エンデヴァーと一悶着があった後様々な心配に駆られたが、そのどれもが杞憂だった。エンデヴァーはその後どういう訳か嫌な態度をとることも、見下してくることもなかったのだ。勿論学校に連絡がいくこともなかった。 ただ「焦凍だけで事足りる」という言葉は事実だったようで、殆どの時間は轟君に付きっ切りで私は二の次の状態だった。サイドキック達はそのことに申し訳なさそうにしていたけど、私としてはNo.2の活動を視察しているだけでも多くのことを学べたのであまり気にしていない。というのも、どれだけ嫌なおじさんでもやはりトップヒーローなだけあって一切の迷いがない即決力や判断力、部下への的確な指示は流石としか言いようがなかった。
そうして職場体験はあっという間に三日目を迎えた。いつも通り朝のパトロールをエンデヴァー達と共に終え、遅めの休憩兼昼食を事務所でとる。
「名字。チョコもらったからやる。好きだろ」 「やった!誰からの?」 「パトロール中にお婆さんがくれた」 「……」
時折他愛もない会話をしながら昼食を食べる私達に穴が空くような視線を感じるのはきっと気のせいではない。横目で視線の元凶を盗み見れば、案の定エンデヴァーが不機嫌そうに炎を揺らめかせながらこちらを見ていた。 毎度のことなので見て見ぬ振りをしているのだが、こればかりは轟君もげんなりした表情を見せている。何か気に障るなら是非言ってほしいんだけど…。
「お前達は…」 「!?」
三日目にして漸くエンデヴァーが口を開いたことに驚いて振り返る。初日の出来事もあってか嫌に緊張しながら続きを待つが、エンデヴァーは言い辛そうに口をへの字に曲げている。
「友達の一線を超えているのか」 「…はい?」 「だから、それ以上の関係なのかと聞いている!」
一体、何を言っているんだろう。隣に座っている轟君まで「どういう意味だ?」と小声で呟いているし、揃って首を傾げまくる私達にエンデヴァーは何故かより苛立っている。 友達以上の関係って例えば親友とか?仲は悪くないけどそんな大層なものかと聞かれると正直答え辛いし…。うーんと唸る私に、見兼ねた女性のサイドキックが近付いてくるとこっそり耳打ちをしてきた。
「付き合ってるの?」 「つきあ…」 「?」
付き合うって、あれ?男と女のそーいう関係のことであっているだろうか?私と轟君が?
「違いますッ!!」 「おッ」
勢い余って叫んだ私に隣の轟君が耳を押さえるが気にしている場合ではない。あんな誤解は今すぐにでも解消するべきだ。そもそもそんな風に見られていたこと自体心外である。
「心に誓って!違います!」 「さっきから皆何言ってんだ…」 「……ふん。違うなら別にいい。焦凍には余計なことをしている暇なんてないからな」 「それは分かりませんが、分かりました」
辛うじて頷けば、エンデヴァーはもう用はないとばかりに顔を背ける。轟君は今だに内容を理解していないのか、「だから何なんだ」と話を掘り返そうとするので「何でもない」と強制的に終わらせた。
「お前顔赤くねぇか?熱でもあんのか?」 「ないない。本当に大丈夫」
まさかの右手で冷やしてこようとするのを慌てて止めさせて、大きく深呼吸しながら気持ちを落ち着かせる。いかんいかん。今は大事な時なのにこんなことで動揺していては。 誤魔化すようにチョコを飲み込んで休憩時間は終わった。午後の仕事に向けて今からエンデヴァーを中心に作戦会議が開かれるらしく、私達はすぐに立ち上がって準備をした。
「午後からはヒーロー殺しステインの捜索を中心に行う!」 「(ヒーロー殺し!)」
今人々を恐怖に陥れている凶悪殺人犯”ステイン”。その名を聞いて真っ先に浮かんだのは飯田君だ。お兄さんが大変な目にあってきっと今も気が気ではないだろう。その犯人を追い込む手助けができるなら協力を惜しむ手はない。 エンデヴァーは事件解決数最多という実績を持っているだけにステインの出没目安や犯行手順、被害者の特徴を事細かに捉えていた。ステインはこれまで出現した七箇所全てで必ず四人以上に危害を加える傾向にあり、現在最も新しい事件は保須市の事件だ。そして被害者はまだインゲニウム一人だけ。ならばまた保須市に現れる可能性が高い。
「前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる。暫し保須に出張する!市に連絡しろぉ!」 「了解しました!」
何人かのサイドキックが市への連絡に向かい、エンデヴァーを含めたその他で保須に向かうこととなった。
「来い。ヒーローというものを見せてやる」 「…お願いします」
父親の顔付きからNo.2に変わった。威厳に満ちた両目に私は力強く頷く。得られるものなら齧り付いてでも吸収してやるつもりだ。
そうして保須市に移動してきたエンデヴァー一同は市内をくまなく巡回し、ヒーロー殺しの行方を捜索する。ヒーロー殺しは通常路地裏での犯行が主であることから路地裏近くをパトロールするが、その最中に街の遠くで破壊音が響き渡り、黒煙が上がった。 悲鳴と逃げ惑う人達で街の中が荒れていく。しかし、あれ程目立つ犯行はヒーロー殺しの情報にはない。ここにきて手順を変えるのは考えられないし、関連性のない事件というのがエンデヴァーの見解だった。
「来い!事件だ!」
ただでさえ保須市はヒーロー殺しの出現で軒並み犯罪率が減っている。それなのに、こんなタイミングで別の事件なんてあるのだろうか。 疑問を感じながらエンデヴァーの後に続いて走れば、「焦凍ォ!ケータイじゃない俺を見ろォ!」と怒声が響いたので何事だと隣を見れば轟君がスマホの画面を驚いた様子で見ていた。意味もなくスマホを弄るような性格ではないし、試しに私も自分のスマホを取り出してみれば、そこには緑谷君からの通知が表示されていた。
「位置情報の一括送信…。これ、保須だよね?」 「ああ。なんで緑谷がここにいるのか知らねぇが、全員に送ってるとこからして何か問題が起きてるのは間違いねぇな」 「二人共聴いているのかッ!な、何処へ行く!?」 「江向通り四ー二ー十の細道。そっちが済むか手の空いたプロがいたら応援頼む」 「何!?」 「お前ならすぐ解決できんだろ。友達がピンチかもしれねぇ」
くるりと身を翻し、呆気にとられるエンデヴァーに背を向けて走り出す。正規の仕事を放り出してしまったことに内心謝罪をしながら、そこはかとなく感じる嫌な予感に自然と足早になる。 保須市。飯田君。謎の事件。そのどれもが、ある一つの結論を導いているように見えて仕方がなかった。
「次の曲がり角右!」 「ああ!」
私のスマホで緑谷君の位置情報を確認しながら先を急ぐ。今もこの情報が正しければ、緑谷君がいるのは路地裏の中だ。そんな狭い空間を好む敵など今の所一人しかいない。 辿り着いたのは江向通り沿いにある狭い通路。その薄暗い空間の中で、刃物がきらりと光るのが見えた。轟君は「下がってろ」と私を背後に立たせると、路地裏目掛けて火炎放射を放った。
「次から次へと…。今日はよく邪魔が入る…」
炎熱の光で浮かび上がった敵の相貌。それは全身に凶器を纏い、目元に巻き付けた包帯から濁りながらも不気味な光を湛えた両眼を覗かせている。ヒーロー殺し”ステイン”がそこにいた。
「緑谷。こういうのはもっと詳しく書くべきだ。遅くなっちまっただろ」 「二人共怪我…は大丈夫じゃないみたいだね」
傍には血を流して蹲る飯田君と緑谷君がいる。嫌な予感は的中していたとしか言いようがない状況だ。
「轟君に名字君まで…」 「どうして二人が!?それに、左…!」 「何でってこっちの台詞だよ。あの一括送信は応援を呼べってことでしょ」 「意味なくそういうことする奴じゃねぇからなお前は。大丈夫だ。数分もすりゃプロモ現着する!」
轟君が左手の炎熱でステインに攻撃を仕掛ける。しかし、ステインは身軽な動きであの轟君の攻撃を飛んで躱してしまった。その素早い動作に一瞬驚くも、私はその隙に全身の筋力を個性で強化し、飯田君と緑谷君と見知らぬプロヒーローを担ぎ上げて後方に退く。
「情報通りのナリだな。こいつらは殺させねぇぞヒーロー殺し」 「轟君、援護は任せて」 「……」 「二人共そいつに血ィ見せちゃ駄目だ!多分、血の経口摂取で相手の自由を奪う!皆やられた!特に名字さんは素手だし気を付けてッ!」 「相性最悪ってこと?刃物相手に触れずにどうにかするなんて、」 「俺なら距離保ったまま…」 「言った傍から危ない!」
轟君の顔目掛けて飛んできた刃物を間一髪で彼のコスチュームを引っ張って避ける。轟君がよろけた時には、私達に黒い影が差し掛かっていた。
「いい友人を持ったじゃないか。インゲニウム」
いつの間にか上空にいたステインが私達目掛けて鋸刃のナイフを振り下ろす。私が攻撃しても無駄に血を流すだけで意味がない。轟君は私が引っ張ったせいで体勢を崩している。どうする!? ぐるぐると頭が回っている内に轟君が無理な姿勢から強引に氷結を繰り出し、尻餅をついた。ステインは氷壁に遮られて後方に飛んだが、いつ次の攻撃を仕掛けてくるか分からない。
一度の攻撃で二択三択を迫られる。考えている暇なんてない圧倒的な強さだ。一人だったらきっと、血を舐められて今頃殺されていてもおかしくはないだろう。
「ッぶねぇ。悪い名字、油断してた」 「いや…引っ張った私が悪かった。次はもっと上手くやるよ」 「…何故、皆何故だ。やめてくれよ…。兄さんの名を継いだんだ。僕がやらなきゃ、そいつは僕がッ…」 「継いだのか。おかしいな…」
迫ってくるステインに轟君が広範囲の氷結を繰り出し、更に距離をとる。
「俺が見たことあるインゲニウムはそんな顔じゃなかったけどな。お前ん家も裏じゃ色々あるんだな」
ステインの個性で動きを封じられている飯田君。その顔付きは憎しみで歪められ、瞳の奥には怨みの炎が揺らめいていた。いつも明るく、委員長としてクラスメイトを導いている姿からは程遠い形相だ。 この状況からして、恐らく飯田君は兄の復讐をする為にステインを探していたに違いない。職場体験先も保須市を選択していたことから、飯田君はずっと前からこの計画を考えていたのだろう。 彼が何かを言ってくれるまで待つだなんて私は本当に馬鹿だ。人は本当に苦しい時、誰かに助けを求めることができないなんて自分が一番知っていた筈なのに。
「…飯田君、ごめん…」 「!?何をッ…」 「己より素早い相手に対し自ら視界を遮る。愚策だ」
斬撃の雨が轟君の氷壁を次々に切り裂いていく。大きな破片となって散っていく氷が視界を邪魔してステインの姿が見えない。だが敢えて姿を隠すということは遠距離で轟君に攻撃を仕掛けてくる可能性が高い。 しかし手を伸ばした瞬間、小型の刃物が最初から狙っていたかのように私の右腕に二本突き刺さった。鋭い痛みに呻きを漏らせば、首を捻った轟君の腕にも刃物が突き刺さる。
「いッ…!」 「名字さん!」 「お前等も、いいな…」 「ッくそ!」
一瞬の動揺をついてステインが上空からナイフを振り下ろす。轟君が迎撃体制をとると、いつの間にか個性が解除された緑谷君が上空のステインを掴んで引き摺るようにして壁に叩き付けた。
「緑谷!」 「なんか普通に動けるようになった!」 「もしかして時間制限?」 「いや、あの子が一番後にやられた筈!」
傍で倒れていたプロヒーローが叫ぶ。話によると、この人が先に血を舐められ、その次に飯田君が舐められているらしい。時間制限じゃないなら個性が切れる条件は他にある筈だ。
「ぐへ!」 「下がれ緑谷!」
ステインの打撃を食らって地面に衝突した緑谷君を敵から遮るように轟君が氷壁を繰り出す。緑谷君は慌てて此方側に這いずって移動すると、咳き込みながら個性解除の条件を探る。
「血を摂り入れて動きを奪う。僕だけ先に動けたってことは…」 「人数が多くなる程効果が薄くなるか、摂取量か」 「血って言うくらいなら血液型によって効果に差異が生じる可能性もあるよ…」
私の言葉に、遠くで様子を伺っていたステインの両目が鋭く細められる。最も効果が長いプロヒーローが真っ先に「俺はBだ…」と呟くと、続けて飯田君がA。最も効果が短かった緑谷くんはO型だった。ステインがニヤリと口を歪める。
「血液型…ハァ…正解だ」 「分かったとこでどうにもなんないけど…」 「さっさと二人担いで撤退してぇとこだが、氷も炎も避けられる程の反応速度だ。そんな隙見せらんねぇ。プロが来るまで近接を避けつつ粘るのが最善だと思う」 「二人は血を流しすぎてる。僕が奴の気を引き付けるから後方支援を!」 「待って!私は後方支援ができる個性じゃないし、緑谷君と二手に別れて気を引き付けるよ」 「でも名字さんは怪我が!」 「ヒーローの卵がちょっと血流したくらいで守られてちゃ意味ないでしょ。それに、速さには自信あるの。知ってるでしょ」 「相当危ねぇ橋だが…やるしかねぇな」
一人でダメなら三人で守ればいい。足りない部分を補い合って、絶対にこの場を切り抜けるんだ。緑谷君は暫し閉口すると、「分かった。二人でやろう」と力強く頷く。私は腕に刺さっていた刃物を引き抜くと、緑谷君と同時に地を蹴った。 二人でステインの気を引き付け、轟君が氷結と炎熱で後方から攻撃を繰り出す。しかし、ステインは三対一への焦りか先程の動きとは一線を画していた。
「ぎゃッ!」 「緑谷君!」
目で追えない程のスピードで緑谷君が足を斬り付けられる。真っ赤な鮮血が迸り、ステインが刃の先を長い舌で舐め取った。
「ごめんッ!名字さんッ」
血を摂取された緑谷君が苦悶の表情を浮かべながら落下していく。背後で轟君が氷結を繰り出す音がするからきっと受け止めてくれるだろう。そう信じて私はステインの斬撃を既の所で躱していく。
「三体一で、お前に勝ち目はない!退いた方が身の為じゃないの!?ヒーロー殺しステイン!」 「ハァ…彼処で倒れているのは私欲を優先させる贋物の”英雄”だ…”英雄”を歪ませる社会のガンは、今すぐ粛清せねばならない…」 「飯田君は偽物なんかじゃない!」 「お前も見ただろう…あの男の形相を、その本質を…。人間の本性はそう易々とは変わらない」
斬撃を間一髪で避け、建物の壁に脚をついた反動を利用して一気にステインを殴り飛ばす。建物の破壊はご法度なのでなるべく抑えた力で攻撃したが、ステインはすぐに建物を足場にして身を翻した。
「痛ッ!?」
右腕からの突き抜けるような痛みに思わず視線を向ければ、触れた時に斬られたのか、赤い血が流れていた。少し視線を外した瞬間にステインが目の前に迫ってきて慌てて前を向く。危うく斬られる既の所で、轟君の氷結がステインの邪魔をしてくれた。
「ごめん!助かっ…!?」 「名字!」 お礼の言葉を叫ぼうとしたその時、背筋を這い上がるような悪寒と共に身体が石のように固まって私はそのまま地面に衝突した。身体中に広がる鈍痛に呻くが、指先一つ動かすことができない。
「(しまった、血を舐められた!)」
恐らく先程切られた時の血を舐められたのだろう。しかし、ステインは上空で轟君の攻撃を避けながらも、どういう訳か一向に私を殺しに来る気配がない。
―――― お前も見ただろう…あの男の形相を、その本質を…。人間の本性はそう易々とは変わらない。
ステインはやたらと飯田君を狙っているように見えた。緑谷君も私も、いつだって止めを刺せた機会があったのにも関わらずだ。 ステインの言う通り、確かに飯田君は復讐に駆られた者の顔をしていた。職場体験の中で私は沢山のプロヒーローの表情を見てきた。しかし飯田君のそれは、とてもじゃないがヒーローと呼ぶにはあまりにも殺気に満ちていた。それでも目の前に大事な人の人生を滅茶苦茶にした悪党がいたら私だって飯田君のように復讐を考えただろう。
「…お前の目的は何!どうして飯田君だけ執拗に狙うの!」 「何故って…?」
ステインが焼け付くような視線を私に向ける。
「目先の憎しみに捉われ、私欲を満たそうなどヒーローから最も遠い行いだ…。そんな贋物が”英雄”と呼ばれ、蔓延る社会など間違っている…そんな人間に粛清を与えるのが俺の役目だ…」 「もっともらしいこと言って、要は自分の気に入らないものを斬り捨ててるだけでしょ!」 「ハァ…言葉には気を付けろ…。お前の自らを顧みず、他を庇う姿勢は気に入っているんだ…。その腕の傷も、名誉なことだろう…」 「気に入って貰わなくて結構!聞いといてなんだけど、殺人鬼の考えなんてこれっぽっちも理解できない!」
叫んだ瞬間、顔の真横に勢いよくナイフが突き立てられた。光る刃先に己の緊迫した表情が反射する。背後ではいつの間にか、血を舐められて動きを封じられた轟君が倒れていた。
「理解ができないか…ハァ…ならば問う…」
地に伏す私の目と鼻の先でステインが佇む。
―――― 思想犯の眼は静かに燃ゆるもの。
いつしかオールマイトがそう言っていた。本当に、その通りだと思った。
「ヒーロー…お前の信念はなんだ…」
ステインの瞳の奥ではどす黒いものが混ざり合って、静かに揺らめいている。私が糾弾する側だった筈なのに、その両目と目が合った瞬間、全身が鉛みたいに重くなって息を吸うのもままならなかった。 私の信念。そんなもの、急に聞かれたって答えられる訳がない。自然と呼吸が荒くなって、脂汗が額に滲む。ステインはそんな私をじっと見ていたが、やがて酷く落胆したようにナイフの柄を握る手に力を込めた。
「…お前は”いい”と思ったんだが、思い違いだったようだ…。どんなに緊迫した状況でも、そこの緑の小僧は応えられたぞ…」 「は、」 「人は死線を前にして…その本質を表す…。何も出てこないのはお前が空っぽの人間だからだ…。だから淘汰され、死ぬ…。当然のことだろう」 「名字さん!」
ステインがすらりと抜いたナイフを振り上げる。その刃先には、絶望の表情で此方を見下ろす私自身が映っている。
ヒーロー名すら浮かばない自分が、殺人者にまで叱られる自分が情けなかった。それでも、この三日間の経験で私なりに気付いたことがある。”英雄”と呼ばれるような人間は、ヒーローになろうとしてなったんじゃなくて、己の信念がヒーローたらしめるんだって。 盾となれる強い人も、誰かを助けたいと想う人も、迷子の子を当然のように迷子センターに引っ張って行ける人も、皆違っているようで同じヒーローだった。
例え空っぽでも、信念も目標もなくても、私は――――。
「それでも私は…目の前で倒れている友達を抱え起こしてあげるだけだ!私の個性は、その為にあるんだから!」 「死ね」
私を真っ二つに切り裂かんと振り下ろされたナイフの動きが嫌にゆっくりと、時が止まったように見える。 ああ、これが走馬灯ってやつなのかもしれない。 死の淵に立った私はそんなことを考えていて、目の前で起きた出来事を上手く呑み込むことが出来なかった。
「―――― レシプロ…バーストッ!」
気付いた時には飯田君が駿足の蹴りでナイフを弾き飛ばし、ステインに猛撃を与えていた。飯田くんは呆然と地に伏す私の前に、庇うようにして立ちはだかる。
「緑谷君も、轟君も、名字くんも関係ない事で…申し訳ない…」 「また、そんなことを…」 「だからもう、三人にこれ以上血を流させる訳にはいかない」
その横顔は、憎しみに突き動かされていた頃の色を失ったいつもの飯田君だ。
吹き飛んだステインは態勢を立て直すと、飯田君の蹴りで折れたナイフを見つめる。柄を握るその指先には血が滴っていた。
「感化され取り繕おうとも無駄だ。人間の本質はそう易々と変わらない…。お前は私欲を優先させる贋物にしかならない!ヒーローを歪ませる社会のガンだ!誰かが正さねばならないんだ!」 「時代錯誤の原理主義だ。飯田、人殺しの言葉に耳を貸すな」 「いや…言う通りさ。僕にヒーローを名乗る資格など…ない。それでも…折れる訳にはいかない…」
ステインの言葉を受け入れ、飯田君は血が滲む程拳を握り締める。
「俺が折れれば、インゲニウムは死んでしまう!」 「論外」
ステインが地面を踏みしめるのと同時に自由になった轟君が広範囲の炎熱を繰り出す。決して近付かせないように、焼き切るようにして放出すれば、蹲るプロヒーローが「馬鹿!」と叫んだ。
「ヒーロー殺しの狙いは俺とその白アーマーだろ!応戦するより逃げた方がいいって!」 「そんな隙を与えてくれそうにないんですよ。さっきから明らかに様相が変わった。奴も焦ってる」
血液型という不確定要素に近接必須のこの状況。ステインにとって多対一は不利でしかない筈だ。それでも撤退する気が全くないのは、プロが来る前に目的の対象を抹殺するべく躍起になっているからだ。 イカれてるとしか言いようがない執着。頑として譲らないステインは、唯一残っていた冷静さを完全に失っていた。
「轟君!温度の調節は可能なのか!?」 「左はまだ慣れねぇ!何でだ!?」 「俺の足を凍らせてくれ!排気筒は塞がずにな!」 「邪魔だ!」 「二人共避けて!」
私の叫びも虚しく、二人が反応した頃にはステインのナイフが飯田君の腕に突き刺さり、地面に縫い付けられるようにして貫通した。ステインが迫ってくる。私の身体はまだ動かない。緑谷君は!? 視線だけで周りを見渡せば、遠くで自由になった緑谷君が氷壁を踏み台にして飛び上がるのが見えた。
「行け!」
飯田君がナイフを咥えて引き抜き、凍った足のエンジンを鳴らして駆け上がる。
―――― 私達目掛けて突っ込んでくるステインを二人の拳が、脚が、貫くようにして振り抜いた。
「お前を倒そう!今度は…犯罪者として…」 「畳み掛けろ!」 「ヒーローとして!」
飯田君が空中ですかさずステインの腹に渾身の蹴りを入れ、轟君が炎熱で焼き切る。飯田君と緑谷君が転げ落ちるようにして落下してくると、氷結が滑り台の代わりとなって衝突は免れた。
「立て!まだ奴は…」
轟君が言葉を止める。誰もが視線を集めた先には、氷結の上で崩れ落ちたステインの姿があった。その全身は炎熱で容赦無く焦げ、ピクリとも動かない。
「流石に気絶してる…ぽい?」
緑谷君が恐る恐る呟く。どれだけ様子を伺ってもステインが起き上がる気配はなかった。同時に私の動きを封じていた個性も時間切れとなったのか、不快な感覚を残したまま立ち上がる。
「名字さんも動けるようになったんだね!良かった」 「うん。三人で、やっとどうにかなったって感じだね…」 「ああ。だから早く拘束して通りに出よう。何か縛れるものは…」 「念の為武器も全部外しておこう!」
着々と拘束の準備を進める私達に、飯田君はどこか唖然として突っ立っている。人一倍正義感と責任感の強い彼のことだから、考えていることは何となく予想がついた。 一先ずステインを縛れる物を探す為にそこら辺を漁ってみる。すると、流石路地裏のゴミ置き場なだけあって丁度良い縄を見付けた私達はステインをぐるぐるに縛って引き摺った。
「緑谷君。足怪我してるんでしょ?背負うから乗って」 「え、ええ!?そんな、女の子におぶられるなんて…」 「何恥ずかしがってるの?」 「待ってくれ。何もできなかったし、せめて一番元気な俺が運ぶよ」
プロヒーローも漸く身動きが取れるようになったらしく、無理矢理背負おうとしていた私に申し訳なさそうにそう言ってせっせと緑谷君をおんぶしてしまった。 こうして準備が整った私達は気絶したステインを引き摺って大通りに向かって歩き出した。飯田君は縄を持つ轟君に「やっぱり俺が引く!」と訴えていたけど、彼の腕は無惨にも斬り付けられていてとてもじゃないが動かせる状態ではない。当然、轟君は即答で断った。
「悪かった。プロの俺が完全に足手纏いだった…」 「いえ…一対一でヒーロー殺しの個性だともう仕方ないと思います…強すぎる」 「四対一の上にこいつ自身のミスがあってギリギリ勝てた。多分焦って俺達の復活時間が頭から抜けてたんじゃねぇかな。ラスト飯田のレシプロはともかく、緑谷の動きに対応がなかった」 「……」
轟君の言葉は慰めなどではなく事実だ。少しでもステインが上手だったなら私達に勝機はなかっただろう。結果大怪我となったが、それでも死人が出なかっただけマシだ。 ちらりと隣を歩く飯田君を盗み見る。その横顔は、依然として暗いままだ。
「む!?んなッ…何故お前がここに!」 「グラントリノ!」 「座ってろっつったろ!」 「グラントリノッ!」
見知らぬ小さな老人が角から飛び出してきたかと思えば、その老人は緑谷君の知り合いなのか、容赦無く彼の顔面に蹴りを入れた。 怪我人相手にいいのかそれ…。若干引きながら叱られている緑谷君を見ていると、曲がり角から次々とプロヒーローが現れるなり私達の惨状を見てギョッと目を丸くさせた。
「エンデヴァーさんから応援要請承ったんだが…」 「子供!?酷い怪我だ、救急車呼べ!」 「おい、コイツヒーロー殺しか!?」
そういえばエンデヴァーとの別れ際に轟君が応援を頼んでいたことを思い出す。別の事件が終わり次第合流する予定だった筈だが、彼の姿はどこにもない。思わず「あの、エンデヴァーは?」と尋ねれば、隣で緑谷君が焦ったように「そうだ!脳無の兄弟が!」と叫んだ。
「脳無って、あのUSJの敵!?」 「うん!あれに似た奴が何体もいたのを見た…」 「まさか…」 「あの敵に有効でない”個性”の奴等がこっちの応援にきたんだ!」
その言葉に、私は江向通りに来る前の破壊音と黒煙を思い出した。USJにいた脳無はオールマイトが決死の勢いで倒した化け物だ。あんな敵が複数いて、街の人間を無差別に襲っていると考えただけでもゾッとする。 私達が困惑している間に、プロヒーロー達はステインの確保と警察への連絡を手際よくこなしていく。学生である私達はこれ以上手を出すことが出来ず、ただその様子を眺めていれば、今まで俯いていた飯田君が突然私達に向かって頭を地面につきそうな程下げたので思わず振り返る。
「三人共…僕のせいで傷を負わせてしまった。本当に済まなかった。何も…見えなく、なってしまっていた…」
飯田君の涙がいくつもコンクリートに染みを作っていく。いつも堂々としている飯田君の肩は、堪えるように震えていた。
「…僕もごめんね。君があそこまで思い詰めていたのに全然見えていなかったんだ。友達なのに」 「私も、ごめん。苦しい時程頼れないものって分かってたのに、飯田君が話してくれるまで待とうなんて考えてた。辛かったよね。無傷とはいかなかったけど、飯田君が無事で本当に良かった」 「…ッ」
嗚咽を漏らして泣く飯田君にせめてもとハンカチを差し出せば、彼は受け取ってくれたものの涙を拭くことはしなかった。「しっかりしてくれよ。委員長だろ」そんな轟君の厳しくも優しい言葉にグッとハンカチごと拳を握りしめると、飯田君は血に染まったコスチュームの肩口で乱暴に涙を拭った。 時間で言えばほんの五分から十分程度の戦いだった。けれども、私達にとっては物凄く長い戦いだったように感じる。勿論これで飯田君の心が晴れるとは思っていない。彼は密かに復讐を企ててしまうくらい傷付き、悩んだのだろう。きっと私達には推し量ることの出来ない悲しみがそこにはあった筈だ。それでも、飯田君が笑えるようになるその日まで私は…私達は、友達として何度だって支えてあげるだけだ。
「行こう、飯田君。そんな顔してたらお兄さんが悲しむよ」 「…うん」
皆酷い怪我をしている。救急車を呼んでもらっているし、とにかく応急手当だけでもしよう。 そう考えた私が行動に移そうとした時、グラントリノと呼ばれていた老人が「伏せろ!」と私達に向かって叫んだ。
「なッ!?」 「敵!エンデヴァーさんは何を…」
上空にいたのは羽を生やした脳無のような化け物だった。それは一直線に私達目掛けて突進してくると、遮るプロヒーロー達をすり抜けて緑谷君の身体を捉えた。
「え、ちょ…」 「緑谷君!」
脳無は困惑する緑谷君を掴み上げ、猛スピードで飛んでいってしまう。瞬く間に手の届かぬ空へ行ってしまった脳無と緑谷君の悲鳴にプロヒーロー達が動揺する。しかし次の瞬間、今まで縛られていたステインが縄を裂き、プロヒーローの顔に散った脳無の血を舐めあげて敵の動きを止めた。
「偽物が蔓延るこの社会も…徒に力を振りまく犯罪者も…」
一瞬にして飛び上がったステインが敵の晒されたままの脳をナイフで突き刺す。
「粛清対象だ…ハァ…全ては、正しき社会の…為にッ!」
急所だったのか、脳無は血を吹き出して地面へと落下していく。ステインは緑谷君を抱えたまま着地すると、最早焦点の定まっていない状態で地に伏す脳無に止めを刺した。 目の前で起きた出来事に、私達は疎か、プローヒーローまでもが愕然としている。「助けた!?」「馬鹿人質とったんだ!」と大騒ぎするヒーロー達に、何処からともなく現れたエンデヴァーが怒声を響かせた。
「何故一かたまりになって突っ立っている!?そっちに一人逃げた筈だが!?」 「エンデヴァーさん!あちらはもう!?」 「多少手荒になってしまったがな!して、あの男はまさかの…」
エンデヴァーがステインの姿を捉えた瞬間、躊躇なく飛び出した。そして炎を纏った右手を翳した時、遮るようにしてグラントリノが「待て轟!」と叫ぶ。 ステインは傍の緑谷君には目もくれず、顔を上げた瞬間焼き切れた包帯が地面に落ちて素顔が露わになった。
「贋物…正さねば…誰かが、血に染まらねばッ!」
譫言を繰り返し、口から体液を垂らしたままステインは地面を踏みしめる。折れない軸が、信念が、彼を突き動かしているのか。猛毒のように広がる殺意にその場にいる誰もが、あのエンデヴァーまでもが後退った。
「”英雄”を取り戻さねば!来い、来てみろ贋物ども!俺を殺していいのは本物の英雄だけだッ!」
呑み込まれんばかりの意志、覇気が私達を襲う。その圧倒的な威容に爪先から冷たい何かが這い上がって来て、力が一人でに抜けた私は崩れ落ちるようにして座り込んだ。 これは路地裏で感じた圧迫感だ。全身が鎖を巻かれたみたいに動かなくて、息を吸うのもやっとの状態。震える歯だけがガチガチと音を立てる。
私達に向かって歩みを進めていたステインがふと、立ち止まった。
「気を…失っている…」
白目を剥いたまま佇むその姿に、誰かがそう言った。その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように誰もがその場に崩れ落ちた。
「ハッ…」
止まっていた呼吸が動き出す。静寂に包まれる中、荒い息遣いだけが繰り返されている。ステインは気を失いながらも倒れることはなかった。それはまるで、彼の生き様を表しているようにも見えた。
後から聞いた話だが―――― ステインはこの時、折れた肋骨が肺に刺さっていたそうだ。誰も血なんか舐められていなかった。それでも、誰もが圧倒されて動くことができなかった。 あの場でヒーロー殺しだけが、確かに”相手”に立ち向かっていたのだ。
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