体育祭はベスト8で敗退し、終了した後も悔恨の情に苛まれた。それでも少なからずあのイベントは私にとって大きなきっかけとなる時間だった。
 恨み辛みで突き動かされてきた轟君が変わる姿を見て、私は休校となった二日間で沢山考えた。どうしたらもっと強くなれるか。私が求めているものは何なのか。これから自分はどうすべきなのか。考えることが多過ぎて一向に纏まらなかったけど、今後予定されている”職場体験”の方針は何となく決めることができた。

「…さん、お姉さん!」
「…え?」

 ボーッと歩いていたせいで声を掛けられていたことに気付かなかった。慌てて顔を上げた先にいた社会人数名に「すみません、何ですか?」と尋ねれば、目の前の人達は嬉々として体育祭の内容を語り出した。

「見てたよ体育祭!まだ若いのに凄かったなぁ、おじさん感動しちゃったよ!」
「こんな子も頑張ってるんだって知って仕事も捗っちゃったよ!」
「怪我早く治るといいな!これからも頑張れよ!」

 騒ぎを聞き付けた通行人が次々に集まってきて私を取り囲んでくる。突然のことにあたふたするが、ふと見えた腕時計が予鈴ギリギリだったのもあって私は慌しくお礼を叫ぶと人々の間を掻き分けて逃げた。

 あの時の私は周りのことなんて見えていなくて、自分のことだけを考えて戦っていた。それどころか声援をくれる人達にまで反発していた。それでもこんなに私を見てくれて、応援してくれていた人がいたのだと知って少し嬉しかった。
 
 朝から雨で憂鬱だったけど、私の足取りはどこか軽いまま学校に到着することができた。

「おはよう」
「おはようございますわ」

 席に着いていつも通り挨拶をしようとした私を遮り、開口一番で挨拶をした轟君と八百万さん。今までと打って変わってしっかりと目を合わせてくる二人に思わず鳩が豆鉄砲食らったように固まっていると、轟君が念を押すように「今度は無視してねぇ」と呟く。

「今日だけやって次からないとかダメだからね?」
「それは大丈夫だ」
「挨拶だけでも名字さんに勝ちたいですもの!」
「勝負の一環なのねこれ」

 意気込む八百万さんに苦笑いを浮かべていれば朝のHRを知らせるチャイムが鳴り響いた。一斉が瞬時に着席し、教卓に向かう相澤先生に挨拶をする。USJ事件で暫くぐるぐるに巻かれていた先生の包帯はすっかり取り去られていた。

「相澤先生、包帯取れたのね。良かったわ」
「婆さんの処置が大袈裟なんだよ。それより名字。体育祭じゃあ意識が戻らないんで様子見て帰っちまったが、その後容態に問題はねぇか」
「は、はい。今の所は特に」
「そうか。お前は表彰式も参加できなかったから気の毒だが、とりあえず跡残さねぇように婆さんに診てもらってしっかり完治させろよ」
「はい」

 相澤先生の目の下にはUSJで受けた時の傷がくっきりと残っていた。それがより一層訴えかけてくるようで、私は包帯の巻かれた腕を摩る。
 両腕の怪我はリカバリーガールの治療のおかげで痛みはないし治りも通常の火傷より速いが、それでも無茶をした分筋繊維もボロボロでまだ全快という訳ではない。隣の席から轟君がまた申し訳なさそうにこちらを見るので、私は大丈夫の意味も込めて首を横に振る。この傷は、私にとっての戒めだ。

「話を戻すが、今日のヒーロー情報学はちょっと特別だぞ。”コードネーム”。ヒーロ名の考案だ」
「胸膨らむヤツきたぁああ!」
 
 今まで姿勢良く聞いていた一同が一斉に燥ぐが、相澤先生がひとたび目を尖らせればすぐに静まり返った。

 コードネーム即ちヒーロー名。ヒーローを志すものなら誰もが一度は考えるであろう。名は体を表すというが、正にヒーロー名は今後一生背負っていく自己表現だ。
 というのも、このヒーロー名は今後のプロからの指名に関係してくる。今回の体育祭でプロ達がそれぞれ将来性に興味を持った生徒を指名し、私達はそのプロの元に職場体験に行くのだ。現場では互いをヒーロー名で呼び合うから、そういう意味での名前決めなのだろう。

「指名の集計結果はこうだ。例年はもっとバラけるんだが、今回は三人に注目が集まった」

 相澤先生が黒板に集計結果を一括開示する。そこには十名の名前が表示されているが、集計結果は殆ど轟君と爆豪君と私の順に固まってしまっていた。

「だーー白黒ついたぁ!」
「一位二位逆転してんじゃん。表彰台で拘束されてた奴とかビビるもんな」
「ビビってんじゃねーよプロが!」
「爆豪君拘束されてたの?」
「ええ…。優勝したのですが、轟さんとの決勝戦が気に入らなかったみたいで」

 まさか気絶していた間にそんなことがあったなんて…。それにしても爆豪君は本当に宣誓通り一位になったのか。悔しいけど、伏線回収するのは流石と言わざるを得ない。

「でも、お二人も流石ですわ…」
「うーんでもこれ」
「親の話題ありきだろ」
「だよね」

 双方共にプレゼントマイクで悪目立ちをした同士だ。あれ以降何だかジロジロ見られるようになったし、居心地が悪い。指名が集まるのはありがたいけど、その殆どが恐らく贔屓によるものなので何だか素直に喜べない。

「まぁ、仮のヒーロー名になるが適当なもんは…」
「付けたら地獄を見ちゃうよ!」

 ヒールを鳴らして勢いよく教室に入って来たミッドナイト。相変わらずの際どいコスチュームに峰田君が夢中だ。

「この時の名が!世に認知されそのままプロになってる人多いからね!」
「まぁそういうことだ。その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。将来自分がどうなるのか。名を付けることでイメージが固まりそこに近付いていく。”名は体を表す”ってことだ。オールマイトとかな」

 将来の自分。私がなりたいヒーロー。体育祭で考えるきっかけをもらってこの二日間、色々思案したけど明確な将来像は浮かんでこなかった。
 私は元々ヒーローを目指していなかった。それ以前に、当たり前のこととしてこの道を用意されていたのだ。誰かの助けになりたいとかそんな綺麗な理由じゃなくて、ただ母を越える為に、一番になる為だけに時間を使ってきた。私が勝敗に拘るのもその為だ。

―――― あれは受け入れていいもんじゃないってお前も分かってるだろ。

 轟君に言われた言葉が脳裏に過る。例えば母の意思を跳ね除けたとして、私が自由に決めていいとしたら、私はどうする?
 自分に問いかけても何も浮かばなかった。それは、私自身が空っぽだからだ。

 十五分が経過し、ミッドナイトができた人から発表をするよう指示を出す。まさか発表形式だと思わなかった一同がざわつく中、自信満々に教壇に上がったのは青山君だ。

「輝きヒーロー"I can not stop twinkling"」
「短文ッ!!」
「そこはIをとってCan'tに省略した方が呼びやすい」
「それねマドモアゼル」
「じゃあ次アタシね!”エイリアンクイーン”!」
「2!!血が強酸性のアレを目指してるの!?やめときな!」
「ちぇー」

 不服そうに席に戻る芦戸さんにクラスが不穏な空気に変わる。初っ端二人が異質なヒーロー名を出して来たおかげで場が完全に大喜利の空気だ。
 誰もが躊躇する中、梅雨ちゃんが「じゃあ次私いいかしら」と勇気ある挙手をした。

「小学生の時から決めてたの。”フロッピー”」
「カワイイ!親しみやすくて良いわ!皆から愛されるお手本のようなネーミングね!」

 大喜利の空気を振り払ってくれた梅雨ちゃんに皆が胸を撫で下ろす。その後も続々とクラスメイトが教壇に上がり、昔から決めていたもの、憧れのヒーロー名を捩ったもの、次々と皆のヒーロー名が決まっていく。

「思ったよりずっとスムーズ!残ってるのは再考の爆豪君と…飯田君、緑谷君、そして名字さんね」

 ミッドナイトがまだ発表していない生徒の名前を上げていく。残っているのは私含め三人。しかし私は、十五分間ペンを握ったまま動かすことができなくなっていた。
 どんなに頭を回転させても仮の名前すら出てこない。その間にも飯田君が自分の名前を、緑谷君は蔑称の”デク”をヒーロー名にしていた。

「名字さんは?まだできそうにない?時間はかけても良いけど、あとはあなただけよ」
「…」

 どうしよう。私はどうしたら。
 皆それぞれ目標や憧れがあって、それに因んだヒーロー名を名付けている。今だに発表しない私に、向けられる皆の視線がまるで自分には何もないと言ってくるようで、焦燥感ばかりが募っていく。

「…ごめんなさい。まだ、決められそうにない…です」

 震える唇で辛うじて紡いだ言葉に自分自身が情けなくなった。

「そう…。まだ仮だし、大事なことはゆっくり考えるといいわ。丁度爆豪君も決まらないことだし、また後で報告して頂戴」
「はい…」

 俯いた先の両手をグッと握り締める。一先ず私と爆豪君を除いたヒーロー名決めは終わり、個別にプロからの指名リストを渡されて情報学の授業は終了した。

 そうして四限目の授業も終えてお昼頃になると、珍しく轟君が私の机の前に立った。

「名字。飯食わねぇか」
「……」

 本当に轟君は変わったと思う。入学当初の彼の顔付きはいつも殺伐としていて人を寄せ付けない雰囲気があったのに、今ではすっかり穏やかな表情に落ち着いていた。
 轟君もこの二日間で色々考えることがあったみたいだけど、何か決定的な出来事があったのかもしれない。それくらい、吹っ切れた様子があった。

「うん、いいよ。食堂行こう」
「お…」
「どうしたの?」
「いや、お前いつも拒否するから断られるかと思ってた」

 言われてみれば確かに先日の保健室では差し伸べられた手を無視したりと色々思い当たる節はあるけど、それは体育祭でのことがあったからで流石にご飯の誘いを突っぱねる程冷酷ではないつもりだ。
 まるで断られる前提だったみたいな言い方に「断られてたらどうするつもりだったの」と意地悪のつもりで問えば、「別にそのまま一人で食おうと思ってた」と真顔で言うので聞くだけ無駄だった。相変わらず顔色を変えない男である。

 食堂に移動し、それぞれ食べたい物のコーナーに並ぶ。轟君は冷たい蕎麦で私はカレーと食後のデザートを買って机に集まった。

「結構食うんだな」
「まぁね。個性の特性上沢山食べて筋肉付けなきゃならないし」
「甘いもん好きなのか?」

 轟君が若干驚いたように目を向けるのは私のトレーに乗せられた食べ物だ。そこにはプリンやらゼリーやら饅頭やらジャンルバラバラの甘味がカレー皿の端でぎゅうぎゅうに詰められている。
 しまった…。つい癖で沢山買ってしまった。緑谷君達と食べる時はいつも我慢してたのに。
 慌てたように「い、色んな栄養蓄えないとだし!」と無理のある言い訳をするが、そんな私に轟君は気にした素振りもなくズルズルと蕎麦を啜った。

「別にいいんじゃねぇか。好きな物なら」
「好きなんて一言も言ってない」
「そうか?それ眺めながらトレー運んでた名字の顔ニヤけてたから」
「ニヤけ…」

 真顔で信じられないことを言う轟君に顔が熱くなってくる。好物眺めながらニヤけるなんて正気の沙汰じゃない。いつも我慢していた分の反動が出てしまったのだろうが、今度からは絶対に気を付けようと心に固く誓った。

「お前もそういう顔するんだな」
「…しょうがないじゃん。家が厳しくておやつは一日一個までだったの」
「食べた過ぎて衝動買いって訳か。まぁ、あの親を見れば分からなくもねぇが」

 轟君が見たこともないような笑みを浮かべて私とデザート達を見るので、等々辛抱ならなくなった私は決死の勢いで「そういえばなんでご飯食べようなんて言い出したの!」と話を逸らした。轟君は私の勢いに驚くが、すぐにいつもの真顔に戻って話し出す。

「…名字、ヒーロー名決める時にすげぇ悩んでたろ。それが気になったってのもあるが、個人的に話したいことがあって誘った」
「話したいこと?」
「学校が休みの間に入院しているお母さんに会ってきたんだ」

 轟君が記憶を思い返すように目を閉じる。その表情は緑谷君に事情を話していた時のような憎しみに燃えるものなんかじゃなくて、どこか晴れやかだ。
 今朝はこの二日間で一体何があったんだろうなんて思っていたけど、轟君はきっと私には思いも寄らぬような大きな一歩を踏み出していたのだ。

「今までの俺はただ親父を否定する為だけに左を封印してた。けど体育祭でお前と緑谷にきっかけをもらって、考えを改めた」

 轟君のお母さんは、彼の左側が憎いと言って彼に煮え湯を浴びせ、そして父エンデヴァーによって病院に隔離された。それ以降轟君は母に会うことはなかった。会えなかった。

「母は泣いて謝り、驚く程あっさりと笑って赦してくれてた。そして俺が何にも捉われずに突き進むことが幸せであり、救いになると言ってくれた。名字が自分の個性を大事に思うように、俺も俺の左側を自分の力だと受け入れられる気持ちになった。簡単なことだったのに、お前の言葉でやっと見えたんだ」
「…そっか。あれは最早愚痴みたいなものだったけど、それでも轟君にとっていい影響だったなら良かった、かな」
「お礼って訳じゃねぇが、お前が何かに悩んでるなら力になりてぇって思ってる」
 
 誰かの救けになる。正にヒーローらしい発言、本質だ。きっと轟君の言うきっかけというのも、緑谷君の性格からして助言だったのだろう。私はただ自分のことだけを考えて、轟君に愚痴を叫んでいただけだ。
 結果的に彼に感謝されたとしても、元々の意図が緑谷君とは大きく異なる。そういうところがより私がヒーローに向いていないように思えた。―――― 自分と重なって見えていた轟君はこんなにも成長していたのに、私は…まだ何も変われていない。

「轟君は凄いよ」
「…?」
「自分の過ちを受け入れて、立派なヒーローになる為に目標を持っている。私はいつまでも自分の敗北に固執してただ親の言い成りのまま将来像もなくて。ヒーローに向いてないかも、って思ったら何も書けなくなった」

 向いていなくても当然かもしれない。ヒーローになりたかった訳じゃないんだから。それなのに雄英に在籍しているなんて失礼にも程があると思う。
 考えれば考える程、親の期待に応えたい自分と現実とのギャップに挟まれて深い沼に落ちていくような感覚がする。

「体力テストの時、お前緑谷のこと励ましてたろ」
「え?」

 体力テストなんて前の出来事、何で轟君が知ってるんだ。驚く私に轟君は箸の手を止める。

「クラスメイトの個性把握の為に周り観察してたらお前等が話してるのが見えた。相澤先生にも注意されて目立ってたしな」
「…確かにそんなこともあった」
「それだけなら記憶にも残らなかっただろうが、その場にいた全員が除籍宣告で自分に必死だった中、お前だけが緑谷に声を掛けて励ましてたんだ」

 「ヒーロー向いてない奴がそんなこと出来るとは思えねぇけどな」そう言って、轟君はまたズルズルと蕎麦を啜る。私は二の句が継げなくなって、俯いた先のカレーを意味もなく見つめた。
 自分の言葉が、行動が、そんな風に他人に捉えられることなんて初めてだった。ふと頭に、ヒーローってなんだろうと素朴な疑問が浮かぶ。強い人?誰かを助けたいと思う人?迷子の子を当然のように迷子センターに引っ張って行ける人?

 分からない。―――― 私の目指すヒーローって、何だろう。

 答えが出ないままお昼を食べ終わり、せっかく買ったデザートも喉を通らないまま私達は教室に戻った。




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