「名字君!職員室から君の忘れ物である鍵を預かっているぞ!家に入れないのではと心配していたが、轟君から彼の自宅にお世話になったと聞いて安心したよ!」
「…すはぁー…」
「どうした名字君!魂が抜けかけているように見えるが…大丈夫か!?名字くーーん!?」

 飯田君の掌に握られているのは正しく私の家の鍵だった。どこにも見当たらないと思ったらまさか教室に落としているなんて。叶うならば、二日前の自分に雄英に行くようにと伝えたい。

 ―――― そう、事の発端は二日前。私が家の鍵を失くして彷徨っていたことから始まった。

 一体何の巡り合わせか、私は轟君に拾われるようにして彼の自宅に招かれた。そして有難いことに冬美さんの手料理をご馳走になり、さぁ寝るかといったタイミングで事件は起きたのである。

 遡ること数日前の早朝――――

 顔を照らす陽光の眩しさで目を覚ました私は、酷い悪夢と寝苦しさのせいで殆ど寝た気がしなかった。
 床で寝てしまったので気怠さまで感じる。伸びでもしようかと腕に力を入れるが、どういう訳か両手が何かに塞がったように動かなくて、更に全身に感じる重さに自然と視線が下がった。

「ひぃッ!?」

 そこには、私の体にもつれるようにして寝ている轟君の姿があった。すやすやと心地好さそうな寝顔が視界に入り、私はさながらムンクの如く顔を青くさせる。
 慌てて周りを見渡せば、座卓には教科書が広がったままだった。そして私達は畳の上で雑魚寝。徐々に蘇ってくる昨夜の記憶に、私は未だに服に張り付いている轟君を急いで引っ剥がした。
 そうだ。確か昨夜は轟君が妙な体勢で寝たばっかりに巻き添えを食らってそのまま床で寝たんだった。何だか凄く息苦しかったし夢見も最悪だった。私が記憶を探りながら頭を抱えていると、ふいに轟君のスマホの目覚ましが鳴り響いた。そういうとこはちゃっかりしてるんだ。

「ん…。名字?…何でいんだ?」

 轟君は目覚ましの音でのそりと起き上がると、いつも以上にボーッとした表情で呟く。人が寝苦しさと戦っていたというのに、轟君に至っては寝惚けるまで熟睡しているのが更に憎い所である。
 頬に畳の跡を付けたまま轟君は何故か不思議そうに腕を見下ろしているので、その不可思議な行動にまだ呆けているのかと呆れ半分で様子を伺えば、轟君はおもむろに眉間に皺を寄せた。

「腕が痛ぇ…。何でだ…?」
「寝違えたんじゃないですかね!」
「…?そうか」

 あれだけ力を込めて服を握れば腕の一つや二つ痛くなって当然だ。おかげで冬美さんの服がシワシワである。
 ムッとしながら答えた私に轟君は首を傾げながらも納得したようだった。まぁ、本当に寝違えた訳ではないけどもうこの際何だっていい。
 寝癖を付けたまま心ここに在らずな轟君を横目で睨んでいると、机の上に放置していた私のスマホが着信の知らせで震えた。慌てて手に取って耳元に当てれば、案の定見田さんの「お嬢様ー!!」な大音声が鼓膜を揺らして思わずスマホを遠ざけた。

「おはよう見田さん」
「何てことでしょう…私久々の休みですっかり寝こけてしまい、お嬢様の悲痛な連絡に気が付きませんでした!一生の不覚でございます!切腹します!」
「切腹!?いやいや、しなくていいから…。それより位置情報送るから迎えにきてくれないかな?」
「勿論、飛んで行きますとも!それではお待ちくださいね!」

 ピッと画面をタップして通話を切れば、やっと覚醒し始めた轟君が「切腹…?」と物騒なワードに顔を顰めている。側から聞いていれば一体どんな会話かと疑うような内容だが、家の人が迎えに来てくれることを伝えれば漸く昨日の出来事を思い出したのか「良かったな」と頷いてくれた。

「お、おはよう二人共!朝ご飯できてるよ!」

 身支度を終えてダイニングに向かえば、冬美さんがテーブルに味噌汁を並べていた。しかし、私達の顔を見るなり途端に挙動不審になったので、二人揃って首を傾げれば「あー!何でもないよ!?」と妙な誤魔化し方をされてしまった。
 そんな冬美さんの言動が腑に落ちないまま、私は御礼と見田さんが迎えに来てくれることを伝えて朝食を頂いた。夏雄さんは朝から出掛けているのか、姿は見えなかった。

 そうして朝ご飯まで頂いてしまい、後片付けを手伝っていると、冬美さんが食器を洗いながらふと嬉しそうに頬を緩めた。

「今回は成り行きだったけど、いつでもうちに遊びに来てね。いつも無口な弟だけど、あんなに楽しそうにお話してるの初めて見たの」
「え、楽しそうでしたか?いつも通り無愛想に見えましたが…」
「ふふ。そう見えるでしょ?誤解されやすいけど、あれでもきっと名前ちゃんに心開いてると思うんだ」

 確かに入学当初と比べれば轟君は格段に笑うようになったし、普段の学校生活から一緒にいることが増えた。けれどそれは私にだけでなく、A組全員に対して接し方が変わったように見えていたからその言葉は意外だった。
 やはり、家族だからこそ分かることもあるのだろう。気を許してもらえているなら私とて嬉しい限りだ。私は冬美さんに「今度は手土産持って遊びに来ますね」と笑みを向ける。すると、轟君が玄関を気にしながら部屋に入ってきた。

「名字。迎え来てるぞ」
「早!?」
「じゃあ焦凍とお見送りしに行こうかな」

 電話を切ってからそんなに経ってない気がするのだが…。しかし、それだけ心配させてしまったということだろう。
 荷物を持って外に出れば、私の姿を見付けた見田さんが車から降りるなりおんおん泣きながら抱き着いてきた。

「お嬢様ぁああ!こんな遥々遠くまで歩かせてしまって申し訳ありません!お怪我は!?ちゃんと眠れましたか!?」
「だ、大丈夫だから。ちょっとお泊まりしただけだし」
「あのお嬢様がご友人宅にお邪魔するなんて言い出すから気を遣わせてしまったのかと思っていたのですが、まさか本当にお友達がいらっしゃったんですね!」
「うん、そう。そうなんだけど、お願いだからもうやめてください…」

 若干失礼な発言をしながらも水溜りができるんじゃないかってくらい号泣している見田さんに「心配かけてごめんね」と背中を摩ってやる。すると、何やら視線を感じたので隣を見れば、冬美さんと轟君が驚いたように私を見ていた。
 その視線の意味は言わずもがなである。…見田さんに来てもらうより、私が普通に帰宅した方が得策だったかもしれない。

「名字…お嬢様だったのか」
「そこは聞かなかったことにして…」

 見田さんは私が生まれた瞬間からこんな感じだったらしいが、私としてはそろそろお年頃だし人前では遠慮してほしいと思っていたりする。家政婦とはいえ付き合いも長いし、そこまでの接遇は必要ないと言っても雇主である母を慕っている故か聞いてくれないのだ。それどころか「私がそうしたいんです!」と言い張るので、そろそろ役職を執事に変えた方がいいのではないかと思う。どちらにせよ、お世話をしてもらっている事実は変わらないので見田さんにはいつも感謝している。
 すると一体いつ用意したのか、見田さんは持ってきた菓子折を冬美さんに渡すと丁寧にお礼の言葉を述べた。あまりにも畏りすぎて困っている冬美さんに再度私もお礼を伝え、車に乗り込む。そうして二人に見送られながら無事帰宅したのであった。


 二日間の休みもこうして終わり、話は冒頭に至る。

「…おい、聞いたぞ委員長…。いい歳した女と男がッ…一つ屋根の下で一夜を明かしたってなッ!」
「峰田お前教室の端と端での距離でよく聞こえたな」
「うるせぇえ!欲望燻らせる健全な男子高生が女子とお泊まりして何もねぇわけねぇんだよぉお!」

 どうしてこうなった。端から聞こえてくる奇声に私は最早心ここに在らずで棒立ち状態だった。今にも倒れそうな私を麗日さんが慌てて支え、目の前の飯田君は「俺は何かまずいことを言ってしまったのか…!?」とロボットのような動きで慌てふためいている。
 単にお世話になっただけなのだが、ここは曲者が集うA組だ。どこで誰が話を聞いて、どんな尾鰭を付けて広められるか分かったものではない。中でも峰田君は性欲の権化と言われているだけあって最も危険な男だ。当然、彼の雄叫びを聞いたクラスメイトは「え!?轟と名字が何だって!?」と耳をダンボにしている。

「轟と名字ってもしかして親公認の仲だったのー?アタシ知らなかった!」
「私もよ。でも二人ならお似合いだし納得だわ」
「結局美男美女がくっつくのかよッ!!どうせお前ら顔しか見てねーんだろちくしょぉおがぁああ!」
「やめろ峰田…それ以上は言うな…」
「それもだが、名字がそろそろ死ぬぞ。あと血の涙拭け」

 もう誰が何を喋っているのかすら分からなくなってきた。麗日さんの「あかーん!魂口の中に戻してー!」という叫びを他人事のように聞きながら現実逃避していると、教室の扉がガラリと開いて騒がしかった空気が一気に入口に集中した。
 「噂をすれば本人登場!」という叫びにちらりと視線をズラせば、扉の前で轟君がクラスメイトに囲まれているのが見えた。

「ねぇねぇ!轟と名字お泊まりしたって本当!?」
「朝から何の話だ?」

 芦戸さんの無邪気な笑顔が今だけは悪魔の微笑みに見えてくる。誰も何も突っ込まないでほしいし轟君も何も答えないでくれ。そんな願いを込めた眼差しで轟君を見つめるが…。

「したけど、それがどうかしたのか?」
「(そうですよね!分かってましたけど!)」

 女子の黄色い声と男子の悲鳴が教室に響き渡り、轟君が目を白黒させている。そんな中切島君と上鳴君がスッと私の両側にやってくると、ニヤニヤと笑みを浮かべながら肩を組んできた。まるで尋問のような空気に嫌な汗が止まらない。

「水臭いじゃねぇの名字〜。それならそうって言ってくれよ同じクラスなんだしさぁ」
「いや、だから違くて…」
「恥ずかしがることねぇだろ!俺はダチの幸せを盛大に祝うぜ!」

 私の話など聞く耳持たずで勝手に話を進めていく二人。誤解だと言っても「そういうのいいって!」と言下に否定され、何故か私一人が焦っているみたいな雰囲気だ。

「記念すべきA組初のカップルだなー!教室でイチャつくのだけはやめてくれよ!」
「話を聞いてぇええ」
「はいはい。分かったからそろそろ素直になれよ!そんじゃもう授業始まるからー」

 半泣きで手を伸ばすも二人はひらりと手を振って机に戻って行ってしまった。そしていつの間にかA組では勝手に祝福の空気になっているが、耳郎さんと麗日さん、常闇君だけは憐れみの表情で私を見ている。
 「HR始まるぞー」とそれぞれ机に戻っていく中、憔然と椅子に腰を下ろす。すると女子達から解放された轟君はどこかげっそりした面持ちで隣に座ると、小声で話し掛けてきた。

「アイツら朝から元気だな…。何言ってんのか分かんなかったけど」
「…あぁ、そう」

 寧ろ何で分かんないんだ。いや、分かられても困るけど…。何だかまともに返事をする気すら起きず、適当な言葉を返していると相澤先生が教室に入ってきた。
 
「おはよう。早速だが今日は期末テストの実技演習試験を行う。さっさとコスチュームに着替えてグラウンド集合だ」
「皆ーッ!林間合宿の為に頑張るぞ!」
「おうーッ!」

 バタバタと慌しくコスチュームを取りに行く一同の変わり身の速さに、私は面食らいながらも一歩遅れて席を立つ。ほんの数分前まで恋愛トークで盛り上がって人のことを冷やかしていたのが嘘みたいだ。よからぬ勘違いなど忘れてくれて結構だが、これでは私の身が持たない。
 しかし、今日は大事な演習試験日なのだから延々と文句を言っていても仕方ない。微妙な滑り出しに溜息を吐きたくなる衝動を無理矢理抑え込み、私はコスチュームが入ったケースを引っ掴んだ。

 コスチュームに着替えてグラウンドに向かうと、教師陣は既に準備万端の状態で私達を出迎えた。その人数の多さに、耳郎さんが「人数多いな?」と不思議そうに教師の数を数える。
 ざっと見ただけでも目の前の教師陣は八名程いる。拳藤さんの話では、今回の演習試験は対ロボット戦だった筈だ。ロボットが沢山並んでいるならまだしも、これだけの先生の数は状況にそぐわない気がする。

「諸君なら事前に情報を仕入れて何するか薄々分かってるとは思うが…」
「入試みてぇなロボ無双だろ!」
「花火!カレー!肝試しー!」
「残念!諸事情があって今回から内容を変更しちゃうのさ!」
「……」

 相澤先生の首元から顔を覗かせた校長先生の言葉に、余裕綽々だった上鳴君と芦戸さんがその場に崩れ落ちる。A組に動揺が広がる中、八百万さんが代表して一歩前に出た。

「校長先生、変更って…」
「これからの敵活性化の可能性を考えるとロボとの戦闘訓練は実践的ではないのさ!」

 校長先生は相澤先生の捕縛布をよじよじと伝って地面に降り立つと、両手を腰に当てて私達を見上げる。
 雄英はこれまでUSJ事件に続いてヒーロー殺しステインとの交戦を経験している。後者は飯田君の独断による戦闘だったが、警察の調査の結果、USJで私達を襲った敵連合との繋がりがあることが判明しているのだ。ただでさえステインの思想に感化された人間が増えている中、ステインや連合の意思を汲み取った敵達が一致団結してしまえば今以上に対敵戦闘が激化するおそれがある。
 敵連合の主な目的がオールマイトである以上、今後も雄英に仕掛けてくる可能性は大いにある。その為今回の試験は敵活性化を懸念した結果、対人戦闘へと変更することになったのだ。

「これからは対人戦闘・活動を見据えたより実戦に近い教えを重視するのさ!というわけで…諸君らにはこれから二人一組でここにいる教師一人と戦闘を行ってもらう!」
「先生方と…!?」
「尚ペアの組と対戦する教師は既に決定済み。動きの傾向や成績、親密度。諸々を踏まえて独断で組ませてもらったから発表してくぞ。まず轟と八百万がチームで俺とだ。そして…」

 相澤先生によってチームの組み合わせと対戦相手の先生が次々と発表されていく。中々呼ばれない自分の名前に固唾を飲んで耳を傾けるが、残り生徒僅かという所で私は気付いてしまったのだ。消去法的に考えて私の組み合わせは…。

―――― 最後。緑谷と爆豪と名字がチーム」
「なッ…!?」
「で、相手は…」
「私がする!」

 ズシリと効果音が付きそうな圧と共に現れたのはオールマイトだった。
 「協力して勝ちに来いよ三人共!」そう言って白い歯を見せて笑う姿に、私は愕然と見上げるしかない。

「A組は一人多いから一組だけ三人グループだ。試験の概要については各々対戦相手から説明される。移動は学内バスだ。ってことで時間が勿体無いから速やかに乗れ」

 組み合わせに対して真っ先に文句を言い出しそうな爆豪君より先に相澤先生が早口に説明をする。そして未だ状況が飲み込めていない私達に、皆が哀れみの眼差しを向けながら用意された学内バスに乗り込んで行った。

「…えーと、私達も行こっか?」
「はい…」

 爆豪君のただならぬ剣幕に緑谷君が顔面蒼白になり、その傍で佇む私にオールマイトが気不味そうに切り出す。登場時の圧は一体何処へといった様子だが、爆豪君と緑谷君の絶望的な仲の悪さは周知の事実なのでなるべく刺激しないようにしているのだろう。まるでこうなることが分かっていたかのような反応に、この組み合わせの意図が透けて見えるようだ。
 大方、爆豪君と緑谷君を協力させてオールマイトという強敵を倒すという魂胆なのだろう。そこでたまたま余った私がハンデとしてぶち込まれたとしか考えられない。ただでさえ一筋縄ではいかなそうな組み合わせだし、できれば他のチームに入れて欲しかったというのが本音だが、決まってしまったものは仕方ない。

 諦めてバスに乗り込んだものの、その後の移動時間は正に地獄だった。私と緑谷君が向かい合って座り、爆豪君は最後方の席に座っている。会話などある筈もなく、ただ爆豪君の苛立ちと張り詰めた空気だけが車内に広がっていた。

「…しりとりとかする?」

 人差し指同士を弄りながらオールマイトが呟くが、誰一人として反応することなく沈黙が広がった。あのオールマイトの熱狂的なファンである緑谷君ですら返事をしないのだから余程緊張しているらしい。それもその筈、私とてこの試験がスムーズに上手くいくとは全く思えなかった。
 あの我が道を行く爆豪君が私達と協力するなんて考えられないし、それに加えて相手はあのオールマイトだ。ルールはまだ説明されていないが、これが単純な戦闘による勝敗で評価が決まるならまず勝ち目はないだろう。オールマイトは最も高い壁であり、それを倒すということは即ちNo.1になるということだ。しかし、それが非現実的であるということは教師陣はおろか、幼稚園児にだって理解できるだろう。
 だからこそ、この試験で私達に求められるのは協力。頭を使った闘い方だ。爆豪君が試験開始時にどう出るか不明だが、今の時点で会話すらままならないとなるとこの先の作戦会議が思いやられる。

「…これ、完全に私巻き込まれてますよね。仲裁役でもやれってことなんでしょうか」
「気にしたら…負けだぜ名字少女!」

 開き直るようにグーサインを出されてしまった。眩しい程の笑顔を恨めしく見つめながら沈黙と共にバスは進み、学校から少し離れた場所にある専用のステージに到着した。
 バスから降りれば、目の前には高層ビルが引っ切り無しに敷き詰められた都会モチーフのステージが広がる。「さて、ここが我々の戦うステージだ」と仁王立ちするオールマイトに、緑谷君が真っ先に声を上げた。

「あの、戦いって…まさかオールマイトを倒すとかじゃないですよね?どう足掻いたって無理だし…!」
「消極的なせっかちさんめ!ちゃんと今から説明する」

 今回の演習試験のルールはこうだ。制限時間の三十分以内に敵役であるオールマイトにハンドカフスを掛けるか、どちらか一人がステージから脱出すればクリア。要は、戦って勝つか。逃げて勝つかの二者択一だ。
 実際にヒーローが敵と会敵した状況でも、相手との実力差が大きい場合は逃げて応援を呼ぶという判断を下す時もある。これからの実戦を見越して、私達は状況にあった判断が出来るかを試されているのだ。
 しかし、私達の相手はあのオールマイトだ。他の教師陣を下に見ている訳ではないが、そもそもこの人は雄英で教師をしていることが不思議なくらいのヒーローなのだ。どんな相手でも負けるつもりはないけど、緑谷君が言わんとしていることも十二分に理解できる。

「けど、こんなルール逃げの一択じゃね!?って思っちゃいますよね」
「!?」
「そこで私達、サポート科にこんなの作ってもらいました!」

 私達の考えなどお見通しだったのか、オールマイトはポケットの中を探ると腕輪のようなものを幾つも取り出した。そして「超圧縮おーもーりー!」と茶目っ気たっぷりに言うなり、両手首と足首にそれぞれ嵌め込んでいく。

「何ですかそれ?」
「よくぞ聞いてくれた名字少女!これを装着することで私には体重の約半分の重量がプラスされるんだ。古典だが動き辛いし、体力は削られる!所謂ハンデってやつさ!因みに他のチームと違ってうちが一人多いのもそういう意味だ!あヤバ思ったより重…」

 最後の発言は聞かなかったことにしよう。すると、バスに乗ってから今まで我関せずとばかりに黙っていた爆豪君が隣で苛立たし気に口を開いた。

「戦闘を視野に入れさせる為か。ナメてんな」
「HAHA!それはどうかな!」

 陽気な雰囲気を引っ込めた途端、言いようの無い緊張感が私達を襲った。眼窩から覗く青色の瞳が鋭く光って思わず唾を飲み込む。

『皆位置に着いたね』

 ステージ内に校長先生の放送が流れると、オールマイトは「そろそろ始まる頃かな!それでは一旦お別れだ!」と叫ぶなり、一気にビルの合間を飛んで行ってしまった。すっかり姿が見えなくなると、試験開始の合図を伝える放送が続いた。

『それじゃあ今から雄英高一年。期末テストを始めるよ!レディィィー…ゴォ!』
「ちょッ…かっちゃん!?どこ行くの!?」

 放送が終了すると同時に大股で歩き出した爆豪君を緑谷君が慌てて追い掛ける。普通ならここで作戦会議を挟む所なのだが、案の定な流れに頭を抱えたくなった。

「ま、まずはどうするかを話し合わないと!」
「ついてくんな!ぶっ倒した方が良いに決まってんだろが!」
「戦闘は何があっても避けるべきだって…!」
「終盤まで翻弄して疲弊したとこ俺がぶっ潰す!」

 とにかく離れないように私も緑谷君の後を小走りで追い掛けるが、二人は押し問答を繰り返すだけで一向に話が進む気配がない。爆豪君は相手がオールマイトだろうと力押しをしようとしているし、かといって緑谷君はオールマイトへの過度な崇拝で逃げ腰になってしまっているのだ。
 両極端な意見を上手く中和できればいいのだが、やはり爆豪君相手となると苦手意識があるようで緑谷君は怯んだように言葉を詰まらせる。そして、少しの間を置いてから再度意を決したように爆豪君に手を伸ばした。

「オールマイトを…な、何だと思ってんのさ。いくらハンデがあってもかっちゃんがオールマイトに勝つなんて…」

  失言だと思った。緑谷君の言葉に、爆豪君が足を止める。振り向きざまに腕を振り上げるのが見えて、私は間に入るようにして遠心力で勢いの増した籠手を左手で受け止めた。

「テメェ…」

 籠手が個性の発動した掌に掴まれみしりと音を立てる。緑谷君を殴り飛ばせなかったことも、受け止められたことも相まって、爆豪君が激昂の表情で額に青筋を張らせた。

「庇ってんじゃねぇぞクソが!」
「殴ったって仕方ないでしょーが!手出す相手間違えてるんじゃないの!?」
「やめてよかっちゃん!名字さんにまで怒鳴らないでよ!」
「うるせぇテメェはこれ以上喋んな!ちょっと調子良いからって喋んなムカツクからッ!」
「試験合格する為に僕は言ってるんだよ!聞いてってかっちゃん!」
「だぁからテメェ等の力なんざ合格に必要ねぇっつってんだ!」
「あぁもう二人共うるさいなッ!」

 掴んでいた腕を思わず突き飛ばし、バランスを崩した爆豪君を勢い余ってそのまま地面に組み敷いた。「テメェも手出してんじゃねーかッ!」と怒鳴られたがそれはそれ。これはこれだ。

「二人が仲悪くても私はどうでもいいけど!私情挟んで負けるとか私は絶ッッッ対に嫌だから!」
「テメェもとことん俺の神経を逆撫でしやがるなぁッ…。トップヒーローの子供だかハンデだか知らねーが、言っとくけどテメェの存在なんてあってもなくても変わんねーんだよ!調子乗って偉そうに説教してんじゃねぇ!」
「はぁ!?」

 爆豪君の言葉に腹の底からふつふつと苛立ちが沸き上がってくる。冷静さを失わないように何とか抑え込むが顔にだけは出てしまったようで、爆豪君が更にキツく目を尖らせた。

「その目を止めやがれェッ…!」

 ―――― その時、私達を囲んでいた建物が爆発するかのように崩壊した。

「!?」

 風圧が瓦礫と共に一気に押し寄せてくる。身体ごと押されてしまいそうな勢いに両手を顔の前に翳すが、近くにいた緑谷君は衝撃で後ろに転がってしまった。
 崩壊した街中に砂塵が舞い上がり、その中をゆっくりと歩く影が私達に近付いてくる。途端に襲いかかってくる圧迫感と威圧感。そのどれもが鎖のように両足に絡み付いて、動けなくなった。

「試験だ何だと考えてると痛い目見るぞ」

 それは平和の象徴。 ―――― そして、脅威だ。

「私は敵だヒーローよ。真心込めてかかって来い」

 地面を踏みしめたオールマイトが一気に間合いを詰めてくる。本当にハンデの錘なんて付いているのかと疑いたくなる程の速さに一瞬怯むが、そんな私の下から爆豪君はするりと抜け出ると正面戦闘の体勢をとった。

「正面戦闘は不味い!逃げよう!」
「俺に指図すんな!」
「かっちゃん!」

 緑谷君の叫びを振り払い、爆豪君が突っ込んでくるオールマイトに向かって閃光弾のような光を放つ。その眩しさに相手の動きが止まると、その隙を狙って手を伸ばした。しかし、オールマイトは何てことないとばかりに立ち直るとそのまま爆豪君の顔面を掴み上げてしまった。

「あイタタタ!」

 私達が引き剥がしに行くよりも先に、爆豪君が小爆発の連打をオールマイトに撃ち込み黒煙の中から悲鳴が上がる。あの状況なら普通離れようとするものだが、それでも尚攻撃を仕掛けるなんて無謀にも程がある。しかし、それだけ本気でオールマイトを倒そうとしているのだろう。とはいえ力任せにやったってすぐに反撃されてしまう。
 案の定、爆豪君は返り討ちに遭うとそのまま地面に叩き付けられてしまった。私はオールマイトが次の一手を繰り出す前に個性を発動して飛び込むと、横から攻撃を仕掛ける。

「まだまだ遅いな」
「う、わッ!?」

 しかし、突き出した右手をむんずと掴まれ、上空に向かって勢いよく放り投げられてしまった。視界一杯に広がる青空に悲鳴が漏れそうになるのを必死に抑え、風圧で思うように動かせない身体を何とか捻ってくるりと反転する。
 半壊したビルの壁に両足をついて反動でもう一度オールマイトに向かって飛び込めば、背後から「バッ、どけ!」と怒鳴り声が響いた。…と思った時には、後頭部を石で殴られたような衝撃が襲って今度は視界がチカチカと光った。

「い"ッ……こンのクソ石頭女!俺の前に飛び出てくんじゃねぇ!」
「はぁ!?素が石頭なんじゃなくて個性のせいだし!それに、私も悪かったけど爆豪君だって周り見てないんじゃん!」
「二人共こんな時に喧嘩なんてしないでよ!?一先ず立て直す為にこの場は退いた方が…」
「取り敢えず…」

 地面に蹲る私達の頭上から声がすると、続けて太陽が遮られて影が広がった。

「逃げたい君にはコイツをプレゼントだ!」
「緑谷君!?」

 上を見上げた頃には既に、オールマイトがガードレールを地面に突き刺して緑谷君を拘束していた。続けて目にも止まらぬ速さで爆豪君の鳩尾に強烈な一撃が叩き込まれる。

「(流れ的に次は私!?)」

 爆豪君はボールのように転がっていった先で激しく嘔吐し、咳き込んでいる。その姿に気を取られるのも束の間、風圧が私の顔を撫でた瞬間には考えるよりも先に身体が動いていた。

「!?柔ッ…」

 反射的なものだった。無我夢中に身体を仰け反らせて、オールマイトの顔面を狙った拳を間一髪で避ける。背中が地面に付くくらいの海老反り体勢にオールマイトが感嘆を込めた苦笑を溢すが、私自身も我ながら吃驚な反射神経だ。真上を通過するオールマイトの太い腕が万が一顔面に直撃していたらと思うと、嫌な汗がつぅと頬を伝った。

「見事な可動域だね!だが、今のはただのラッキーだ。次は避けられるかな!?」

 先に動きを見せたオールマイトに、瞬時に身を翻して右腕に個性を発動させる。今この場は完全にオールマイトのフィールドだ。とにかく一旦距離を取らないと痛手を喰らうのは目に見えている。
 筋肉の強化を今出せる最大まで出力し、全神経を右拳に集中させる。そして、地面を踏み締めた勢いを乗せて渾身の一撃をオールマイトの懐に打ち込むと、風圧で辺りの砂塵が舞い上がった。

「…うーん。今のは結構痛かったかな」
「どッ…こが!」

 私の個性は簡単に人を傷付けることができる危険なもので、本気で打ち込めば骨身が粉々になっても可笑しくない力だ。それが、確かに当たったんだ。直撃だった。それなのにオールマイトはよろけるどころか、真正面から受け止めてその場に立っていた。
 私の拳を、力を、鍛え抜かれた筋肉の塊によって衝撃を吸収してしまったのだ。その事実を理解した時、初めてオールマイトの笑みに恐怖を感じた。途端に目の前の人間が途轍もなく大きな壁に見えて、握り締めた指先が鈍く痛む。正直、コスチュームのグローブが無ければ骨が粉々になっていたのは私の方かもしれない。

「前から思っていたけど、君は個性を使う時いつも一部分だけで他がガラ空きだ。そんなんじゃいざって時に身を守れないぞ!」
「うあッ!」

 手首を捻り上げられ、力任せに地面に叩き付けられる。全身を襲う鈍い痛みに反応が遅れると、オールマイトは続けて私を持ち上げて脇腹に蹴りを入れた。気付いた頃には勢いよく地面を転がっていて、私は半壊しているビルに衝突したことによって漸くその勢いが止まった。
 何が起きたのか全く分からない。ただ視界がぐらぐら揺れていて、衝撃で喉が詰まって呼吸が上手くできなかった。平衡感覚を失ったせいで吐き気まで襲ってくる。流石に人前で嘔吐するだけは避けたい想いで必死に気持ち悪さと痛みと戦っていると、遠くで誰かが叫んだのが聞こえた。

「あんなクソの力ぁ借りるくらいなら…負けた方がまだ、マシだ!」

 耳を疑った。思わず顔を上げた先には、爆豪君が苦しそうに蹲りながらオールマイトを睨め付けている姿がある。とてもではないが、今の発言があの爆豪君から出たものとは到底思えなかった。
 入学当初から彼は、どんなに些細な勝負でも絶対的な勝利以外認めなかった。体育祭だってそうだ。どんなにピンチに陥っても最後まで勝つことを諦めたことはない。それが自尊心故の行動であったとしても、どんな理由であれ爆豪君の中に”敗北”という言葉はない。出会って少ししか経っていない私でもよく知っている性格だ。
 私とて、勝敗に拘っていた分爆豪君の性質はよく理解できだし、同属だと思っていた節もあった。だから絶対に負けたくなかったし、必死に張り合った。何があっても揺るがない自信を持っている彼が羨ましいとすら思ったのだ。それなのに、ここにきて勝利よりも大嫌いな相手が優先されるなんて、巻き込まれている私からしたらふざけるなって話だ。
 先程の言い合いで忘れかけていた苛立ちがまたぶり返してくる。一発ぶん殴って喝でも入れてやろうかと片膝をついた時、私よりも先に飛び出した緑谷君が目の前で思い切り爆豪君を殴り飛ばしてしまった。

「負けた方がマシだなんて君が言うなよッ!」

 まさかの展開に私のみならず、オールマイトまで驚いている。私が立ち上がり掛けた体勢のまま当惑していると、その間に緑谷君はさっと爆豪君を小脇に抱え、次に此方まで飛んでくるなり私の腕を半ば引き摺るようにして引っ張って路地裏に駆け込んだ。

「あれ?」
「てめッ放せ!」
「いいから!二人共ついてきて!」

 訳が分からないままとにかく跡を追い掛ける私を尻目で確認し、緑谷君はすっと腕を放す。しかし、暴れる爆豪君は抱えたままだ。
 どうやら話を聞いて貰えない以上強行突破するつもりらしい。緑谷君は狭い路地裏を駆け抜けながら話を続けた。

「僕にはオールマイトに勝つ算段も逃げ切れる算段もとても思い付かないんだ」
「あ!?」
「因みに、名字さんは何か作戦ある!?」
「正直、今の戦闘で全部すっ飛んだ。一人じゃどうにもならないよ」
「うん。だからかっちゃん、諦める前に僕等を使うくらいしてみろよ!負けていいなんて言わないでよ!勝つのを諦めないのが、君じゃないか…」

 緑谷君の言葉に、爆豪君が奥歯をギリギリと噛み締める。私以上に緑谷君と協力するのが余程嫌だというのが全身で伝わってくるようだ。

「私と緑谷君と組まされた上に負けるなんて一番最悪な結果になっていいの?」
「……」
「分かるよ。ムカつくよね緑谷君。ゼロだった癖に、猛スピードで追い付いてくるんだもん。私も正直焦ってるし、早く蹴落としたいって思ってるよ」
「えっと……名字さん?今のは一体?」
「だからさ、ここは敢えて”協力”なんて言わないでお互いを利用しない?ムカつくけど皆で踏み台になればwinwinってね」
「…ッせぇな!分かってんだよんなことはッ!」

 爆豪君は耐え切れず爆発したように叫ぶと、緑谷君の腕から乱暴に抜け出す。そして肩で荒い呼吸を繰り返しながらキツく私達を睨み付けた。癇癪を昂ぶらせ、血走った両目がいつも以上に恐ろしい面貌を醸し出している。
 もしかしたら最後の一押しでどうにかなるかもしれない。そんな思惑とは裏腹に、爆豪君は両手の籠手を荒々しく脱ぎ捨てるとそれぞれを私達に押し付けた。思わず受け取るが、突然の行動に私と緑谷君は眉を顰める。

「それ使って、死んでも道作れやぁッ!」
「!!」
「二度は言わねぇぞクソ共。あのバカみてぇなスピード相手じゃどう逃げ隠れても戦闘は避けらんねぇ」
「でも…戦いになんてならないよあのオールマイト相手に…」
「それ次言ったら怒るよ」
「えぇ!?」

 まさか私が怒ると思わなかったのか、スッと細められた両目に緑谷君が狼狽する。私は踏ん反り返るようにして両手を腰に当てると、縮こまる緑谷君を見下ろした。

「相手がどんなに凄いヒーローでも今は敵なの!緑谷君は今後、超強い相手と会敵したらそうやって逃げて勝つことだけ考えるの!?」
「そ、それは…」
「オールマイトへの憧れが足引っ張ってるのかもしれないけど、だからって何もやり返せないまま終わるのは嫌だ!」

 誰が相手でも、どんな状況でも勝つ。体育祭の敗北で一時は揺らいだけど、やっぱり入学してからも変わらない私のポリシーだ。これだけボコボコにされて、力量の差を見せ付けられたまま終わるなんてできない。

「成長してるってこと目ェ掛けてもらってる先生に見せるんじゃないの!?」
「…うん。名字さんの言う通りだよ。でも僕は…」
「だぁああ!いつまでもウダウダと抜かしてんじゃねぇ!やんのかやんねぇのかどっちだ!あぁ!?」
「や、やりますやります!えーとだからつまり、僕達はかっちゃんの籠手を使えばいいんだよね!?」
「半端ない力じゃビクともしねぇのはさっきの攻撃で分かってる。じゃあゼロ距離で最大威力だ」
「これが、ダメージを与えつつ距離を取る唯一の手段ね」
「ヘマしたら二人まとめて殺す」

 これでもかって位不満を露わにしているが、この際やる気になってくれただけでも上出来だ。爆豪君の気が変わらない内に私と緑谷君は大きく頷くと、爆豪君は憤然としたまま爆破の勢いで大通りまで飛び出して行ってしまった。
 急いで追い掛ければ、いつの間に近くにいたのか、道路の先で彷徨っていたオールマイトに爆豪君が爆破を浴びせていた。その隙に私は緑谷君とアイコンタクトを取ると、先に緑谷君が黒煙の中に紛れ込んだ。

「デク!撃てッ!」
「ごめんなさいオールマイト!」

 籠手の栓を抜いた瞬間、溜まっていたニトロが一気に弾けて巨大な爆発を引き起こした。ビル一つ容易に包み込む程の高火力な爆破に謝罪という無茶苦茶な組み合わせなだけあって、流石のオールマイトも無傷では済まない。

「走れやアホが!」

 オールマイトが爆発に巻き込まれている間に、三人で全力でゲートに向かう。幸い街中の大通りは一直線に脱出ゲートに続いており、ひたすら全速力で走ればいずれ辿り着くことができる距離だ。
 道中で一つ驚きだったのは、私達が初めて通る道の建物や舗装が見る影もなく破壊されていたことだ。元々はステージ全体が綺麗な状態だったし、ここで戦闘したこともない。となれば、オールマイトに襲われた時の最初の爆風でここまで破壊させていたということだ。それも拳一つでだ。こうもまざまざと実力を見せられると、元々高かった壁が更に高くなるようで如何にNo.1が恐ろしい人間かを思い知らされる。

「すぐそこだ!脱出ゲート!何か無駄に可愛いけど一人でもアレを潜ればクリアだ!」

 緑谷君の言葉に顔を上げれば、すぐ先に「頑張れ!」という言葉と校長先生が描かれた無駄に可愛いゲートが立っていた。距離的にはそう遠くはない。このまま難なく突っ切れば突破できる距離だ。

「オールマイト追ってくる様子ないね…」

 しかし、あれだけ苦労していた試験がこうもあっさりいくものだろうか。いくら強力な爆破に巻き込まれたとはいえ、あのオールマイトがすぐに追って来ないのも何だか話が上手すぎる気がする。
 緑谷君に至ってはあれだけ逃げ腰だった癖に「まさか気絶しちゃったんじゃ…」なんて訳の分からないことを言い出すから、すかさず爆豪君が「あれでくたばる筈ねぇだろクソ」と暴言を吐いた。

「次もし追い付かれたら今度はクソ石頭女の籠手で吹っ飛ばす」
「分かってる。隙が出来たらどっちか一人でもゲート潜って」
「うんうん。それでそれで?」
「え?」

 聞こえる筈のない低音に横に視線をずらせば、目と鼻の先でオールマイトが並走していた。あまりの光景に目を瞠る。

「何を驚いてるんだ!?」
「速…ッ」
「これでも錘のせいで全然トップギアじゃないんだぜ?さぁ、くたばれヒーロー共!」

 迂闊だった。判断が遅れてしまったせいで、またしても先手を取られた。瞬きの一瞬で強烈な一撃が鳩尾に入り、崩れ落ちた所を背中から踏み付けられて呻きが漏れる。遠くで緑谷君が叫ぶが、返事ができない。口の中に苦い味が広がったと思えば、喉まで迫り上がってきた何かに堪らず吐き出してしまった。

「三人はちょっと厄介だからね。まずは名字少女から寝てもらおう」
「どこ見てんだぁ!」

 霞む視界の端で次々と響き渡る爆発音が鼓膜を刺激する。こんな所で気絶なんてしたらダメなのに、ズキズキと痛む全身がいうことを聞いてくれない。
 二人が奮闘している音を聞きながら、どうにか立ち上がろうと意識を必死に繋ぐ。しかし、すぐに騒がしかった戦闘音が途絶えると、代わりに校長先生の放送が流れた。

『報告だよ。条件達成最初のチームは轟・八百万チーム!』
「驚いた。相澤君がやられたとは!ウカウカしてらんないな…よし!埋めるか!」
「(は?)」

 埋めるって何を?辛うじて視線だけで周りを見渡せば、そこには地面に踏み付けられたままの爆豪君と、手首を掴まれて身動きの取れない緑谷君の姿があった。
 三人で掛かってもビクともしていない。圧倒的な速度に、耐久力もパワーも全てが常軌を逸している。そりゃそうだ。相手は最も高い壁なんだから。私は、こんな相手に超えるなんて軽々しく口にしていたことを心から恥じた。
 指先一つ届いていないのに。―――― 私は、こんなにも弱いのに。

「やれって説教こいてたテメェが何勝手に諦めとんだッ!」
「ぬう!?」

 爆豪君が叫んだ瞬間、籠手と同威力の爆発がオールマイトを襲った。熱風が頬を撫で付け、呆然としていると、爆豪君が真っ直ぐに私を見て「立ちやがれ!」と叫ぶ。
 …そうだ。まだ負けが確定した訳でもないのに、こんなに弱気になるなんて私らしくない。どんな相手でも状況でも、最後まで諦めずに足掻く。そうやって今まで乗り越えてきたんだから。
 鉛のように重い身体を叱咤し、痛む内臓を手で押さえながら何とか立ち上がる。オールマイトは既に黒煙を振り払い、次の行動に移そうとしていた。

「屈んで!」

 言い終わるのと同時に栓を抜けば、肩が脱白しそうな程の衝撃と共に巨大な爆発がオールマイトを襲った。そのあまりの反動に思わず籠手を取り落としそうになるのを堪えていると、爆発音が響き渡る中爆豪君が私と緑谷君に向かって叫んだ。

「テメェ等の内、体重が軽いのはどっちだ!秒で答えろ!」
「え!?」
「緑谷君です!」
「えぇ!?何を…」
「ぶっ飛ばす!スッキリしねぇが今はこんな勝ち方しかねぇ!」

 嫌な予感というのは的中するもので、まさかとは思っていたが爆豪君は困惑する緑谷君のコスチュームを引っ掴むと「死ね!」と物騒なことを叫びながらゴール目掛けて吹っ飛ばしてしまった。正直体重に関しては何とも言えないが、この際潔く飛ばされてもらおう。
 爆風と共にゴール目掛けて一直線に飛んでいく緑谷君。しかしその後ろを、どういう訳か爆発から抜け出したオールマイトが後ろ向きで飛んで行くのが見えた。そのまま緑谷君の腰に直撃すると、嫌な音を響かせてゴール手前で崩れ落ちてしまった。

「いやいや甘いぞヒーロー共!」
「させない!」

 一気に懐に飛び込み、オールマイトを抱え込むようにして一緒に崩壊したビル内に突っ込んでいく。物凄い力で振り払われそうになるが、重なる瓦礫と私の意地でオールマイトに隙ができた。爆豪君が飛び上がり、両の掌を重ねて私達に向ける。その表情が一瞬だけ躊躇したように見えて、私はすかさず声を張り上げた。

「いいから撃って!」
「まさかッ…」

 オールマイトが言い終わらぬ内に瞬時に身を翻して射程範囲から抜け出す。そして強烈な眩しさが眼球を刺激したかと思えば、次に爆発音が間近に響いた。顔を撫で付ける風の熱さに両腕を翳すが、それ程距離が離れていない分皮膚が焼ける感覚があった。

「…全く。とんだ無茶だこんなの」

 オールマイトの声に慌てて黒煙を手で振り払い、開けた視界の先に見えた光景に目を見開いた。

「信じられないな君達は。いくらやれと言われたからって仲間のヒーロー諸共消し炭にするつもりかい?」
「な、なんで…」
「二人共寝てな。そういう身を滅ぼすやり方は、悪いが先生的に少しトラウマもんでね」

 爆豪君が顔を掴まれ、地面に叩き付けるようにして縫い付けられていた。あれだけ何度も高火力の爆発を食らって、オールマイトは疲弊するどころかピンピンしている。これで効かないなら、一体どうすればいいんだ。
 慌てて緑谷君に目を向ければ、腰を相当強くやられたのか苦しそうに身体を引き摺っている。爆豪君は今にも飛びそうな意識を何とか繋ぎ止めて、そんな緑谷君に「早よ…行けやクソナード!」と呻きを溢した。

「折れて折れて…自分捻じ曲げてでも選んだ勝ち方で…それすら敵わねぇなんて、嫌だッ!」

 悲鳴にも似た叫びだった。籠手無しでの爆破の連続で、その両手は既にボロボロだ。今の最大火力でもう限界なのは目に見えていた。
 ヒーローが辛い時、苦しい時、助けてあげられるのはきっと同じヒーローしかいない。何の為のチームアップか。私の個性は何の為にあるのか。それはきっと、誰かのピンチに手を差し伸べる為だ。ヒーロー殺しとの戦いで刻んだ言葉を、嘘になんてしたくない。

「どいて下さいオールマイト!」

 私の拳が、緑谷君の拳が、それぞれオールマイトのガラ空きな顔面に叩き込まれた。流石にあのオールマイトもバランスを崩して咳き込むと、その隙に気絶している爆豪君を抱え上げて一気に走り出した。

「行こう、緑谷君!絶対三人で勝とう!」
「うん!」

 そこからは無我夢中だった。アドレナリンが大量に分泌されているせいか、この時だけは痛みを忘れてただひたすらに走った。そして無駄に可愛いゲートを潜り抜けた時、看板の「頑張れ!」の文字が「よくぞ!」に変わった瞬間を見逃さなかった。

「勝った…」

 正に、化け物のような相手だった。途端に全身の力が抜けて小脇に抱えていた爆豪君を地面に落としてしまったが許してほしい。傍で「ちょッ!?そんな乱暴な…」と声が聞こえたが、意識がぼうっとしてしまって返事ができない。
 棒立ちのまま荒い呼吸を繰り返していると、遠くで緑谷君が何度も私の名前を呼ぶ声が聞こえた。それでも私は襲ってくる眠気に抗えず、ひっくり返るようにして意識を手放した。





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