小さい頃の夢を見た気がした。はっきりとは思い出せないけど、友達に囲まれていて、お兄さんのような人がいた。楽しくて、笑顔の多い夢だった気がする。
 
「…いよいよ職場体験だ」

 緊張のせいで夢を見たのだろうか。何にしろ目覚ましが鳴る前に起きることができたし、早めに駅に迎えるかもしれない。私は起き上がりながら時間を確認する為にスマホの電源を付ける。

「…あれ?」

 そこには予定していた起床時刻をとっくに過ぎた時間が画面に表示されていて、思わず二度見をする。

「目覚ましセットし忘れたぁあ!」

 何度見ても同じ数字を刻んでいるスマホに叫ぶなり、私は慌てて布団を蹴るようにして飛び上がった。

「おや。遅刻なんて珍しいですね?」
「油断してた!ごめんもう行ってきます!」

 猛スピードで歯ブラシと身支度、見田さんが用意してくれた朝食を平げ、転がるようにして外に飛び出る。
 今日の集合は駅だ。バスに乗り遅れないよう急いで飛び乗り、一先ず遅刻は免れそうな時間にホッと胸を撫で下ろす。到着する間、毎朝のニュースを見る時間もなかったからせめてとスマホで情報収集をするが、ネットの記事はある事件を中心に話題となっていた。

「ヒーロー殺し"ステイン"…。インゲニウム、重症…?」
「怖いわよねぇ、最近話題のヒーロー殺し」
「気の毒だわインゲニウム…。素晴らしいヒーローだったのに再起不能だなんて」

 近くの主婦達の耳を疑うような会話に脳の理解が追い付かない。
 インゲニウムは飯田君のお兄さんだ。以前、食堂で自慢気に兄の話をしていたのを覚えている。彼にとって兄はヒーローを志すきっかけになった人で、誰よりも尊敬している人物だ。
 そんなヒーローが再起不能だなんて、飯田君の気持ちを考えるだけでも胸が痛む。

 決して穏やかではない事件に不穏な気配を感じながら、気付けばバスは集合場所近くで停車した。

「ギリギリだぞ名字。体験先でもやらかすんじゃねぇぞ」
「すみません!」
「名字さんが寝坊なんて珍しいね?」

 ゼェゼェと息切れする私に麗日さんが目を丸くして言う。これでも完璧主義なところがあるので寝坊なんて生まれてこの方一度もしたことがなかったのだが、今朝の事件といいなんだか嫌な感じだ。
 「ちょっと、目覚ましセットし忘れてて…」そう言いながら飯田君の様子を盗み見る私に、麗日さんは察したように顔を暗くさせた。

「今大騒ぎだよね…。飯田君のお兄さんの事件。笑ってるけど、やっぱり心配だよ…」

 麗日さんと緑谷君は特に飯田君と親しかったし、二人は眉を八の字にして飯田君の背中を見つめる。関わった時間は短いが、私としても彼の明るくて真面目な人柄はとても心地良いものだった。それだけに、飯田君が思い詰めていないかが心配だった。

「…飯田君。何か抱え込んでるんだったら、いつでも話してね」
「そうだよ。どうしようもなくなったら言ってね…友達だろ」

 飯田君の背中に投げ掛けた言葉に麗日さんが何度も頷く。

―――― 友達だろ。

 もし飯田君が私のこともそう思ってくれているのなら…。こんな時に気の利いたこと言葉一つ言えないことが酷く悔やまれた。
 轟君の時もそうだった。緑谷君はいつだって真っ直ぐで飾り気のない言葉を紡ぐ。相手に送る適切な言葉はいつだって考えてもキリがないけど、それを迷うことなく伝えられるのはきっと緑谷君が愚直なまでに素直で心優しいからだ。今まで彼に対して密かに敵対心を抱くことが多かったけど、その点では尊敬の念すら覚えた。

「…ああ」

 飯田君は無理に押し出したような笑みを浮かべて頷くと、それ以上何も言わずに背を向けた。

「コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁な身だ。落としたりするなよ」
「はーい!」
「伸ばすな”はい”だ芦戸。くれぐれも失礼の無いように!じゃあ行け」

 飯田君は誰よりも足早に改札に向かっている。緑谷君と麗日さんと三人で顔を見合わせるが、こればかりは飯田君から何かを言ってくれるまで待つしかない。
 どことなく落ち着かない雰囲気のまま私達は手を振って別れ、それぞれの職場体験先に沿った改札に向かった。

 プロの活動を間近に見れる貴重な機会。体育祭の件もあって指名は沢山頂いていたが、その中で私が職場体験先として選んだのは”エンデヴァー事務所”だった。
 あの轟君の父親でもあるし、メディアにも明かされていない壮絶な家庭事情も知ってしまったけれど、それでもエンデヴァーは紛う事なき現代社会のNo.2だ。本当にただの非情な人間であるならば今の地位も名誉も得られなかった筈。そもそも何故私に指名を入れたのかは不明だが、No.2の活躍を間近で見れるなんてまたとないチャンスだ。
 私の戦闘スタイルからしてバトルヒーロー”ガンヘッド”や任侠ヒーロー”フォースカインド”と迷ったが、私は今一度自分がなりたいヒーロー像を明確にする為に今回エンデヴァーの事務所を選んだ。

「(お母さんの事務所からの指名は…なかったな)」

 ”指名”とは実際に実力をかっている訳ではなく興味の示唆だ。逆に言えば指名がないということは興味、関心がないということ。派手に負けてしまったからそうじゃないかとは思っていたけれど、ここまで明確にされてしまうとそれなりに私も落ち込んでしまった。
 溜息を吐きたくなる気持ちを抑え、到着した電車に乗り込む。通勤ラッシュはギリギリ避けているので車内は比較的空いているが、同時に浮き彫りとなった一人の男子の目立ち具合に私は思わず頭を抱えたくなった。

「轟君…。何で同じ電車に乗ってるの」
「俺もこっち方面だ」

 吊革を掴んで立っていた轟君に近付いて言えば、彼はやっと私の存在に気付いたといった様子で何てことのないように返事する。クラスメイトの体験先は殆どバラバラだったのか皆それぞれ別の改札に散って行った気がするのだけど、どういう訳かこの男とは妙な縁がある。
 私達が乗っているのは都内行きの電車だし、事務所ならいくらでもあるだろうからきっとその中のどれかだろう。そう考えた私は安易な気持ちで「職場体験先どこにしたの?」と尋ねた。

「エンデヴァー事務所だ」
「……」
「そういう名字はどこにしたんだ?」
「え、エンデヴァー事務所」
「……」

 見事なまでの沈黙と轟君の「何でお前が?」と言いたげな表情が痛い。
 そりゃ考えてみれば轟君だって指名をもらっていてもおかしくない話だ。けれど彼はエンデヴァーを毛嫌いしている節があったし、私がエンデヴァー事務所を選んだのもわざわざ報告するようなことでもないかと思って本人には言わなかったのだ。

「ごめん。隠してた訳じゃないんだけど、言わなくてもいいかなって…」
「駄目なんて言ってねぇだろ。名字がどんな理由でアイツの事務所を決めようが、俺にはそれをとやかく言う権利ねぇよ。ただ、どういうつもりでお前を指名したのか…」
「うん?」

 どこか苦い顔をする轟君に首を傾げれば、轟君は「なんでもねぇ。一週間よろしくな」と言って半ば強引に話を逸らしてしまった。
 何を言わんとしていたのか気になるけど、私はこの後、その意味を身を以て知ることとなるのだった。


「よく来てくれたね二人とも!エンデヴァー事務所にようこそ!」

 事務所に到着した私達をエンデヴァーのサイドキックが明るく出迎えてくれた。私と轟君はそれぞれ挨拶をし、エンデヴァーの元へと案内される。

「来たか」

 身体に纏わせる炎を揺らめかせながらエンデヴァーは振り返ると、轟君と同じ翡翠の両目で私達を見下ろした。
 生で見て初めて感じるその大きさと威圧感。まるで指名など間違いでしたと言わんばかりに向けられる鋭利な視線にごくりと息を呑んだ。

「まさか、本当にうちに来るとはな。こちらとしては焦凍だけで事足りていたんだが」
「…親父」
「どういう意味ですか?」

 嫌な笑みを浮かべて見下ろしてくるエンデヴァーに、轟君までもが牽制するように一歩前に出る。それは、歓迎というにはあまりにも不遜な態度だった。

「あの名字の娘だというからどんなものかと思っていたが、体育祭ではうちの息子が随分お世話になったようだな」

 …ああ、そうか。

「その上、負けた相手の事務所を選ぶとは。矜持というものがないのか」

 私は今揶揄されているのか。

 どうりでおかしいと思った。私に指名を入れたのは興味があったからなんかじゃなくて、ただ冷やかしたかっただけなんだ。No.3の娘である私を。己の息子に敗北した私を。
 頭の奥が熱くなっていく感覚がする。私は、依然として侮蔑を込めた笑みを張り付けるエンデヴァーを睨め付けた。

「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、親父!」
「お前は黙っていろ。…ふん。その目、威勢だけは良いようだな」
「…あなたの言っていること、変だと思います」
「何だと…?」

 震えないように強く両手を握り締める。私は、目の前のトップヒーローから断固として目を逸らさなかった。

「だって、そうですよね?私は轟君…焦凍君に、負けたのであってあなた自身とは何も関係がない筈です。それなのにまるで自分を焦凍君のように言うのって、変だと思います」
「何がおかしい?親子なのだから当然だろう」
「例え血が繋がっていたとしても、焦凍君はあなたじゃない」

 エンデヴァーはカッと目を開くと額に青筋を立てながら睨み付けてきた。油断すれば思わず一歩引いてしまいそうな威圧感にぐっと堪える。
 自分の親ですら怖いのに、あのエンデヴァー兼見知らぬおじさんが怖くない訳がない。それでも絶対に退きたくなかった。私の矜持を、馬鹿にしないでほしい。

「よって、私がエンデヴァー事務所を選んだとて何も不思議なことはありません。私は”エンデヴァー”に教わりに来たので」
「……」

 周りのサイドキック達が慌てふためく中、私とエンデヴァーの間に無言の空間が流れる。しかしエンデヴァーは小さく舌打ちをすると、ふんと鼻を鳴らして「後は任せたぞ」と部屋の奥に去って行ってしまった。

「ご、ごめんね!あんな言い方してたけど、別に名字ちゃんのこと歓迎してない訳じゃないからね!?」
「……」
「もしかして機嫌悪くなっちゃった…?」
「つ、疲れました」
「んん!?」

 気が抜けた瞬間ふにゃりと座り込んでしまった私にサイドキック達が変な声を上げて慌て出す。今のやり取りで私だけでなく皆が肝を冷やしたようだ。
 「取り敢えずお茶用意するから二人共座ってて!」と強引に応接間のソファーに座らされると、サイドキック達はそそくさと部屋を出て行ってしまった。

「……」
「……」

 轟君は最初の一言以降終始無言で私達のやり取りを聞いていた。私自身を揶揄われてたことでつい喧嘩をかってしまったけど、合わせて轟君のセンシティブな部分にまで首を突っ込んでしまっただけに流れる沈黙がかなり痛い。
 ちらりと横目で盗み見た轟君は心ここに在らずでテーブルを見つめているのが余計罪悪感に苛まれた。

「あの…ごめんね。余計なお世話って分かってたんだけど、つい…」
「ハァ…」

 漸く動いた轟君は額を押さえるなりこれでもかと深い溜息を吐いた。…何だその反応は。ムッとする私に、轟君は困ったように小さく笑う。

「…お前、そういうとこだぞ」
「なにがよ」
「他人のことには堂々としてるのに、自分のことになるとてんで自信がねぇ。無茶苦茶だよ」

 そう言って、轟君はどこか嬉しそうに微笑む。言ってることとやってることがチグハグだが、怒ってはいないようなので一先ず安心した。

「自信ないってのは確かにそうだ。この一週間生きていけるか正直凄い不安」
「お前…あんだけ啖呵切っといてその心配か」
「そりゃそうだよ!腐ってもNo.2に舐めた口聞くなんていつ殺されてもおかしくない!」
「その割に結構辛辣だな」

 どうしよう今になって心配になってきた。あれだけ相澤先生に「失礼のないように」って口酸っぱく言われてきたのに今頃学校に連絡とかいってたら…。いやそれどころか保護者に連絡なんていかないよね!?そんなことがあれば私に明日はない。

「名字がいてくれて良かったよ」
「!?」

 ガクガク震える私に轟君が突然変なことを言い出したので私はくわっと目を見開いて隣を見た。するとあの轟君が何とも柔らかい笑みを浮かべて私を見ているではないか。
 何だか途端に不気味になった私はサッとソファの端に逃げるようにして身を寄せた。

「何で逃げんだ」
「だ、だだ大丈夫?轟君でもっとこう、ダークな感じじゃなかったっけ…?」
「そうだったか?」

 脳裏に浮かぶのは入学当初の轟君。人のことを無視し(私は根に持つタイプなのだ)、困っている緑谷君に突っ掛かり、立ちはだかる奴は容赦なく凍らせる。そんなイメージだ。
 体育祭終了後からその片鱗はあったけど、それがここまで丸くなるのか。ぽかんとしている私に轟君は怪訝そうに首を傾げる。

「嬉しいことがあったら俺だって笑う」
「嬉しかったの?」
「嬉しかった。だから、お前がいてくれて良かったって思ってるよ」
「…そっか。それなら、粗相で怒られても本望だな」

 轟君の笑顔も、その言葉も、意図していなかった自分の行動が誰かに感謝されるのってこんなにも心地良いなんて知らなかった。
 何だかふわふわして気持ちが落ち着かなくて照れ隠しに俯く。心臓がやけに騒がしい。

 そんなことを話していると、応接間のドアが勢いよく開いてサイドキック達が入ってきた。

「お待たせ二人共!早速パトロールに出かけるよ!」
「!」

 いよいよ一週間の職場体験の始まりだ。私達は同時に立ち上がると、「はい!」と大きく返事をした。

「あ、ごめん!お茶遅くなったけどせっかく入れてきたから飲んで!」
「え!?」

 どういう訳か熱々のお茶を一気飲みしてから私達はパトロールに繰り出したのだった。

 




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