酒は飲んでも呑まれるな


 チン、と日輪刀を鞘に収める。淡々としている少女の背後で、偶然今回の任務で鬼に襲われていた所を救われた男性は、地に付きそうな程頭を下げて少女に感謝の意を示した。

「鬼狩り様、助けて頂いて本当にありがとうございます。感謝してもしきれません…」

「当然のことをしたまでですよ。さぁ、奥さんも待っていますから早く戻ってあげてください」

「ありがとうございます…。あの、うちは酒蔵を営んでいまして、宜しければ此方だけでももらってください」

 そうして差し出された酒瓶に名無しは戸惑ったが、どうしてもと主人は引き下がらない。それならば…とつい受け取ってしまったそれに、主人は大層喜んで去って行った。その背中を見送り、どうしたものかと手元を見下ろす。
 生まれてこの方酒など飲んだこともなければ嗜む年齢ですらないので扱いに困ってしまう。誰かにあげてしまおうかとも考えたが、しかし、大人が挙って好むこの飲み物に興味がないと言えば嘘になる。

「…少しだけなら、平気だよね?」

 誰に見られている訳でもないのに、酒瓶を小脇に抱えて名無しはコソコソと歩き出した。目指すは蝶屋敷の与えられた自室。少しだけ味見して、後は酒好きの誰かに渡そう。この時はまだ悠長にそんなことを考えていたのである。



***



 男子三人は同じ部屋でそれぞれ食後の一時を過ごしていた。

「名無しは確か任務だったよな?帰り遅くない?」

「確かに…心配だな」

「どうせそこら辺で団子でも食ってんだろ」

「いや、もう夜なんですけど…」
 
 流石にそれはないだろと伊之助に突っ込む善逸。別室でありながらも、任務帰りは必ず姿を見せる少女が一向に現れないことに三人は不思議そうに首を傾げた。
 早い人はそろそろ床に就いても可笑しくない時間帯だ。それか、藤の家紋の屋敷で一泊することになったのだろうか。様々な予想が出てくるものの、それにしたって出発時間と辻褄が合わなくてまた振り出しに戻る。そんな中で、何やら怪訝な表情を浮かべる善逸が自身の片耳に手を当てて唸った。

「ちょっと前からさ、変な音がするんだよね…。名無しの部屋の方からなんだけど、本人のようで本人じゃないような…」

「はぁ?じゃあ帰ってんじゃねーのかよ」

「俺様子を見てくるよ。善逸と伊之助は待っててくれ」

 そう言って立ち上がった炭治郎がふと動きを止める。そのままスンと匂いを嗅ぎだした友に、二人は顔を見合わせる。「この匂いは…」そう口を開いた炭治郎を遮るように、途端に廊下の先からドタドタと騒がしい足音が近付いてきた。

「ごめんくださぁ〜〜い!!」
 
 勢いよく開かれた障子。その間を、噂の少女がいつもと違う様子で立っていた。にっこにっこと怖いくらいに笑顔を浮かべ、ご機嫌である。

「え!?名無し!?」

「キャハハハ楽しいねぇ善逸ぅ」

「ビャァアアアアア!!」

 覆い被さるように抱きついてきた名無しに、善逸が首を絞められた鶏のような叫びをあげる。全身の毛を逆立てて真っ赤になっている善逸だが、それに負けないくらい、問題の名無しの頬も可笑しなくらいに紅潮している。
 どこからどう見ても普通じゃない様子に炭治郎が慌てていると、何とも面白くないとばかりに舌打ちをした伊之助が名無しの着物を引っ掴んだ。

「何やってんだテメェは!菓子の食い過ぎで頭やられたんじゃねぇのか!?」

「あ〜伊之助だぁ。お目目綺麗だねぇかっこいいねぇ」

 今度は伊之助にしがみつく名無し。それに石のように固まった伊之助だったが、「カッコイイ…」とまんざらでもなさそうに呆けてしまっている。そこから徐々に女の体の柔らかさだとか、独特の匂いが鼻腔を擽ると、さっきまでの勢いが嘘のように大人しくなってしまった。
 抱き合う二人の周りをまるでお花でも飛んでるかのような錯覚すら見えてきた善逸は白い目を目の前に向けると、漸く納得したように隣の炭治郎に口を開いた。

「酔っ払ってるな……」

「ああ…酔っ払っているな」

 一体どこで酒など手に入れたのか。今までの様子を見ると目の前の少女が酒を好んでいたという情報など一つもない。かと言って飲まされたという失態も想像が付かず、尚も笑い声を上げる名無しに悉く困り果ててしまう。

「とにかく水を飲もう。ほら、伊之助から離れるんだ」

「やぁだァアア離れない!」

「こンの野郎女の子に抱きつかれて良い気になりやがってェエエエエ」

 何より女の子を愛す善逸がメラメラと嫉妬の炎を燃やす先で、伊之助は完全に魂が抜け落ちたかのように放心していた。よく耳を澄ますと、「ホワホワホワホワホワ…」と小声で呟いている。
 そんな壊れる寸前の伊之助など意にも介さず、介抱しようとする炭治郎の腕を振り解く名無しはあろうことか猫のようにその頬を伊之助に擦りよせた。甘えるようにスリスリし始め、流石の炭治郎も赤くなって「コラ!」と止めに入る。善逸が更に悲惨な叫び声をあげたが、最早本人には届いていない。

「伊之助ぇすきだよぉ」

「ガッッッ……」

「伊之助ーーー!!!逝くなーー!!」

「どんだけ飲んだのほんと!??もう別人じゃん!?帰ってきてくれ名無しーーー!!!」

 目の前で見えた乳を最後に、がくりと首が垂れ、白目をむく伊之助。泡でも吹きそうな勢いである。これ以上は伊之助の命が危ないと判断した炭治郎は手荒に名無しを引き剥がすと、暴れないように後ろから抑える。そして何を思ったのか、決して上手いとは言えない音程で子守唄を歌い出したのだ。

「ねーんねーんころり〜」

「嘘だろ、逆に目が醒めるわ!?」

「うーーん、もう寝るぅ」

「効いた!!?」

 愕然とする善逸に見守られながら名無しを布団に横にする。そのままあっという間に静かになった目の前の化け物に、炭治郎はげっそりとしながら額の汗を拭いたのだった。

「………」

「同情するよお前に…」

 チーンと心ここに在らずな友の肩に手を置き、善逸はげんなりした様子で何度も肯くのであった。


 翌日、何事もなかったかのように目覚めた名無しは暫く伊之助に口をきいてもらえなかったという。そして当の本人も、抜け殻のような姿で縁側に座っているのを善逸と炭治郎はいつまでも同情したとかしてないとか。




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