12.心の広さは一人分
ガリューウェーブのメンバーである眉月刑事の迅速な対応で、その日は警察関係者を除いた来場者全員が名前と住所を記録されて会場を追い出された。
事件発見者の一人であった私も長い事情聴取を終え、覚束ない足取りで帰宅する。途中までみぬきちゃんと一緒だったけど、楽しかった筈の一日が突として急展開を迎えてしまい、とてもじゃないがお互いに楽しく会話するような空気ではなかった。それでも一応みぬきちゃんの保護者役の任を与えられているので(彼女は不本意だろうけど)、しっかり自宅まで送り届ける役目は全うしてある。 オドロキくんはその後、牙琉さんから正式に捜査依頼協力状を手渡され暫く茜の協力をする為に現場に残った。
会場を封鎖したとはいえ、犯人がいなくなったとは限らない。そんな不安もあって、オドロキくんには捜査が終わったら安否確認も兼ねて連絡するように伝えてある。 ―――― でも、もしかしたら余計なお世話だったかもしれない。帰宅してからは暫く店のカウンターでぼうっとしていたけれど、ふと時計を見上げれば時刻は既に日付を跨ぐ寸前だった。一向に鳴る気配のない携帯電話を前に、言いようのない蟠りが胸をざわつかせる。
「(って…何弱気になってるの私)」
これではまるで片想いの高校生みたいではないか。いくら連絡がないからって、いつまでも携帯に噛り付いてなんていられない。 さっさとお風呂に入って明日の営業に備えよう。そう己を奮い立たせ、改めて椅子から降りた瞬間、狙ったかのように携帯が震えた。突然のことに驚きながらもすぐに開いて耳に当てる。
「はい、名字です!」
電話口の向こうから控えめに「もしもし、王泥喜ですけど…」と返ってきて、心臓が小さく音を立てる。あれだけ平気なふりしてたのに、いざ連絡がきたら誤魔化しようがないくらい喜んでいる自分がいるのだから呆れてしまう。これでは高校生がどうとか馬鹿にできないな。 自嘲気味に笑って、携帯を握り直す。帰り道なのか、やけに静かだ。
『さっき捜査が一段落したんです。連絡が遅くなっちゃいました』 「そんな、いいんです。とにかく無事に解放されたみたいで良かった。お疲れ様です」
本当はめちゃくちゃ待ってたけど。悟られないように平然を繕う。
『実は今店の前にいるんですけど…』 「え!?」 『迷惑じゃなければ少しお話しできませんか?あんなことがあったから心配で…』
まさかの発言に急いで窓を覗けば、道路の向かい側に目立つ赤のスーツが見えた。最早見慣れたそのトレードマークは間違いなくオドロキくんだろう。 「今行きますね!」と電話を切って足早に外に出る。少し離れた所で携帯を手に立っているオドロキくんと目が合えば、彼は背筋を正して此方に歩いてきた。
「こんな遅くに押し掛けちゃってすみません」 「ううん。私も心配だったから一目見れて良かった。立ち話もなんだから、店寄って行かない?」 「それじゃあ、少しだけお邪魔します」
彼の性格的に断られるかと思ったけど、意外にもあっさり頷いてくれた。店内に案内し、いつものカウンターに座らせる。ライブの時から何も食べていなかった気がするから「お腹空いてる?」と聞けば、夜ご飯はまだだと言うので折角だから食べて行ってもらうことにした。勿論今は営業時間外なので安心してほしい。
「昨日の残りでごめん」 「全然大丈夫です!食べられるだけありがたいので」
時間も時間だし、あまり待たせるわけにもいかないので、予め作り置きしていたカレーを温めて皿に盛り付ける。目の前にことりと置けば、オドロキくんは大きな声で「いただきます!」と手を合わせてからカレーにかぶりついた。余程お腹が空いていたのか、スプーンを持つ手が早い。
「凄く美味しいです!成歩堂さん達が居座るのも納得しました」 「口に合ったようで良かった。成歩堂家の給食当番やってるおかげで腕が上がったかも」 「一体どんな頻度でご馳走してるんですか…」
最近じゃあ夜も食べに来ることなんてざらだ。それも当たり前って顔してやってくるのだから是非オドロキくんの謙虚さを見習って欲しい。しかもナルホドさんのリクエストでグレープジュースも扱うようになったから、より顔を見る機会が多くなった気がする。 二人分のお茶を持ってカウンターの椅子に並んで座る。グラスを差し出せば、オドロキくんはモゴモゴとお礼を言いながら受け取った。
「オレ、ご飯はいつもインスタントとかで済ましちゃうんで、久しぶりに人が作ったもの食べれて感動してます」 「あはは。大袈裟だなぁ」 「あ!お世辞だと思ってるでしょ!本当に美味いんですからね!」 「分かった分かった」
ムキになるオドロキくんが面白くてつい笑いを溢せば、そんな私を見たオドロキくんはほっとしたように表情を緩めた。 再び食事を再開する横顔を眺めながらグラスに口を付ける。今日の事件のことを聞いてもいいのか一瞬迷った後、私は静かに口を開いた。
「捜査で何か分かった?」
ごくりと飲み込んだオドロキくんが私を見る。
「…今の所、ピアニストのマキさんが犯人ってことになってます」 「え、どうして?」 「オレも詳しくは聞かされてないんですけど、状況的に彼しか考えられないって」 「そう、なんだ」
亡くなったのはラミロアのボディーガードだ。一目しか見ていないけど、外国人というだけあってかなり大柄な男性だったのを覚えている。それに対してマキはかなり小柄な少年だ。組み合わせ的にはあまりにもアンバランスな気がした。
「もしかしてオドロキくんが弁護を?」 「そうなる可能性は高いって我流検事から言われたけど、どうなるかはまだ分からないですね」
本人から依頼されれば本格的に弁護士が決まるのだろう。無事に解決するといいんだけど…。 自然と静かになった空間にオドロキくんが手を合わせた音が響く。顔を上げれば、皿の中は綺麗に完食されていた。続けて「ご馳走様でした」と立ち上がると、皿を片付けようとし始めたので慌てて手で制する。
「やっとくから大丈夫だよ」 「いいえ!オレの気が済みません!洗います!」
物凄い剣幕で押し切られてしまい、結局お言葉に甘えて洗ってもらってしまった。オドロキくんは綺麗になった食器を見るなり満足そうに頷くと、鞄を掴んで入り口に向かう。
「時間も遅いですし、そろそろお暇しますね。ご飯、ご馳走様でした」 「こちらこそ忙しいのに来てくれてありがとう。今日はごめんね、情けないとこ見せちゃって」 「何言ってるんですか。あんな状況見たら誰だってそうなりますよ!疲れてるでしょうし、ゆっくり休んでください」 「うん。おやすみなさい」
オドロキくんがドアを開けるとチリンとベルが鳴った。その後ろ姿を見ていると、気付けば無意識に手が伸びていた。
「名無しさん?」
驚いた表情のオドロキくんが振り返る。 ―――― 腕が勝手に彼のシャツを掴んでいた。
「どうしたんですか?」 「な、なんでもないの!やっぱり気のせいだった!うっかりうっかり」
ハッと我に返り、慌てて手を離して誤魔化すようにかぶりを振ってみるが、あまりにも無理がある。 一度抱いた疑惑は解消するのが弁護士。完全にその気になったオドロキくんは素直に引き下がる気配がない。あーーなんてことをしてしまったんだ私!先を促すように首を傾げるオドロキくんに対して私の視線はこれでもかとばかりに泳いでいる。 すると、不思議そうにしていたオドロキくんが自身の腕輪を一瞥した。
「えーっと…嘘、ですよね?」 「うッ」 「オレには言えないことですか?」
なに。その、捨てられた子犬みたいな目は。根拠なんてない筈なのに、確証を得たような物言いに途端に後ろめたい気持ちになった。 咄嗟に行動に出てしまったとはいえ、私も考えなしに引き止めた訳じゃない。ただ自分のちっぽけな矜持が邪魔をして素直に口にするのは憚られたのだ。けれど、ここまで勿体ぶってしまってはもう後に引けない気がする。 「あの…もしまた不安になっちゃったら、今度は私から…電話してもいい、ですか…」
段々と語尾が小さくなるにつれて顔が熱くなっていく。深夜で思考が鈍って、もしかしたらとんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったのかもしれない。でも、紛れもなく本心だった。 オドロキくんは私の言葉に面食らってこれでもかと目を丸くさせている。耐えられなくなって慌てて口を開こうとすれば、遮るように大きな声で「良いに決まってます!」と叫ばれた。
「いつでも頼ってください。オレ、待ってますから」
両手の拳を握り満面の笑みで言う。その表情に心底安堵すると、釣られて私も笑った。オドロキくんの笑顔を見ると、何だか大丈夫だって気になるから不思議だ。
素直になるのも案外悪くないかもしれない。そんな風に思いながら彼の背中を見送った。
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