08.ずるくて清純


 その日の朝は何やら店外が騒がしかった。騒々しくも黄色味を感じさせる喧噪は耳を澄ませば澄ますほど女性のものであるし、キャーキャーと色めき立つ音声はさながら人気アイドルのライブ中のようだ。
 しかし、ここは平凡な住宅街に囲まれているのでお祭りでもない限り騒がしいことなど滅多にない。ライブなんて以ての外である。
 折角の優雅な一時を邪魔されたお客さん達の迷惑そうな様子を横目に、どうしたものかと溜め息混じりに腕を組んだ。

「(なんか、近付いてきてない…?)」

 女性達の叫声と共に遠くからドドドと大群が押し寄せてくるような振動。戦争でも始まりそうな気配に、とにかく外の状況を確認しようと踏みこんだ瞬間、荒々しいベルの音を響かせてドアが開いた。
 転がり込んできたのは金髪にサングラスを掛けた如何にも怪しい男だった。男は焦りながら背中でドアを閉めると、そのままの状態で荒い息を整えている。

「牙琉様を見失ったわッー!!」
「いやぁああどこに行かれましたの牙琉様ぁああ」

 先程の喧噪の正体であろう大軍が店の前を通り過ぎて、足音も段々と遠くなっていく。突然のダイナミック来店にお客さん共々呆然と彼を見れば、視線に気付いた男が取り繕うように前髪をかきあげた。

「…どうも皆さん騒がしくてすみません。僕にお構いなく優雅なティータイムを過ごしてください」

 焦りながらもそう言った男は、身に付けたシルバーのアクセサリーを揺らしながらカウンターに歩いてくる。それきり周りのお客さんも興味なさそうに視線を落としたので、とりあえず騒ぎが収まったことに内心ホッとしながら私は目の前の男を見据えた。
 彼が初見のお客さんであることは一目瞭然だ。うちのお店は八割が年配のお客さんだからというのもあるが、こうも派手でジャラジャラした男は一度見たらそう簡単に忘れられないだろう。
 男はカウンターに座ると、「アイスコーヒーもらえるかな」と言いながらシャツの釦を一つ外した。余程暑いのだろう。肌けた褐色の肌にしっとりと汗が滲んでいて、妙に色気がある。先程の大群の後ということもあり、若干困惑しながらも私はアイスコーヒーを作っていく。

「入るまでここがカフェだって気付かなかったよ。お姉さんはここのアルバイトかい?」
「いえ、一応店長です」

 「カフェじゃないなら何だと思って入ったんだ」、と問い質したい気持ちをぐっと飲み込んで答える。男は良くできた愛想笑いを浮かべた。

「あの…さっきの女性達は何だったんですか?追いかけられてましたよね?」
「やっぱり気になっちゃうよねぇ。参ったなぁ、子猫ちゃん達には平等に接してあげなきゃいけないんだけど、如何せん僕の立場上難しいんだ」
「はぁ」

 子猫ちゃんという発言に口元がヒクつく。どうやら見た目通りキザな男らしい。そういえば名前が叫ばれていたけど、

「牙琉様…でしたっけ?有名人なんですか?」

 私の言葉を聞くなりピシリと固まった男。口元は笑顔のままだが、サングラスの奥の目はこれでもかと開ききっている。
 まずいことを聞いてしまったかな。様子を窺うように動きを止めれば、意を決したような男は流れる動作で目元のサングラスをとった。美しいアーモンドアイが露わになり、まるで「これでどうだ?」と言いたげな視線が向けられるが、私の認識が変わることはなかった。

「えっと、誰でしょう?」
「ちょッ、冗談きついよ子猫ちゃん。ガリューウェーブのボーカル牙琉響也だ。聞いたことくらいあるだろう?」
「す、すみませんあんまり流行りに詳しくなくて」
「それなら、曲は!?LoveLoveGuiltyや恋の禁固刑一三年!」
「なんか物騒ですね」
「嘘、だろ…」

 来店時同様、だらだらと冷や汗を流す牙琉さんに段々と申し訳なくなってくる。しかし、先程の大群を見る限りきっと女性から絶大な人気を誇っているのだろう。現に目の前の男はミステリアスな雰囲気でイケメンだ。黄色い声が上がるのも頷ける。
 とはいえ、追いかけられる程人気なアーティストが何故こんな所にいるのだろうか。不思議に思っていると、私の考えてることを察したのか、牙琉さんは前髪を掻き上げるとパチンと指を鳴らした。一々動作がチャラい男である。

「ガリューウェーブのボーカルっていうのは別の顔なのさ。これでも本業は検事なんだよ」
「検事さんだったんですね。…こんなこと言うのも何ですけど意外って言われませんか?」
「そりゃあもちろん。でも僕は本気だよ。バンドも検事もお遊びでやってるつもりは毛頭ない」

 牙琉さんはテーブルに頬杖をつきながら白い歯を見せて笑う。若いのに凄いなぁと感心せずにはいられなかった。彼はよく見る検事達よりも一段と若いし、きっとここまで登りつめるのにも多大な努力をしたのだろう。法曹界の仕事に就くのはそんな簡単なことではない。

「それじゃあもしかして、事件捜査中にファンに見付かっちゃったとか?」
「名推理と言っておこうか」
「推理なんですかこれ」
「お陰でいい運動になったよ。お洒落なカフェも見付けたしね」
「(気付いてなかっただろ)」

 牙琉さんはグラスにささったストローを指で弄りながら「ところで…」と言葉を区切った。伏せていた顔をあげ、青い瞳と目が合う。その熱の籠ったような、情熱的な眼差しに思わず身を引いた瞬間、私の左手に彼の右手が重なった。
 一体全体何事だ。突然のことにあんぐりと口が開いてしまう。牙琉さんは依然として色気を放出しているし、手には力が込められ離す気配がない。何だこの雰囲気。え、初対面だよね私達。

「今日のお詫びに。これ、良かったらあげるよ」
「へ?」

 私の素っ頓狂な声と共に左手に握らされた紙切れ。一体なんだと手元を見れば、そこには紫を基調としたチケットのようなものが握らされていた。”ガリューウェーブ コンサート”と記されている。
 まさか、これを渡す為にこんな回りくどいことを?唖然と手元を見下ろしていると、いつの間にか牙琉さんは爽やかな笑顔で立ち上がっていた。しかも千円札までテーブルに置かれている。

「僕の顔をジロジロ見てどうかしたかい?子猫ちゃん」

 こ、こんの男ォ!
 妙な勘違いをした自分が恥ずかしくて、勝手に赤面する顔面が止められない。そんな私を意地悪く見ていた牙琉さんは「お釣りはとっといて」と踵を返す。その後ろ姿をワナワナ震えながら見れば、ふと歩みを止めた牙琉さんが首だけで後ろを振り返った。

「そんなに眉間に皺寄せてると綺麗なお顔が台無しだよ」

 そう言い残して、牙琉さんは店を出て行ってしまった。チリンとベルの音だけが静かな店内に響き渡る。

「(き、キザすぎるぅうう)」

 私の心中だけは暫くの間台風のように大荒れしていた。




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