03罪人ごっこと夢想
みぬきちゃんから突如電話がかかってきたのは今朝のことだった。
パパのナルホドさんを紹介してくれてから数週間が経ち、その間も二人は何度かお店に遊びにきてくれていた。それだけに、なんの前触れもなく聞かされた連絡に私は殴られたかのような衝撃を受けた。
「ナルホドさんが…殺人の容疑で逮捕!?」 「そうなんです。パパはさっき連れてかれちゃったんだけど、去り際に"名無しちゃんに面倒見てもらいな"って」
一瞬目眩がしたけどなんとか踏ん張って携帯を握り直す。内容も内容だが、電話越しのみぬきちゃんがあまりにも冷静なことに私は一番驚いた。自分が大袈裟なのかと思ったが、どう考えても大事である。 しかも去り際に残したという「名無しちゃんに面倒見てもらいな」という言葉。果たしてそれは自分が刑務所にぶち込まれるからなのか、将又別の意味なのか定かではないが、何にしろとんでもないパパである。
「と、とりあえず今日はお店閉めるから!迎えに行くよ。今どこ?」 「みぬきは今お家だけど、これからパパの裁判だから名無しさんも傍聴に行きましょうよ!ついでに用事もあるし」 「ライブに行こうみたいなノリだけど!?大丈夫なの!?」 「大丈夫ですよ〜パパは無罪だもん」
犯行は否認しているこということだろうか。真相は不明だが、とにかく電話を切ると私は車のキーを引っ掴んでお店を飛び出した。 成歩堂芸能事務所は店から歩いて30分。車を使えば数分でついた。「車だ!」なんてはしゃぐみぬきちゃんを助手席に乗せ、安全運転かつ迅速に裁判所に向かう。
「ところで、用事って?」 「パパから預かった証拠品を弁護士さんに渡しにいくんです。これがないとパパ負けちゃうかも」
心臓に悪すぎる発言に冷や汗をかきながらアクセルを踏んだ。
午後二時三十分 被告人第三控え室。被告人成歩堂龍一の裁判には出遅れてしまい、到着したのは最後の休憩時間だった。
裁判所に来たのは父に無理やり連れて来られたあの日ぶりだ。楽しい所ではないから当然だけど、相変わらずな重々しい空気に気が滅入ってしまう。 話によると事件は昨夜、ナルホドさんの仕事場のボルハチで起こった。ナルホドさんと被害者がポーカーをし、無敗の経歴を持っていたナルホドさんがまさかの惨敗。それに逆上したナルホドさんが瓶で被害者を殴り殺したというものだった。 ゲームに負けて怒るナルホドさんの姿を想像するのは難しかった。私の知っている彼は飄々としていて、どこか達観しているような雰囲気を持つ人間だ。それに、ああ見えて娘のみぬきちゃんを凄く可愛がっている。とてもじゃないが悲しませるようなことをするとは思えなかった。
本来なら控え室にナルホドさんが戻ってくる筈だが、裁判長に呼ばれて会うことはできなかった。仕方なくみぬきちゃんと裁判が再開するまでソファに座っていると、ふと扉が開いて二本の角が覗いた。 入ってきたのは真っ赤なスーツを纏った青年。眉間を押さえて何やら考え込んでいる。よく見れば、角だと思っていたのは彼の特徴的な前髪だった。
「…よろしいでしょうか」
ソファから立ち上がったみぬきちゃんが彼に近付いて呟いた。そこでやっと人の存在に気付いたのか、青年は「あ、何ですか?」と返事をすると不思議そうにみぬきちゃんと私を交互に見る。胸元の向日葵が誇らしげに輝くのが見えて、その小さな飾りだけですぐにこの人が弁護士だと分かった。
「さぁ、お客様。一枚。カードを選んでくださいな」 「こ、これでいいのかな」
もしかしたらみぬきちゃんが言っていた用事はこの人かもしれない。正にマジシャンの如き振る舞いをし、何時になく真剣な表情をしているのでソファから静かに見守る。弁護士は何が何だか分かっていない様子のままカードを一枚引き抜くと、みぬきちゃんは「では、お客様に伝言があります」と続けた。
「”これから最後の勝負が始まる。君には最強の切り札が必要だ”」 「きりふだ…」 「”君が選んだそのカードには魔法がかかっている。正しく使うことができれば、最強のワイルド・カードになる”…とのことです」
選んだカードを裏返し、青年が目を見開く。ここからでは何も見えなかったが、重要な証拠品なのだろう。
「真実を導き出す切り札。全ては貴方にかかっています。それでは、父をよろしくお願いしますね」
一礼し、みぬきちゃんが戻ってくる。「それでは傍聴席に行きましょう」と言うので、立ち上がって男性に「私からも、よろしくお願いします」とお辞儀をした。 呆然と突っ立ったままの青年が我に返るのを見届けてから、私達は部屋を出た。
***
午後二時四十五分 第二法廷
審理の行き先はあらぬ方向に向かっていた。あろうことか弁護側だった人間、牙琉霧人弁護士が告発されるという事態である。
「形勢逆転ってことなのかな」 「今はそうかもしれません。でも、法廷でものを言うのは証拠品なのでまだ分からないです」
流石弁護士の娘と感心せずにはいられない。みぬきちゃんは慣れた様子で俯瞰しながらも、混乱する私に丁寧に現状を教えてくれた。 簡単に纏めると、警察に通報した張本人であるナルホドさんが殺人を行う暇などなかったことが立証され、犯人にしか知り得ない情報を牙琉弁護士が口を滑らせたことから立場が変わってしまった。しかし、法廷でものを言うのは証拠品のみ。実際に牙琉弁護士がやったと証明できるものがないとあっという間にナルホド側の負けだ。
気付けば弁護側の席にはナルホドさんと、今回の担当である先程の真っ赤な弁護士が立っていた。議論はすり替えられたカードについてだ。 ポーカーゲームには赤色のカードを使用していた。しかし、事件後、被害者の手元は青のカードとすり替えられている。真犯人が態々そうせざるを得なかった証拠。真っ赤な弁護士が机を叩き、大音量で「くらえ!」と叫んだ。
「真犯人がカードをすり替えた理由はこれです」 「血のついたA…ですか」
あれだけ力強く叫んだというのにどこか自信なさげな弁護士。しかし、取り出したAのカードに牙琉弁護士が動揺するのは目に見えて分かった。
「あれってもしかして、みぬきちゃんがさっき渡したカード?」 「その通り」
にこりと微笑むみぬきちゃんに一つの疑問が浮かぶ。何故犯人がすり替えたカードを成歩堂親子が持っているのか。 聞こうかと思った。しかし、有無を言わせない雰囲気を感じ取って私は思わず言葉を喉の奥に引っ込めた。きっと私の知らない事情があるのだろう。無闇に首を突っ込むのは良くない。そう念じながら。
「バカな!な、何故君がそれを持っているのだ!」 「えっと…」 「カードはうちの商売道具なんでね。僕があの日現場で拾って娘に渡しておいたんだ」 「こ、こんな証拠認められぬ!ニセモノだ!」 「ニセモノ…?それを知っているのは、現場からカードを持ち去った犯人だけだよ」
証言台に立つ男は最早脂汗で動揺を隠しきれていない。次から次へと溢れるボロに次第に周囲の疑惑の目が強くなっていく。ナルホドさんの推理に筋が通っているのは至極明確だった。これではどちらが弁護士か分かったものではない。
事件当夜、カードは全てテーブルの上にあった。現場写真では被害者は仰け反って額からのみ血を流している。しかし、それが正しければカードに血痕がつく筈がないのである。 ナルホドさんの指示により現場を調査していた刑事が帰還する。その驚くべき報告に法廷内はざわついた。
「裁判長!棚の後ろに隠し扉が発見されました!」 「なんですと!」 当夜、ボルハチの隠し扉兼棚によりは窓を塞がれていた。つまり、牙琉弁護士の証言は矛盾することになる。そこからの結果は考えるまでもなかった。 唇を震わせていた牙琉弁護士が不敵に微笑む。その唇から紡がれたのは、犯行を認める言葉。自白だった。
喧騒が湧き上がる法廷内に裁判長の木槌が振り下ろされる。緊急逮捕された牙琉弁護士に代わり、証言台に立ったのはナルホドさん。
「それでは、成歩堂龍一。貴方に判決を言い渡します」
無罪。その言葉と共に、法廷内は拍手喝采に包まれる。
「え…」
その瞬間、昔の記憶が脳内にフラッシュバックした。
小学生の私と、沸き立つ大人達。法廷の真ん中で泣き崩れる被告人。あの時とは全く違う筈なのに、ナルホドさんは泣いてなんかいないのに、目の前の横顔はあの時の男の子のものと全く同じに見えた。 デジャヴ。真っ先に思い付いたのはこの言葉。きっと気のせいに違いない。頭では分かっているのに、心臓はいつまでも早鐘を打っていた。
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