04.さらば我が春泥


 恐ろしいことに、ナルホドさんが無罪を勝ち取ってから二ヶ月が経過した。そして、その期間に私はナルホドさんについてあることを学んだ。彼は頻繁に”事件に巻き込まれる”というとんでもない事実だ。

「運が良いというか悪いというか…よく生きてましたねあなた」

 横脇に大量に積み上げられたトノサマンのDVDを尻目に呟く。何やら知り合いの女の子から送られてきたというそれは、少し前にキッズの間で大流行した子供番組だ。
 病室のベッドに横たわるナルホドさんが「いやぁほんとにね」とカラカラ笑う。笑い事じゃないだろと引っ叩きたくなった。

 ここは引田クリニック。御察しの通り病院である。ナルホドさんはとある出来事でここに入院し、私はそのお見舞いに来ていた。事の発端は昨夜の出来事だった。


***



「やぁ、名無しちゃん。奇遇だね」

 スーパーで晩御飯の買い出しを終わらせ店を出た時、背後から聞き慣れた声が聞こえて振り返る。案の定そこにはナルホドさんが片手をヒラヒラさせながら立っていたので、思わず「ゲッ」と顔を顰めてしまった。

「開口一番がそれって酷いなぁ。僕これでも常連のお客さんなのに」
「どっちかっていうとタダ飯を集りにくる常連ですけどね」
「おかげでみぬきもすくすくと成長してくれるだろう」
「開き直らないでください」

 ナルホドさんが連行されていった日を境に、成歩堂親子と私の関係はあらぬ方向に変化していた。
 「みぬきの面倒は頼んだ」その言葉がトリガーとなったのだろうか。あろうことかこの男は娘が腹を空かせているなどと言って店に乗り込んできてはのほほんと茶を飲み、タダ飯をかっ喰らっている。提供している私も私だが、「僕に料理ができれば、みぬきに毎日美味い飯を食わせてやれるのに…」などと同情を誘うようなことを言うからタチが悪いのだ。確実に私がそういうのに弱いと分かっててやっている。
 しかし、稀に差し入れや食材を用意してくるのがこの男の要領の良いところである。用意周到というかなんというか。最近はもうお客さんというより厄介な近所付き合いという認識だ。
 
「うちにね、モヤシが沢山余ってるんだ。更にはここに玉葱もある」
「…それで?」
「君のその袋の中の食材と合わせればより良い晩御飯ができると思うんだよね。てことで今晩はうちで食べようじゃないか」

 「一人で食べるのも寂しいだろう?」という言葉に思わず口籠る。確かに一理ある気がして、単純な私は気付けば別の帰り道をナルホドさんと歩いてしまっていた。
 もしかしたらナルホドさんなりに気を使ってくれたのかもしれない。実際みぬきちゃんとお話しするのも楽しいし、彼女が特別に見せてくれるマジックは流石お金を貰っているだけあって見応えがあるのだ。悪い話ではない。

 すっかり流され大量のモヤシをどう調理しようか考えながら歩いていると、うっかり手に持っていた財布を落としてしまった。身長差のせいか、ナルホドさんは屈んだ私に気付かず先に歩いて行ってしまう。呼び掛ければ、曲がり角のど真ん中で止まってくれた。

「ちょっと待ってください。財布落としちゃって」
「あった?」
「はい。大丈夫で…」
 「す」の言葉をかき消すように住宅街に響いたエンジン音。次に白く照らされたナルホドさんの半身。それが車のライトだったと気付いたのは、既にナルホドさんが爆走した車に吹っ飛ばされた後だった。

「ナ……ナルホドさぁああんッ!」

 十メートルは吹っ飛んだであろう体は電柱に激突して止まった。しかし、車は止まる気配すらなく走り去っていってしまう。たった今人を轢いたというのに。
 はっと我に返り、私はぐったりとしたナルホドさんに駆け寄ってすぐに救急車に連絡する。これだけ派手に吹っ飛ばされて無事な筈がない。殺人容疑の次は轢き逃げだなんてとんだ悪夢だ。

「イタタタ」
「へ…?あ、あの、大丈夫なんですか?」
「そうみたいだね。痛いなぁ…足捻挫しちゃったよ」

 悪夢を見ているのは私の方かもしれない。よく見れば、ナルホドさんは血一滴すら流していないどころか、何やら緑色の物体を片手に握っていた。まさかのドアミラーだった。

「ぶつかった瞬間についもぎ取っちゃったみたいだね」
「…あなたの場合轢き逃げと器物破損で良い勝負になりそうなんですけど」
「やれやれ…悪いけど公園のゴミ箱にでも捨てといてくれるかな。面倒ごとはごめんだ」

 奇跡のような運の良さにドン引きしつつ、私は仕方なく近くの人情公園のゴミ箱にミラーを捨てた。勿論私も巻き込まれるのはごめんなので指紋はしっかり拭き取ってだ。
 ナルホドさんはすぐに救急車に運ばれていった。怪我は捻挫だけという全くもって意味の分からない結果だったが、念の為に入院することになったので、みぬきちゃんは私の家で預かることになった。


 そして話は冒頭に至るという訳である。


「とにかく笑ってる場合じゃないですよ。轢き逃げ犯からしっかり取るもん搾り取らないと」
「その件なら大丈夫だよ。ついさっき優秀な子二人に任せたから」
「誰なんですかそれ?」
「勿論みぬきと僕の弁護をやってくれた子だよ。うちの事務所にいずれ入ってもらうことになるから、見かけたら仲良くしてやってくれ」
「娘使い荒いですねほんと…」

 「それじゃあ僕そろそろ診察だから」と言うナルホドさんに「お大事に」と挨拶して病室を出る。
 みぬきちゃんは昨夜私の家に泊まった後用事があると言って早くに出ていってしまったけど、このことだったのかもしれない。いつでも帰ってきて平気なようにご飯の準備しておかないと。

 …主婦ってこんな感じなのだろうか。何だか急に老け込んだような気がした。

 病院を出て帰路に着く。暫く歩いていると、携帯電話が鳴ったのでポケットから取り出せば画面に”茜”と表示されているのが見えた。懐かしい名前にすぐに通話を押して耳に押し当てる。

『久しぶりー!元気してたー!?』

 直後に飛んできた大声に私は思わず苦笑する。
 茜は高校時代の友人だ。といっても、彼女の方が一つ上なので実質先輩後輩の関係なのだけど、私自身はあまり気にしたことはなく仲良くしてもらっている。大学で別々になってからは、彼女は科学捜査官を目指してアメリカへ留学に行ってしまったので殆ど連絡を取ることはできなかったのだ。

「茜も元気そうで何よりだよ。試験はどうだった?」
『残念ながら不合格で刑事やってるわ。もう最悪よ!今も変な名前の公園で現場主任やってるわ』
「え?日本に帰ってきてたの?」
『つい最近ね!…てかアンタ歳下でしょ!そろそろ敬語使いなさいよ敬語!』
「たかだか一歳の差じゃないですかー茜先輩ー」

 『…それはそれでなんかムカつくわね』と言いながら電話越しにサクサクサクと音が聞こえてきた。お菓子でも食べているのだろうか。それにしては憎しみを込めて噛み締めているような。

「なんか不機嫌じゃない?」
『あ、分かる?実はねー現場で変な子供二人がウロついてるのよ。お遊戯はよそでやってほしいわよねー』

 子供二人という言葉に何となく思い当たる節がある私は曖昧に返事をする。どうやら怒りっぽい性格は治っていないらしい。
 もしもそれが例の弁護士とみぬきちゃんなら、現場調査は難しそうだなぁ。
 「それじゃあ私は仕事に戻るからまた後で!」と電話を切った茜。私もそろそろ営業を再開しないとまずい為、少し足早に店に帰るのだった。




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