5.藤の花
眠り続ける炭治郎の妹、禰豆子ちゃんを鱗滝さんに預かってもらい、「錆兎と真菰によろしく!」と伝えてから私達は最終選別へ出掛けた。お揃いの水色の羽織にお揃いの狐の面。全部鱗滝さんが今日の為に用意してくれたものだ。
「凄い!藤の花がこんなに…」
「時期じゃないのにね?」
最終選別が行われる会場である藤襲山は、時期外れにしては見事な藤の花が一面中に咲き誇っていた。淡い紅藤の色の花びらが散っては階段に積もっている。遠目から見ると、まるで一色だけの世界のように見えた。 炭治郎と並んで石階段を登っていく。一歩、一歩と進んでいく度に藤の香りは濃く、緊張はより強くなっていった。
やることはやったんだ。後は全力で挑むだけ。
ぎゅっと手を握りしめる。すると、隣にいた炭治郎が足を止めた。「どうかした?」と振り返ると、眉を八の字にして私を見ていた。
「名無し、この先は何が起きるか分からない。勿論名無しが強いのは分かっているけど、万が一のことがあった時は俺も守りきれないかもしれない。だから…」
「炭治郎」
何を言い出すかと思いきやこの人は…。すかさず言葉を遮ると、炭治郎は気まずそうに下を向いた。炭治郎より少し上の段にいる私は、腰に手を当てて彼を見下ろす。
「何辛気臭いこと言ってるの!私は守られるつもりもないし、絶対二人で突破する気満々だよ?だからそんな顔しないで、笑ってよ」
仁王立ちする私に炭治郎は一瞬呆気にとられると、「そうだな」といつもの優しい笑顔を浮かべた。大丈夫、私達ならできる。そう暗示のように言い聞かせて再び足を進めた。
階段を登りきり、会場に出ると、既に何人もの人が緊張した面持ちで立っていた。ほとんどが自分達と同じ子供。中には、身の丈に合わない刀を持つ子や、女の子も少数、「死んじゃう…俺ここで死んじゃうって…」と震えている黄色い子もいた。 ここにいるのは自身の意思ではない人もいるのかな。あんなに震えて可哀想に、と横目で黄色い子を見る。皆、鬼殺隊に入る為に集まった人達。過酷な訓練を潜り抜けてきた証か、肌が見える部分にはそれぞれ傷が目立つ。
すると、真ん中に立っていた白黒の小さな双子が「今宵は最終選別にお集まりくださってありがとうございます」と凛とした声で語り出した。周囲に緊張が走る。
「この藤襲山には鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込めてあり、外に出ることはできません」
「山の麓から中腹にかけて、鬼共の嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからでございます」
「しかし、ここから先には藤の花が咲いておりませんから鬼共がおります」
「”この中で七日間生き抜く”。それが最終選別の合格条件でございます」
「では、行ってらっしゃいませ」その言葉を合図に、参加者と共に一斉に走り出した。夜も深い今、藤の花の牢獄が届かない山奥では沢山の鬼の気配がした。
周りに注意を向けながら走り続ける。最終選別が始まってしばらくたった頃、木々の間で揺れる二つの影を見つけた。立ち止まって炭治郎と目を合わせる。どうやら二体の鬼はとっくに私達の匂いを嗅ぎつけていたようで、どっちがどっちを食べるかで喧嘩をしていた。 鬼は群れない習性らしい。互いに獲物を譲るまいと妨害しあっているが、どちらも人肉に飢えて凶暴化している為、決着がつくより先に襲いかかってきた。すぐに刀を抜いて深く深呼吸する。 水の呼吸。壱ノ型 ――― 水面斬り。
刀を水平に振って、頸を切り落とす。隣で炭治郎がもう一体の鬼に同じ壱の型で対抗した。斬り落とされた二つの首が重い音を立てて地面に転がると、身につけていたものだけ残して骨も残らず空気に溶けていった。 鬼は元々は人間だった。こんな姿にされて、最後は骨すら残らず死んでいく。何て哀れな存在なのか。お祖母様の姿が浮かんで、堪らず手を合わせていると、隣で炭治郎が「ウッ!」といきなり鼻を押さえだした。
「何だこの腐ったような匂いは…」
「匂い?私には何も、」
「うわァアアッ!何で大型の異形がいるんだよ、聞いてないこんなの!」
突然飛び出してきた参加者の男の子。続けて背後から大きな足音が近付いてくる。影がかかって、振り返る。そこにいたのは、血管の浮き出る無数の手で身体中が覆われた巨大な鬼の姿だった。何本もの手の内、一本には別の男の子の死体がぶらさがって、揺れている。 そのあまりの異形の姿に一瞬怯む。嫌な汗が背中を伝っていく。鬼は手を集合させてぐんぐん伸ばしていくと、走り去って行った男の子の足を捉えた。
早く助けないと、動け私の身体!
先に炭治郎が跳び上がって、男の子の足を掴む腕を弐ノ型で切り落とした。重力に従って落ちる男の子の身体をすかさず受け止め、木の根っこに下ろしてやる。「大丈夫?」と声をかけると男の子は真っ青な顔で首を縦に振った。 鬼は不機嫌そうに私と炭治郎を視界に捉えると、打って変わって目を弧の形に歪ませる。「また来たな、俺の可愛い狐達が」そう言って下品な笑い声を溢した。どういう意味だ。そう聞く間も無く鬼は喋り続けた。
「狐達…今は明治何年だ」
「!?…今は大正時代だ」
鬼が目を溢れんばかりに開いた。手の集合体の隙間から見える小さな顔に血管が更に浮き出る。次の瞬間、耳を劈くような雄叫びが山に響き渡った。 一体この鬼は何なんだ。頬を伝う汗が止まらない。鬼は「また年号が変わっているゥッ!」と絶叫し、炭治郎と私以外知らない筈の名前を何度も叫んだ。
「鱗滝め、鱗滝め、鱗滝めェッ!!」
「どうして鱗滝さんを知っている!?」
「知ってるさァ、俺を捕まえたのは鱗滝だからなッ!忘れもしない四十七年前。アイツがまだ鬼狩りをしていた頃だ。江戸時代…慶応の頃だった!」
青ざめていた男の子が隣で「嘘だ!」と叫ぶ。
「そんなに長く生きている鬼はここにはいない筈だ!ここには人間を二、三人喰った鬼しか入れていない!選別で斬られるのと、鬼は共喰いするからそれで…」
「でも俺はずっと生き残っている。藤の花の牢獄で、五十人は喰ったなァガキ共を」
鬼は喰った数程強くなる。力は増し、肉体を変化させ、術を使うようになる者も出てくる。この鬼が喰った人間は五十人。決して少なくはなかった。 その分この鬼はより強くなって、また人間を食べ、また強くなる。そうして誰も勝てなくなって、この鬼はずっとそうやって生き残ってきた。
どうしようもなく吐き気がして唇を噛み締める。嫌な予感はいつだって私を裏切らない。
「お前達で十五人目だ、フヒヒッ」
「何の話だ」
「俺が喰った鱗滝の弟子の数だよ。あいつの弟子は皆殺してやるって決めてるんだ。特に印象に残ってるのは二人だな。珍しい宍色の髪に口に傷があるガキ。それと花柄の着物の女のガキだ」
身に覚えがあった。狭霧山で、いつも突然に現れてはどこかへ消えていく二人。とても強くて、二人がいなければ私はここにはいなかっただろう。感謝してもしきれない、大切な存在だ。 感じていた違和感の正体。二人は鱗滝さんの弟子で、この鬼によって殺された。故人だったんだ。
鬼は私達の頭に引っ掛けた狐の面を指差すと、それは楽しそうに笑い声をあげた。
「厄除の面とか言ったか?フフッ、それをつけてるせいで皆俺の腹の中だ。目印なんだ。鱗滝が殺したようなもんだ!フフフフッ」
カッと頭に血が上る。怒りで手が震えて、この鬼の頸を切り落とすこと以外何も考えられなくなる。錆兎は、真菰は、鱗滝さんは、こんな鬼なんかが笑って馬鹿にしていいような人達じゃない。 他の弟子達だってそうだ。でも、皆この鬼のせいで死んでいった。鱗滝さんはずっと悲しんでいたんだ。それでも私達に剣の握り方を教えてくれた。
―――― 名無し、落ち着くんだ、もういいんだ。
脳裏に錆兎の声が聞こえた気がする。もういい訳がないだろう、私はまだ、誰の仇も取れていない。
「名無し!」
「そうだァッ!そうやって女のガキも泣いて怒って、動きがガタガタになってた!喰いやすかったなぁフヒヒヒッ」
「黙れッ!汚い口で、あの人達の名前を喋るな!」
伸びてきた手を水の呼吸で一気に斬り落とし、駆ける。目を引ん剥いて激昂する鬼の攻撃を避けると背後に飛んだ。水の呼吸 参ノ型、流流舞いで何度も伸びてくる手を流れるように斬り刻んで、再生している間に地を蹴る。狙うは頸だ。 鬼の頭の高さまで跳び上がって刀を振り上げる。しかし、手の集合体に隠れていた一本が顔面目掛けて飛んできた。しまった、空中では躱せない!守るように両手を交差させて、眼前間近で腕を避ける。横から飛んできた炭治郎が水車でその腕を切り落とした。重い音を立てて塊が地面に落ちる。
「ごめん、ありがとう…」
「ああ」
低い声。横から見えた顔は怒りに染まっていて、目の前の鬼以外何も見えていないようだった。頬に痛みが走る。続けて引っ掛けていた狐の面から破片が一つ落ちると、そのまま粉々に砕けて地面に落ちた。 何て威力、もし当たっていたらと思うと背筋が冷たくなった。厄除の面が守ってくれたのかもしれない。そう考えるのは、都合が良すぎだろうか。
あれだけ斬り落とした鬼の腕が瞬く間に再生されていく。鬼はけたたましい叫び声をあげると、また無数の腕を伸ばしてくる。此方に届く前に、炭治郎が走り出した。目に見えぬ速さで腕を斬り落としていく。 呼吸が乱れている。無理もなかった。私よりも長い期間狭霧山にいた炭治郎はどれだけ悔しい想いをしているか。だから、冷静になれた今、炭治郎が私を助けてくれたように私も炭治郎の手助けをしなければ。二人で倒すんだ。刀を強く握り直して鬼の背後に回ると、素早く再生する手を炭治郎に届く前に斬り落としていく。
「狐がちょろちょろとォォオ!」
鬼の間合いに入った炭治郎が横脇に拳を受けた。あまりの威力に体勢を立て直す間も無く炭治郎は木に身体を強打すると、ずるずると地面に落ちる。頭を打ったらしく、額は血に染まっていた。「炭治郎!」叫んでも反応はない。鱗滝さんからもらった炭治郎の狐の面が破片となって散っていく。 完全に気を失ってしまっている。鬼が「先にお前から喰ってやる!」と何本もの拳を振り下ろした。すかさず横から水車で斬り落とすと、炭治郎を背中に庇うように間に立つ。
「お前ら、あのガキ共に動きがよく似ているなァフヒヒ」
「黙れって言ったの聞こえなかったの?」
「アァッ!?」
ぎょろぎょろとよく動く両目が私を睨みつけた。鬼が邪魔だと言わんばかりに今度は私に向かって横薙ぎに手で払い飛ばそうとするのを高く、高く飛んで躱す。姿が消えた私に一瞬怯んだ鬼が勢いよく上を見上げた。
「今だ!炭治郎!」
「なッ…まさか囮ッ、」
「違うね」
鬼が焦ったように下を向いた。背後の木を蹴って身を翻し、鬼の頭上に飛ぶ。その僅かな間、鬼の足元で額に傷を負いながらもしっかりとその両足で立つ炭治郎と目が合った。 囮ではない。一か八かだった。けれど炭治郎は絶対に目を覚ますと、お馴染みの根拠のない勘がそう言っていた。
腕を交差させて構える。跳躍状態でも高い威力を持つ技、「水の呼吸」炭治郎と声を張り上げた。
「「壱ノ型―――― 水面斬り」」
「鱗滝ィッ!!」
激しい水の音が響いた。私と炭治郎の二本の刀が鬼の頸を捉えて、一気に斬り落とす。一瞬のことだった。
着地すると、横で鬼の首が血を吹き出しながらドシャッと転がった。勢いが止まらずそのまま何度か転がると、鬼の頸は逆さまに止まる。自身の身体が切り口から崩れて消えていくのを呆然と見ているようだった。 炭治郎は酷く悲しげな顔で鬼を見下ろしていた。憎む訳でも、恨む訳でもなく、ただ悲しそうに消えていく鬼の手を握る。
「どうか今度この人が生まれてくる時は、鬼になんてなりませんように」
鬼の目から涙が溢れて、そのまま身体と共に砂になって空気に溶けていった。その一連を、私はどうにも表せられない気持ちでずっと眺めていたのだった。
その時、手元からパキッと音がした。慌てて刀を見て、我が目を疑う。そこには刀身の真ん中から切先にかけて入る大きな罅があった。それはもう誤魔化しも効かないくらいに大きな罅。 炭治郎が隣であわあわと狼狽えている。それに反応するかのように罅も深くなって、真ん中から真っ二つに折れると軽い音を立てて地面に落ちた。 私は、落雷を受けたかのような衝撃に呆然と地面に落ちる真っ白な破片を見下ろす。
「えぇええ!?」
「形見だったのに…」
「…ほ、ほら鬼の頸硬かったもんな!もしかしたら打ち直して貰えば治るかもしれない!」
確かにあの鬼の頸は斬れない程でもなかったが、硬かった。しかし、それだけでここまで破損するのだろうか。炭治郎が持つ刀は鱗滝さんから貸してもらったもので同じ日輪刀だ。それなのに傷一つない。寧ろそれが普通だろう。 余程手入れをしていなかったとか、摩耗して切れ味が悪くなっていたとか、いくらでも原因が思いつくがどれもピンとこない。お祖母様の刀は常に手入れがされてあったし、摩耗するほどまだ使ってもいない。…では何故?
見つからない答えに溜め息をつく。隣で心配そうに此方を覗き込む炭治郎にこれ以上心配はかけられない。そう思って頑張って笑顔を向けたが、きっと凄い下手くそだ。
「壊れちゃったものは仕方ないよ。きっと私の使い方が悪かったんだと思う…まだまだ精進しろってことだね!」
「名無し…」
「さ、まだまだ先は長いし少し休憩しよう!」
空元気は鼻の良い炭治郎にはバレバレだったと思う。それでもそうしてなければ泣いてしまいそうだった。唯一の家族との繋がりが切れてしまったような気がして悲しかった。 それに何より刀が折れた今、この先をどう生き延びるのか不安でもある。鬼を殺せるのは日輪刀だけで、素手でどうにかできる相手ではない。とにかくまだ柄に残った部分だけでどうにかしないと。
そう自分を奮い立たせて私と炭治郎は眠りについた。日差しが木々に遮られて、丁度良い暖かさにあっという間に睡魔に襲われたのだった。
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