けを取らず、「ぶっ殺すぞ!」などとヒーローらしからぬ発言をしているせいでクラス中が引いているし、教室に入りかけていた気弱そうな男の子まで顔色を悪くして入り口で立ち止まってしまっている。 彼らを仲裁する人間が出てくる筈もなく、皆の視線は一点に集中したままだ。そこに新たにショートカットの女の子が教室に入ってくると、真面目くんと気弱くんの知り合いだったらしく一先ず騒ぎは収まったようだった。
「お友達ごっこしたいなら他所へ行け」 「え…」 「ヒーロー科だぞ」 「(な、なんかいる…)」
チャイムと共に入り口に現れた謎の寝袋。何やら小汚い男性はエナジードリンクを一口で吸いきると、のそのそと起き上がって教卓に向かった。
「ハイ。静かになるまで八秒かかりました。時間は有限。君達は合理性に欠くね。…担任の相澤消太だよろしくね」
クラスメイトもそうだが、ヒーロー科の人間はどうやら一癖も二癖もある気がする。ただ担任というからには彼もプロヒーローなのだろう。…くたびれ具合が目立つけど。 一同が動揺する中、相澤先生はゴソゴソと寝袋を漁ると何故か体操服を取り出した。
「早速だが、コレ着てグラウンド出ろ」
説明もないまま各自体操服を配られ、更衣室で着替える。会話する間も無く急いでグラウンドに向かえば、私達を待っていたのは個性把握テストだった。
「入学式は!?ガイダンスは!?」 「ヒーローになるならそんな悠長な行事出る時間ないよ」
不安気なショートカットの女の子の質問を一蹴し、相澤先生が説明を始める。 競技は全部で八種目。内容はソフトボール投げや立ち幅跳び、五十m走といったありがちな体力テストだ。中学でも毎年やるものだけど、唯一違うのは”個性の使用”だ。今までは禁止だったが、ヒーロー科である以上使わなければ始まらない。 雄英は自由な校風が売りとは聞いていたけど、どうやらそれは先生側も同じらしい。準備も予告も何もないテストだけど、普段の実力を出せば問題ない筈だ。
「爆豪。中学の時ソフトボール投げ何mだった」 「六十七m」 「じゃあ”個性”使ってやってみろ。円から出なきゃ何してもいい。思いっきりな」 「んじゃまぁ…」
先程の不良少年。爆豪君は相澤先生からボールを受け取ると、「死ねェッ!」と物騒なことを叫びながらボールを爆風に乗せて飛ばしてしまった。その距離七百五m。 爆発による風を受けながらぽかんとする一同。発言は置いといて、凄い個性には違いない。
「なんだこれすげー面白そう!」 「個性思いっきり使えるんだ!流石ヒーロー科!」 「…面白そう、か。ヒーローになる為の三年間。そんな腹づもりで過ごす気でいるのかい?」 「!?」 「よし。トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」 「はぁあああ!?」
グラウンドに1-Aの叫び声が響き渡る。 ようやく手にした雄英高校へのきっぷ。そんな簡単に失っていいものではない。しかし、そんなルールも罷り通ってしまう。これが…
「生徒の如何は先生の自由。ようこそこれが、"雄英高校ヒーロー科"だ」
表情が自然と引き締まっていくのが分かる。ふと、私の隣であの気弱な男の子が半泣き状態で立っているのが見えた。 …クラスメイトの個性は把握していないけど、入学試験を突破する程なのだからここにはそれなりの実力のある生徒が集まっている。けれどあの男の子は今朝の教室の時からずっと落ち着きがなくて、自信のない顔をしているのだ。
「(手、震えてるし)」
確かに除籍処分は耳に痛い話だ。だけどあの男の子の様子は、まるで自分が除籍になると分かっているような顔付きなのがやけに引っかかった。
「最下位除籍って…入学初日ですよ!?いや初日じゃなくても理不尽すぎる!」 「自然災害、大事故、身勝手な敵達…。いつどこから来るか分からない厄災。日本は理不尽にまみれている。そういう理不尽を覆していくのがヒーロー」 「…」 「放課後マックで談笑したかったならお生憎。これから三年間雄英は全力で君達に苦難を与え続ける。"Plus Ultra"さ。全力で乗り越えてこい」
皆の目付きが変わった。最下位は除籍処分、クラスメイト全員がライバルだ。 まずは第一種目の五十m走。それぞれが準備体操を始める中、私は唾を飲み込む気弱君の方を向いた。
「君、大丈夫?」 「へわッ!?え、僕!?」 「うん僕。さっきから凄い顔してるから」
そう言う私に気弱君は化け物でも見たかのように目をひん剥いた。生まれて初めて人間を見たみたいな反応に眉を顰めれば、「ご、ごめん…。まさか君みたいな人に話しかけられると思ってなくてその…」と今度は目を泳がせている。 私みたいな人っていうのがよく分からないが、あまりにもオーバーリアクション過ぎて寧ろ心配になってくる。馴れ合いをしないのは変わらないけど、ここまで不安気にしていると何となく放っておけなかった。
「大丈夫だよ」 「え、」 「自分に言い聞かせるの。大丈夫、できるって。そしたら本当に大丈夫だから。やってみて」 「…うん。うん!そうだね、やるしかない!」
気弱君が拳を強く握り締める。そのままブツブツ何か言い出したので去ろうと背を向けると、「あ!あの…名前聞いてもいい、かな!?」と慌てた声が聞こえて振り返る。
「名字名前だよ。よろしくね」 「僕は、緑谷出久!よ、よろしく!」 「うん」
今度こそ緑谷君に背を向ける。私は出席番号順で最後だからクラスメイトの個性でも観察していようかなと思っていた矢先に、相澤先生に鋭い眼光で睨まれていることに気付いた。 中学時代は優等生として過ごしてきた分、先生に全くと言っていい程叱られたことのなかった私。そのせいか、担任の慣れない剣幕に思わず足が止まった。
「名字…。他人の心配とは随分余裕そうだな…?」 「申し訳ありません、そういうつもりではなく…」 「お前、次走れ」 「へ?」
理不尽はいつどこからやってくるか分からない。 「ごーよんーさんー」と気怠げなカウントダウンに慌ててスタートラインに立つも、急な順番変更にクラスメイトの視線が突き刺さって痛い。
「なぁ、あいつ三人目の推薦者らしいぜ?」 「え、二人までじゃないの?」 「特別枠なんだとか」 「えー?」
どこかでそんな会話が耳に入った。 トップヒーローの子供だから成績がよくて当たり前。できて当たり前。超難関校に合格するのも当たり前。できないことが許されなかった。私は完璧でなきゃいけない。 順番が何であろうと関係ない。私は、私の"個性"と実力で挑むだけ。
「よーい」
体勢を低く、クラウチングスタートの構えをとる。両足の筋肉の収縮と血流の流れを意識。全身が熱くなるのを感じる。
私の"個性"は―――― 身体強化。増強系の個性だ。
「Start!」
一瞬のことだった。
「…三秒ぴったし、か」 「え?」 「な、僕より早いッ!?」
ざわつきはじめる空気にさっさと移動をすると相澤先生が不服そうに鼻を鳴らした。担任だし、私の家庭事情も知った上で発破をかけてきたのだろう。残念だけど、こんな体力テストで怯むような私ではない。
二種目目は握力テスト。私の個性は筋肉を一時的に強化し、身体能力を著しく向上させるものだ。詰まる所、怪力というものに近く握力テストは正に得意分野だと言える。 右腕に個性を発動させ、思いっきり握り締める。すると、みしりと不吉な音が下から聞こえてきた。
「あ…」 「お、おいヒビ入ってんぞ!?さっきも何人かゴリラいたけどこっちはキングコングかよ!」 「女なのに全然エロくねーよどうすんだよー!」
亀裂の入った握力計を見るなり好き勝手言っている男子は置いといて、背後からの強烈な視線に恐る恐る振り返れば案の定相澤先生が目を血走らせて立っていた。(多分ドライアイのせいな気もする)
「それいくらすると思ってんだ。敵じゃないんだから加減を考えろ」 「…はい」
なんか、当たりが強くないか…?壊した私も悪いけどソフトボール投げの時は思いっきりって言ってたのに。成績が良くても何となく肩身が狭い気がする。
それからは立ち幅跳びや反復横跳び、ボール投げも好成績を出していったが、相澤先生が何かを言ってくることはなかった。それよりも緑谷君の方を気にしているらしく、先程から彼を凝視していた。それも無理はない。現時点で緑谷君は最下位も同然。顔色は開始前よりも一層悪くなっていた。 近くで真面目君とショートカットの子が「緑谷君はこのままだとマズイぞ…」と話しているのが聞こえて、そういえば彼等が知り合いだったことを思い出す。
「ねぇ、緑谷君の個性何か知ってる?」 「え?…いや、正確には分からないな。強力な個性には違いないんだが」 「うん!入試の時凄かったよね!」 「はぁ!?アイツは無個性のザコだぞ!誰かと間違えてんじゃねーのかッ!?」 「無個性?彼が入試に何を成したか知らんのか!?」 「は!?」
一方は強力な個性、もう一方は無個性だと言い張る。爆豪君は緑谷君のことを”デク”と呼んでいたからそれなりに親しい関係なのだろうし、彼の言っていることは信憑性も高い。しかし、それだと実技試験を突破してここに立っていることの辻褄が合わない気がする。あの自身のなさといい、無個性だと言われた方が寧ろしっくりくる気がした。 残り種目は持久走、上体起こし、長座体前屈。せめてボール投げでそれなりの成績を出さないと除籍処分は免れないだろう。円の中に立った緑谷君は覚悟を決めたようにボールを握りしめると、半ばヤケクソに振りかぶった。その瞬間、微かに右腕に力が集中していたのを私は見逃さなかった。
「な…今、確かに使おうって…」
個性が発動する気配が確かにあった。しかし、結果は四十六m。緑谷君は絶望の表情で掌を見下ろしていた。
「”個性”を消した」 「!?」 「つくづくあの入試は合理性に欠くよ。お前のような奴も入学できてしまう」 「消した!?あのゴーグル…そうか!抹消ヒーロー”イレイザーヘッド”!」
「イレイザー?俺知らない」、「名前だけは見たことある!」などとザワつき始めるグラウンド。相澤先生は知る人ぞ知るアングラ系ヒーロー。緑谷君の個性が発動しなかったのは相澤先生の”個性”によって抹消されていたからだ。 相澤先生は眉間に皺を寄せて捕縛布で緑谷君を引き寄せると、私達に聞こえないように説教を始めたようだった。
「指導を受けていたようだが」 「除籍宣告だろ」
どちらでもあり得るが、相澤先生は緑谷君を離すともう一度ボールを投げるように指示を出した。緑谷君の表情は前髪のせいでよく見えない。彼は何やらブツブツ独り言を溢すと、全力で腕を振りかぶった。
「SMASHッ!」
右腕に個性は発動していない。しかし、今度は指先に力を集中させ、たった指一本でボールを吹っ飛ばしてしまったのだ。そのパワーたるや、まるでオールマイトを彷彿とさせた。
「やっとヒーローらしい記録出したよ!」 「指が腫れ上がっているぞ。入試の時といい可笑しな個性だ」 「スマートじゃないよね」 「どーいうことだこらワケを言えデクてめぇッ!」
周りの騒がしい声も耳に入ってこないくらい、私は呆然としていた。 記録は七百五m。私の記録はそれより数m短い。指先であの力なら、腕で投げていたら?考えたくもない程その個性は未知数で、また私の個性とだだ被りしていた。
「(あれだけ力があって、なんであんなッ…)」
たった一瞬しか見ていない。それでも私には分かってしまった。緑谷君の個性は完全に私の上位互換だった。
胸の裡からふつふつと怒りにも似た感情を湧き立つのが分かる。かつてここまで個性と人間自体が釣り合っていないのを見ただろうか。 個性の制御ができていないのか指は紫色に腫れ上がり、緑谷君は漸くほっとしたように胸を撫で下ろしている。個性はおよそ五歳頃には発現し、私達は十五年間その個性と連れ添ってきた。しかし彼は、まるでつい最近個性を覚えたかのような出で立ちだ。
「私が…あの力だったらッ」
―――― 名前の個性はオールマイトに似てるね。
もっと上手く使いこなしてみせるのに。
そこまで考えて、ハッと我に返った。邪念を飛ばすかのように頭を振って冷静になる。我ながら馬鹿げた考えだ。そんなこと思ったってどうしようもないのに、弱気になってどうする。どんな相手がきたって関係ない。絶対に私が勝つ。
「んじゃパパッと結果発表」
全種目を終え、相澤先生を前にグラウンドに集まった。トータルは各種目の評点を合計した数。間違っても最下位ではないだろう。そんなことを思っていた矢先に、相澤先生の口からとんでもない言葉が出てきた。
「ちなみに除籍は嘘な」 「……?」 「君らの最大限を引き出す合理的虚偽」 「はーーー!?」 「あんなの嘘に決まってるじゃない。ちょっと考えれば分かりますわ」
前の席のポーニーテールの子が呆れたように私達を横目で見る。 ヒーローとは生半可な覚悟でなれるものではない。だからこそ、雄英なら本当に除籍制度があっても可笑しくはないから信じたんだけど、まさか嘘だったなんて…。 相澤先生は「そゆこと」と担任らしからぬ適当な返事をすると、成績をモニターで一括開示した。
二十一人中、私は一位。緑谷君は、最下位だった。
「うげぇ…一位と二位が女子かよ」 「名字ってあのキングコングか」
誰がキングコングだ。文句を言いたいのを堪えながら二位と三位に目を通す。 八百万と轟。多分だけど、八百万がポニーテールの子で轟が隣の席の紅白頭だ。
「ん?」
ふと視線を感じて横を見れば、噂の八百万さんが唇を噛み締めて悔しそうに私を見ていた。心成しか、轟君にも凝視されている気がする。
「次は負けませんから!」 「…やってみなよ」 「女子って怖ェ…」
黄色い頭の男子が冗談めかして呟いた。
こんな体力テストごときで一位は当然だ。こんな所で満足している場合じゃない。―――― 早く、もっと次のレベルへ。
この日は体力テストのみだったらしく、教室に戻った私達は下校となった。帰宅した後も日課のトレーニングが待っている。学校も明日からが本番だ。
私は帰りの支度を手早く済ませると、雑談を交えるクラスメイト達をすり抜けて帰路に着いた。
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